勇者ガイウスとヒュドラ
三日後の早朝。リベルタの北門前は、出発前の慌ただしさに包まれていた。
まだ朝靄の残る石畳の上に、荷馬車が二台並んでいる。食料や野営道具、予備の武具が山のように積み上げられ、その周りをガイウスのパーティーの面々が忙しなく行き来していた。御者台では、評議会に雇われた御者が二人、退屈そうに欠伸を噛み殺している。
今回の依頼は、商会評議会が公式に後援する「ガルム渓谷の異常調査および魔物討伐」だ。ここ一月、渓谷から下りてくる魔物のせいで北の街道が荒れ、荷を運ぶ隊商の足が止まっている。評議会は「渓谷の主が目覚めたことが原因」と発表し、その主を討つ英雄として、ガイウスの名を大々的に掲げていた。
俺たちが受けたのは、その遠征の「後方支援」という枠だ。仕事は補給路の警備と野営の補助。ギルドの受付で依頼書を見せてもらった時、条件が妙に曖昧だったのを覚えている。……まあ、同行できればそれで十分だけどね。
そんな一行の中心、荷馬車の前では、深紅のマントを翻しながら、金色の胸当てを身につけた男が腕を組んでいる。
「遅いぞ、荷物持ち! 勇者である俺様の出立を待たせるとは何事だ!」
「す、すみません、ガイウスさん! 積み込みの最終確認をしていて……」
アーロンが両腕いっぱいに革袋を抱えて駆け寄ってくる。背にはいつもの剣と盾。その上から、さらに大きな背嚢まで背負っていた。どう見ても、一人で運ぶ量ではない。
(……ふーん。あれ、全部アーロンが一人で積んだのか)
荷馬車の積み荷は整然と固定され、重量の偏りもなく、取り出しやすい順序で並べられていた。誰が見ても手慣れた仕事だ。それを「遅い」の一言で切り捨てるのだから、ガイウスという男の器は知れたものである。
「おや、そちらは?」
ガイウスが、ようやく俺たちに気づいた。上から下まで舐めるような視線が、俺、五明丸、ロイドと順に流れ、ケイトのところでぴたりと止まる。
「ほう……。ずいぶんと美しい娘がいるではないか」
「ギルドの依頼で、後方支援として同行させていただく者たちです。足手まといにならぬよう努めます」
ケイトが完璧な微笑みで会釈をした。声の温度は、普段より明らかに低い。
(……あ、これ、地雷踏んだね)
隣のロイドが、小声でぼそりと呟いた。
「やべぇ。兄貴、ケイトの姉貴の目、笑ってねぇぞ」
「見ないふりをしておくのが得策かと」
五明丸が涼しい顔で頷く。
当のガイウスは、そんな空気に気づく様子もなく、胸を張った。
「後方支援? ふん、C級以下の冒険者どもか。我がパーティーの足を引っ張るなよ。勇者ガイウスである俺様の活躍を、特等席で拝ませてやる。ありがたく思え」
「……へいへい。ありがてぇこって」
ロイドが引きつった笑顔で返す。奥歯がぎりぎりと鳴っているのが、横にいる俺にまで聞こえた。
パーティーの構成は、ガイウスを含めて五人。槍使いのバルド、弓使いのミーナ、魔術師のドルン。いずれも腕は悪くなさそうだが、どこか緊張感に欠け、ガイウスの機嫌を窺うような目つきをしていた。足運びや武器の握りを見る限り、街の腕自慢といった程度。「勇者のパーティー」を名乗るには、少々心許ない。
そして、もう一人。
列の端に、灰色のローブをまとった痩身の男が立っていた。三十代半ばだろうか。細い目に、貼りつけたような愛想笑いを浮かべている。
「商会評議会より、討伐の記録係として同行いたします、ネヴィルと申します。どうぞ、お見知りおきを」
足元には、鍵付きの木箱が一つ置かれていた。人の頭ほどの大きさで、荷馬車には積まず、男は自分の傍らから離そうとしない。
「記録係?」
「ええ。勇者様の偉業を、正確に後世へ残すのが私の務めにございます」
ネヴィルは恭しく頭を下げた。
……その瞬間。
朝日が差し込む石畳の上で、男の足元に落ちた影が、ほんの一瞬だけ濃く揺らいだ気がした。
「…………」
瞬きをすると、影は何事もなかったように普通の形に戻っている。
(気のせい……かな。朝靄で光の加減がおかしかっただけだよなぁ)
そう思いながらも隣を見ると、五明丸とロイドが揃って目を細めていた。
「……兄上」
「ああ、聞こえてる。後でな」
小声のやり取りを悟らせないよう、俺は大きく伸びをして、のんびりと欠伸をしてみせた。
◇
目的地の「ガルム渓谷」は、リベルタから北へ、荷馬車の足で丸一日ほどの距離にある。
街道を外れて山道へ入ると、道幅は次第に狭まり、両脇に切り立った岩壁がそびえ始めた。吹き抜ける風には、湿った土と苔の匂いが混じっている。昼を過ぎる頃には、ところどころに白い霧が漂い、視界を淡く霞ませていた。
先頭はガイウスたち。その後ろに荷馬車、さらにその後方を、俺たち四人が一定の距離を保ってついていく。
道中、気になることが一つあった。鳥の声が、しないのだ。
山道なら本来、小鳥のさえずりや虫の羽音が絶えず聞こえるはずなのに、渓谷に近づくほど、それがぱたりと途絶えていく。先頭の荷馬車の馬も、何度か首を振って足を止め、御者が鞭を鳴らして宥めても、耳を伏せたままだった。
「獣たちが怯えているようでございますな。この先に、よほどの何かがおるのでしょう」
五明丸が、低く呟いた。
そして、アーロンは――
「ガイウスさん、この先の道、崩落の跡があります。右側の岩棚を迂回した方が安全です」
「ふん、貴様に言われずとも分かっておる!」
先頭近くで斥候役を黙々とこなしながら、怒鳴られては頭を下げている。その背中には、相変わらず山のような荷物があった。
ちなみに、アーロンの進言通りに道を変更したパーティーは、直後に響いた崩落音を背に、無事に難所を抜けた。当然のように、ガイウスは「俺様の勘が当たったな」と胸を張っていた。
「……なあ兄貴。俺、あの勇者様、一発殴っていいか?」
「やめときなよ。ロイドの一発だと、あのぼんくら勇者の頭なくなるでしょ……それに、アーロンに迷惑がかかるよ」
「ですが、お兄さま。あの方、今の発言だけで三度、アーロンの功績を横取りしています。私、数えてました」
「……ケイトも数えなくていいから」
……後方組の空気は、おおむね、こんな感じだった。
◇
日が傾き始めた頃、一行は渓谷の入口手前に広がる平地で、野営の準備に取りかかった。
アーロンの動きは、まるで流れる水のようだった。荷馬車から天幕の支柱を降ろし、地面を均し、火を起こす薪を集め、水場の確認を済ませる。気づけば、他のメンバーが一息つく頃には、全員分の寝床と焚き火が整っていた。
俺たち後方組は、ガイウスたちの野営地から百歩ほど離れた岩陰に陣取った。焚き火の明かりがぎりぎり届く距離で、パーティーの様子も、荷馬車の動きも見渡せる。見張りは交代制だ。
「勇者様、本日の夕食です」
「うむ、ご苦労。……おい荷物持ち、肉が硬いぞ!」
「す、すみません。次はもっと丁寧に煮込みます」
アーロンは、また頭を下げた。
その様子を遠目に眺めていたケイトが、静かに立ち上がる。
「お兄さま。少しだけ、アーロンを手伝ってまいります」
「ん? ああ、うん。……無表情で行くのやめなよ? 怖いからさ」
「まあ、お兄さまったら。私はいつも通りの顔ですよ」
微笑んだまま歩いていくケイトの背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
しばらくして、アーロンと並んで鍋をかき混ぜるケイトの姿が見えた。ケイトが何かを耳打ちするたびに、アーロンが目を丸くして頷いている。
(……あの調子だと、明日からのアーロンの食事が、ちょっと豪華になるかもしれないね)
焚き火の火が、ぱちぱちと小さく弾ける。
夜の帳が下りた渓谷の入口は、昼間とは打って変わって、深い静寂に包まれていた。岩壁の隙間から吹き込む風が、低く唸るような音を立てている。
「……なぁ、アーロン」
見張りの交代時間、俺は焚き火の傍で薪をくべていたアーロンの隣に腰を下ろした。
「ガイウスたちのパーティーに入ったのは、いつからなの?」
「ひと月ほど前です。ポーターの募集に応募したんですけど、他の冒険者さんには断られてしまって。その時に、ガイウスさんだけが『荷物を運べるなら誰でもいい』って、声をかけてくれたんです」
アーロンは、揺れる炎を見つめながら静かに笑った。
「口は悪いですけど、あの時の仕事は、本当にありがたかったんです。見習いの僕には、依頼を受けること自体が難しいので」
「……そっかぁ」
それ以上、言葉は継げなかった。
恩義を感じているのだ。扱いがどれだけ雑でも、最初に手を差し伸べてくれた相手に、アーロンは律儀に義理を通している。そういう子だった。
「あ、そうだ。兄さん、一つだけ、気になっていることがあるんです」
「ん?」
「ここ一月、渓谷の魔物が変なんです。普段は巣穴の奥で静かにしているはずの魔物が、次々と人里近くまで下りてきて。まるで、何かに追い立てられているみたいに」
アーロンは、渓谷の奥へと視線を向けた。
「夜になると、渓谷の奥から変な匂いがするんです。甘ったるくて、鼻の奥に残るような……それから、赤い光がちらちら見える日もあって」
「赤い光?」
「はい。魔物の眼の光かとも思ったんですけど、少し違う気がして」
アーロンは、そこで少しだけ言い淀んだ。
「それと……ガイウスさんの討伐の前には、必ずネヴィルさんが一人で先に現場へ行くんです。『下見です』って。ただ、偶然だと思っていたんですけど……」
焚き火の炎が、ふっと揺れた。
甘い匂い。血走った眼。追い立てられる魔物。そして、毎回先回りする記録係。
……五明丸たちが追っている話と、また一つ、輪郭が重なっていく。
(……ま、興味ないんだけどさぁ。これは、ちょっと放っておけないかもね)
そう思った、その時だった。
「兄上」
闇の中から、五明丸とロイドが足音もなく戻ってきた。
◇
「何か、見つけた?」
焚き火を囲んで声を落とすと、五明丸が短く頷いた。
「ネヴィルなる男。夜半、天幕を抜け出し、渓谷の奥へ向かっておりました。気配を殺して追ったところ、岩陰で足を止め、何かを撒いておりまして」
「撒いてた?」
「ああ。小瓶から、黒っぽい液体をな」
ロイドが腕を組んだまま、顔をしかめる。
「その液が地面に染み込んだ途端、紫がかった花弁のような模様が一瞬浮かんで、消えやがった。ありゃ普通の薬じゃねぇ」
「それって……」
「おそらく、黒蓮の抽出液かと。某の目には、確かにそう見えました」
五明丸の声は、低く、抑えられていた。
「問い詰めようとしましたが、あの男、某たちに気づくと、闇に溶けるように姿を消しまして。……足音も、気配も、一瞬で途絶えたのです」
「人間業じゃねぇ、ってのが俺の感想だな。ただの商会の記録係が、あんな消え方できるわけがねぇ」
ロイドの言葉に、俺とケイトは顔を見合わせた。
影の揺らぎ。灰色のローブ。消えた気配。
……魔族、という単語が頭の隅をかすめる。
「ただ、まだ断定はできませぬ。人の身で、特別な魔導具を使った可能性も残っておりますゆえ」
「うん。ひとまず、確証が取れるまでは、決めつけないでおこうか」
そう答えながらも、胸の奥に冷たいものが沈んでいくのを感じた。
頭の中で、これまでの断片を並べ直してみる。
ネヴィルが先回りして黒蓮の液を撒き、魔物を興奮させて街の近くへ誘い出す。そこへガイウスが出向き、「討伐」を演出する。評議会はそれを「勇者の偉業」として宣伝し、民の期待と後援金を集める。――筋は通る。筋が通ってしまうのが、また腹立たしい。
ただ、それだけなら腕のないガイウスには荷が重すぎる。実際に興奮した魔物を倒す「誰か」が、どこかにいたはずなのだ。
その「誰か」が誰なのかは、考えるまでもなかった。
「あ、あの……兄さんたち」
背後から、おずおずとアーロンの声が聞こえた。慌てて振り返ると、アーロンが毛布を抱えたまま立ち尽くしている。
「ネヴィルさんが、何か……?」
「あー……聞こえちゃってたか」
俺は頭を掻いた。隠しても仕方がない。
「アーロン。あの記録係、ちょっと怪しいかもしれない。それと、ガイウスのこれまでの討伐も、全部、仕込みだった可能性が出てきた」
「仕込み……」
アーロンは、言葉を失ったように立ち尽くしていた。
「魔物をわざと興奮させて、人里へ誘い出して、ガイウスに討たせる。そういう茶番をやっていたんじゃないかってこと」
「…………っ」
アーロンの瞳が大きく揺れた。
メガネの奥で、何度も瞬きを繰り返す。やがて、小さく、絞り出すように言った。
「……僕が、斬った岩背蜥蜴も……」
「おそらく、同じだね」
「それなら、僕は――」
アーロンは唇を噛んだ。握りしめた拳が、白くなっている。
「僕は、街の人を守るために戦っているつもりで……結局、誰かの茶番に、手を貸していたことになるんでしょうか」
痛々しい声だった。
俺は少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「違うよ、アーロン」
「え……?」
「茶番を仕組んだのは、ガイウスと、その後ろの連中だ。アーロンは、襲われた人たちを守るために、剣を抜いた。その結果、誰かが助かった。それは、事実だろ?」
アーロンは顔を上げた。
「だったら、アーロンが背負う必要はない。むしろ、これからだよ」
「これから……?」
「そう。この茶番の、後始末をつけるのは」
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
アーロンは、しばらく黙って炎を見つめていた。握りしめていた拳から、少しずつ力が抜けていく。
やがて顔を上げると、いつもの穏やかな表情に、静かな決意を滲ませて頷いた。
「……はい。僕、最後まで、見届けます」
その言葉に、五明丸が小さく目を細めた。
「その意気にございます、アーロン」
「ま、困ったら俺たちがいるからよ。思いっきりやれ」
ロイドがアーロンの頭をゴシゴシと撫でる。メガネが、またずれた。
◇
翌朝。
渓谷の奥へと進むにつれ、岩壁は高さを増し、頭上の空は細い帯のようになっていった。足元には、巨大な胴を引きずったような幅広の跡が、岩肌を削りながら奥へと続いている。ところどころ、毒液でも滴ったのか、岩が黒く爛れ、酸のような刺激臭が鼻を刺した。普通の魔物が残すものとは、明らかに規模が違う。
やがて道が開け、渓谷の最奥にある広い窪地へ出た。
底には、淀んだ緑色の沼が広がっている。水面にはぷくぷくと泡が浮き、腐臭にも似た甘い匂いが、風に乗って鼻先をかすめた。……アーロンが言っていた、あの匂いだ。
俺たち後方組は、窪地を見下ろせる岩棚に陣取った。何かあれば、すぐに動ける距離だ。アーロンの戦いに、むやみに手は出さない。ただ、いざという時のために、重心だけは前に置いておく。
窪地の縁では、先頭を行くガイウスが、得意げに声を上げた。
「見よ! この跡の主こそ、渓谷の底の毒沼に棲まう、九つの首を持つ怪物、ヒュドラだ! 今日こそ、勇者ガイウスの手で、仕留めてくれよう!」
その横で、ネヴィルが恭しく頭を下げる。
「勇者様、準備は整っております。例の場所に、すでに誘き出してございます」
「うむ、ご苦労! では――貴様ら、手出しは無用だ。この俺様が、華麗に決めてくれるわ!」
バルドたちが、顔を見合わせながら、じりじりと後ろへ下がっていく。ネヴィルもいつの間にか、木箱を抱えたまま一行の最後尾へ退いていた。
(……ああ、やっぱり、そういうことだよねぇ)
岩影の向こうから、無数の蛇が一斉に息を吐くような、湿った音が響いてきた。
シャアアア、という幾重にも重なる威嚇音。そして、地面を這い、のたうつ巨体の重みが、足元の岩盤をずしん、ずしんと揺らす。
アーロンが無言で盾を構え、剣の柄に手をかけた。その横顔には、さっきまでの迷いはなかった。
渓谷の奥から、幾つもの首が一斉に放つ咆哮が、岩壁を震わせて轟いた。




