36・決戦の始まり
一週間という期限は、あっという間に過ぎ去った。
迎えた、オズワルドとの料理勝負の当日。
決戦の舞台となる『よりみち亭』は、普段の営業日とは全く違う熱気に包まれていた。
「タクミさん、準備はいいですか!? 忘れ物はないですか!? い、いいい今のうちにトイレに行った方がいいんじゃ? わたしはさっきから、トイレに行きっぱなしです……」
「落ち着けって、ハンナ。俺よりもお前の方が緊張してどうするんだよ」
エプロン姿のハンナが、落ち着かない様子で俺の周りをうろうろとしている。
その隣では、エリシアとリネットが不安そうに手を握り合っていた。
「……タクミ。本当に、大丈夫なのよね?」
エリシアが、祈るような目で俺を見上げてくる。
「ああ、任せとけ。最高のステーキを作ってやるからな」
俺が力強く頷くと、店内に集まっていた大勢の客たちから、ワッと歓声が上がった。
「大将! 俺たちはみんな、大将の味方だからな!」
「あんな気取った執事なんかに負けんじゃねえぞ!」
「この店がなくなったら、俺たち明日からどこでメシ食えばいいんだよ! 絶対勝ってくれよ!」
みんな、俺の勝利を願っている。
その中にはあの日、『よりみち亭』にいなかった者も含まれていた。
彼らは、俺が料理人人生を賭けて勝負をすることを知り、仕事や家事の合間を縫って、応援に駆けつけてくれたのだ。
みんながどれだけ、俺や『よりみち亭』のことを思ってくれているのか。その熱気が、痛いほど伝わってくる。
一方。
「……騒がしい方々ですねえ。まるで、見世物小屋か闘技場にでも来たかのようです」
店の入り口から、冷ややかな声が響いた。
黒い燕尾服に身を包んだ、グランフォード公爵家の執事長──オズワルドが現れたのだ。
店内にいる人々は皆、オズワルドに敵意を向けるが、当の本人は冷静な表情を崩さなかった。
そしてもう一つ。オズワルドの背後には、この街では見慣れない三人の男性。さらにその後ろには、オズワルドお付きの人間たち(おそらく、この日のために雇ったのだろう)も連なっていた。
「紹介しましょう。彼らが、本日の審査員です。王都でも名の知れた美食家です。特別に足を運んでいただきました」
オズワルドの紹介に審査員──らしい三人の男たちは傲慢そうに顎を上げ、店内のむさ苦しい雰囲気に鼻を顰めた。
……なるほど、見るからに『あちら側』の人間だ。
エリシアたちと話し合った懸念通り、彼らが公平な評価を下すとは到底思えない。
「さあ、始めましょうか」
オズワルドがパチンと指を鳴らすと、彼のお付きの人間たちは調理器具と、一つの立派な木箱を運び込んできた。
厨房まで運ばせ、調理台の前に立ったオズワルドは、恭しく木箱の蓋を開ける。
「おおっ……!?」
「な、なんだあの肉……!?」
店内にいた人々が、一斉に息を呑むのが聞こえた。
木箱の中に鎮座していたのは──見事な霜降りがびっしりと入った、巨大な牛肉のブロックだった。
赤身と脂身のコントラストが美しく、まるで大理石のような光沢を放っている。一目見ただけで、それが途方もない価値を持つ超高級肉であることが分かった。
「幻の魔獣、『白銀牛』の極上ロース」
すでに勝利を確信しているのか、気持ちよさそうにオズワルドは続ける。
「王都の最高級店でも、滅多にお目にかかれない代物です。この肉の持つ暴力的なまでの旨味と、とろけるような脂の甘み……それを、私の『銀刃』で極限まで引き出してご覧に入れましょう」
オズワルドが懐から取り出したのは、一本の包丁。
その刀身は、文字通り銀色にギラギラと輝き、恐ろしいほどの切れ味を予感させた。
……相当、手入れされているみたいだな。
俺も料理人だからだろうか、オズワルドの持つ包丁を一目するだけで、それがかなりの業物だということがはっきりと分かった。
「さあ、タクミ。私は手の内を明かしたのです。次は、あなたの用意した肉も、見せていただけますか?」
「おう、いいぞ。これが俺の食材だ!」
オズワルドの挑発的な視線を受け、俺は自分の冷蔵魔石箱から、一枚の皿を取り出した。
皿に乗っていたのは──名のある高級肉でも、希少な魔獣の肉でもなく、ベルナードの肉屋で買ってきた、どこにでもある普通の牛肉だ。
「……ぷっ。ははははっ!」
それを見た審査員たちが、たまらずといった様子で吹き出した。
「おいおい、冗談だろう? あんな硬そうな赤身肉で、白銀牛のロースに挑む気か?」
「見ただけで分かる。筋が多くて硬い、安価な赤身の肉だ。そんな豚の餌のような肉で、王都でも有数の美食家である我々の舌を満足させられるとでも?」
「大方、安い肉しか手に入らなかったのでしょう。あんなものをステーキにするなど、靴の底を噛むようなものですぞ」
嘲笑の声が響く中、エリシアやリネット、ハンナや応援に駆けつけてくれた人々たちは悔しそうに唇を噛み締めている。
一目しただけで、俺とオズワルドが用意した食材には、埋められない差があると痛感してしまったのだろう。
だが。
「笑いたきゃ笑えばいいさ。最後に笑うのは、どっちか教えてやるよ」
俺は全く動じず、愛用の包丁を握り、まな板の上の赤身肉を見据えた。
俺がどれだけこの肉と向き合い、どうやってこの安肉を極上のステーキに化けさせるか。
この一週間、頭から煙が出そうなくらいに考え抜いてきた。
そして……その答えも出た。
その傲慢な態度、すぐに泣きっ面にしてやる。
「勝負の制限時間は一時間。では──始めましょう」
オズワルドの合図とともに。
『よりみち亭』──俺の料理人人生。そしてエリシアの居場所を賭けた、絶対に負けられない決戦の火蓋が切って落とされた。
【作者からのお願い】
「更新がんばれ!」「続きも読む!」と思ってくださったら、
下記の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります!
よろしくお願いいたします!




