40・勝負の行方
(オズワルドSIDE)
一口食べた瞬間、私──オズワルドの舌に、強烈な衝撃が走った。
「な、なんですか、このステーキは……っ!」
ヤツが使っているのは、安価な牛肉だったはずだ。私が使った高級な白銀牛の足元にも及ばない。
だが、口の中に入れた瞬間、柔らかすぎて溶けるようだった。噛めば噛むほどに、肉と玉ねぎの甘みが溢れ出す。
そして、それらをまとめ上げるのは、醤油とニンニク、バターの香ばしくも力強いソースの味わいだ。
「どうして……っ。どうして……っ!」
気が付けば、私は無意識のうちに二口目、三口目とフォークを進めていた。
頭では「こんな大衆料理など認めてはならない」と拒絶している。
私が今まで向き合ってきた料理は、こんな安価な食材にねじ伏せられるわけがない。
だが、止まらないのだ。
手が、舌が、胃袋が──細胞レベルまでタクミが作ったハンバーグを欲し、夢中で貪っていた。
──いつからだろうか。
あれは、私が料理人をしていた頃。
若い時の私は我武者羅に努力し、王都の料理ギルドで鍛錬を続けていた。
くず肉や野菜の端切れを集めて、どうすれば美味しくなるか、必死に工夫を凝らした。
そしてある日、先輩や仲間たちの賄い作った時。彼らは私の料理を食べて、「旨い!」と笑顔で平らげてくれた。
その中には、若し頃のグレゴールの姿もあった。
嬉しかった。
「旨い」ともう一度言ってもらいたい──ただそれだけを目指して、私は包丁を握り続けてきたのだ。
──おかしくなったのは、いつ頃だろうか。
そうだ……料理の腕を認められ、メインの一皿を任されるようになった頃だ。
その頃には私は、『銀刃のオズワルド』と呼ばれるようになり、数々の貴族たちが私の料理を食べにきた。
最初は、客から「旨い」と言ってもらえるだけで十分だった。
しかし、地位や名声を気にするにつれて、いつしか「評価されるための料理」「己の腕を見せつけるための料理」ばかりを作るようになっていた。
食材の格や、技の華麗さばかりを追い求め、自分がどうして料理を作るのかも忘れ……。
いくら料理を作っても、満たされぬ日々。
料理と真正面から向き合うことを恐れ、私は料理人を引退し、グランフォード公爵家の執事に転職した。
幸いにも私は料理の腕だけではなく、政治力や裏工作といった分野にも秀でていたみたいで、いつの間にか執事長になっていたがな。
その頃にはもう、料理に対する情熱なんて、これっぽっちも残っていなかった。
「…………」
空になった皿を見つめる。
いつの間にか、私はこの──安っぽい餌だと言ってバカにしていた男の料理を、ソースの一滴まで残さずに平らげてしまっていたのだ。
「どうだった? オズワルドさん」
タクミが静かに問いかけてくる。
彼の目には、勝ち誇ったような色は微塵もない。ただ純粋に、自分の料理を食べた客の感想を待つ、料理人の目だった。
──そうか。私が失ったのは、この少年のような無邪気な瞳だったんだな。
私が作った『白銀牛のロティ』は、確かに完璧な料理だった。最高級の食材を使い、一切の妥協なく作り上げた至高の一皿だ。
だが、この男が作った『ハンバーグステーキ』は──違う。
食べる者の「腹を満たし、笑顔にしたい」という、ただそれだけの純粋な気持ち。
料理人として一番忘れてはいけないことであり、いつしか私が手離してしまったものだ。
料理対決の食材として、白銀牛を選んだのも、料理と真正面から向き合うのが怖かったからかもしれない。
この少年のように安価な食材でも、どう食べる者を満足させるか考えたくなかったから……。
本能的に避けてしまっていた。
私は深く息を吐き、静かにナイフとフォークを置いて、こう告げた。
「──旨い」
◆ ◆
彼が「旨い」と声を絞り出した瞬間、店内の時間が一瞬だけ止まったような気がした。
「私は……忘れていました。料理人として、なにが一番大切なのかを」
「思い出してくれたか」
「はい。あなたの一皿に比べ、私の料理を見栄を張っただけの──」
そこで言葉を区切り、オズワルドは顔を上げる。
「審査員の皆様──審査に写ってください。私とタクミのステーキ、どちらが美味しかったか、札を上げるのです」
オズワルドの言葉に、審査員たちは戸惑ったように顔を見合わせる。
やはり、彼らはオズワルドに買収されていたんだろう。俺がどんな料理を出そうと、最初からオズワルドに票を入れるつもりでここへ来たはずだ。
だが、オズワルドは俺の料理を食べて「旨い」と言った。
そして、彼らもまた食を愛する『美食家』のはずである。オズワルドや俺の料理を食べて、精緻な分析を口にしたことからも、それは分かる。
果たして、俺のハンバーグステーキを食べた今──自分たちの『舌』に正直でいられることが出来るか。
しばしの沈黙。
やがて──三人の審査員は一様に溜め息を吐き、ゆっくりと、迷いのない動作で札を上げた。
『タクミ』『タクミ』『タクミ』
満場一致──。
三枚の札が、全て俺の名前を示していた。
その瞬間、『よりみち亭』の店内が爆発的な歓声に包まれる。
「よっしゃああああああっ!!」
「大将の勝ちだああああ!!」
「信じてたぞおおおおおおお!」
怒号のような歓声と拍手。
それらが、狭い店内を揺るがした。
「タクミさん……っ! やりましたね!」
ハンナが顔をくしゃくしゃにして泣きながら、俺の腕に抱きついてきた。
「タクミ……っ!」
次にエリシア。
彼女は勢いよく俺の胸に飛び込み、大粒の涙を流しながら俺の背中に腕を回す。
「勝ってくれて……私の居場所を、守ってくれて……本当に、本当にありがとう……!」
「おう、約束しただろ。俺は絶対に負けないって」
俺はエリシアの背中を優しくポンポンと叩きながら、店内に響き渡る歓声を聞いていた。
「お見事でした、タクミ様。このような結末が、最初から見えていたのですか?」
「うーん、どうだろな。まあ、食べてさえもらえれば、絶対に俺の料理が勝つ自信があったんだ」
少し離れたところで、両目にうっすらと涙を浮かべたリネットに、俺はそう答える。
──今回の勝負、一番の鬼門は『審査員が俺の料理を口にしてくれるか』であった。
いくら美味しい料理を作って、口にしてもらえなければ意味がない。
審査員が買収されている可能性がある以上、俺のハンバーグを一口もしないで、オズワルドに札を上げる可能性があった。
だからこそ──俺は、特製ソースという名の秘密兵器を仕込んだ。
特製ソースをハンバーグにかけるだけで、香り爆弾が爆発するように仕掛けた。
香りは武器だ。強制的に彼らの食欲を呼び起こし、口に運ばせるように仕向る。
それはまるで、神が人間に渡した禁断の林檎のように。
人間……特に美食家であればあるほど、食欲には抗えない。
まあ、結果的に勝負当日まで試作を続けてたせいで、完成がギリギリになってしまったのは冷や汗をかいたけどな。
「タクミ……いえ、タクミ様」
歓声が落ち着き始めた頃、オズワルドが俺の前に立った。
その顔には、今までの冷酷さはない。どこか憑き物が落ちたような、すっきりしたような表情だった。
「私の……負けです。正直なところを言うと、あなたがどのような料理を出しても、審査員は私に札を上げるように仕組んでいました。最初から、私が負けるわけがなかったのです」
「まあ、そうだろうな」
「しかし……あの料理を前にして、私は自分の意思を捻じ曲げることが出来なかった。それは審査員も同様でしょう。料理人の矜持が、ほんの少しでも残っていたのですから」
そうだ、オズワルドは一流の料理人。
彼の白銀牛のステーキを作る手際を見たら、それはすぐに分かった。
だから……彼にも誇りがあると思った。
旨いものをただ旨いと言う、そんな料理人として原初的な誇りが。
「そして、エリシア様」
次に、オズワルドはエリシアと正面から向き合って、深く頭を下げた。
「私の独断で、あなた様から大切な居場所を奪おうとしたこと、深くお詫び申し上げます。この店は、決して『餌』を出すような場所ではありませんでした」
「オズワルド……」
エリシアからの言葉を待たずに、オズワルドは俺たちに背を向ける。
「どこに行くつもりだ?」
「私は……しかるべき処罰を受けます。独断で勝手なことをし、ベルナードを混乱に貶めた私は、もうあなたたちの前に立つ権利がありません。裁判を受け、自分の罪を償います」
そう言って、オズワルドは歩き出す。
彼はこれから、どうなるのだろうか?
エリシアのお父さん……グランフォード公爵当主には、エリシアが『よりみち亭』に通い詰めていることを黙ってくれると思うが、厳しい処分が待っているだろう。
もう二度と、俺たちの前に立たない──彼の背中からは、そのような覚悟を感じた。
しかし。
「待ちなさい」
去ろうとするオズワルドの背中に、エリシアが声をかける。
「私、あなたにはまだまだ教わっていないことが、たくさんあるの」
「といいますと……?」
声をかけられるとは思わなかったのだろう、足を止め、オズワルドが目を丸くして振り返る。
「オズワルドは私に厳しかったけど……決して、間違ったことは言わなかったわ。そんなあなたに言われたからこそ、軟禁状態とはいえ私もすぐに抜け出したりせず、従っていたの」
「いくら監視をつけているとはいえ、おとなしくしていると思っていましたが……そういうことだったんですね。ですが、私にもう教えられることはありません。今のエリシア様でしたら、もう十分ですよ」
「いいえ──そうは思わないわ。だから」
エリシアはにっこりと微笑みかける。
「罪を償ったら、屋敷に戻ってきなさい。仕事をほっぽり出して、このままいなくなるなんて許さないんだから」
「……! かしこまりました」
オズワルドは頷くと、今度こそ店から出て行ってしまった。
本当にオズワルドが、エリシアの元に戻れるかは分からないが……なんとなく、また再会できる未来があるんじゃないかと感じた。
「──よーし!」
オズワルドのお付きの者、そして三人の審査員もひっそりと店内から出ていったところで、俺は腕まくりをする。
「今から祝勝会をしよう! お前ら、付き合ってくれるような?
「ああ、もちろんだ! 店中の樽を空けうぜ!」
「賛成! 大将の勝利に乾杯だ!」
客たちの声に、俺はエリシアとハンナ、リネットとも顔を見合わせ、大きく頷いた。
「勝負が済んだばかりだが……じゃんじゃん頼んでくれ! 唐揚げでもエールでも、いくらでも出してやる! エリシアたちも席につけ。今日は朝まで飲むぞ!」
歓声が再び沸き起こる。
エリシアの笑顔──そしてベルナードの人々の温かい空気に包まれながら。
俺はあらためて、この『よりみち亭』という大切な場所を守り抜けたことを、心から嬉しく思うのであった。
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