9・料理ギルドの凋落(グレゴールSIDE)
王都の中心にそびえ立つ、巨大な料理ギルド本部。
その最上階にある豪奢なギルド長室で、ギルド長である私──グレゴールは、高級な赤ワインが注がれたグラスを心地よく傾けながら、全能感に包まれていた。
「くくく……素晴らしい。我が料理ギルドは、ついに『三つ星ギルド』の称号へ手が届くところまで来たぞ」
先日も新聞の取材に応じ、料理ギルドの躍進を華々しくアピールしたばかりだ。
『三つ星ギルド』の称号は、世のギルドにとって悲願のことである。
何故なら、その看板を掲げるだけで、世界中から客が押し寄せてくるからだ。
当然、私がギルド長に就任してからも、『三つ星ギルド』の獲得を強く目指した。
もっと客を……もっと金を……それだけが欲しかった。
そんな私にとって、最高の栄誉を獲得する上で最大の障壁となっていたのは、ギルドの品位を下げる者の存在だった。
「賄いで安っぽい香辛料を使った脂っこい肉料理や、泥水のようなスープばかりを作っていた下働きの料理人……タクミ。特にあいつらは目障りだった」
あのような下品極まりない、庶民の餌しか作れない無能を追放したことで、ギルド内から泥臭い匂いは消え去った。我が料理ギルドはより、洗練された完全な高級路線へと進んでいくだろう。
「やはり、あのような能無しを排除して正解だった。今頃、王都のどこにも雇ってもらえず、路頭に迷って残飯でも漁っていることだろうな」
そう呟き、ワインの芳醇な香りを楽しんでいた──その時だった。
「ギ、ギルド長!」
ノックもそこそこに、ギルド長室の扉が勢いよく開かれた。
「何事だ! 騒々しい。三つ星獲得を目前に控えた私の、優雅な一時を邪魔するつもりか?」
私がそう睨みを効かすと、彼らは顔を青ざめる。
入ってきたのは、本部のレストランで料理長を務める男と、給仕長だった。二人は何故かひどく焦っており、額には脂汗まで浮かんでいる。
「も、申し訳ありません! しかし、本部のレストランでお客様からクレームが相次いでおりまして……!」
「クレームだと?」
私は眉根を寄せる。
「愚かな。我がギルドの至高の料理に文句をつけるような、味音痴がいたというのか?」
「そ、それが……お一人や二人の話ではないのです。古くからの常連である貴族様や富裕層の方々から、『以前より味に深みがない』『なんだか物足りなくなった』『肉の臭みが気になる』と……!」
「はあ!?」
私は手にしていたワイングラスをドンッと机に置き、勢いよく立ち上がった。
「バカなことを言うな! 使っている食材は最高級のものばかりだぞ! 幻の魔獣の肉に、希少なトリュフ──それに、料理を作っているのも貴様ら、一流のシェフだろうが!」
「おっしゃる通りです。調理の手順も、味付けも、以前と何一つ変えておりません。しかし……どうしても前と同じ味が出せないのです」
「言い訳をするな! 何故、そのようなことになっている!」
私の怒声に、料理長と給仕長はビクッと肩を震わせた。
しばしの沈黙の後、料理長がおずおずと口を開く。
「……従業員たちとも話し合ったのですが。もしかすると、タクミがいなくなったせいなのでは、と」
「なに? タクミだと?」
思いがけない名前が出てきて、私は聞き返してしまう。
「一万歩譲って、あの無能のせいだとしよう。だが、あんな三流料理人に、客へ出すような高級料理を作らせなかったはずだ。もしや、裏であいつが客が庶民の餌を提供していたとでも言いたいのか?」
「い、いえ! 彼は調理そのものには関わっていません。ですが……本部や系列店で使う食材の下処理や仕込みのほとんどを、彼一人が担当していたのです!」
下処理や仕込み……そういえば、あいつにやらせていたな。
所詮、三流料理人。簡単な仕込みくらいなら、やれると思ったからだ。せめて給料分は働いてくれないと困る。
料理長の説明によれば、こういうことらしい。
肉の余分な筋を完璧に断ち切り、臭みを抜く技術。ベースとなるスープやブイヨンに深いコクを出すための、絶妙な火加減と灰汁取り。
あのタクミという男は、それらの地味で手間のかかる作業を、たった一人で完璧な精度でこなしていた、と。
「彼がいなくなってから、他の下働きの料理人たちで仕込みを分担しているのですが……どうしても彼のようにはいきません。肉は硬く縮み、スープのベースはどこか味がぼやけてしまって……」
「巫山戯るな!」
私は先ほどよりも強く机を叩き、料理長の言葉を途中で遮った。
「いいか! 我々料理ギルドは、優れた料理組織にしか与えられない最高の栄誉『三つ星』を獲得しようとしているのだぞ! そんな我々の料理が、あんな下品な料理しか作れない男一人の腕に左右されていたはずがないだろう!」
「し、しかしギルド長。現にお客様からは……」
「黙れ! それは貴様らの努力が足りないだけだ。仕込みに問題があるなら、寝る間を惜しんで完璧にやれ! 高級食材を使えば、味の誤魔化しなどいくらでも効くはずだ!」
私の怒声が、ギルド長室に響き渡る。
「ただでさえ、三つ星の審査員がいつ視察に来てもおかしくない時期なのだ。あんな男の不在を言い訳にするなど、言語道断! こんなことを言いに来る暇があるなら、さっさと厨房に戻って働け!」
「……っ! は、はい……申し訳ありませんでした……」
料理長と給仕長は釈然としない表情ながらも頭を下げると、逃げるようにギルド長室から退出していった。
「ふんっ。どいつもこいつも、情けない」
一人残された私は、再び椅子にどっかりと腰を下ろし、冷めたワインを勢いよく呷る。
「あんな三流料理人の仕込みが、我がギルドの味を支えていただと? そんなバカげた話があるはずがない」
そう吐き捨て、苛立ちを誤魔化すように鼻を鳴らした。
タクミという男は庶民の餌ばかり作って、高級料理の価値が分からない無能だった。だからクビにした。当然のことだ。
三つ星を目指す高尚な我がギルドが、あんな男がいなくなった程度で揺らぐはずがない。
そう自分に言い聞かせ、私は先ほど料理長たちの言った言葉を、頭から消去する。
今の私の頭にはただひたすらに、前へ、前へと突き進む未来の展望しか残っていなかった。
しかし、グレーゴルはまだ知る由もなかった。
これが、料理ギルドの破滅の序章になることを──。
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