18・肉じゃがとエリシアの帰還
ハンナが自信を取り戻してから、数日後。
お昼の『よりみち亭』には、まったりした時間が流れていた。
「ハンナちゃーん! こっち、白身魚のフライ定食一つ!」
「はーい! ただいまお持ちしますっ!」
ハンナはパタパタと小気味よい足音を立てながら、店内を元気よく駆け回っている。
基本は夜の営業を手伝ってもらっているハンナだが、今日は昼に顔を出してもらっているのだ。
先日の一件ですっかり心のつかえが取れたのか、彼女の接客には今までにも増して明るさと自信が満ちていた。
たまにドジなところは相変わらずだが、それもまた愛嬌として客たちに受け入れられ、彼女の周りには今日も笑顔が絶えない。
そんな店内を厨房から眺めながら、俺もまた気分良く料理の腕を振るっていた。
──カラン、カラン。
入り口のベルが鳴り、新しい客が入ってくる。
いつもなら「いらっしゃい!」とすぐに声をかけるところだが、暖簾をくぐってきた人物を見て、俺は思わず動きを止めてしまった。
「お……?」
そこに立っていたのは、上質な外套を羽織り、透き通るような銀髪を揺らす美少女──エリシアだった。
二週間ほど王都へ行ってたはずだったが、どうやら無事にベルナードに戻ってきたみたいだな。
「エリシア、おかえり」
「ええ、ただいま」
久しぶりに見るエリシアにそう声をかけると、彼女は入り口に待ったまま笑顔で答えた。
そのまま、歩き出そうとするが。
「タクミさん! 三番テーブルのお客さんから、だし巻き卵の追加いただきました!」
それより早く、ハンナが厨房に駆け込んできた。
「おう、了解だ。すぐ作るからちょっと待っててくれ」
「はいっ! あ、タクミさん、エプロンの紐が少し解けかけてますよ。直してあげますね!」
「ん? ああ、悪いな」
ハンナが俺の背中に回り、エプロンの紐をキュッと結び直してくれる。
そんな何気ない日常のやり取りを終えて、俺が再び入り口の方へ視線を向けると──そこには、ピキッと凍りついたような表情でこちらを凝視するエリシアの姿があった。
「え、エリシア? どうしたんだ、そんな入り口で突っ立って。さっさと、いつものところに座ったらいいじゃないか」
俺が声をかけると、エリシアはハッと我に返ったように肩を揺らした。
そして、ツカツカと足早にカウンター席まで歩いてくると、ドスッと少し乱暴に腰を下ろした。
「……タクミ。その、可愛らしい耳の生えた女の子は、一体誰かしら?」
エリシアの声は、いつもの落ち着いたトーンよりも一段低く、どこか冷ややかなものだった。
その視線は、俺の隣で不思議そうに首を傾げているハンナに向けられている。
「ん……あ、ああ、紹介するよ。彼女はハンナ。エリシアが王都に行っているうちに、うちで新しく雇った従業員だ」
「ふうん」
「ハンナ。彼女がエリシアだ。自己紹介してくれるか?」
「は、はい! はじめまして、ハンナです! よろしくお願いします!」
ハンナが元気よく頭を下げると、エリシアは「よろしくね」とにっこり微笑んだ。
「どうしたんだ、エリシア。いつもと雰囲気が違うぞ」
「なんでもないわよ。ただ……私が王都へ行っている間も、随分と楽しそうにやってたと思ってね」
ぽつりと零れたその言葉には、明らかな不満の色が混じっている。
何故だか少し機嫌が悪そうな彼女を、なんだか可愛らしいと思ってしまった。
「まあ、楽しくやってたかな?」
「そうだったのね。私が王都で大変な思いをしている間に……こんな可愛い女の子を雇うだなんて、油断してたわ」
そう言って、エリシアは額に手を当てる。
なにを油断してたんだ?
「ははは、エリシアちゃんは嫉妬してるんだよ」
「エリシアちゃんは、大将のことが大好きだから」
「し、嫉妬だなんてっ。私は……!」
常連客から飛んできた快活な声に、エリシアは少しだけ頬を赤くして弁解しようとする。
やがて、深く息を吐き。
「……悪かったわね。ちょっとビックリしちゃっただけ。忘れてちょうだい」
と謝ってきた。
……一体、なんだっていうんだ。
「……まあ、いいか。疲れた顔をしてるけど、そんなに王都での仕事は大変だったのか?」
「ええ、もう散々だったわ。お父様への報告から始まって、連日のように退屈な夜会や晩餐会に駆り出されて……味のしない料理ばかり食べさせられて、本当に疲れた」
大きな溜め息を吐くエリシア。
その表情を見るだけで、彼女にとって、王都での日々がいかに息苦しいものであったかがひしひしと伝わってきた。
「早速だけど、久しぶりにあなたの料理が食べたいわ。なにかほっと安心できるような料理を作ってくれる?」
「おう、任せとけ」
俺はそう言うと、手早く調理を始めた。
用意したのは、豚肉、じゃがいも、玉ねぎ、ニンジンといった素朴な具材。
それらを一口大に切り、鍋で軽く炒めてから、たっぷりの特製出汁と醤油、砂糖を加えてコトコトと煮込んでいく。
次第に、醤油の香ばしさと砂糖の甘さが入り混じった、どこか懐かしく温かい匂いが店内に漂い始めた。
煮汁が程よく煮詰まり、具材にしっかりと味が染み込んだところで火を止める。
「お待ちどう。今日の特別メニュー、『肉じゃが』だ」
湯気を上げる深皿をカウンターに置くと、エリシアは目を丸くしてそれを見つめた。
「これも初めて見る料理ね。甘くていい匂い……」
「俺の故郷の家庭料理さ。派手さはないが、疲れた時にはこういう味が一番染みるんだ」
エリシアはおずおずと箸を手に取り、ホクホクに煮えたじゃがいもを一つ口へ運んだ。
「ああ……」
その瞬間、張り詰めていた彼女の表情がふわりと柔らかく解けた。
「美味しい……。野菜一つ一つに、お肉とお出汁の旨味がぎゅっと染み込んでいて……気取らない味が、なんだか安心するわ」
「そうか。気に入ってくれて、よかったよ」
エリシアは夢中になって箸を動かし、次々と肉じゃがを口へ運んでいく。
先ほどまでの不機嫌そうな態度はどこへやら、その顔には心の底からの幸せそうな笑みが浮かんでいた。
「ふう……」
やがて、皿を綺麗に空にしたエリシアが、満足げなため息をついた。
「どうだ? 少しは疲れも取れたか?」
「ええ。王都で食べたどんな高級料理よりも、ずっと美味しかったわ。やっぱり、タクミの料理を食べないと、ベルナードに帰ってきたって気がしないわね」
エリシアは少しだけ照れくさそうに微笑むと、ぽつりと呟いた。
その言葉に、俺は少しだけくすぐったいような、嬉しい気持ちになった。
「そう言ってもらえると、料理人冥利に尽きるよ。これからも、いつでも来てくれ。美味しいご飯を作って、待ってるからな。……な、ハンナ」
「はい! わたしも、エリシアさんのために頑張ります!」
「ふふふ、ありがとう」
エリシアが優しく微笑み返す。
その後、しばらく他の客の料理を作りながら、エリシアと言葉を交わしていたが。
「あっ、そうそう」
店内の客も少なくなってきたところで、ふと何かを思い出したように、彼女が口を開いた。
「タクミはあまり興味がないかもしれないけれど……あなたに伝えておきたいことがあったの」
「俺に? なんだ?」
「あなたのいた料理ギルド、今、面白いことになっているわよ」
エリシアの言葉に、俺は思わず目を丸くするのであった。
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