30・銀刃のオズワルド(グレゴールSIDE)
王都の中心にそびえ立つ、巨大な料理ギルド本部。
その最上階にあるギルド長室では、重苦しい空気が漂っていた。
「……また、予約キャンセルだと? しかも相手は常連の伯爵?」
ギルド長である私──グレゴールは、秘書から渡された報告書を握り潰し、苛立ちを隠せないまま低い声で問い詰めた。
「は、はい」
秘書が震える声で答える。
「ここ数日、『味が落ちた』という噂が王都中の社交界で広まっておりまして……。特に、グランフォード公爵家のエリシア様が、当ギルドの料理を『薄っぺらくて不味い』と酷評したという話が、致命傷となっております」
「あの氷の令嬢め……!」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
──先日、エリシア・グランフォードを招待した特別コース。
彼女に出したのは、最高級の幻の魔獣肉やトリュフをふんだんに使い、見た目も完璧に仕上げた至高の料理だったはずだ。
それなのに、あの小娘はそれを『薄っぺらい』と切り捨てた。
その言葉は、あっという間に王都の貴族たちを中心に広がることとなった。
『氷の令嬢が不味いと言った店』──そのレッテルは、三つ星獲得を目指して高級路線へと舵を切った料理ギルドにとって、あまりにも大きすぎる痛手だ。
「どうしてだ……! 使っている食材は最高級、シェフも超一流ばかりだぞ! 何故、以前のような味が出せないのだ!」
私が感情のまま怒鳴り散らすと、秘書はさらに身を縮こまらせた。
「もちろん、料理長たちも寝る間を惜しんで仕込みをしているのですが……やはり、あの男──タクミがいなくなった影響が大きすぎるのではないかと言われておりまして──」
「黙れ! ここで、あんな庶民の餌しか作れない三流料理人の名前を出すな!」
報告書を床に叩きつけた。
秘書が「ひっ!」と小さな悲鳴を上げる。
そんな彼の態度も、私の苛立たしさを加速させるスパイスとなった。
タクミ──あの小汚い三流料理人。
あいつがいなくなってから、肉の臭みは抜けず、スープのコクは消え、すべての料理の味が一段階も二段階も落ちた、と言われている。
だが、それを認めるわけにはいかなかった。
『三つ星ギルド』を目指す高尚な我がギルドが、あんな男一人の腕に依存していたなどと、悪夢でしかないからである。
「ギルド長……どうなさいますか? このままでは、三つ星どころか、ギルドの存続すら……」
「うるさい! さっさと下がれ! その醜い面を、これ以上見せるな!」
私が冷たく言い放つと、秘書は逃げるようにギルド長室から退出していった。
静まり返った部屋の中で私は一人、頭を抱える。
「どうすればいい? どうすれば、この窮地を脱することが出来る」
やはり、皆が言うように、タクミを連れ戻すしかないのか……?
「いや──ダメだ! あっちから頭を下げるならまだしも、あんな男に頭を下げるなど、私のプライドが許さん! それなら死んだ方がマシだ!」
──コンコン。
怒りを撒き散らしていると。
不意に、控えめだが規則正しいノックの音が響いた。
「誰だ! 誰も入れるなと言ったはずだ!」
苛立ちに任せて怒鳴りつけると、扉が静かに開き、一人の男が入ってきた。
「──おやおや、ご機嫌斜めのようですね。グレゴール殿」
中に入ってきたのは黒い燕尾服を隙なく着こなした、銀縁の眼鏡をかけた男であった。
彼は激怒している私を見ても眉一つすら動かさず、恭しく頭を下げる。
「オズワルド……か。久しぶりだな」
オズワルド。
現グランフォード家の執事。
とある理由で、私と彼は窮地の仲だった。
その理由とは……。
「貴様がここ去って、もう二十年ほどが経ったか? オズワルド……いや、『銀刃のオズワルド』よ」
嫌味をたっぷり含んだ声で応対したが、オズワルドは意にも介さず、私のデスクの前に立った。
銀刃のオズワルド。
それは、二十年ほど前に料理ギルドにいた、伝説的な料理人の名前だ。
振るう包丁は銀閃のごとく、どんな高級食材も彼の前では傅く。
昔──私がまだギルド長になっていない頃、同じ料理人として彼とは切磋琢磨したものだ。
だが、突如料理人を引退し、グランフォード公爵家の犬になっていたはずだが……今さらなんの用だ?
「昔話に花を咲かせにきたわけではありません。本日は個人的な用件で参りました」
オズワルドは両手を後ろで組んだまま、ゆっくりと話し始めた。
「──苦しいようですね」
「はあ?」
「料理ギルドが今、窮地に立たされていることは存じ上げております。味が落ち、客足が遠のいている……と。『三つ星ギルド』の夢も、風前の灯火」
「なっ……! 貴様、我がギルドを愚弄する気か! そもそも、貴様のところの令嬢が全て悪いのだ! 氷の令嬢が、我々の至高の料理をコケにするするから……!」
「事実を申し上げたまでです。……そして、その凋落の原因が、一人の末端料理人──タクミを解雇したことにあるという噂が、従業員内で囁かれていると」
図星を突かれ、私は息を呑んでしまった。
「き、貴様、何故それを……」
「独自の情報網というやつですよ。料理ギルドを辞めた今でも、昔の伝手を使えば、これくらいの情報は簡単に入手できます」
淡々と答えるオズワルド。
相変わらず……油断ならない男だ。
こいつは料理ギルドにいた頃から料理の腕もさることながら、こういった裏工作にも秀でていたことを思い出す。
警戒を強めるが、次にオズワルドが放った言葉は、私を驚嘆させるものであった。
「タクミ……今、どこにいるかと思いますか?」
「どうせ、路地裏で残飯でも漁っているのだろう。あんな三流料理人を雇う店など、王都にはない」
「いえ、違います。彼は──ベルナードという田舎町で『よりみち亭』という大衆居酒屋を営んでいます。そして、その店には、我が公爵家のエリシア様も足繁く通っておられる」
オズワルドの言葉に、私は耳を疑った。
「こ、氷の令嬢が……だと? 王都から逃げて薄汚い居酒屋を開いたことは、百歩譲っていいとしても……あの氷の令嬢が、あんな男の作る庶民の餌を食べているというのか!?」
「それだけではありません。先日、王立美食評議会の審査長が、お忍びで彼の店を訪れ、その腕を高く評価したそうです」
「審査長が……タクミを……?」
頭の中が真っ白になった。
私が最も恐れ、そして媚びへつらうべき相手である王立美食評議会の審査長。
その全貌は謎に包まれ、私も見たことはない。
噂によると、誰よりも料理の味にシビアで、生半可なものでは表情一つ動かさないと聞く。
それなのに、よりにもよって審査長があの三流料理人を認めたというのか……?
「お分かりですか、グレゴール殿」
唖然としている私に、オズワルドは容赦なく、冷徹な声で事実を突きつけてくる。
「あなたが切り捨てた男は、今や王国屈指の美食家から注目を集め、公爵令嬢の心すらも掴んでいる。かたや料理ギルドは凋落し、貴族たちからのキャンセルが相次ぎ、『三つ星ギルド』の獲得など夢のまた夢」
「では、どうしろと言うのだ! 今更あいつに頭を下げて、戻ってもらえとでも言うのか!?」
半ば自暴自棄になって、叫ぶ。
オズワルドは私の怒りを真正面から受けても、冷静に中指でメガネをくいっと上げた。
「いいえ。そんなことをする必要はありません」
「……なに?」
「私とて、あの男がエリシア様をたぶらかし、庶民の真似事をさせている現状を快く思ってはいないのです。ですから……」
オズワルドが口元に微かな笑みを浮かべて、まるで悪魔からの啓示のように、こう告げる。
「グレゴール殿、私と手を組みましょう。私にいい考えがあります」
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