24・港町のレストランと出会い
港を一望できる、お洒落なレストラン。
店内に案内された俺とエリシアは、海が見えるテラス寄りの席に腰を下ろした。
「ふう……歩き回った後の冷たい水は美味しいわね」
エリシアがグラスの水を飲みながら、窓の外に広がる夕暮れの港を眺めて微笑む。
海風が彼女の銀髪を優しく揺らし、夕陽のオレンジ色がその白い肌をほんのりと染めている。
まるで名画を切り取ったかのようなその美しい姿に、俺は思わず見惚れてしまった。
「そうだな。さて、せっかくのレストランだ。屋台の味もよかったが、ここの料理も少し頼んでみようか」
俺がメニューを開くと、そこには港町ならではの海鮮料理がずらりと並んでいた。
魚の香草焼き、貝の白ワイン蒸し、エビのクリーム煮……どれも美味しそうだ。
しかし、新メニューのヒントになりそうなものは……。
「ねえ、タクミ。あちらの席の方たち、私たちのことを見ていないかしら?」
思考に耽ってしまっていると、エリシアが少し身を乗り出して、俺に小声で囁いてくる。
「ん? そうか?」
俺がさりげなく視線を巡らせると、確かに周囲のいくつかのテーブルから、チラチラとこちらを窺うような視線を感じた。
──もしかして、エリシアがグランフォード家の令嬢だということがバレたか?
一瞬焦ったが、どうやらそうではなさそうで、周囲の客はひそひそと話し出す。
「……ひそひそ(あそこの二人、すごくお似合いだね)」
「……ひそひそ(きっと、王都からお忍び旅行に来た恋人同士よ! 彼氏の方が彼女を優しくエスコートしてるわ!)」
盛り上がっているからだろう。
話の内容が幸か不幸か、俺の耳にも届いてしまった。
「こ、恋人同士って……」
エリシアも俺と同じで聞こえていたらしい。顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「(タ、タクミ! 私たち、勘違いされちゃってるわ!)」
「(そ、そうみたいだ。エリシアがいつもの上等な服じゃなくて、そういう可愛い服を着てるから、余計にそう見えたかもしれないな)」
「(か、可愛いって……またそういうこと言う!)」
二人して声を潜ませ、エリシアがテーブルの下で俺の足の甲を軽く蹴ってきた。
しかし、どうやら怒ってるわけではなく、完全に照れているようだけのようだ。
周囲からの視線を浴びて、俺たちの間にはなんとも言えない甘酸っぱく、気まずい空気が流れる。
「お待たせしました──ご注文の『白身魚の香草焼き』と『魚介のトマト煮込み』です。ごゆっくりどうぞ〜」
二人で碌な会話もないまま時間を過ごしていると、タイミングよく注文した料理が運ばれてきた。
ウェイトレスの女性も、俺たちを『初々しいカップル』だと思っているのか、ニヤニヤしながらさっとその場を離れた。
「と、とりあえず、食べようぜ」
「え、ええ。そうね」
俺たちは慌ててナイフとフォークを手に取り、料理に意識を向けることで気まずさを誤魔化そうとした。
だが、料理を口にした途端、感じていた気まずさも一瞬で霧散する。
「……旨い! 香草の香りが魚の臭みを上手く消してる」
「そうね。とっても美味しい。焼き加減がちょっと甘いような気もするけど……」
「かもな。こっちのトマト煮込みも美味しいが、もう少し弱火でじっくり煮込めば、貝の旨味が引き立つかもしれない。無論、これはこれで旨いことには変わりないが」
いつしか、俺たちは真剣な料理談義を始めてしまっていた。
エリシアは貴族として数々の美食を食べてきた舌を持っているし、俺は料理人としての知識がある。
別に店の料理を非難したいわけではないが……こうして二人で味の分析をしていると、新しいアイデアのヒントが見つかるかもしれないからだ。
「なるほどね。それなら、あえてトマトの酸味を抑えるために、隠し味で少しだけ砂糖か蜂蜜を入れるのもありかもしれなわね」
「エリシア、グッドアイディアだ。だが、甘くしすぎると魚介の風味が……」
俺たちがそんな会話で盛り上がっていると。
「──ふふっ、なんだか面白い話をしているのね」
突然、隣の席から不意に声がかけられた。
「あんたは……?」
そう質問する。
隣の席に顔を向けると、そこにはゆったりとしたドレスを身に纏い、優雅にワイングラスを傾ける妖艶な女性の姿があった。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。艶やかな黒髪に、どこか人を惹きつけるような深い紫色の瞳。胸元が広く開いた服を着ているせいで、正直視線のやり場に困る。
「ふふふ、驚かせてごめんなさいね。私はアンナリーナ。ただのしがない、食い道楽よ」
女性──アンナリーナは悪びれる様子もなく、ふんわりと微笑んだ。
そのまま彼女は、目を細めて俺とエリシアに交互に視線を送った。
「先ほどのあなたたちの会話、少し聞こえてしまったの。ただの素人じゃないわね? その魚の焼き加減の指摘や、トマト煮込みへの隠し味の提案……間違いなく、プロの料理人の視点だわ」
「まあ、田舎でしがない居酒屋の店主をやってるからな。俺はタクミっていうんだ」
「わ、私は、その付き添いです」
俺たちが順番にそう答えると、アンナリーナはさらに興味深そうに身を乗り出してきた。
「居酒屋の店主──やっぱりそうだったのね! だったら……ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」
「なんでしょうか?」
問いかけると、アンナリーナは自分のテーブルに乗っていた『エビの塩茹で』の皿を指差した。
「このエビ、鮮度は抜群だし塩加減も良いのだけれど……どうも、殻を剥いた後の身の縮みが気になるの。あなたなら、これをどうやって改善する?」
「そうだな……茹でる前に、エビの背わたを丁寧に取って、酒か少量の酢を入れたお湯でサッと短時間だけ茹でる。その後、すぐに氷水で締めるんだ。そうすれば、身の縮みを防いでプリプリの食感を保てるはず」
「まあ! 素晴らしいわ!」
俺が即座に答えると、アンナリーナは表情を輝かせ、パンッと手を叩いた。
「私もそう思ってたのよ! だったら、こちらの魚のソースはどう? ちょっと食べてみてくれる?」
「では、お言葉に甘えて……うん、旨いな。だが──これは好みになってくるが、もう少し味に深みが欲しい気もする」
「でしょう? 私としては、もう少しバターのコクを……」
「いや、そこはバターより、白ワインを少し煮詰めて酸味を飛ばしたものを……」
そこからは、俺とアンナリーナの独壇場だった。
魚の鮮度の見分け方、下処理の重要性、出汁の取り方や調味料の黄金比。
次々と飛び出す彼女の高度な料理知識に、俺も思わず熱が入り、時間を忘れて料理談義で意気投合してしまった。
「ふふふっ、あなたとは本当に気が合うわね。こんなに料理の話で盛り上がれる人に出会ったのは初めてよ」
「俺もだ」
それにしても……彼女は『ただのしがない、食い道楽』と言ったが、果たして本当にそうだろうか?
彼女から飛び出してきた質問は、料理への深い造詣がなければ出来ないものだったからだ。
彼女も料理人? だとするなら、一体どこの名店の従業員、もしくはオーナーで……。
そんなことを考えていると、
「…………」
ふと対面から、背筋が凍るような冷たい気配を感じた。
アンナリーナから視線を外し、そちらに顔を向けると──エリシアが氷のように冷ややかな目で、こちらを見ていたのだ。
「す、すまん、エリシア。ついアンナリーナと話し込んでしまって……あ、あのエリシア、さん?」
彼女から並々ならぬ雰囲気を感じて、ついエリシアさんと言ってしまった。
恐る恐る問いかけると、
「別に」
と彼女は短く吐き捨てる。
「ずいぶんと楽しそうに、お話してたなあと思ってね」
「ほ、本当にすまなかった。エリシアは退屈だったよな。心の底から反省している」
「いいのよ。反省する理由もない。だって、私は別に気にしちゃいけないから。恋人じゃあるまいし」
頬を膨らませて拗ねている彼女の顔は、こういう時に言うのもなんだか、可愛らしいと思ってしまった。
「ふふふっ、彼女さんは嫉妬してるのね。大丈夫よ、この彼氏さんを取ったりなんかしないから」
一方のアンナリーナは肘を突き、顔を両手に乗せて、楽しそうに俺たちを眺めていた。
ニコニコとしているその顔は大人の余裕を感じさせ、どこか面白がってるようにも見える。
「わ、悪かったよ。つい料理の話になると熱くなってしまって……」
なんとかエリシアに許してもらおうと謝罪を続けようとした──その時だった。
「──た、大変だ!」
厨房から従業員が飛び出してきて、切羽詰まった声を響かせた。




