6・休日の朝ごはん
王都の料理ギルドを辞め、この田舎町ベルナードで『よりみち亭』を開いてから、少しずつだが俺の中で日々のルーティーンが整いつつあった。
今日は、週に一度の定休日。
ギルド時代は朝五時から深夜二時まで働かされ、月に一度の休みすらろくに取れなかった。だからこそ、こうして自分の意思で「休む」と決められること自体が、俺にとっては夢のような話だ。
少し遅めの朝、俺は自宅で目を覚ます。
ここはベルナードに引っ越してきてから、町長のご好意で格安で借りることが出来た、町外れの小さな一軒家だ。
退職金はほとんど、『よりみち亭』の開店資金として使ってしまったからな。少しでも節約したかったし、町長の好意には助かった。
欠伸を噛み殺しつつ、俺は小さなキッチンに立つ。
朝から手の込んだものを作る必要はない。むしろ、仕事で散々料理をしている分、自分の食事は適当に済ませることが多かった。
「まあ、余った食材で簡単に済ませるか」
独り言を呟きながら、俺は手早く朝食の準備に取りかかった。
用意したのは、昨日多めに炊いておいた白米と、余り物の野菜を適当に刻んで入れた味噌汁。
そして、市場で安く手に入れた鮭によく似た切り身魚に、軽く塩を振って焼いただけの『焼き鮭』だ。
熱々の白飯に、程よく脂の乗った香ばしい焼き鮭を乗せ、一緒にかき込む。
すかさず温かい味噌汁で流し込み、ほっと一息吐くのだ。
「……ふう、美味い。やっぱり朝はこれに限るな」
前世の日本で慣れ親しんだ、なんの変哲もない朝ごはん。
しかし、それが休日の緩んだ体にじんわりと染み渡っていった。豪華なコース料理なんかよりも、朝はこういう素朴なご飯の方が心が満たされるというものだ。
あっという間に朝食を平らげ、温かいお茶を飲みながら、ポストに入っていた朝刊を読む。
前世ではネットニュースで済ませることの方が多かったので、こういうアナログな手法は逆に新鮮味を感じてたりもする。
「ふむふむ……『王都の料理ギルド、三つ星を目指して躍進』か。あいつらも頑張ってるんだなあ」
その新聞記事にはギルド長グレゴールの写真が大きく貼られ、気持ちよさそうにインタビューに答えているようだった。
「まあ……今の俺には関係のない話か。古巣がどうなろうが、知ったことじゃないし」
それにしても──。
すっかり体に染み付いた労働習慣のせいか、こうして何もせずにじっとしていると、どうにも落ち着かない。
正直、かなり暇だった。
「せっかくの休みだし、のんびりすればいいんだけどな……。よし、少し店の掃除でもしてくるか」
昼頃に差し掛かったところで、俺はエプロンを引っ掴み、自宅から少し歩いた先にある『よりみち亭』へと向かうことにした。
普段はなかなか手の回らない厨房の隅や、換気扇の油汚れでも落とそう。そう思いながら、のんびりと通りを歩いていく。
やがて、見慣れた古びた店舗が見えてきたのだが──。
「……ん?」
俺は思わず足を止める。
店の前、まだ暖簾も出していない入り口の脇に、見覚えのある銀髪の少女がぽつんと立っていたのだ。
上質な外套をすっぽりと被り、周囲の目を気にするように少しだけ俯き加減で立っている。困ったような表情を浮かべ、寂しそうな立ち姿だった。
「エリシア?」
俺が声をかけると、彼女──エリシアはビクッと肩を揺らし、嬉しそうな顔で振り向いた。
「タ、タクミ……! おはよう」
「おはよう。どうしたんだ、こんな朝から。昼の営業だとしても、まだちょっと早いが?」
今はまだ、太陽が昇りきったばかりの午前中だ。
昼飯には少し早い時間帯だったので不思議に思ったが、エリシアは罰が悪そうに視線を泳がせた。
「その……昨日、リネットと一緒に帰った後も、ずっとあなたの料理のことが頭から離れなくて。朝起きたら、無性に『よりみち亭』の料理が食べたくなってしまったのよ。だから、少し早いとは思ったのだけれど……」
そこまで言って、エリシアは店の入り口にかかった『本日休業』の小さな木札を指差した。
「今日は定休日だったのね。私、知らなくて……」
「ああ、悪い。うちは週に一度だけ、休みをもらってるんだ。伝えるのを忘れてたな」
「謝るのはこっちの方よ。ごめんなさい、休みの日に押しかけるような真似をしてしまって。……それじゃあ、出直すわ。また明日、あらためて伺うわね」
エリシアはシュンと肩を落とし、踵を返そうとする。
その背中が、まるで餌をお預けにされた子犬のように見えて、俺は思わず苦笑してしまった。
「待てよ、エリシア」
俺が呼び止めると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「俺の飯を食べにきてくれた客を、手ぶらで帰らせるわけにはいかない。ちょうど掃除のために店を開けるところだったんだ。何か作ってやるよ」
それに公爵令嬢ともあろうお方が、わざわざ朝から店の前で待ってくれていたのだ。俺の料理をそれだけ楽しみにしてくれていたのだと思うと、素直に嬉しかった。
「えっ? でも、今日は休日だったんでしょう? それに、仕込みとかも……」
「大丈夫だ。あり合わせの材料で良ければ、すぐに出来る。ほら、外は冷えるから中に入れよ」
俺が鍵を取り出して店の扉を開けると、エリシアはパッと顔を輝かせた。
初めて店にやってきた頃は、くたびれた様子だったのに、今となってはこんなに感情を表に出すようになっている。
その変化が、なんだか少しだけ誇らしかった。
「ありがとう、タクミ。お言葉に甘えさせてもらうわ」
「ああ、遠慮はいらないさ」
さあて。
朝にわざわざ足を運んでくれた特別な常連の客なんだ。
今日はどんな料理を振る舞ってやろうか。
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