026.『再来』
「入っても良いかい?」
「鍵は開いてるわよ」
部屋主の少女の声が扉越しに聞こえる。素っ気ない口振りなのにはもう慣れた。そもそも、この部屋に呼んだのは少女の方なのだ。
街の外れに住み着いた小鬼討伐の依頼を終えた後、少女は「今夜、部屋に来なさい」と言い放って、少年の返事を待たずに自分の宿へと引き上げてしまった。
仲間である小妖精族の少女を師と仰ぐ事となった夜から数日、依頼をこなす傍らで魔法を扱う訓練を行っていたが、しかしその訓練の成果はあまり芳しくなかった。
その事に対する叱責なのだろうか、それとも匙を投げられてしまうのか、と後ろ向きな考えが浮かび思わず溜息が出る。そんな落ち込む少年の傍らで、司祭見習いの少女は顔を真っ赤にして、傍らに立つ剣士の少年はにやにやと笑いながら少年を見ていた。彼らは違う事柄を想像をしていたようだったが、少年は何も言わなかった。
そして今、少年は部屋の前に立っている。意を決して取っ手に手を掛けた。
扉を恐る恐ると開けると、不思議な香りがした。鼻腔に香るその匂いに、思い当たる節があった。休日によく行く図書館で嗅いだ事のある、綴じられた紙と塗料の匂いだ。
「突っ立ってないで、早く中に入りなさいよ」
「お、お邪魔します」
少女は備え付けの机で本を読んでいた。部屋は一人で暮らすには十分な広さだったが、壁には本棚が並び、入り切れなかった本は床の至る所に積み上げられていて狭く感じる。魔術書だけに拘らず、魔物図鑑や戦術書など種類は様々だ。
けして綺麗な部屋では無かったが、この何棟も聳え立つ書物の塔の群れは少女を表しているようにも見えて好ましかった。少女の振る舞いは尊大な所もあったが、それには積み上げてきたものがあるからだと一目で分かるからだ。
「あんまり人の部屋をじろじろ見るんじゃないわよ」
「ああ、うん、ごめん」
「ま、良いけど」
初めて異性の部屋に入った為に所在無さげに目線を動かす少年に一言浴びせると、少女は読み掛けの本を閉じて椅子から立ち上がる。普段は厚手のローブを纏っている少女だったが、今は薄手の部屋着を着ていてその見慣れない姿に少しだけ鼓動が早くなる。
少女が少年の前に立つと、胸の高さしか無かった。不機嫌そうに眉根を寄せる。
「なんか、またあんた大きくなったんじゃない?」
「そうかもしれない、成長期だからかな」
「なんか見下ろされるのむかつくわね、空でも飛んでやろうかしら」
腕を組み、見上げてくる少女が至って真面目な顔で呟くので少年は思わず笑ってしまった。人喰い鬼でさえ灰にしてしまう火属性の魔法を操る少女だったが、風の補助魔法は意外と苦手だったのを少年は知っていたからだ。空を飛ぶ"飛翔"
は少年の方が上手く扱う事が出来ていた。
「そうだな、ドラゴンにでも乗れば見下ろされる事も無くなると思うよ」
「それは良い考えかもしれないわね、威厳も出て一石二鳥ね」
「……それで? 君に言われて部屋まで来たけど、何か用かい」
軽口もそこそこに、本題を口にする。少女の機嫌は悪いようには見えなかったが、少女の怒りが頂点に達すると笑顔を浮かべるのを少年は知っていた。探索中にローブの裾を踏んで転ばせた時の事を、少年は今も忘れられないでいる。
そんな少年の緊張を察したのか、少女は吹き出すように笑った。
「なによ、あんた怒られるとでも思ってるの? その為に呼んだ訳じゃないわよ、安心しなさい」
「そ、そうなのか? てっきり出来の悪い弟子に呆れ果ててたのかとばかり思ってたよ」
「まぁ、確かに覚えは悪いかも知らないけど、それはあたしの教え方の所為でもあるわ」
お叱りで無い事が分かって、少年は安心したように深く息を吐いた。それと同時に、また新しく疑問が浮かぶ。一体、何の為に自分を呼んだのだろうか。
「だからね、ちょっとやり方を変えようと思って」
その疑問に応えるかのように、少女は言った。
「あんたはまだ魔力というものをしっかりと感じ取れてないように私は見えたわ。自分の中にある魔力も、世界に漂う魔力も、在る事は分かっているけどいまいち掴み切れていないというか」
「……うん、言いたい事は分かる」
「だから理論では無くて、まずは感覚として理解して貰うのが一番だとあたしは思ったのよ」
「それが、ここに俺を呼んだ理由なのかい?」
「そういう事になるわね」
少女の髪よりも深い、新緑色の瞳は揺らがない。
「その新しいやり方を今から?」
「ええ、そうよ。あまり他の人には見られたくなかったから」
いつもは冒険の休憩中だったり、野宿をしている時だったりと仲間達に見守られながら訓練をしていた。それをどうして、と少年が考えていると少女は徐に自分のベッドの縁へ腰掛けた。ぎし、と軋む音が響く。
「理論だけ説明するわね。これからあんたの身体を通して、あたしが世界から魔力を吸い上げるわ。あたしが魔力を操作する事で正しい魔力の操り方を、そして自分の中を通る魔力の流れを実感出来ると思う。そうすれば、次からは自分で同じ事が出来るようになると思うわ」
「……えーと、つまり俺はどうすればいいんだ?」
覚悟を決めて師匠である少女に向き合う。具体的に何をするのかは分からない、けれども少女の、師匠の言うことを信じようと思った。
「そんな真面目な顔しなくても、何も怖い事なんかしないわよ」
そんな決意に満ちた瞳で見つめていた少年をあやすように優しい響きで、少女は軽く両腕を開いた。まるで少年を迎え入れるように。
少女は、無邪気に笑っていた。
「ほら、きなさい、クゥロ」
◆◇◆◇
数日続いた曇天から、小雪がちらちらと舞う光景が見えた。この村で冬を過ごしている内に何度も見る景色だったが、何年経っても見飽きる事は無いようにクゥロは思った。
村を白く染め上げるように雪の降る日は、世界の音が吸い込まれてしまったかのように本当に静かで何とも心が安らぐ。
「むむむむ」
「……ううう……」
そんな静寂に満ちた室内に、可愛らしい唸り声が響く。メアとリリーだ。二人の部屋でそれぞれ、ベッドに思い思いに座り、目を瞑っている。メアは足を開いて胡座をかくように、リリーは膝を抱えて体育座りをしていた。
今二人は、クゥロの手解きを受けながら魔法を扱う訓練をしている。この世界に漂う見えない力、魔力を用いて起こす奇跡、それが魔法だ。
二人が瞑想しているのは、魔法を扱う上で一番基本にして重要な魔力を感じる訓練の為だ。自分の中にある魔力の存在を認識出来なければ、それを魔法として昇華する事は出来ない。しかしそれが一番難しい事だというのを、クゥロは知っていた。
「どうだい、メア、リリー」
「とーやの言う通り、在る、という事は何となく分かるわ。でも」
「ふわふわして……ちゃんと掴めない……」
眉間に皺を寄せながら答える二人。今日初めて取り組んだのに、そこまで掴めているのならば上出来だと思った。普段からクゥロの魔法を目の当たりにしているのもあるのかもしれない。しかしメアとリリーは納得していないように見えた。
「お父さんもね、昔はそうだったよ」
「え、そうなの? とーやは凄い魔法使えるから、最初から出来ていたんだと思ってたわ」
「それがね、全然出来なかったんだ。今のメアやリリーみたいにふわふわしてよく分からなくて、暇があったらとにかく練習してたよ。いつも師匠には要領が悪い、って怒られてたなぁ」
「……意外……父さんも私達と一緒……?」
リリーの言葉に、クゥロは頷く。
「寧ろお父さんの方が下手だったかもしれないね。だからすぐに出来なくても、そんなに皺を寄せながら練習しなくてもいいんだ。……ほら、折角の可愛い顔が台無しだ」
「も、もー! とーやったら! 不意打ちでそういう事言うの、ずるいわ!」
「可愛いって……照れちゃう……」
メアもリリーも頬を真っ赤にしたが、満更でもない様子。二人にとって、クゥロの褒め言葉は何にも変えられない物だ。
だからこそメアもリリーも火照りを鎮めるように呼吸を整え、もう一度瞑想する。上手く出来たらきっとクゥロも褒めてくれるに違いない。動機は些か不純な物だったが、二人の集中力はゆっくりと増していく。
クゥロは何も言わずにその様子を楽しげに見ていた。
「うううう」
「……むむむ……」
十数分後、微動だにしなかった二人の身体が唸り声と共に次第に揺れ出す。緊張の糸が切れたのだろう、メアはそのままぱたりと前のめりに布団に突っ伏し、リリーはごろんと横に倒れて寝っ転がった。
「難しいわ、とーや」
「……しょんぼり」
落ち込む二人。すぐに魔法が使えるようになってクゥロにいっぱい褒めて貰う予定だったのに、現実はどうも上手くいかない。ふて寝するように身体をベッドに投げ出す。
「感覚で操作して身体能力を上げる人も勿論いるけれども、魔法を使うのであればこの訓練は避けて通れないからね。零を、一にするのが一番難しいんだ」
クゥロは実感を込めて呟く。何事も初めが一番肝要な事を、身を持って知っている。
「だから、お父さんが手伝ってあげよう」
「え、とーやが! でもどうやって?」
リリーの寝そべるベッドの縁に腰掛けるクゥロ。メアもリリーも身体を起こして見つめる。
「さ、おいで、メア、リリー。お父さんの身体に触れてごらん」
「わーい……」
一番近くにいたリリーが、クゥロの背中から覆い被さるように抱き着く。メアも慌てて自分のベッドから降りると、クゥロの膝の上に向かい合うように座る。肌寒い室内で、クゥロの温もりはそれだけで堪らないもので二人の頬は緩む。
「良いかい、今から二人の中に魔力を送るよ。気分が悪くなったらちゃんと言うんだよ。他の人の魔力が入るとそうなる人もいるから」
クゥロは目を瞑り、自分の奥深くにある魔力に集中を向ける。まるで内側に灯った火のような、じんわりと暖かささえ感じるその魔力を、二人が触れている所を通じてゆっくりと流し込む。
同時に、二人から驚きの声が上がる。
「あ、とーやのが、私の中に入ってくるのが分かるわ」
「わぁ、凄い……父さんの、熱い……」
それは確かな熱を持っていて、自分達が繰ろうとしていたものよりもはっきりとした魔力の存在を強く感じる。
他人の魔力が自分の中に流れ込んでくるというのは時に気分を悪くさせる事がある、とクゥロは言っていたが、二人にとってクゥロの魔力が流れ込んでくる感覚は不快な物では無かった。寧ろ何処か包まれているような、一つになるような心地良ささえあった。
「その魔力を目印にして、自分の中にある魔力に集中してごらん?」
クゥロの言葉に、抱き着いたままメアとリリーは目を閉じる。
先程まではまるで一人で大海原を漂うような感覚だった。透明な、凪いだ海に落とした硝子の破片を探すような、独りぼっちで彷徨う感覚。
でも今は違った。
クゥロのゆっくりとした呼吸が、穏やかな心音が、暖かい体温が、そして魔力がすぐ側にあった。その温もりが、存在が、メアとリリーの存在を更にはっきりしたものにする。
クゥロの魔力が灯台の役割を果たすかのように、透明な硝子のように見えなくて掴むことの出来なかったメアとリリー自身の魔力が照らされ、浮き上がってきたように感じた。
自身の深い所にある魔力を、二人はその手に掴んだ。瞬間、全てを理解した。
「分かったわ、これが私の魔力ね……!」
「……掴めた……!」
クゥロの魔力の存在から、自分の魔力を相対的に感じ取れた二人は遂に自身の魔力を捉える事が出来た。
急に透明だったものに色が付いたような明瞭さで、自身の奥底に眠る魔力を知覚出来る。
「おめでとう、二人とも。大きな一歩だね」
クゥロが魔力を流し込むのを止めても、メアとリリーは一度掴んだ自分の魔力を見失う事は無かった。それどころか、一度掴んだ感覚が分かるとまるでそれが当たり前だったかのように魔力を自分の中で紡ぎ上げる事が出来た。
「とーやのお陰だわ!」
「父さん……有難う……!」
何度も確かめるように自身の魔力に触れていた二人が、喜びを抑え切れずに更にクゥロに抱き着く。メアは胸板にぐりぐりと頬を押し付け、リリーはクゥロの癖毛を頬擦りする。二人とも自分が魔法を使えるようになる、という期待に満面の笑みを浮かべていた。
「良かった。お父さんも昔、師匠に同じ事をして貰ってね。それで感覚を掴む事が出来たんだ」
しかしクゥロの一言で、まるで時が止まったかのように二人は固まる。
「ねぇ、とーやぁ。師匠って、男の人? それとも女の人?」
「女性だけど、どうしたんだい?」
「……こんな風に……くっ付いたの……?」
「あ、いや、それは昔の話で」
別に悪い事はしていない筈なのにどうにも辿々しい物言いになってしまうクゥロを、じーっと半目で睨むメアとリリー。二人の機嫌を損ねてしまったのは一目瞭然だ。
「……昔の事だから良いけどー、他の人にはやらないでね、とーや?」
「これから……私達以外にやっちゃダメ、だから……」
「あ、ああ、分かったよ」
不貞腐れる娘達は、先程より強い力でクゥロにしがみつく。クゥロの話が本当ならそれはまだ二人とも産まれていない時の話なのだが、時折香る自分達以外の女の影を黙って見過ごす事は出来なかった。
「でも、そのお陰でお父さんも魔法を使えるようになったからね。師匠には感謝しているんだ。そうでなきゃ、お前達の手助けも出来なかっただろう?」
「それは、そうかもしれないけど」
「……どんな、人だったの……?」
「そうだなぁ、他の人から見たらとっても我儘に見える人だったね。なかなか自分の意見を譲らないから口論になるのはしょっちゅうだったし、魔法を教わってた時もよく怒られたもんだ」
でも、と言葉を切ると、クゥロは視線を上げた。
昔の話をするクゥロの目は、いつも此処ではない何処かを見ていた。
「凄い人だった。パーティの中では一番小柄なのに、それよりも何倍も大きい魔物を倒していた。魔法の腕は言わずもがなだけど、寝る間を惜しんでは書物を読み漁っていてね。お父さんが本を読むようになったのも師匠の影響が大きいな」
その瞳をしている時のクゥロの事を、二人はあまり好きでは無かった。
「口は悪かったけど、それ以上に叱咤激励して貰った事の方が多くてね。それでいて時折、酷く優しく笑う時があって」
クゥロの過去が嫌なのでは無い。自分達が存在しない過去の時を楽しそうに話す姿を見るのが寂しいのだ。それがどうしようもない嫉妬である事を、二人は痛い程分かっていた。
身体にしがみつく力が弱くなったのを感じて、クゥロは話を切り上げると、メアとリリーの頭を撫でた。
「話し過ぎたかな? 退屈だったろう」
「ううん、平気よ?」
「とにかく、今のお父さんを作ってくれた人には違いない。だから感謝してるんだ」
「……感謝……?」
「その人が居なければ、こうしてメアとリリーの手助けが出来なかっただろう? だからお父さんは今、とっても嬉しいんだよ。メアとリリーに色んな事を教える事が出来て」
優しく微笑むクゥロ。メアとリリーは今まで何度も見てきたその笑顔に、今も、そしてこれから何度でも見惚れるだろうと思った。それぐらい暖かで、慈愛に満ち溢れる笑顔だった。
「そうね、今のとーやがいるのはその人のお陰なら、私達はお礼を言わなきゃいけないかもしれないわ」
「でも……これからの父さんは、私達と一緒……」
「リリーの言う通りよ、これからのとーやには私達がいるんだから!」
「いっぱい……色んな事しようね……」
「ああ、そうだね。メアとリリーが居てくれるならいつだって素敵な明日になると思うよ」
クゥロの言葉に感極まったようにメアが身体を預けるのと、リリーがクゥロの身体を抱き寄せたのはほぼ同時だった。いつも寝ているクゥロのベッドよりも小さいリリーのベッドに三人でぼすん、と横たわる。
「ふふふ、とーやぁ、大好きっ」
「……父さん……好き好き……」
暫く戯れ合うように抱き付いてくるメアとリリーを好きにさせていたが、ふとクゥロの耳に聞き慣れない音が響いた。
身体を起き上がらせる。先程までの幸せそうな顔とは打って変わって、厳しい表情を浮かべていた。
「とーや?」
「父さん……?」
メアとリリーは不安な顔でクゥロを見る。何か機嫌を損ねるような事をしてしまっただろうか。
クゥロの視線は窓の外へと向けられていた。雪は先程よりは弱まっているように見えたが、まだ止む気配は無い。
「……何の音だ……?」
表情を変えず、ぽつりと呟く。二人には何を意味する言葉なのか分からなかったが、クゥロは感じていた。
耳を澄ます。静寂に満ちた雪の村、いつもと変わらない筈の静けさの中、その音は確かにクゥロの耳には聞こえた。時間が経つに連れて、メアとリリーの耳にも聴こえてきた。
どぉん、という爆発音。
それが何の音なのかは分からない。稀に大雪の降り積もった山で、何らかの原因で雪の波が起こる事もあった。しかしその音では無い事はすぐに分かった。
何故ならその爆発音は一定の間隔で今も響き、そしてその音自体の大きさがどんどんと強くなっていたからだ。
「近付いてくる」
クゥロはベッドから立ち上がると、自分の部屋に行き、掛けていた黒沼竜の外套と"竜殺し"を身に着けると家から出ようとする。
「待って、とーや!」
「……私達も、行く……」
そのただ事ならない様子に、メアもリリーも上着を羽織り、各々の武器を持ってクゥロの後へと続いた。
そして外へ出た直後、一際大きい爆発音が響き、クゥロ達は音の聞こえた空を見上げた。
白く染まる天を切り裂く、巨大な黒い影が遥か頭上を通り過ぎる。爆音を撒き散らしたと思われるその影は、一ヶ月前に見た姿に非常に類似していた。
「そんな、また……」
「……どうして……」
メアとリリーは、呆然とその姿を見つめていた。翼を広げたその姿は、メアとリリーが一ヶ月前に見たその姿よりも大きかった。
飛来したその影は、ゆっくりと白い大地に降り立つ。奇しくもクゥロが死闘を繰り広げた、まだ火翼竜の爪痕が残る北の広場に。




