27・ベルナードへの帰還と揚げ出し豆腐
マルセナへの小旅行から、数日が経った。
「タクミさん、五番テーブルの方からお会計お願いされました!」
「おう、分かった。ハンナは、あっちの席の空いたジョッキを下げておいてくれ」
「はいっ!」
すっかり日が落ちて満席になった『よりみち亭』は、今日も賑やかな活気に満ちている。
マルセナからベルナードに戻ってきた翌日──。
俺がいつものように店の鍵を開けると、留守番をしていたハンナが「タクミさん、寂しかったです〜!」と半泣きで飛びついてきたのには少し驚いたが、彼女がいてくれるおかげで店の切り盛りは本当に助かっている。
相変わらず客たちは酒を飲み、大声で笑い合い、唐揚げや焼き鳥を美味そうに頬張っていた。
そんな見慣れた光景の中で、ふと入り口のベルがカランと鳴った。
「いらっしゃいませー! 一名様ですか? ……え」
入り口に向かったハンナが、やってきた客の顔を見て目を丸くする。
暖簾をくぐって入ってきたのは、ゆったりとしたローブを身に纏った妖艶な女性。
マルセナのレストランで偶然出会い、一緒に海鮮お好み焼きを作った謎の食い道楽──アンナリーナだった。
「す、すごくキレイな女の人……! 大人の女性って感じで……」
同性ながらアンナリーナの色香にやられたのか、ハンナが入り口で固まってしまっている。
この田舎町には似つかわしくないアンナリーナの美女に、店内にいる客たちも自然と酒を呷る手を止める。
「こんばんは、タクミ」
それに対し、アンナリーナは店内の様子を意にも介さず、俺に微笑みを向けた。
「約束通り、遊びに来たわよ」
「アンナリーナ! 本当に来てくれたのか。まあ、まずは適当に空いてるカウンター席にでも座ってくれ」
俺が歓迎の意を示して席を勧めると、アンナリーナは優雅な足取りでカウンターに腰を下ろした。
彼女の艶やかな黒髪と、どこか人を惹きつける紫色の瞳は、何度見ても視線が釘付けになってしまう。
「なるほど……ね。あの港町のレストランも同じだったけど、相変わらず、いい匂いをさせてるわね。それで? 今日は私に、どんな料理を食べさせてくれるのかしら?」
アンナリーナが期待に満ちた目でメニューの木札を見上げる。
「どんなものが食べたい?」
「そうね……さっぱりしたものがいいわ。あっ、でもちょっと外は冷えるから、体が温まるものでも嬉しいかしら」
「さっぱりしてて、体が温まるもの……か。だったら、いいものがある。ちょっと待ってな」
俺はニヤリと笑い、腕まくりをする。
「タ、タクミさん、タクミさん! すっごくキレイな女性です! あんな人とお知り合いだったんですか?」
「ん……まあ、マルセナでな」
「マルセナ? も、もしや! エリシアさんとのデートだっていうのに、他の女性をナンパしてたんですか!? タクミさんの浮気者!」
「あらぬ疑いをかけるな。ってか、エリシアとのデートでもない。彼女とは……」
駆け足で厨房まで戻ってきたハンナに、手短にアンナリーナについて説明する。
ハンナは驚きながらも、誤解してしまったことを謝罪して、すぐに接客へと戻っていった。
俺はその間に、冷蔵用の魔石箱からあらかじめ仕込んでおいた食材を取り出す。
この世界の大豆によく似た豆をすりつぶし、絞った汁を固めて作った──自家製の豆腐だ。
豆腐をお湯で軽く茹でて水気を抜き、四角く切り分ける。表面に薄く片栗粉をまぶし、熱した油の中へと静かに落とした。
油の中で白い豆腐が踊り、表面の衣がチリチリと音を立てながらきつね色に揚がっていく。
外側がカリッと揚がったところで素早く油を切り、深めの器に盛り付ける。
そこへ昆布と鰹で丁寧にとった一番出汁に、醤油とみりんを少しだけ加えて温めた『特製のつゆ』をたっぷりと張った。
最後に、すりおろした大根と生姜、そして小口切りにした青ネギを盛り付ければ──『揚げ出し豆腐』の完成だ。
「お待ちどう。揚げ出し豆腐だ」
湯気を上げる器をカウンターに置くと、アンナリーナは目を細めてそれを見つめた。
「豆腐を揚げる……? 面白い発想ね。それに、この澄んだお出汁の香り……なんとも上品な匂いだわ」
彼女は蓮華でつゆごと豆腐をすくい、ふーふーと冷ましてから上品に口へと運んだ。
「……っ!」
その瞬間、アンナリーナが体をぶるっと震わせ、紫色の瞳が驚きで見開かれた。
「外の衣はつゆを吸ってモチモチしているのに、少しだけサクッとした食感も残っている……。そして、中のお豆腐も滑らかで、大豆の甘みがじんわりと広がってくるわ」
「どうだ? 口に合ったか?」
「ええ。大根と生姜の辛味が、油の重たさを消してくれていて、本当に計算し尽くされた味ね。すごく丁寧な仕事をしてることが、はっきりと分かる」
アンナリーナは夢中になって蓮華を動かし、あっという間に揚げ出し豆腐を平らげてしまった。
そして、最後の一滴まで出汁を飲み干すと、「ふう……」とひどく官能的な息を吐いた。
「ごちそうさま。美味しかったわ」
「お粗末様」
「ここまでの味に深みを出せる料理人はそうそういないわよ。王都でお店を出したら、瞬く間に繁盛するでしょうね」
「最高の褒め言葉として受け取っておくよ」
俺が笑ってそう言葉を返すと、アンナリーナは少しだけ寂しそうな微笑みを浮かべた。
「そうなのね。でも、あなたのその腕前と、料理に対する姿勢。確かに見させてもらったわ」
だったら──。
そう言って、アンナリーナは壁に掛けられている木札に目を向ける。
「もっとたくさん、楽しませてもらおうかしら。今度はあの唐揚げ?という料理をお願い」
「おう! 任せとけ。エールと一緒に食べると最高なんだが、どうする?」
「商売上手ねえ。頂くわ」
「あいよ!」
すぐに料理に取りかかる。
その後、アンナリーナは営業が終わり店を閉めるまで、楽しく料理と酒に舌鼓を打っていたのであった。
◆ ◆
その日の夜。
客が全員帰り、店の片付けも終わった深夜の『よりみち亭』。
「タクミさん、片付け終わりましたよ! ……あれ? まだ何か作るんですか?」
エプロンを外したハンナが、厨房に立つ俺を見て不思議そうに首を傾げた。
「ああ。マルセナで思いついた『新メニュー』の試作をしようと思ってな。帰ってきてから忙しくて、なかなか時間が取れなかったんだ」
「新メニューの試作ですか!? 前から考えてたものですよね? わたしも手伝います!」
「いや──ハンナはもう上がっていいぞ。もう遅いし、疲れただろ? 親御さんも心配するし」
「平気です! それに、タクミさんはわたしを子ども扱いしすぎです! これでも成人してるんですから!」
えっへんと胸を張るハンナ。
子どもっぽく見られやすいハンナだが、これでも俺とさほど歳は変わらない。成人しているし、当然お酒も飲める。
彼女の言うことにも一理あるし、もう少しだけ付き合ってもらうか。
「分かったよ。じゃあ、ハンナには試作品の味見をしてもらおうかな」
「任せてください!」
「頼りにしてるよ。でも、味見役をお願いしているのは、ハンナだけじゃなくて……」
と言葉を続けようとした時であった。
──カラン、カラン。
「こんばんは、タクミ。約束通り、来たわよ」
「夜分遅くに失礼いたします」
顔を入り口に向けると、そこにはいつもの外套を羽織ったエリシアと、彼女に付き従うメイドのリネットが立っていた。
「おお、来てくれたか。わざわざ悪いな」
「いいのよ。私も今日は公爵家の仕事が忙しくて、『よりみち亭』に顔を出せなかったし……タクミの料理が恋しいわ」
「私も、タクミ様の料理を久しぶりに食べたいと思いまして、来ちゃいましたが……いけませんでしたか?」
「そんなことはない。大歓迎だよ」
そう言って、俺はエリシアとリネットの二人を、後片付けも済んだカウンターの席に座らせる。
「味見役はわたしだけじゃない……って、こういう意味だったんですね」
「まあ、そうだな」
リネットも来たことには少し驚いたが、エリシアは事前に言って、新メニューの味見を手伝ってもらうことになっていたのだ。
さて……メンバーも揃ったところで、早速始めるか。
『よりみち亭』の新メニューで、彼女たちを虜にしてやる!
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