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15・看板娘の初仕事

 翌日の夕方。

 夜の営業に向けて、仕込みも大体終わった頃。



「こんばんは、タクミさん! 本日からお世話になります!」



 入り口の扉が開き、元気よく一人の少女が入ってくる。


 中に入ってきたのは──昨日うちで働かせてほしいと頼み込んできた獣人族の少女、ハンナであった。


 犬のようなピンと立った耳をピクピクと動かし、気合い十分といった感じで頭を下げる。


「おう、ハンナ。ちゃんと時間までに来てくれたな」

「はい! 気合を入れて、少し早めに来ちゃいました!」


 仕込みの手を止め、そう声をかけると、ハンナは尻尾を激しく左右に揺らす。


 本当に感情が表に出やすい子だな。


「まずは、なにをすればいいんでしょうか? わたし、掃除でも皿洗いでも、なんでもやります!」

「それもやってもらう予定だが……まずはこれを着てくれ」


 俺はカウンターの下から、あらかじめ用意しておいた真新しいエプロンを取り出し、ハンナに差し出した。


「え……? こ、これって……」


 ハンナは目を見開き、差し出されたエプロンと俺の顔を交互に見比べた。


「うちの店で働くための仕事着だ」

「仕事着!」

「私服のままだと、油やソースが飛んで汚れてしまうからな」


 今日、市場へ買い出しに行ったついでに、彼女のサイズに合いそうなものを買ってきたのだ。


「もしかして、デザインが気に入らなかったか? だったら、すまない。女の子がどういうのを喜ぶのか、よく分からなかったんだ」

「い、いえいえ! 気に入らないなんて、とんでもありません! でも……わたしなんかのために、こんな新しいものを買ってもらうなんて……まだお給料ももらってないのに……」


 ハンナは申し訳なさそうに身を縮め、頭の上の耳をペタンと伏せた。


 昨日もそうだったが、どうもこの子は自己評価が低すぎるらしい。


「気にしなくていい。これは従業員への初期投資みたいなもんだ。うちで働くなら、しっかりした仕事着は必要だろ?」

「うぅ……」

「それに、汚れた服のまま料理を運んだら、お客さんだって気にするかもしれないしな。クレームに繋がるかもしれない」


 俺が少しだけ意地悪くそう言うと、ハンナはハッとして慌ててエプロンを受け取った。


「そ、それはダメです! タクミさんの美味しい料理の邪魔になるなんて、絶対に嫌ですから!」


 ハンナは真剣な顔つきでエプロンを広げ、頭から被って腰の後ろで紐をギュッと結んだ。


 焦茶色のシンプルなエプロンだが、小柄な彼女が着ると、まるでどこかのカフェの制服のようによく似合っている。

 ハンナは軽くその場で一回転するが、動きやすさも問題なさそうだ。


「どうですか……? 変じゃないですか?」

「変どころか、すごく似合ってるよ」

「へへへ、ありがとうございます。タクミさんに褒められちゃいました」


 俺が素直に褒めると、ハンナは顔を真っ赤にして、照れくさそうにはにかんだ。


「わたし、このエプロンのご恩に報いるよう、一生懸命がんばります!」

「恩に報いる……なんて、そんな大層なこと考えてくれなくてもいいんだけどなあ」


 まあ、出勤初日ということで、彼女も緊張しているだけなのかもしれない。徐々に慣れてくるだろう。


 その後、俺たちは一緒に店の外へ出て、『営業中』の札を入り口にかけ、夜の営業を開始するのであった。



 ◆ ◆



「こっちにエールのおかわり、五人分!」

「はいっ、ただいまお持ちします!」


 夜の営業が始まると、『よりみち亭』はいつものように仕事帰りの客たちで賑わい始めた。


「エール五人分の注文が入りました!」

「おう、ありがとう。次はあっちのテーブルに、焼き鳥の盛り合わせを運んでくれ」

「はいっ!」


 ハンナは俺が渡した料理を乗せたお盆を両手でしっかりと持ち、店内を小走りで駆け回る


 昨日、「自分にはこれといった特技がない」「ドジばかりだ」と自信なさげに語っていた彼女だが、いざ働かせてみると、その自己評価の低さが全くの思い過ごしであったことが分かった。


 客のグラスが空きそうになれば、呼ばれる前に「お飲み物の追加はいかがですか?」と声をかけ、食べ終わった皿があればすっと下げていく。


 獣人族特有の身軽さを活かして、狭い店内をスルスルと通り抜け、客の要望に素早く応える。


 正直……勤務初日であることを抜きにしても、相当優秀な子だ。

 あんな子は、前世を振り返ってみても、なかなかいなかったかもしれない。


「あんな娘を雇えるなんて、俺の運も捨てたもんじゃないな」


 追加のエールを注ぎながら、そう呟く。


「おっ、今日の店員さんはえらく可愛いな! 大将の隠し子か?」

「違いますよー! わたしは今日からここで働かせてもらってる、ハンナっていいます!」

「そうかそうか、ハンナちゃんか。偉いなあ。おじさんがチップを弾んでやろう!」

「いえいえ! このお店はチップが禁止みたいなんです! お気持ちだけ受け取っておきますね!」


 愛嬌のある笑顔。

 耳や尻尾をぴこぴこと動かして懸命に働く姿。


 彼女の働きっぷりは、常連客たちの心もあっという間に掴んでしまったようだ。


 昨日と比べて、料理の提供スピードも格段に上がり、客の回転も明らかによくなっている。


 正直、ここまでとは思っていなかったが……当然、初日から全てが完璧というわけにはいかない。


 ──パリンッ!


「ご、ごめんなさい! お皿、割っちゃいました!」


 お皿が割れる音ともに、ハンナの悲鳴のような声が混じった。


 ハンナは顔を真っ青にしてその場にしゃがみ込み、割れた皿の破片を素手で片付けようとする。


 しかし。


「ハンナ、そのまま動くなよ。破片で怪我するぞ」


 俺は急いで厨房から出て、彼女のそばに駆け寄った。


「タ、タクミさん……ごめんなさい、お皿を割ってしまって……お給料から引いてください……っ」

「なにを言うんだ」


 溜め息を吐く。


「お皿を割るなんて、よくあることだ。そんなことより、怪我はないか?」


 彼女の手を取り、怪我がないか確認する。


 ……うん、怪我はなさそうだ。

 一瞬冷や汗を掻いてしまったが、彼女の小さな手にはかすり傷一つ刻まれてなかった。


「は、はわわ……!」


 ハンナは顔を赤くする。


「きょ、恐縮です! タクミさん、怒ってないんですか?」

「怒る? どうして? それよりも、ハンナに怪我がなくて安心した。お皿を割ってしまったことは、気にしなくていい」

「そうだよ、ハンナちゃん! 形あるものはいつか壊れるんだ。気にすんな!」

「大将は儲かってるから、皿の一枚くらい痛くも痒くもないさ! だから大将、ついでに俺のエールもサービスしてくれよ!」

「バカ言え、それはそれだ!」


 客席からも、ハンナを庇うような明るい笑い声が飛んでくる。


 誰も彼女を咎めたり、怒鳴ったりする者はいない。


「みんな……」


 ハンナはうるうると目を潤ませ、俺と客たちを交互に見つめた。


 そして安心したようにふにゃりと表情を緩め、深々と頭を下げた。


「……ありがとうございます。わたし、次は絶対に落とさないように気をつけますね!」


 立ち直った彼女は、再びピンと耳を立て、元気よく店内を走り回り始めた。


 小さな失敗をあったが、温かな店内の空気の中で、ハンナは確実に『よりみち亭』の仕事に慣れていった。



 ◆ ◆



 そんな賑やかな日々が、数日続いた。


 ハンナの働きぶりは日を追うごとに良くなり、今では俺が指示を出さなくても、自分で考えて動けるようになっている。


 客たちからも「ハンナちゃん」と親しまれ、すっかり店の看板娘として定着しつつあった。


 そんな日々の中。


 その出来事は、ある日の夜の営業終わりに起こった。


「ふう……今日もたくさんのお客さんが来てくれたな。ハンナ、お疲れ様」


 最後の客を見送り、暖簾を店内にしまって、俺は大きく背伸びをした。


「はい! タクミさんもお疲れ様でした!」


 ハンナは布巾でテーブルをピカピカに拭き上げながら、笑顔で元気よく応える。


 二人での片付け作業もすっかり板につき、以前の半分以下の時間で終わるようになった。


 本当に彼女を雇ってよかった。

 これなら、俺の給料を削って彼女に多めにボーナスを払っても、お釣りが出るくらいだ。


「よし、片付けも終わったし、これから──ん? ハンナ?」


 ハンナに声をかけると、彼女は布巾を握りしめたまま、動かなくなっている。


「具合でも悪いのか?」


 違和感を抱き近づくと、彼女はどこか思い詰めたような暗い表情で俯いている。

 頭の上の耳はペタンと伏せられ、尻尾も垂れ下がっていた。


「……あの、タクミさん」


 やがて、ハンナはゆっくりと顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「少し、お話があります」


 その声はいつもの元気なものではなく、微かに震えていた。

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