11・氷の令嬢の居場所
「調子に乗るんじゃねえよ!」
「それはお前の方だろうが!」
店内の奥で、男二人が胸ぐらを掴み合い、今にも殴りかからんばかりの剣幕で睨み合っている。
どうやら酒の勢いで口論になり、ヒートアップしてしまったみたいだな。
周囲の客たちは巻き込まれないよう、慌てて自分のジョッキや皿を持って距離を取る。
「おいおい、店の中で暴れるのは勘弁してくれよ」
俺は慌てて持っていたグラスを置き、カウンターから飛び出して二人の仲裁に入った。
「落ち着けって。せっかくの酒が不味くなるぞ。な?」
「うるせえ! 大将はすっこんでろ!」
「そうだ! こいつの面を一発ぶっ飛ばさねえと気が済まねえんだよ!」
ダメだ……なんで喧嘩してるのかは知らないが、頭に血が上ってしまっている。
男たちは、まともに取り合おうとしなかった。
「どうしたものか……」
自警団を呼ぶか? ──いや、所詮は酒の席だ。あまり大事にはしたくない。
どうしようかと考えていると……。
「──いい加減になさい!」
店内の喧騒を真っ二つに切り裂くような、凛とした鋭い声が店内に響き渡った。
「エ、エリシア?」
声の主に顔を向けると、なんとエリシアがカウンター席から立ち上がり、手元のグラスをドンッ! とテーブルに置いたではないか。
彼女はそのまま、ゆっくりと、それでいて堂々と喧嘩をしている男たちの方へ歩み寄る。
「な、なんだ姉ちゃん。口出しする気か……?」
男の一人が凄んで見せるが、エリシアは一歩も引かない。
今のエリシアには、先ほどまでビアカクテルを飲んでふにゃりと笑っていた面影は微塵もなかった。
背筋をピンと伸ばし、冷ややかな視線を男たちに向ける彼女の姿に、男たちも気圧されているよう。
「せっかくの美味しいお酒と料理が、あなたたちのくだらない諍いのせいで台無しよ」
エリシアの声は冷たく、そして静かな怒りを孕んでいた。
「それに、美味しい食事を提供してくれている店主に迷惑をかけるなんて、言語道断。恥を知りなさい」
「だ、だが……」
「こいつが……」
「『だが』でも『こいつ』でもない! 言い訳しない!」
腕を組んで、ぴしゃりと言い放つエリシア。
「ここでこれ以上、他のお客さんや店主のタクミに迷惑をかけるつもりなら、このエリシア・グランフォードが受けて立つわ。少し頭を冷やしなさい!」
エリシアは、鋭い眼光で男たちを見下ろす。
その迫力と気迫を前にして、男たちは完全に縮み上がってしまった。
「ひ、ひいっ……!」
「す、すんませんした……!」
彼らは慌てて掴み合っていた手を離すと、そそくさと倒れた椅子を直し、おとなしく席に座り直した。
俺に対しても、「悪かった……」と小さく頭を下げる始末だった。
一触即発だった空気は、エリシアの一喝で嘘のように霧散してしまったのだ。
「ふう……全く。せっかく、人が気分よくお酒を飲んでるのに……これでゆっくり出来るわ」
エリシアは満足げに息を吐き、自分の席へと戻ろうとして──ハッと足を止める。
「あ……」
静まり返った店内。
自分に集まる、周囲の客たちの視線。
その状況を理解した瞬間、エリシアの顔からスッと血の気が引き、次にボンッと爆発するような勢いで真っ赤に染まった。
「わ、私ったら……こんな大勢の前で、なんてことをしてしまったのかしら……!」
このようにして人前で感情を露わにして声を荒らげるなど、今までなかったんだろう。
それでも喧嘩を見過ごせなかったのは、エリシアの生まれ持った正義感と、アルコールで気が強くなっていることに由来しているかもしれない。
自分の過ちに今更ながら気づき、エリシアは恥ずかしそうに両手で顔を覆い隠してしまった。
「ご、ごめんなさい……私、酔ってるみたいで……も、もう帰るわね……」
恥ずかしさのあまり、居たたまれなくなって足早に店を出ようとするエリシア。
だが。
「すごかったな……」
ぽつりと。
客の一人がそう声を零した。
「え……?」
「全くだ! すげえ迫力だったな!」
「姉ちゃん、見かけによらず意外と男前じゃねえか!」
驚いて振り返るエリシアに向かって、客たちは次々とジョッキを掲げる。
「いやあ、いつも一人で静かに飲んでるし、あまりにもキレイすぎるから、なんだか話しかけにくかったんだよな!」
「ってか、あなた、最近この町に引っ越してきたグランフォード公爵家の令嬢さんだったの? まさかこんな居酒屋にいるとは思わなかったから、気づかなかった!」
「オレ、貴族ってみんな気取ってるだけだと思ってたが……そうじゃないヤツもいたんだな。姉ちゃん! 今日はオレたちの席で一緒に飲もうぜ!」
「そうだそうだ! アタシもエールをご馳走してあげるわ!」
エリシアに浴びせられるのは、非難でも嘲笑でもない。
男も女もみんな、明るい賞賛の声と拍手を彼女に送っていた。
ここに集まる連中は、たまにアルコールが回って喧嘩をおっ始める悪いところもあるが、基本的に気さくで単純だ。
エリシアの凛とした振る舞い。そして、その後の可愛らしい照れ隠しを見て、すっかり彼女のことが気に入ってしまったのだろう。
先ほど喧嘩をしていた男たちまで、「お詫びに奢らせてくれ」と、申し訳なさそうにジョッキを持って近付いてくる。
「あ、あの……えっと……」
エリシアの常識からしたら、先ほどの行いは非難されるべきことだったのだろう。
だが、そうはならなかった。
予想外の歓迎ぶりに、目を白黒させて戸惑っている。
「タクミ……」
「ん? どうしたらいいか、迷ってるのか? そんなの──答えは決まってるじゃないか」
迷っている彼女に、俺は優しくそう声をかける。
「ここにいる連中は、みんな貴族とか平民とか、つまらないことは考えない。田舎育ちだしな。だから……お前の好きなようにすればいいんだ」
「ええ……!」
背中を軽く押してやると、エリシアはこれまで見せたことのないような、少しはにかんだような自然な笑顔を見せる。
「だったら、お言葉に甘えさせてもらおうかしら。本当にありがとう、タクミ。あなたのおかげよ」
なんで俺にお礼を言うんだ?
そう疑問に思ったが、問いを発する猶予も与えられず、エリシアはみんなの元へ駆け寄ってしまった。
「おおっ! よし、こっちの席が空いてるぞ!」
「大将! 姉ちゃんの分の酒と、唐揚げの特大盛りを追加で頼むぜ!」
「ちょっと、男たち! あんまりエリシアちゃんに、馴れ馴れしく近づかない! ボディータッチでもしたら、アタシが承知しないんだから!」
あっという間に客たちの輪に引き込まれ、賑やかなテーブルの真ん中でグラスを合わせるエリシア。
彼女は少し戸惑いつつも、気さくな町の人々との会話を楽しんでいるようだった。
「よかったな、エリシア」
俺はカウンターの向こうからその光景を眺め、ほっと安堵の息を吐く。
今まで、彼女を一人でポツンとさせてしまっていることが気がかりだった。
だが、どうやらその心配はもう必要なさそうだ。
「よーし、追加の注文が山ほど入ったな。気合いを入れて作ってやるか!」
俺は腕まくりをして、再び熱気のこもる厨房に入る。
店内に響き渡る客たちの笑い声。そして林檎の甘い香りが、『よりみち亭』を温かく包んでいた。
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