37・二つのステーキ(エリシアSIDE)
包丁がまな板を叩く音と、油がはぜる音が『よりみち亭』の店内で小気味よく響く。
私──エリシア・グランフォードは、厨房がよく見える最前列から祈るような気持ちで二人を見守っていた。
広い厨房を左右に分け、タクミとオズワルドが同時に調理を進めている。
二人の動きは、まさに対極だった。
「……やっぱり、言うだけのことはあるわね。作業に全く無駄がないわ」
ごくりと喉を鳴らして呟く。
オズワルドの調理は、洗練の極みだった。
あの分厚い白銀牛のブロック肉を、銀色に輝く包丁でスッと一撫でするだけで、最も美味しい中心部分だけが寸分の狂いもなく切り出される。
熱したフライパンに牛脂を溶かし、肉を乗せた瞬間のジューッという心地いい音。そこから立ち上る、暴力的なまでの脂の甘い香り。
肉の焼ける音と香気だけで火加減を、完璧に把握しているのだろう。オズワルドは絶妙なタイミングで赤ワインを振り入れてフランベを決めた。
燃え上がる炎の中で、彼の銀縁眼鏡が冷たく光る。
付け合わせの野菜の切り方、香辛料を振る指先の動き。
その全てが計算され尽くしており、オズワルドの非凡な料理の腕を見せつけられているかのようだった。
「さすがはオズワルド様!」
「ああ、素晴らしい手際だ」
「あれぞ至高のステーキ……ああ──早く食べたい!」
オズワルドが用意した三人の審査員たちも、早くも恍惚とした表情を浮かべている。
一方のタクミはというと──。
「エ、エリシアさん。あ、あれって……本当にステーキにするお肉で合ってるんですよね?」
私の隣。
ハンナが、信じられないものを見るような目でタクミの手元を一心に見つめていた。
タクミが使っているのは、ステーキ用の分厚い一枚肉ではない。
彼がまな板の上に置いた安価な赤身肉は、なんとすでに包丁で細かく叩かれ、ミンチ状の『挽き肉』にされていたのだ。
「お嬢様……タクミ様は、一体何を作ろうとしているのでしょうか?」
これにはさすがのリネットも、困惑の表情を見せる。
「お肉をあんなに細かくしてしまっては……タクミ様は、料理のテーマがステーキだということを、お忘れになったんでしょうか?」
その不安は彼女だけではない。
毎晩、『よりみち亭』を訪れる常連の職人──いつも笑顔で話に付き合ってくれる農家──姉御肌で、いつも客たちの仲裁をしてくれる主婦。
みんな、タクミがなにをしていようとしているのか、分からないようだった。
「リネットとハンナは、食材の買い出しで奔走してたから、詳しく聞いてなかったと思うけど……彼、言ってたわ」
私は二人の不安を払拭するように、こう続ける。
「安い赤身肉は筋が多くて硬いから、そのままステーキにして焼いても、オズワルドの最高級肉には勝てないって」
私はこの一週間、タクミが試行錯誤していた姿を思い出しながら話す。
「だから、あえて一度肉を細かく挽いて、筋を完全に断ち切る。そこに炒めた玉ねぎや卵、パン粉を混ぜ合わせて形を作り直し、ふっくらと焼き上げる」
「それって……」
「ええ。タクミが作ろうとしている料理──それは『ハンバーグステーキ』よ」
私がそう言い終えると、二人は驚いたように目を丸くした。
そう──タクミが作っているのは、純粋な一枚肉のステーキではない。
手間と工夫で安い肉を極限まで柔らかく、美味しく食べさせるための知恵の結晶だ。
厨房内のタクミはボウルの中で挽き肉と具材を粘り気が出るまで素手で力強く練り合わせる。
そして空気を抜くように両手でパンパンとキャッチボールをしてから、楕円型に形を整えた。
それをフライパンに乗せると、ジュワッという音とともに、肉汁と玉ねぎの焼ける香ばしく親しみやすい匂いが漂い始める。
「旨そう……」
「……(じゅるり)」
その暴力的な香りを前に、店内の人たちも思わず声を零していた。
「ハンバーグステーキ……なるほど。それなら、高級肉のステーキに張り合えるかもしれませんね。しかし……」
リネットの表情は曇ったまま。
「オズワルドが使っているのは、ただの高級肉ではありません。高級肉の中でも最高級の──白銀牛です」
「その通りね。しかも素人料理人が調理をするならまだしも、オズワルドの手付きからは熟練した技を感じさせるわ。最高級の肉に、最高峰の技術が合わされば……常識的に考えて、タクミに勝ち目はない」
私の言葉にリネット、そしてハンナからも息を呑む音が聞こえた。
オズワルドのフライパンからは、高級店そのものの芳醇な香りが漂っている。
対するタクミのフライパンから匂ってくるのは、どこか懐かしく、食欲をそそる匂いではあるが、高級感とはかけ離れているように思えた。
「せめて審査員が別の人なら……庶民的な料理でも十分、勝負になっていたでしょう。だけど、どうやらオズワルドが用意した審査員は、高級料理をお求めなようよ」
審査員の人たちは前のめりになって、オズワルドが作る白銀牛のステーキに釘付けになっている。
無論、まともに審査してくれるとは思えないが……仮に公正な審査員でも、タクミの料理が彼らの期待を上回ることはないと思われた。
しかし。
「普通ならね」
不安に顔を染める彼女たちに、私は気丈に微笑みかける。
「忘れたのかしら? タクミがほかに、一生懸命なにを作ろうとしていたのかを」
「確か……仕上げに使うソースだと言ってたような……」
「ええ」
ハンナの言葉に、そう頷く。
ステーキにおいて、ソースは肉の味を決定づける重要な要素だ。
無論、オズワルドだってそんなことは分かっているのだろう。
赤ワインとトリュフを使った極上のソースを仕上げていき、トドメの一撃そ添えようとする。
一方、タクミは別の小鍋で黒っぽい液体をコトコトと煮詰めている。
ハンバーグステーキまでは試作で味見させてもらったけれど……ソースだけは熟成に時間がかかるからって、まだ味見できていない。
ゆえにどんなソースが出来上がるのが、私にも全く見当がつかなかった。
「──大丈夫。きっとタクミなら、なんとかしてくれるわよ」
私は不安を押し殺し、ぎゅっと両手を握りしめた。
リネットとハンナも厨房から目を逸らさず、同じように彼の勝利を祈り続ける。
あの日──彼は言った。『俺が勝てばいいだけだけだろう?』と。
私の居場所を守るために、彼は自身の全てを賭けてくれた。
ならば私は、せめて誰よりも近くで彼を見守り、応援しよう。
「信じましょう──彼の勝利を」
私の言葉に、二人は力強い頷きで応えてくれた。
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