25・港町レストランでの問題
「た、大変だ!」
厨房から飛び出してきた従業員の切羽詰まった声に、レストランの空気は一瞬にして凍りついた。
青ざめた顔の従業員は息を荒らげながら、続けてこう叫んだ。
「料理長が、厨房で倒れたんだ……っ! 誰か──誰か、お医者様を呼んできてくれ!!」
その悲鳴のような声に、店内の客たちは顔を見合わせ、ざわめき始める。
数人の客がすぐに立ち上がって「すぐに呼んでくる!」と店を飛び出していき、残された者たちは不安そうに厨房の方を見つめていた。
「料理長が倒れた……?」
「大丈夫かしら」
「のっぴきならない状況ねえ」
俺とエリシア、そしてアンナリーナも、事態の急変に顔色を変えた。
ほどなくして、駆けつけた医者によって倒れた料理長はタンカに乗せられ、近くの救護院へと運ばれていった。
話によると、どうやら過労と心労が重なったことによる貧血らしく、命に別状はないとのこと。しかし、すぐに現場へ復帰できる状態ではないらしいとのことだ。
「みなさま、本日はお騒がせしてしまい、誠に申し訳ありません。誠に勝手ながら、本日の営業はこれにて終了とさせていただきます」
先ほど厨房から飛び出してきたのは、この店の店主だったらしい。
彼の言葉に、客席から落胆の溜め息が漏れた。
だが、事情が事情だけに文句を言う者はいない。「お大事に」と声をかけながら、客たちは次々と席を立ち始めた。
「料理長のことは心配だけど、これ以上ここに私たちがいても、邪魔になるだけね。タクミ、私たちも行きましょうか」
「ああ。だが……」
エリシアも席を立ち上がりかけるが、俺は別のことが気にかかっていた。
「店主さん。一つ聞いてもいいか?」
俺はレストランを後にする前に、肩を落としている店主に向かって声をかける。
「本来は、まだまだ営業するつもりでいたんだよな?」
「は、はい、そうです。本来なら、夜遅くまで店を開いてるつもりでした」
「だったら、厨房には食材がまだたくさん、残ってるんじゃないのか?」
俺も居酒屋をやっているから分かる。
普通なら店主は、今日一日で売り切れるだけの食材を仕入れているはずだ。
食材の保存方法が発展している、前世の日本ならともかく、明日に持ち越せるものとも思えなかった。
そう思い問いかけたことであったが、
「……その通りです。朝の市場で、魚やエビ、貝を大量に仕入れたばかりで……しかし店を閉める以上、ほとんどの食材は捨てることになるでしょう」
と店主は悔しそうに唇を噛んだ。
やっぱり……か。
魚介は足が速い。明日にはもう、少なくとも半分以上の食材は使いものにならなくなっているだろう。
「しかし、うちの店は料理長ともう一人の若い見習いの二人だけで回していまして……料理長が倒れてしまった今、どうすることもできません」
「店を閉めると聞いてから、なんとなくそんな気はしてたが……予感は的中してしまったみたいだな」
「せっかくの食材を無駄にしてしまうのは、料理を提供する者として心苦しいのですが……仕方がありません」
店主はそう言って、拳を強く握った。
──料理人にとって、食材は命そのものだ。
仕方がない事情があったとはいえ、店主の気持ちは痛いほどによく分かった。
「……なあ、店主さん」
気付けば、俺はこう口を動かしていた。
「俺が、料理長の代わりに料理を作る。だから手伝わせてもらえないか?」
「あなたが……ですか?」
「ああ。命を奪って得た食材なんだ。自分たちの都合で腐らせて捨ててしまうことだけは、どうしても見過ごせない」
「しかし……」
「俺はベルナードで料理人をしている。細かく教えてもらえなくても、問題なく対応できる。だから……どうだ?」
俺の突拍子もない申し出に店主は当初、目を丸くして驚いているようだった。
だが、俺の目を見て何かを感じ取ってくれたのか、やがて力強く頷いてくれた。
「……分かりました。お客様にこのような申し出をするのも、心苦しいですが……どうか私たちに、力を貸してくれますか?」
「ああ、もちろんだ」
そう言って、俺は腕まくりをする。
「というわけで……エリシア。悪いけど、ちょっと待っててもらえるか?」
「ええ、当然よ。私もこんなに美味しい料理を出すお店が、困っているのは見過ごせないもの。私もなにか手伝えることはないかしら?」
「で、でしたら、配膳を手伝っていただけると助かります。救護院に付き添うため、配膳係の者も一人いなくなっていますから……」
店主の言葉に、エリシアも頼もしく頷く。
さあて、客が完全に帰ってしまう前に、さっさと料理に取りかかるか。
そう気合いを入れ、厨房に向かおうとしたが、
「待って」
そんな俺を、アンナリーナが止めてきた。
「どうするのかと思って、傍観させてもらったけど……だったら、私もあなたを手伝うわ」
「あんたがか?」
「ええ。私の本職は料理人じゃないけど、あなたのサポートくらいは出来るはずよ。それとも、邪魔かしら?」
「それは……いや、助かる」
先ほど、アンナリーナと言葉を交わしてみて、彼女が料理に対する深い知識があるということは分かっている。
何者かは分からないが……少しでも手伝ってくれるというのなら、断る道理はなかった。
その後、俺とアンナリーナ、店主の三人はすぐに厨房へと足を踏み入れた。
中には、途方に暮れた顔で立ち尽くす若い見習いらしき料理人が一人。
そして、調理台の上には朝仕入れたばかりの新鮮なイカ、エビ、ホタテ、タコなどの魚介類が山のように積まれていた。
「すげえ……さすがは港町マルセナだ」
「全部、鮮度も最高ね。これなら美味しい料理を作れるはずよ」
とアンナリーナも目を輝かせる。
「なあ、あんた。俺らは急遽ここを手伝うことになったんだが、どういう料理を作ればいいのか、教えてくれるか?」
「は、はいっ。ですが……」
見習いの料理人は言葉を詰まらせ、こう話し始める。
「僕は……最近、二週間前ほどに入ったばかりで、あまり詳しいことは分かってないんです」
「なんだと?」
「なので料理長がどういう手順で料理を作っていたのか……どういう調味料が使われているのか、僕にはさっぱりです」
なるほど……見習いとはいえ料理人が一人残っているのに、店主が店を閉めようとした理由にも頷ける。
「あ、あの……」
話を聞いて、店主が申し訳なさそうに手を挙げる。
「そういうことでしたら……ここの食材を使った料理なら、メニューにないものでも構いません」
「いいのか?」
「お客様には、私の方から『本日限定の特別メニュー』と言っておきます。ですから、どうかご自由に腕を振るってくださいませ」
それなら、俺でも出来る。
なにせ、これだけ大量に鮮度のいい食材が揃っているのだ。この食材を前にしたら、自然となにを作ろうかイメージ図が頭に浮かんできた。
「タクミって言ったかしらね」
アンナリーナが面白そうに、俺へ視線を向ける。
「なにを作るつもり?」
「俺の故郷の料理を作るつもりだ。一気に大量の食材を消費できて、かつお腹が膨れるものだから」
「そう。だったら、私はあなたを全力でサポートするわ。自由に腕を振るってちょうだい」
アンナリーナの言葉に頷き、俺は早速調理に取り掛かることにした。
まずは小麦粉と卵、急造でこしらえた出汁をたっぷりと加えて、空気を含ませるように混ぜ合わせる。
「アンナリーナ……あんたには、エビの殻向きとイカの下処理をしてもらってもいいか?」
「分かったわ」
アンナリーナも隣で食材の下処理を始める。
その間に粗みじんにした大量のキャベツと、同時に下処理を終えた新鮮な魚介類をこれでもかと放り込み、さっくりと混ぜて生地は完成だ。
熱した大きな鉄板に油を引き、その生地を厚みを持たせて丸く広げた。
ジューーーーーッ!!
鉄板の上で生地が焼ける心地よい音が、厨房内に響き渡る。
熱が通るにつれて、出汁の香りと、魚介類から溶け出す濃厚な旨味の匂いが混ざり合い、強烈な食欲をそそる香りが店内にまで漂い始めた。
「よし……いっちょ上がり。次の分は……」
「はい──エビの殻剥きとイカの下処理、終わりよぉ」
「おっ、助かる。もう出来たのか?」
「これくらい、簡単だから」
汗一つかかず、殻を剥き終わったエビとイカが入った銀皿を差し出して、アンナリーナが微笑む。
やはり……只者じゃないな。
本職は料理人じゃないと言っていたが、ここまで下処理の手際がいいのは、王都の料理ギルドにもなかなかいなかった。
彼女の正体にますます気になりながらも、俺は生地の片面がきつね色に焼けたところで、コテを使って豪快にひっくり返す。
両面が香ばしく焼き上がったら、仕上げに自家製の濃厚な甘辛いソースをたっぷりと塗りたくり、細かく刻んだネギを散らした。
「よし──完成だ!」
俺は熱々のそれを鉄板ごと皿に乗せ、客席で待つエリシアとアンナリーナのテーブルへと運んだ。
「お待ちどう──俺の故郷の料理、『海鮮お好み焼き』だ」
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