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027.『天月を焦がす炎』

 火翼竜(ドラゴン)と対峙した広場にクゥロ、メア、リリーの三人は辿り着く。


 ほんの一ヶ月前、火翼竜に襲撃された時も小雪が舞っていた事をメアとリリーは思い出す。あの時はクゥロと別れて行動をしていたが、今はすぐ目の前にクゥロがいる。これ程、心強い事は無かった。


「大き過ぎるわ……」

「この間のよりも、おっきい…」


 しかし、目の前に真っ黒い竜の巨体が在る、ただそれだけで本能的な恐れを感じる。メアとリリーは無意識に武器を握り締めた。


 実際に対峙してみて、分かる。


 竜とは、絶望そのものだ。目の前に居るだけで、体の奥から震えが止まらなくなる。生物界の頂点、完全なる捕食者だ。


 樹齢数十年の大木並みに太い腕、今まで見たどの刃物よりも鋭い爪。気紛れに、無造作に、戯れに、振るわれたら一撃すら耐える事は出来ない。


 しかし黒竜は動かない。両翼を畳み、後脚を折り曲げ、前脚を真っ直ぐ地面に着け、いつでも飛び掛かれるように鎌首をもたげながら身動き一つしない。荒れ狂ったように吠え散らかしていた火翼竜とは対照的だ。


「とーや、この黒いドラゴン、何を考えてるの?」

「……動かない……どうすればいい?」


 まるで何かを待っているかのように鎮座する黒竜の様子を、メアとリリーは訝しむ。クゥロならなんとかしてくれる、という絶対的な信頼は勿論あるが、明らかにこの様子は異常だ。


「大丈夫だ、メア、リリー」

「とーや?」

「お父さんに任せなさい」


 二人の先頭にいたクゥロは振り返った。その顔に、微笑みを浮かべて。


「……でも……」

「危ないから、二人は此処で待っている事。いいかい?」


 安心させるように、言い聞かせるように優しく二人の頭を撫でると、クゥロはゆっくりと黒竜に近付く。携えた竜殺し(ドラゴンキラー)を鞘から抜こうともせずに、何の気負いもなく、まるで竜が何もしないという事を知っているかのように。


 伸ばした黒竜の腕が届いてしまう距離まで近付いた途端、魔力の動きを感じた。それは魔力という存在を知覚したばかりのメアとリリーでさえ分かってしまう程の強大さ。


 クゥロの踏み締めていた雪を溶かし尽くす勢いで、突如として炎が噴き上がった。渦を巻くようにクゥロを閉じ込めようとするその炎は竜の吐く火炎吐息(ファイヤーブレス)では無い、歴とした魔法だ。


「とーや!」

「父さんっ」


 思わず声が上がる。しかしクゥロは予期していたかのように空を跳ぶ。"跳躍(ジャンピング)"だ。纏った風は炎の起こした上昇気流をも味方につけ、クゥロの体を炎の渦の届かぬ所まで運ぶ。


 それを読んでいたかのように、黒龍の胸の高さまで跳ね上がったクゥロを待ち受けていたのは辺りに顕現した"炎矢(ファイヤアロー)"。百にも届こうかという炎の矢に囲まれてもクゥロは顔色一つ変えない。


「"水飛沫(スプラッシュ)"、"氷結弾(アイスバレット)"」


 ふわりと空中で"浮遊(フローティング)"しながら、クゥロは飛来する炎の矢を全て真っ向から撃ち落とす。大きく砕けた氷の破片の隙間を縫うように小さな水滴の飛沫が散弾のように拡がって、炎の矢を次々と撃ち落とす。


「とーや、凄いわ!」

「このまま……やっちゃえ……」


 砕けた氷と水飛沫が、炎の矢の光を乱反射して輝く。ぶつかり合った魔法の余波で小雪が荒れ狂ったように舞った。


「いやはや」


 炎の矢を全て撃ち落としたクゥロの口元に、軽く笑みが浮かんだ。眺めているメアとリリーには互角に見えている事だろう。


 それはあまりにも圧倒的な実力差だった。対峙しているクゥロにしかその感覚は分からない。


 圧倒的に、自分が劣っているとクゥロは理解していた。


「それでもやるしかないな」


 少しばかり離れた位置へと着地したクゥロは、真っ直ぐと黒竜を見据える。飛び掛かるようにも、ただ座っているようにも見えるその黒竜は変わらずに動かずにただじっとクゥロを見返す。


 静かな凪いだ海のような瞳は紛れも無い知性があった。その瞳に、敵意は感じられない。


 クゥロは一つ大きく呼吸をすると、ゆっくりと魔力を紡ぐ。持ち得る全ての手札の中で一番の物を切らなければならない。


「"融解煉獄(メルトフレア)"」


 それは火翼竜を貫いた魔法、今クゥロが使える中で最も威力の高い魔法だ。魔力を補助してくれる媒体の待ち合わせが無い以上、クゥロ自身の魔力の殆どを回さないと使用する事が出来ない。凍えるような寒さの中、クゥロの額に汗が滲む。


 そして魔法は完成した。クゥロの前方に浮遊した白けた赤色をした炎が、青い輝きに変わる。超高温の、全てを融かし尽くす蒼炎がクゥロから放たれた。


 自身に向かって撃ち出されたその蒼炎を見ても黒竜は微動だにしなかった。ただ飛来する蒼炎をじっと見据える。


 そしてクゥロの放った蒼炎はその黒竜に届く前に、どこからともなく飛来した魔法に相殺させられた。


 その魔法は、クゥロと全く同じ"融解煉獄"だった。


「ふふふ」


 鈴のような笑い声が響く。クゥロでも、メアでもリリーのものでもない。それはクゥロ達の頭上、見上げる黒竜から聞こえてきた。


「なんだ、十数年も離れてたのに、意外と衰えてないじゃない」


 黒竜の右肩からクゥロ達を見下ろすように佇むその人影はクゥロのよく知る人物だった。


「……天下に名高い大魔導師、"天月を焦がす炎"の一番弟子だからね、俺は。怠けてはいられないよ」

「あら、それは良い心掛けね。きっと育てた大魔導師が優秀だったんでしょうね」

「ああ、俺が知る限りで一番だと思ってる」

「……あんた、お世辞が上手くなったわね。まぁ、有難く受け取っておくわ」


 強力な魔法の使用により疲弊しているクゥロを見下ろしながら、小妖精族(エルフ)の少女は満足そうに微笑む。その微笑みが、酷く懐かしかった。


「この高さから見下ろすのも、大分気分が良いわね。漸くやりたかった事を一つ叶えられたわ」

「それは何よりで。でも降りてこないか? そろそろ空は飛べるようになったんだろう?」

「煩いわね、"飛翔(フライング)"は結局あたしの性に合わなかったわよ。ーー"重力(グラビティ)制御(コントロール)"」


 少女が魔法を唱えると、黒竜の肩から身を投げる。重力の加速を受ける筈のその身はふわりふわりと一定の速度を保ったまま、音も無く地面へと着地した。


「久し振りね、クゥロ」

「ああ、久し振りだね、フレア」


 十数年振りに冒険者時代の仲間との再開。クゥロの胸はただ懐かしさで一杯になった。


「正直、もうくたばってると思ってたわ。……よく、生きてたわね」

「有難う。お陰様でね、何とか生き延びてるよ」


 春、芽吹いたばかりの若葉色の髪。山に生い茂る新緑色した瞳。濃紺のローブはこの降り注ぐ雪にも濡れておらず、着ている服もブーツも上等な物だ。


 クゥロに魔法の全てを教えてくれた、小妖精族の大魔導師は見た目は殆ど変わっていなくとも、昔よりも威厳と貫禄を増したように感じられた。


「どうして、ここが?」

「あたし達が昔打ち上げていた酒場でたまたま飲んでたら、不思議な話をしている冒険者達に会ったのよ。単身でドラゴンに挑んだ、命知らずの村人の話をね」

「……もしかして、マックス達か?」

「ああ、そんな名前だったかしら。それだけならまぁ、特に気にも止めなかったのだけれども、あたしが教えた魔法を使うその村人の名前にとても聞き覚えがあったのよ」


 真っ直ぐとクゥロを見据えて笑うフレア。その笑い方に、反射的にクゥロの背筋が伸びる。


「それが十数年前に、何も言わずにパーティから去った奴の名前と同じだったのよ。だから会いに行って一発派手に燃やしてやろうかしらって思ったのよ、ねぇ、クゥロ?」

「……それはご苦労な事で」


 笑っているのにも関わらず、身動きが取れなくなるような凄みを見せるフレア。怒っている時のフレアは今のように実に楽しそうに笑う。そんな昔の事を思い出す。


「腑抜けて魔法の一つも満足に使えなくなってたらどうしようかと思ってたけど、杞憂だったわ」

「それでもこっ酷く実力を分からされた気分なんだがな、こっちは。初級の魔法にあれだけ手間取らされたんだ、泣きたくもなる」

「それはあたしが強すぎるんだから仕方ないわよ、ただ泣くんじゃなくてそんなあたしを師匠としている事を泣いて喜びなさいよ。それに、そう言いながらちゃんと対応出来てるのはあんたくらいよ。今教えてる弟子達に見習わせたいくらいだわ」


 記憶の中のフレアも確かにこんな風に傲慢なくらいの物言いで、でもそれに相応しいだけの実力を、そして弛まぬ努力をしている人だった。きっと今もなお、それは変わらないのだろう。そんなフレアを眩しく思う。


「本当、君は変わらないな、フレア」

「あたしが変わる訳無いじゃない、ずっとこのままよ」

「見た目じゃないさ、中身の話だ」

「……あんたは、流石に老けたわね。まぁ、思ってた程じゃないけど。なかなか良い歳の取り方してるじゃない」

「そりゃ、どうも。人生の大先輩に言われると光栄だ」

「……あー、やっばり燃やした方が良いかしら?」


 久し振りだというのに、まるで昨日別れたばかりのような軽口が口を突いて出る。クゥロの口元に、本人も知らない内に笑みが浮かんでいた。


 懐かしかった、何もかもが。明け透けな物言いも、変わらない距離感も、クゥロが何も言わずに別れたその日のままだった。自分だけが過去に戻ったかのようにさえ感じる。


 もうそんな日は来ないのだと思っていたのに。


「そのドラゴンはもしかしてあの時の子かい?」


 フレアの後ろで、まるで主人に付き従う騎士のように佇む黒竜を見上げる。その風貌には見覚えがあった。


「そうよ、星辰の丘で空から落ちてきたドラゴンよ。あんたも一緒に世話したでしょ」


 魔物討伐をしに西の方へと足を運び、地元では星辰の丘と呼ばれる小高い丘で野宿をしていた時。星降る夜空を眺めていたクゥロ達の目の前に、突然空からドラゴンの卵が落下し、その卵から産まれたのがこの黒い竜だった。


「やっぱりそうか。大きくなり過ぎて分からなかったが、立派になったな……メテオラ」


 メテオラ、と呼ばれた竜はクゥロの呼び掛けに応えるように、身体を引くとゆっくりと頭を地面すれすれまで下げる。頭だけでもクゥロを遥かに超える大きさだ。


 その頭を押し付けるような仕草は記憶にある。まだ黒竜が生まれたばかりの時、抱いていたクゥロの腕の中で甘える仕草と一緒だった。


 無意識に差し出された頭を撫でる。表面の竜鱗は岩石のように硬く、ゴツゴツとした手触りだった。


「なんだ、大きくなっても甘えん坊なのは変わらないな」

「ちゃんと覚えててくれて嬉しい、だってさ。この子の名前、よく覚えてたわね」

「どの文献にも載ってなかったこの子に隕石竜(メテオラ)、と付けたのは君だろう? 覚えているよ、あれからずっと君が面倒見ていたのかい?」

「ええ、そうよ。今メテオラはあたしと契約を結んでいるの。野に返すには情が沸き過ぎたし、それに返した所で他の仲間と出会えるかどうかも分からなかったから」


 同じように頭を撫でるフレア。子供をあやすような手つきで、メテオラを見つめる表情には母性を感じた。そんな顔も出来るんだな、とクゥロは知らない一面を見たような気がした。


「暫くクゥロと話をするから、好きに飛んできなさい。また必要になったら呼ぶわ。……ええ、そう、良い子ね」


 まるで通じ合っているかのように、言葉を告げるフレア。他種族と契約を交わすと繋がりが出来、魔力の供給や意志の疎通などが可能になる。


 フレアの言葉に応じるように、メテオラは身体を起こし、畳んでいた羽を拡げると大きくその場で跳躍した。巨大な体躯の動きに合わせて巻き起こった風がクゥロの外套をはためかせる。


 一息に数十メートルの高さまで跳んだメテオラの足元に、炎がまるで爆発するかのような勢いで噴き出た。魔力で作られた炎を噴出する事で推進力を得たメテオラは、そのまま轟音を響かせながら雪雲の中へと吸い込まれるように消えていった。


「……凄いな、メテオラは」

「爆風に耐える強靭な竜鱗と豊富な魔力のお陰ね。首都からここまでも四半日も掛からなかったわ」

「そんなに早く来れるのか?」

「道なりに歩けば二十日以上掛かる筈の距離も、妨げるものが無い空を飛べばあっという間よ。まぁ、普通の人間なら加速に耐え切れずに気絶しちゃうだろうけども」


 さらりと真面目な顔で恐ろしい事を言うフレア。思わず雲を突き抜けた、メテオラの後を追うように見上げてしまう。そんな大それた事をやってのけてしまう辺り、流石大魔導師と言う他無かった。


「……それで? あんたの後ろにいる子達は何?」


 言われるがまま後ろを向くと、このやり取りの最中、メアとリリーがすぐ後ろまで近付いていた。手を伸ばせば届く距離まで来ていたのに気付かなかった。久方振りの邂逅に浮かれてしまっていた自分に気付く。


 随分と待ち惚けを喰らっていて、さぞかし機嫌を悪くしているだろう。申し訳ない気持ちになりながら、二人の方へと体を開く。


「蔑ろにして悪かったね、メア、リリー。紹介するよ、この人は」


「ねぇ、とーやぁ、その人、誰なの? 随分気安く話してるけど、そんなに仲が良い女の人、何処で知り合ったの? ちゃんと私達に説明して欲しいわ」

「父さんと……どんな関係? ううん、どんな関係だったとしても……今は私達と一緒だから関係無い……そうだよね、父さん?」


 クゥロの両腕にそれぞれ縋るメアとリリー。敵対する関係では無いというのを感じ取っていたのか、武器は構えていないもののその瞳に光は無く、急な来訪者に向けて強く向かっていた。


「とーや? 父さん? ……ちょっとクゥロ、あんたいつの間に子供なんて拵えてるの? しかも鱗の、なんて」

「いや待てフレア、これには事情が」

「というか、クゥロに似ても似付かないし……これは洗いざらい白状して貰わないといけないわね? 心配するあたし達を十数年放っておいて怪しい犯罪に手を染めた、なんてそんな事無いわよね?」


 にっこりと、満面の笑みを浮かべるフレア。しかしそれが先程までの再会の喜びに溢れるものでは無いことは、数年共に死線を潜ってきたクゥロには分かる。



 クゥロの腕にしがみつく二人の手にも力が籠る。まるで盗られないように、と、逃がさないように、と強く。


「はぁ、はぁ、お兄ちゃん! 良かった、無事だったんだね!」


 そんな意図しない硬直状態が訪れた場に、新しい乱入者が訪れる。半小妖精族(ハーフエルフ)のリズだった、クゥロの姿を見つけると子犬のような健気さで駆け寄ってくる。


「リズ、どうしてここに」

「ドラゴンと魔法の気配を感じて、慌てて来たの! 私じゃ役に立たないかも知れないけど、お兄ちゃんの為に何か出来ないか、な、って…」


 クゥロの姿しか見えていなかったリズが、はっと我に返る。メア、リリー、それにフレアの視線が集まり、リズの顔が赤く染まる。きょろきょろと辺りを見回し、困ったように眉根を寄せた。


「あ、あれ、なんかもう大丈夫な感じ、かな? メアちゃんとリリーちゃんも一緒だったのね、えと、こ、此方の方は?」

「はぁ、父親の次はお兄ちゃん? あんた、本当にどうなってるのよ」

「……何処から説明すればいいのか、俺にも分からないな」

「あ、あはは、なんかごめんね、お兄ちゃ、じゃなかった、クゥロ」


 結果としてリズの登場に毒気を抜かれたフレアだったが、すぐに気を取り直す。


「まあいいわ、時間はたっぷりある事だし、あんたの家に行きましょう? あんたに聞きたい事も話したい事も沢山あるんだから」


 その勿体ぶった物言いに、心の奥底を見透かされたような気になった。


「……フレア」

「それと、後でちゃんとあんたの体、調べさせなさいよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、元仲間としても、ドラゴンの研究をしている身としても知っておきたいわ」

「ああ、分かってる。君ならそういうと思っていたよ」

「えと、フレア、さん? クゥロの体を調べるって、それに生き延びる事が出来たって……一体、どういう事なの?」


 リズの言葉、そしてメアとリリーの不安に揺れる視線を受けて、一瞬何を言ってるのか分からないという風に惚けるフレア。


 しかしその問い掛けと視線の意味を理解すると、フレアはクゥロに掴み掛かるかのように距離を詰める。


「まさか、あんた……」

「……そのまさかだ」

「ああ、もう、呆れた! 何も説明もしてないのね!? あんたがいきなり死んじゃったらどうする訳? あたし達の時もそうだけど、なんで何も言わないのよ、格好付けてるつもり!?」

「……すまない」

「一人上手にも限度ってものがあるわよ! ……本当、いつまで経っても世話が焼けるんだから」


 烈火の如く怒鳴ると、深い溜息を一つ。その瞳は先程までの激情と打って変わった、静かな色を湛えていた。


 そして、深い悲しみも。


「……早く行きましょう、ちゃんと説明するわ。あんた達は絶対に知っておかなければならない事ーークゥロが蝕まれている"呪い"の事よ」

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