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29・アンナリーナの正体

「どうしたんだ、アンナリーナ。店の営業は終わってるぞ」

「知ってるわ。ただ……宿に帰ろうかと思ったら、お店の中から良い匂いがしてきたからね。気になって、ちょっと様子を見にきたのよ」


 アンナリーナは妖艶な笑みを浮かべて、店内へと歩を進めた。


「なんでも、新メニューの開発をしてるそうじゃないの。よかったら、私も食べさせてもらってもいいかしら?」

「盗み聞きしてた……ってことか」

「あら、盗み聞きなんて人聞きが悪い。私はちょっと、まだ食べ足りなかっただけじゃないの」


 彼女は少し悪びれる様子も見せず、カウンター席の前に立った。


「エリシアちゃん、こんばんは。マルセナで会った以来ね。ハンナちゃんは、さっきはお世話になったわ。そっちの女の子は……エリシアちゃんの侍女かしら?」

「ええ。リネットよ」

「リネットちゃん、私はアンナリーナっていうの。よろしくね」

「は、はい、アンナリーナ様。よろしくお願いします」


 ダメだ。


 リネットも、完全にアンナリーナにペースを持っていかれてる。

 彼女を誰も止めることは出来ないだろう。


「はあ……」


 俺は無意識に溜め息を吐く。


「ごめんなさい。やっぱり、迷惑だったかしら? お邪魔だったら、すぐに帰るけど……」

「いーや、邪魔じゃない。あんたの料理への知識は理解してるからな。新メニューの試作は多い方がいいし、あんたも食べていってくれ」

「あら! さすがタクミ。心が広いわね!」


 パンっと手を叩くアンナリーナ。


 エリシアたちはまだ戸惑っているものの、俺が許可を出したからだろう。渋々といった感じで、再びあら汁と向かい合った。


 俺はすぐにアンナリーナの分のあら汁も器に注ぎ、彼女の前にことりと置く。


「聞いてたと思うが……魚のアラを使った、スープっみたいなものだ。食べてみてくれ」


 俺がそう促すと、四人は一斉に器に口をつけ、あら汁をすすった。



「「「「…………っ!」」」」



 次の瞬間、全員の動きがピタリと止まった。


「おい……しい……」


 真っ先に口に開いたのは、エリシアだった。


「これ、本当にあの魚の骨から出た味なの!? 信じられないくらい濃厚で、深い旨味があるわ……!」

「普通の味噌汁より、なんだか濃厚な味がしますぅ……」

「ほっとする味ですね」

「なるほど、魚のアラから溶け出した旨味が、上手く混ざり合ってるののね。大根やニンジンも、ホクホクした食感を添えてくれているわあ」


 エリシアとハンナ、リネットもアンナリーナもそう呟き、夢中で二口目、三口目と汁を飲み始めた。


「気に入ってくれて、よかったよ」


 ほっと息を吐く。


「魚の生臭さも一切なくて、純粋な旨味だけが見事に引き出されている。タクミ、これには本当に魚のアラが使われるの?」

「ああ、間違いない。本来捨てるはずの魚の骨や頭には、身の部分よりも強い旨味が詰まってるんだ。丁寧に臭みさえ取ってやれば、こんな風に極上のスープになるのさ」


 俺が胸を張って答えると、アンナリーナは「すごいわね」と笑みをこぼした。


 その後、四人はあっという間に魚のあら汁を飲み干してしまった。

 満足感に包まれているのか、揃って蕩けた顔をして、天井を見上げている。


「ごちそう……さま」


 やがて、エリシアが料理の味を噛み締めるかのように、そう呟いた。


「これが……タクミが思いついた、『よりみち亭』の新メニューってことね。本当に美味しかったわ」

「ありがとう。客のみんなは喜んでくれるかな?」

「喜んでくれるに──決まってますよ、タクミさん!」

「そうですそうです! お嬢様の付き添いのつもりでしたが、私も夢中になって食べてしまいました」


 エリシアに続き、ハンナとリネットも『よりみち亭』の新メニュー──魚のあら汁を絶賛してくれた。


 自信はあったが、異世界の人に魚のあら汁が受け入れられるのか少し不安だったので、安心した。


 一方のアンナリーナは、


「決まり……ね」


 黙りこくっていたかと思うと、小さくそう声を零した。


「マルセナでの海鮮お好み焼き……そして、揚げ出し豆腐。高級食材は使われていないけど、全てが一級品。薄っぺらい料理しか作れなくなった、王都の料理ギルド本店とは大違いだわ」

「料理ギルド? あんたも、本店に行ったことがあるのか?」

「ええ。つい最近ね」


 そう言って、アンナリーナはゆっくりと立ち上がった。

 姿勢を正して、俺の目を真っ直ぐに見据える。


 彼女から放たれる空気が一変したような気がして、俺は無意識に息を呑んでしまう。


「……今まで黙っていてごめんなさい、タクミ」


 とアンナリーナは懐から金色の装飾が施された一枚のカードを取り出し──。



「実は私、王立美食評議会の審査長なのよ」



 ……へ?


「お、王立美食評議会の!?」

「どうして、こんなところにいるのかしら!?」

「しかも審査長は人前には姿を出さず、ベールに包まれていたのでは……」


 その名前を聞いて、王都に住んだことがある俺とエリシア、リネットはすぐに気が付く。


 しかし。


「おう……りつ、びしょくひょうぎかい……? タクミさん、それってなんなんですか?」


 こういう事情に疎いハンナにはなんのことか分からなかったのか、可愛らしく首を傾げた。


「いいか、ハンナ。王立美食評議会というのは……」


 不思議そうにするハンナに、俺はこう説明する。


 王立美食評議会。

 それは王国内の料理を審査し、最高位である『三つ星ギルド』の認定を行う組織のことだ。


 しかも、その審査長といったら審査部のトップ。『女神の舌』を持ち、絶幅の信頼を寄せられている人物だと聞いたことがある。。


 だが、リネットが言ったように、その正体は謎に包まれている。

 男性なのか女性(『女神の舌』と言ってるから、女性である可能性は高いと思っていたが)なのか……も。


 料理組織による政治的な動きを避けるための策らしいが、まさか彼女がその審査長だなんて……。


「ほ、本当に審査長なのか?」

「嘘は吐かないわ。この名刺はね、特別製なの。普通の人が偽造することは、まず不可能。疑うなら、王立美食評議会に問い合わせてもらっても、いいけど?」


 俺の反応が意に沿ったものだったのか、アンナリーナは悪戯が成功した子どものように楽しそうに話す。


「だから、私がグランフォード家の人間だということも、すぐに分かったのね……王立美食評議会といったら、貴族との結びつきも強いから」


 エリシアも一本取られたといった感じに、額に手を当てて息を吐く。


「あんたがあのレストランの厨房で、やけに手際がよかったのも頷けるよ。だが──どうして審査長が王都から離れた、マルセナやこの町に?」

「王国内の各地の料理事情をこの目で確かめるため、身分を伏せてお忍びで巡っていたのよ。マルセナであなたに出会ったのも、その視察の途中だったというわけ」


 アンナリーナは微笑みながら、カードを俺の方へと押しやった。


「タクミ。マルセナのレストランであなたの腕前を見た時から、ずっと気になっていたわ」

「光栄だな」

「そして今日、このあら汁や揚げ出し豆腐を食べて、確信した。タクミ、あなたは『真の料理人』になりうる可能性を秘めているわ」

「真の料理人?」

「どんな食材でも見事に調理し、女神の声すら聞ける世界一の料理──それを作れる人のことを真の料理人と、私たちは呼んでるの」


 もっとも、この魚のあら汁では、神の声を聞けるまでにはあと一歩足りてないみたいだけど──。

 アンナリーナは少し申し訳なさそうに、そう付け足した。


「なんかよく分からんが……褒められて、不快な気持ちにはならないな」

「よかったわ。そこで、あなたにいい話」


 アンナリーナが指を一本立て。


「一度聞いたことだけど……正式に提案するわ。もしよかったら、王都でお店を出してみる気はないかしら?」

「王都で?」

「ええ。国中から人が集まる王都なら、もっとより多くの人にタクミの料理を届かせることが出来るわ。もちろん、うちの組織が全面的にバックアップし、資金も投資する。どうかしら?」


 なるほど。アンナリーナは国中の料理を食べ歩くとともに、優秀な料理人をスカウトしにきたということか。

 それこそ、彼女たちが言う真の料理人を探り当てるため。


 俺の答えを、エリシアとハンナ、リネットも固唾を呑んで見守っている。

 特にハンナにとっては死活問題だろう。さすがに王都まで付いていくわけにはいかないし、自然と職場がなくなることになる。


 アンナリーナの提案は確かに魅力的だ。王立美食評議会が全面的にバックアップしてくれると言っているが、そうでなくてもそのお墨付きをもらったと宣伝すれば、成功は約束されているようなものだから。


 だが──。



「悪い。俺はやめておくよ」



 俺がそう答えると、アンナリーナは目を丸くした。


「あら、どうしてかしら?」

「俺は、今の生活が満足しているんだ」


 美味しいものをたらふく食べてもらい、『ごちそうさま』『また来るよ』と言ってもらえる日々。


 それは、王都で店を開くことより、何倍も大切なことだった。この宝物のような日々を、捨てるわけにはいかない。


「そもそも──俺は元々、王都の料理ギルドで働いてたんだ」

「料理ギルドで? あなたみたいな優秀な料理人がいたら、私も知ってるはずだけど……」

「料理ギルドでは、仕込みや皿洗いといったことしか、やらせてもらえなかったからな。高級料理を作れない者は必要ないと言われて、クビにされたよ」

「ああ、どおりで……」


 アンナリーナはなにか思い当たるところがあったのか、そう目を細める。


「俺を誘ってくれたことは嬉しい。だが、俺はここで頑張りたいと思うんだ。だから、アンナリーナの誘いには頷けない」

「そう……分かったわ。まあ、あなたならなんとなくそう言うと思ってたしね」

「カマをかけたつもりだったのか?」

「そういうわけじゃないわ。王都で店を出すなら、うちが全面的にバックアップすると言ったのは、ほんと。でも、あなたにはそれ以上に大切なことがあるんじゃないかと思って」


 そう言って、アンナリーナは審査長の名刺を、俺に手渡す。


「私はそろそろ王都に帰らなくちゃならないけど──もし困ったことがあったら、この名刺を使ってちょうだい。少しは役に立つはずよ」

「おう、ありがとな。まあ、使う機会が訪れないことを祈ってるよ」

「違いないわね」


 と、アンナリーナは断られたというのに──露骨に肩を落としたりもせず、なんなら清々しい表情で店から出ていった。


「タクミさん!」


 アンナリーナがいなくなった後、ハンナが俺の首に抱きついてきた。


「わ、わたし……タクミさんにもう会えなくなると思って……でも、タクミさんがもっともーっと成功するためだから、仕方ないって……」

「心配かけて、すまないな。だが、俺は勝手に『よりみち亭』からいなくなったりしないさ。なにせ、可愛い従業員を一人置いていくわけにはいかないからな!」

「タ、タクミさ〜〜〜〜ん」


 涙目のハンナの俺を抱く力が、ますます強くなる。


「お、お嬢様! チャンスですよ! 今ならどさくさに紛れて、タクミ様に抱きつけます!」

「リ、リネット!? なにを言ってるのかしら。私は羨ましくなんか……」


 視界の片隅には、目を輝かせるリネット。そしてそんな彼女に背中を押され、顔を真っ赤にしているエリシアの姿が見えた。

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