14・新しい従業員
ソースの焦げる香ばしい匂いが漂う中、店内の喧騒が一瞬だけピタリと止まった。
焼きそばを頬張っていた客たち、エールのジョッキを傾けていた者たち。全員の目が、入り口に立つ小さな獣人族の向けられている。
「は、働かせてくださいって……うちでか?」
「はいっ!」
俺が思わず聞き返すと、少女は犬のようなピンと耳を立て、ぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。
その必死な様子に、客席からは「おおっ」とどよめきが上がる。
「大将、可愛い店員さん志願だぞ!」
「ここ、大将一人だけで賄ってたみたいだから、実は心配だったんだよな〜」
「雇うしかないわね!」
「おいおい、お前ら。無責任なこと言うなよ」
飛んできた冷やかし半分の声に答えながら、鉄板の火を弱め、カウンターから出て少女と向き合った。
「とりあえず、名前を聞いてもいいか?」
「ハ、ハンナ、です」
ハンナと名乗った少女は緊張しているのか、モジモジと自分の服の裾を握りしめる。
「ハンナ……か。俺はこの店の店主のタクミだ。雇うかどうか決める前に……まずは、どうしてうちで働きたいと思ったのか、聞いてもいいか?」
俺が優しく尋ねると、ハンナは少しだけ顔を上げ、一生懸命に話し始めた。
「はい! 実は以前、家族と一緒にこのお店にご飯を食べに来たんです」
そういえば……最近、獣人族の家族が『よりみち亭』に来たような気がする。
とはいえ、ここを訪れる客は毎日多いので、それがこの目の前の少女の家族だったかは確信が持てないが。
「うんうん、それで?」
「その時、料理がすっごく美味しくて……それに」
先を促すと、ハンナは一度言葉を切ってから。
「お客さんたちが、身分とか種族とか関係なく、みんなで大きな声で笑い合っていて……わたし、そんなこのお店の温かい雰囲気にすごく感動したんです。だから、私もここで働きたいって思って……!」
「ほお……」
ハンナの覚悟を聞いて、俺は素直に嬉しい気持ちになった。
ただお金を稼ぎたいというだけではなく、俺が目指している『よりみち亭』の理念そのものに惹かれてやってきてくれたのだ。
店主として、これほど嬉しい言葉はないだろう。
「でも……」
ハンナは急に自信をなくしたように視線を落とし、頭の上の獣耳をペタンと伏せた。ふさふさとした尻尾も、力なく垂れ下がっている。
「わたしにはこれといった特技もないし、ドジばかりで……わたしなんかに出来ることがあるか、自分でも分からないんですけど……」
「随分と自信がないんだな」
「かもしれません。で、でも! どうしてもここで働いて、誰かのお役に立ちたいっていう思いは本当です! そうすれば、こんな自分も変えられると思うから!」
震える声だが、彼女の瞳にははっきりとした力強い意思が宿っていた。
「だから……どうでしょう? わたしを雇ってくれませんか?」
「気持ちはすごく嬉しいよ。でもな……」
と俺は言葉を濁らせる。
前々から「そろそろ従業員を雇うべきかもしれない」と考えていた俺にとって、彼女のような真っ直ぐで可愛い子が来てくれたのは渡りに船の話だ。
断る理由がない。
……だが、一つだけ大きな問題がある。
「ここは居酒屋だ。当然、酒も出るし粗暴の荒い客も来る。それは分かってるよな?」
「もちろんです」
「だったら、尚更だ。君みたいな小さな子どもを深夜まで働かせるわけにはいかないよ」
この世界の法律がどうなっているかは詳しく知らない。だが、十代前半にしか見えない彼女を深夜まで働かせるのは、俺の心情としてさすがに気が引けた。
従業員として働いていれば、先日のエリシアみたいに客同士の喧嘩に巻き込まれる危険性もあるしな。
万が一なにかが起こったら、ハンナの親御さんにも顔向け出来ない。
「だから……もう少し大きくなってから、来てくれるか? せめて成人になってから──」
「えっ!? ち、違います!」
断ろうとした俺の言葉を遮るように、ハンナが慌てて顔を上げた。
「わたし、子どもじゃありません! こう見えても成人……十八歳です!」
「へ?」
思わず、俺はポカンと口を開けてしまった。
客席からも、「マジかよ!」「十二、三歳くらいにしか見えなかったぞ!」と驚きの声が飛ぶ。
「じゅ、十八歳って……マジか?」
「マジです! わたし、ちょっと身長が伸びなくて、子どもっぽく見られることもあるんですが……こ、この国の身分証もあります! なんの問題もありません!」
と胸を張るハンナ。
なるほど……ただ見た目が子どもっぽかっただけらしい。
この国では人間だろうが獣人族だろうが、十八を越えれば一人前と認められ、お酒を飲むことも許可される。
ちょっと自分に自信がなさそうなところは気になるが……ともあれ、このまま一人で店を回し続けるのにも限界を感じていた。これも何かの縁だろう。
それに──こんな健気に頼み込んでくる彼女を無碍に追い返すことなんて、俺には出来なかった。
少し考えてから、
「……分かった」
ゆっくり頷くと、ハンナがパッと表情を明るくした。
「じゃあ……!」
「ああ。とりあえず、お試しで従業員として働いてみてもらうことにしよう。最初は皿洗いや注文取りから少しずつ覚えていけばいい。分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくれればいいから」
「ほ、本当ですか……っ!」
ハンナの頭の上の獣耳がピクピクと嬉しそうに動き、尻尾も千切れんばかりに左右に振られ始めた。
全身で喜びを表現するその姿は、前世で飼っていたペットの犬のようで、なんとも微笑ましい。
「ありがとうございます、タクミさん! わたし、一生懸命頑張りますから!」
「期待してるよ。だが、そう意気込まなくても大丈夫だからな。君は君らしく、自分のペースでやってくれればいい」
「はい! 一生懸命自分らしく働きます!」
俺の言わんとしようとしていることが、ちょっと分かっていなさそうだったが、ハンナはハキハキと元気よく答える。
深々と頭を下げるハンナに、客席からも「おめでとう!」「看板娘の誕生だな!」と温かい拍手と歓声が巻き起こった。
「じゃあ、今日はそろそろ店を閉める時間だし、こっちにも準備がある。明日──夜の営業が始まる少し前に、もう一度ここに来てくれるか?」
「分かりました!」
ハンナは右手を額に当て「ラジャー」のポーズを作ると、くるっと踵を返して店を出ていく。
しかし、勢いがよすぎたのか、入り口の柱に額をぶつけて「はうぅっ!」と可愛らしい悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫か?」
「は、はい……なんのこれしき。こういうのは慣れっこなので、気にしないでください」
ハンナは恥ずかしそうにペコリと一礼してから、今度から店から出て行った。
──ドジっていうのは本当みたいだな。
だが、なんにせよ、『よりみち亭』に新しい風が吹きそうだ。
走っていく彼女の後ろ姿を見ていると、俺はそんな予感に自然と笑みを零すのであった。
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