31・鶏皮ポン酢
その日の夜の『よりみち亭』も、多くの客たちで盛況だった。
エールを片手に笑い合う男たちの声や、ジョッキがぶつかる小気味よい音が、店内の活気を押し上げている。
「タクミさーん! あっちのテーブルのお客さんが、エール五人分追加です!」
「あいよ!」
ハンナも慌ただしく店内を走り回り、大量の注文を捌いている。
ここ最近、ハンナはいつも以上に頑張っている。アンナリーナの一件から、彼女の中でなにか思うところがあったかもしれない。
俺も、彼女に負けないように頑張らなくちゃな。素直にそう思った。
そして、そんな賑やかなフロアの隅──カウンター席の端っこに、ひっそりと座る二人の女性の姿があった。
それは……。
「ふふっ……なんだか、不思議な気分。こうしてリネットと二人でお酒を飲んでいるなんてね」
上質な外套を羽織ったエリシアが、嬉しそうにジョッキを傾ける。
「ほ、本当に私のような者が、お嬢様と同じ席でお酒をいただいてもよろしいのでしょうか……」
一方のリネットは、いつものきちんとしたメイド服姿ではなく、目立たないように少し地味な庶民向けの服を着ていた。
リネットは、ガチガチに緊張している。出されたエールのジョッキを両手で持ったまま、落ち着かない様子で周囲をキョロキョロと見回していた。
──以前からエリシアは、「リネットとサシ飲みに行きたい」と言っていたが、それがようやく実現したのだ。
今まで、王都への帰還や公爵家での忙しさでなかなか実現できずにいたらしい。
リネットとお酒を飲むエリシアの姿は、いつもより楽しそうに見えた。
「もう、リネットったら。今日は『お嬢様』と言うのは、やめる約束だったでしょう?」
「し、しかし……!」
「今の私は、ただの『エリシア』よ。今日は仕事のことは忘れて、一緒に楽しみましょう?」
「わ、分かりました。とはいえ、すぐに切り替えろと言われましても、なかなか難しいもので……」
「ほらほら、そう恐縮しない。まずは一口飲んでみて。このお店のエールは、とっても美味しいんだから」
「い、いただきます」
エリシアに急かされ、リネットはおずおずとジョッキに口をつけた。
「……あ、美味しい」
キンキンに冷えたエールを口にし、リネットの顔が少しだけ和らいだ。
「爽快な喉越し……と表現するのが、正しいんでしょうか。こういったお酒はあまり嗜まないのですが、日々の疲れが一気に吹き飛びます」
「ふふふ、でしょう? リネットも気に入ってくれて、よかったわ」
エリシアが我がことのように得意げに笑う。
そして俺へと視線を移し。
「タクミ、お酒に合う一品をなにかお願いできる?」
「おう、任せとけ」
腕まくりをして、調理に取りかかる。
まずは下処理を済ませておいた鶏皮を鍋に入れ、たっぷりの湯で茹でていく。
煮立った湯の中で鶏皮が縮み、余分な脂がじわじわと溶け出していった。
火が通ったところで鶏皮を取り出し、冷水にさらして軽く熱を取る。水気をしっかり拭き取ってから、まな板の上で細切りにしていく。
続いて、薄くスライスした玉ねぎを水にさらし、辛味を抜く。細切りにした鶏皮と玉ねぎを小鉢へ盛りつけ、仕上げにポン酢を回しかけて──完成だ。
「お待ちどう。今日のサシ飲みにぴったりの、さっぱりしたおつまみ──『鶏皮ポン酢』だ」
そう言って、俺は二人の前に小鉢に盛られた鶏皮ポン酢を置く。
「鶏の……皮? そんなところまで料理に使うのですか?」
リネットが不思議そうに小鉢を覗き込む。
「ああ。鶏肉の皮をカリッと茹でて細切りにし、玉ねぎのスライスと一緒に、『ポン酢』で和えてある」
鶏皮の脂っこさを、酸味の効いたポン酢と玉ねぎの辛味がさっぱりと中和してくれる、居酒屋の大定番メニューだ。
高級料理では敬遠されがちな部位だが、だからこそ素朴な味わいを堪能できる。
リネットは少し困惑している様子だが、『よりみち亭』に通い詰めているエリシアはそうじゃないんだろう。迷うことなく箸を伸ばした。
「んっ……! コリコリとした食感に、この爽やかな酸味……。噛めば噛むほど、鶏の旨味がじわっと出てくるわ!」
「お嬢様がそこまでおっしゃるなら、私も……」
リネットも一口食べると、パッと目を輝かせた。
「──美味しいです! さっぱりしていて、油っこさを全く感じません。お酒が無限に進んでしまいますね!」
「でしょう? ほらリネット、もう一杯飲みましょう!」
「はいっ!」
鶏皮ポン酢の絶妙な塩梅と、エールのアルコールが回ってきたのだろうか。
リネットの態度も徐々に硬さが取れ、年相応の少女らしい砕けたものに変わっていった。
「そういえば、リネットったらこの前……」
「や、やめてくださいエリシア様! その話は内緒って約束したじゃないですかぁ!」
肩を寄せ合い、時には冗談を言い合って笑う二人。
その姿は、厳しい身分制度に縛られた『公爵令嬢と侍女』ではなく、どこにでもいる仲の良い姉妹や親友同士のようだった。
「……いい光景だな」
俺は厨房からその様子を眺め、ほっと息を吐いた。
高級食材を皿の上に芸術品のように並べ、味気ない作法に縛られて食べる料理。
もちろん、それも料理の一つの形だ。決して劣っているわけではない。貴族が多い王都で、高級料理を極めようとしている料理ギルドの判断は、決して間違いではない。
だが、俺が本当に作りたかったのは、こういう店だ。
身分も素性も関係なく、肩の力を抜いて、安くて美味い飯を腹いっぱい食べる。
誰もが自然と笑顔になれる場所。
アンナリーナの一件から、あらためて自分を見つめ直してみたが……やはり、俺にはこういう小さな店で働く方が性に合っている。
あらためて、そう強く意識した。
「タクミさん! 次はあっちから、追加の注文です!」
「任せとけ!」
ハンナにそう声を返し、俺は次々と舞い込む注文を捌き続けるのであった。
──その夜のサシ飲みは、エリシアたちにとって心から楽しい時間になったようだ。
帰りがけ、ほんのりと頬を朱色に染めたエリシアが、「また明日も来るわね」といつものように手を振って帰っていっていった。
その頃には──アルコールが回っている所為もあるだろうが──リネットも随分と打ち解け、『お嬢様』ではなく『エリシア』と彼女を呼んでいた。
明日も明後日も、いつものようにエリシアがやってきて、「美味しい!」と目を輝かせる。
そういう日々が、これからも続いていくのだろう。
◆ ◆
だが、その夜を最後に。
エリシアは、『よりみち亭』へぱったりと姿を見せなくなってしまったのだ。
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