第8章 サボり魔王子の大切なもの③
ショコライルはミルティアの部屋に急いだ。無事でいてくれ、ただそれだけを願って歩みを進める。
やたらと遠く感じるのは、気持ちが焦っているからかもしれない。時間にしたら大した時間ではないのだが、ショコライルにとってはとてつもなく長く感じる時間であった。
ようやく辿り着いた部屋の扉に手を掛けた瞬間、アニスと男の話し声が聞こえてくる。部屋には外からは開けられないよう防御魔法を施していた。それなのに部屋からはミルティアとアニス以外の声が聞こえてくる。それだけでショコライルは嫌な予感がして胸騒ぎが収まらない。
震える手で勢いよく扉を開けると目に入ってきたのは、今にもアニスに強力な風魔法を放とうとするサマド公爵の姿。
ショコライルは状況判断をする前に、身体が動いていた。どんな状況であれ目の前で部下が傷付けられそうになっているところを見たら、見過ごすなんてできない。
理由は後で聞けばいい。とにかく今はアニスを救うことを最優先に動いた結果、瞬時に繰り出せる最大量の風魔法をサマド公爵目掛けて放った。
だがサマド公爵は扉を開ける音でショコライル達に気がついたために、ショコライルの攻撃を寸前で躱した。
あまりの衝撃にふらつくサマド公爵が目に入り、すぐにエディルダ達に指示を出そうとしたショコライルであったが、ショコライルが指示するよりも前に、エディルダがサマド公爵を取り押さえ、アレンは苦しそうなアニスの側に駆け寄っていった。
ショコライルは急いで部屋の中を見渡す。ミルティアはソファに横になっているように見えたため、安堵したのも束の間、彼女の異変に気がついた。
目が瞬きもせず開かれ、ただ一点を見つめている。手足は力が抜けたようにソファから垂れ下がっており、とても休憩して横になっているようには見えなかった。
「ミルティア!!」
ショコライルは悲鳴にも近い声で愛しい人の名を叫び駆け寄る。ショコライルが呼びかけても応えることはせず、ショコライルが目の前にいるのに目線も合わない。近付いて初めて分ったが、呼吸も浅く顔色も悪く苦しそうであった。
「ミルティア?……ミルティア!!」
ショコライルはミルティアの上半身を起こすが、1人では座ることもできず、いつも遠慮がちに抱きしめてくれる手もだらしなく垂れ下がっている。まるで人形なのではないかと錯覚しそうになるが、呼吸をしているため人形ではなくミルティアだと嫌でもわかる。
「貴様、何をした!!」
もう2度とミルティアと離れないという意思表示なのか、ミルティアを抱きしめたままエディルダによって拘束されているサマド公爵を睨みつける。
この国では国民が魔法を使えるため、拘束する際は魔力制御が付加された道具を使用する。エディルダもそれを使ってサマド公爵を取り押さえているため、いくら魔法に長けているサマド公爵でも、太刀打ちできる術がなかった。
だがサマド公爵は取り押さえられてもなお、余裕があるのか不敵な笑みを浮かべていた。
「その侍女がミルティア嬢に毒を飲ませたんだ。私はそれを目撃したから彼女を取り押さえたまで……それだけですぞ。」
「何を嘘を!私は……」
「アニス!話さなくていい。頼むから無理をしないで……。」
サマド公爵の言葉につい勢いで言い返したアニスであったが、やはり体力を消耗しているため言葉が詰まってしまう。苦しそうに息をするアニスの背中をそっと優しく撫でるのは、側で支えていたアレンだ。アレンはアニスがこれ以上無理をしないよう心配そうに見つめていた。
「嘘ではない!毒を入れたのはこの侍女だ!」
「私は……術で……」
「術だろうが、何だろうが毒を入れたのはお前だ!その事実は変わらないんだよ!」
「私は……私は……」
アニスは事実を突きつけられて気が動転したように取り乱していた。
「アニス!もういい……君は悪くない……。」
アレンはそんなアニスの肩を持ち、気をしっかり持つように励ます。それしか出来なかったのだ。
「誰がやったかなど今はどうでもいい。それより彼女に何を飲ませた!!」
静かに話を聞いていたショコライルが、強い怒りを露わにしてサマド公爵に詰め寄る。そのあまりにひっ迫した声と怒りの迫力にアレンもエディルダも息を呑むほどであった。
だがそんなショコライルの姿を見てもなお、サマド公爵は楽しそうに口元を緩めていた。
「何を飲ませたか?そんな物分からない。」
「嘘を言うな!早く言え!」
ショコライルは勢いよくサマド公爵の胸ぐらを掴む。強い殺気を纏った瞳の奥は、不安で微かに揺れていた。
「嘘ではない。私が長年研究して作った毒だ。だから名前が無いから言えるわけがないだろう?」
「惚けたことを!解毒剤はどこにある?」
「解毒剤?……あるわけないだろう!!解毒する必要がないから作っていない。初めてこの女に試したんだ、国中どこを探しても解毒剤は見つからないぞ!」
「いや!いやーーー!」
サマド公爵の言葉を聞いて、アレンが落ち着かせているはずのアニスが再び取り乱した。大声を上げ現実を受け止められないかのように、体を震わせて泣きじゃくっていた。
「アニス……アニス!落ち着くんだ。」
取り乱し暴れるアニスをアレンは押さえつけるように強く抱きしめる。だが冷静ではいられないアニスはそんなアレンから信じられないような力で逃げようとする。
「アニス……頼む……落ち着いてくれ。」
我を忘れて取り乱すアニスは、暴れるせいでアレンに小さな傷をつけて行く。だがアレンはそんなことなど気にせずアニスを押さえつける手を緩めない。
どれだけ押さえつけても暴れるアニスは、このままにしていては心まで壊れてしまう。アレンはアニスのそんな姿など見たくなかった。だからこそ、暴れるアニスの額に手を翳し即座に魔法をかけた。アニスはその瞬間、暴れることも泣き喚くこともしなくなった。
アレンはアニスに睡眠魔法をかけ眠らせたのだ。
ようやく静かになったアニスはアレンの腕の中で規則正しい寝息を立てていた。目からは未だ涙が溢れて流れ続けている。アレンはその涙をそっと優しくハンカチで拭うと、アニスを抱き抱えたままショコライルを見た。
「なんてことを……くそ!」
サマド公爵からの言葉にショコライルは酷く動揺していた。毒ならすぐに解毒すればいいとの考えが簡単に打ち砕かれたからだ。
「ははっ……最高だ!!私はお前のその絶望をした顔が見たかったのだ!!私のことを馬鹿にしたお前の顔が崩れる日が待ち遠しかった……。」
「貴様……それでミルティアを!」
「ああ……お前の1番大切なものを奪えばその顔が見えると思ったが……読みは当たった。」
「口が過ぎるぞ!」
サマド公爵のショコライルへの挑発に痺れを切らしたのは、エディルダだった。彼はサマド公爵の頭が地面につくほど押さえつける力を強くしていた。
「いい物が見れたお礼に一つ教えてやる。この毒は全身の筋肉を麻痺させる効果がある。だから動くことができない。やがて呼吸をする筋肉か心臓の筋肉が弱まり……命が尽きるのを待つだけだ。だがこの毒は筋肉しか作用しない。つまり意識ははっきりしているということだ。お前の声もお前のその情けない顔も彼女は見て聞いている。残された時間せいぜい彼女に別れの言葉を伝えるんだな。」
「ふざけるな!!」
ショコライルは今まで経験したことがない程、絶望感を味わっていた。今この手にいるミルティアが助からないなど考えたくもなかった。
ミルティアを失うことが何よりも怖い。ミルティアがいない世界など、生きる価値もない。
ショコライルは自分の感情のコントロールを見失いそうになっていた。体の内側から魔力が溢れ、激しい憎悪とともに暴走しそうになっていることがわかる。ショコライルの周りには風が吹き始め、部屋の窓ガラスが不自然なほど音を鳴らして揺れている。
「ショコライル様!落ち着いてください!危険です!」
ショコライルの異変に気がついたアレンが大声を出してショコライルに話しかける。
「ショコライル君!」
アレンの呼びかける声の他に、部屋の外からショコライルの名を呼ぶ声が聞こえてくる。息を乱して入ってきたのはハミルダであった。ハミルダは数名の護衛騎士を引き連れて、ショコライルの異変に気付き駆けつけてくれたのだ。
「落ち着くんだ!このままでは……魔力暴走が起きる!」
ハミルダは悲痛な声で訴えかける。以前ハミルダが話してくれたように、今のショコライルが魔力暴走を起こした場合止められる者は誰もいないのだ。万が一魔力暴走が起きてしまえばショコライルが傷付き最悪命を落としてしまうかもしれない。それはなんとしても防がなくてはいけなかった。
「ご心配ありがとうございます……。私はまだ大丈夫です。ですが……限界は近いです……。」
ようやく応じてくれたショコライルは必死に耐えているのか少しだけ苦しそうであった。
「エディルダ、師匠とともにこの罪人を牢へ。その後陛下へ報告を頼む。」
「わかりました。……ほら立て!!」
ショコライルの指示にまずはエディルダとハミルダと護衛騎士、そしてサマド公爵が部屋から出て行く。
「アレン、アニスの側にいろ!何かあったら師匠から連絡がいくから。」
「分かりました……。」
「心配するな。私なら大丈夫だ。……すまんが2人っきりにさせてくれ。」
見たことがない程不安そうな表情のアレンを安心させるように、ショコライルは穏やかな話し方をした。痛々しい笑顔にアレンはショコライルの心の傷の深さを理解しつつも、今はそのことに触れず彼の希望通り部屋から出ることにした。
眠るアニスを抱き抱えるとアニスの体温を感じることができる。それだけで生きていると実感できるが、今のミルティアはこの温かさが消えようとしているのかもしれない。
そんなことを考えると再び胸が苦しくなるが、今はとにかくこの部屋から一刻も早く立ち去ることにするのであった……。
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