35・勝負の裏側
(オズワルドSIDE)
『よりみち亭』を後にして。
私──オズワルドは屋敷に帰り、一人静かに微笑を浮かべていた。
「実に、バカな男です」
『よりみち亭』の店主──タクミ。
エリシア様を誑かし、毒の味を覚えさせた極悪人。
元より学のない男だと思っていたが、まさかあそこまであっさりと、私の挑発に乗ってくるとは。
そもそも、エリシア様を屋敷に軟禁同然にしたのは、彼女をあの店から引き離すためだけではない。
きっと、エリシア様が『よりみち亭』に来なくなれば、あのタクミとかいう料理人は心配するだろう。
彼女になにがあったんじゃないか……と。
それこそが、私の狙いだった。
頃合いを見て『よりみち亭』に足を運び、『安っぽい餌』だの言って挑発すれば、自分の料理に誇りを持っているであろうタクミは憤る。
もし仮に彼が冷静さを貫いても、周りのバカな客たちは憤怒するだろう。その怒りの爆発を抑えられるものは、誰もいない。
エリシア様が屋敷を抜け出したことは、少々想定外だったが……問題ない。なんなら、演出として際立ったくらいだ。
結果的にエリシア様が涙を流し、それを見た彼が勢いのまま料理対決をすると宣言したのだから。
「くっくっく……しかも料理人を辞める、ですか。青臭いですねえ。身分も違う女一人のために、まさか自分から賭け金を釣り上げてくれるとは」
そもそも私の本当の狙いは、別にある。
『よりみち亭』という店そのものを潰し、タクミを完全に屈服させることだ。
私は先日、旧友であるグレゴール殿と密約を交わした。
『タクミを料理ギルドに連れ戻してやる。それだけではない。完全に彼を屈服させ、あなたの手足となって動く奴隷にしてさしあげましょう』
……と。
私は一介の執事だ。グランフォード公爵家の多額の資金を動かす権限は持たされていない。
それでも裏で手を回すことは可能だが……露呈した時のリスクがでかすぎる。横領という選択肢は取りたくなかった。
そこで私は、料理ギルドの資金力を頼ることにしたのだ。
旧友のグレゴールの劣等感を煽り、『タクミ』という料理人を賭け金として差し出す。
タクミから言い出さなくても、私は彼に料理勝負を持ちかける気でいたが……勝負の場に必要な審査員は、こちらですでに買収している。
つまり、ヤツはどう足掻いても、一週間後の勝負に勝てないのだ。審査員はこちらが握ってしまっているので、「ヤツの料理を食べるな」とでも言うことも出来る。
「もっとも……まともにやっても、三流料理人は負ける気はしませんがね。念のための保険……というものです」
そう言って、私は引き出しから一本の包丁を取り出す。
私はかつて、『銀刃のオズワルド』と呼ばれていた。
正確無比な包丁さばきを見せた私を、いつしか周囲の人がそう呼び出したのだ。これはその頃、愛用していた包丁である。
包丁はまだ錆びついていない。執事になってからは料理をする機会も減ったが、今すぐにでも厨房の第一線に立つことが出来るだろう。
まともに戦わなくても、すでに私の勝利は確定しているが……わざと手を抜くことは、微かに残っている料理人としての矜持が断じて許さない。
料理人人生の全てを一撃に乗せて、彼を完膚なきまでに叩きのめそう。
「料理の腕に自信はあるかもしれませんが……若さゆえの浅はかさですね。盤面を支配しているのは、常にこの私だというのを理解していない」
一週間後。あのタクミという男は、全てを失って絶望の底に沈むことになるだろう。
彼から全てを奪い取った後、行き場を失った彼を料理ギルドへ差し出す。気をよくしたグレゴールはますます私に依存し、私の手持ちの駒に無事加わるだろう。
そして──エリシア様もまた、あのような下賤な場所ではなく、本来いるべき高貴な世界へと戻ってこられる。
全てが上手く回るのだ。
「待ち遠しいですね」
低く冷たい私の声は、夜の闇に溶けていった。
◆ ◆
一方、その翌日の『よりみち亭』──。
昼の営業を終え、店を閉めた後のフロアでは、深刻な顔をした面々がテーブルを囲んでいた。
「……やっぱり、無茶よ」
重苦しい沈黙を破るように、エリシアが眉を八の字に下げて声を零した。
「タクミ、あなたの料理の腕は確かだけれど……今回の勝負、どう考えてもあなたに不利すぎるわ」
「お嬢様の言う通りです。オズワルドは、絶対に自分が勝てる算段があるからこそ、この勝負に乗ってきたのです」
エリシアの隣で、リネットも不安そうに眉の八の字にする。
勝負までの一週間、特例としてエリシアは外出を許されたが、それと同時にリネットも同伴することになったのだ。
これは、オズワルドの俺に対する優しさではなく、「エリシア様のお世話係も必要ですから」とのことだったが……なんにせよ、味方が一人でも増えてくれるのは有り難い。
「まあ、そうかもな」
あっけらかんと答えると、エリシアはもどかしさを感じながら、少し語気を強める。
「あのね──タクミ。問題は二つあるのよ。あなたはそれがなんなのか、分かってるのかしら?」
「ん? まあ一つ目は、料理のテーマがステーキだったってことか?」
「あ、あなた、分かってるじゃない……」
エリシアは少し意外そうに。
「ステーキは、肉そのものの『質』が味を大きく左右する料理よ。オズワルドは公爵家の財力とコネを使って、最高級の幻の魔獣肉や、希少な部位を確実に用意してくるわ」
「だろうな」
「でも、タクミ……あなたには、そんな高級食材を手に入れるツテはないんでしょう?」
「確かにベルナードの肉屋じゃ、手に入るのは普通の豚や牛くらいだからな」
この肉の質そのものが、第一の問題である。
どうして、オズワルドがあれだけ絶対の自信が持っているのかは分からない。
しかし、わざわざステーキを料理のテーマに選んでくるということは、なにか考えがあるのだろう。案外、執事をやる前は高級料理店で料理人でもやってたかもしれないな。
明らかに、俺に不利な条件であった。
「そして、もう一つの問題……こちらの方がもっと厄介でしょう」
次にリネットが、二つ目の問題を挙げる。
「相手側が用意する審査員が、公平なジャッジをしてくれるとは限りません。事前に審査員たちに手を回して、絶対にタクミ様に票が入らないよう工作しており──最悪の場合、料理を食べずに評価を下す可能性があります」
「かもな」
その可能性については、俺も考慮していた。
これだけ有利な条件を呑ませるために、勝負の場を『よりみち亭』にしたり、エリシアの外出禁止を解いて、俺に譲歩したのだろう。
「料理のテーマはともかく、審査員だけでもなんとしなくちゃいけないわよ」
「そうです。──あっ、そうです。アンナリーナ様を頼りますか? アンナリーナ様なら、公正な審査員を用意してくれるかもしれません」
表情を明るくし、手を叩くリネット。
アンナリーナ──俺が先日、『よりみち亭』の新メニューを披露したところ、実力を認めてくれた王立美食評議会の審査長だ。
彼女からもらった名刺は今も、店内に大切にしまっている。
確かに彼女に言えば、少なくとも公正なジャッジには期待できるかもしれない。
だが。
「……いや、それは今回やめておこうと思う」
俺がそう言うと、エリシアとリネットは揃って目を丸くした。
「どうして? もしかして、この期に及んで、なるべく彼女に迷惑かけたくないと思ってるわけ?」
「んー、まあそれもあるんだが……俺が危惧しているのは、もっと別の問題だ。なんなら、そっちの方が厄介だと思っている」
「え?」
「アンナリーナには、そっちの問題に対処してもらおうと思う。勝負が終わった後を見据えて……な」
俺の言わんとしていることが理解できないのか、エリシアは首を傾げた。
……なんにせよ、まともに考えれば絶望的とも言える状況だった。
肉の質で圧倒的に不利な上に、審査員まで相手の息がかかっている可能性があるのだから。
リネットにいたっては、もう泣き出しそうな顔をしている。
「まあ……なんとかなるだろ」
そう言って、椅子から立ち上がる。
「相手がどんな肉を使ってこようが、どんな審査員を連れてこようが関係ない。俺は俺のやり方で、最高に美味い『ステーキ』を作って、あいつらを黙らせるだけだ」
「なにか、考えがあるの?」
「それなりにな」
そうと決まれば、話は早い。
勝負まで一週間という期間をもらったのだ。勝負当日までにどんな料理を出すか、試作しておくか。
「タクミさん! 言われていたお肉、買ってきました!」
「おう、ハンナ。ありがとう」
買い出しから帰ってきたハンナが店内に駆け込んできて、俺に袋を手渡す。
その中には、買ってきたばかりの安価な牛肉の塊が入っていた。
確かに、始まる前からオズワルドに有利な条件が整っているかもしれない。
しかし高級肉には高級肉の、安い肉には安い肉の戦い方がある。
俺が前世の定食屋と、ブラックな料理ギルドの下働きで培ってきた、肉を極限まで美味くする技術。
それを、あいつらに存分に見せつけてやる。
「よし。まずは、肉の仕込みから始めるか」
俺は包丁を手に取り、決戦に向けての試作に取りかかった──。
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