勇者
アーロンの返事に、ロイドは「おうおうおう」と満足げに頷き、豪快にフォークでケーキを口へ放り込んだ。あの大きな口なら、皿の上のケーキは三口ももたないだろう。
「ただ、その……一つだけ、お願いがあるんです」
アーロンが、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げて切り出した。
「次の遠征の依頼を、すでに受けてしまっていて。三日後に出発する依頼なので、それが終わるまで待っていただけないでしょうか。途中で投げ出すのは、どうしても嫌なんです」
「遠征? さっき言ってた、上のランクの冒険者が受ける魔物退治……ってやつかな?」
「はい。ガイウスさんの隊で……ポーターをしていて」
ガイウス。聞き慣れない名前に俺が首を傾げた、その時だった。
隣の席から、やたらと弾んだ声が耳に飛び込んできた。
「聞いたか? 昨日の勇者様の凱旋!」
「見た見た! 岩背蜥蜴の首を、たった一太刀で落としたんだってな!」
「やっぱり本物の勇者様だよ、ガイウス様は。これでリベルタも安泰だ」
商人風の男たちが、身を乗り出して盛り上がっている。ケーキを楽しむ客たちの間でも同じ話題が囁かれているらしく、店内のあちこちから「勇者」という単語が漏れ聞こえてきた。
(勇者、ね……。万能勇者を目指してビルドしたアーロンが目の前にいるけど、この世界にも勇者がいるんだねぇ)
妙な偶然もあったものだ、と思いながら視線を戻すと、アーロンのカップを持つ手が、ぴたりと止まっていた。
メガネの奥の瞳が、そっと伏せられる。さっきまで輝いていた表情に、ほんの少しだけ影が差した。
「あはは……すごい人気ですよね、ガイウスさん」
取り繕うような、ぎこちない笑顔だった。
「アーロン、勇者っていうのは?」
「え、ええと……一月ほど前から、リベルタの近郊に大型の魔物が頻繁に出るようになったんです。それを次々に討伐したのが、B級冒険者のガイウスさんで。評議員のベルモンドさんが後援について、いつの間にか『勇者』と呼ばれるようになりました。僕は、その隊でポーターをしているんです」
アーロンは、そこまで一気に話すと、慌てたようにお茶を口に運んだ。
(……話し方が、明らかに早口だよね。何かを隠しているというより、何かを言わないようにしている、といった感じかなぁ)
そう考えて隣を見ると、ケイトが紅い瞳をわずかに細めていた。にこやかな微笑みは崩していないが、その視線はアーロンの横顔を静かに観察している。
(お兄さまの前で、何かを隠そうとするなんて……ふふ、いい度胸ですね、アーロン)
……なんだろう。ケイトの微笑みが、ほんの少しだけ怖い。
「まあ、まずは街の様子を見てみよっか。その勇者様とやらも、ちょっと拝んでみたいしね」
「あ、でしたら、ちょうど今日の午後に、中央広場で凱旋の式典があるはずです。ご案内します!」
アーロンは、ほっとしたように立ち上がった。
◇
リベルタの中央広場は、人、人、人で埋め尽くされていた。
王都の大通りも賑やかだったが、ここの熱気は、また質の違うものだ。多種族の人々が入り乱れ、獣人の子供が大人の肩車に乗って身を乗り出し、ドワーフの職人が杯を片手に歓声を上げている。揃いの腕章をつけた商会の使用人たちが人混みの整理に走り回り、屋台の売り子たちは、普段の何倍もの声を張り上げていた。
広場の中央には、急ごしらえの壇が設けられている。その背後には、大きな布が掛けられた何かが据えられていた。
「ここからなら、よく見えますよ」
アーロンが案内してくれたのは、広場の隅にある荷車の陰だった。人波から少し外れた、見晴らしのいい位置だ。
やがて、広場の入り口の方から、ひときわ大きな歓声が上がった。
「勇者様だ! ガイウス様が来たぞ!」
人垣が割れ、その間を一人の男が悠然と歩いてくる。
金色に磨き上げられた胸当て。肩から翻る深紅のマント。腰には、柄に宝石をあしらった長剣が下がっている。歳は二十代後半といったところか。整った顔立ちで、髪は丁寧に撫でつけられ、周囲の声援に片手を上げて応える仕草も、妙に堂に入っていた。
絵に描いたような「勇者」の姿だった。むしろ、絵に描いたようすぎて、どこか舞台役者めいている。
「見た目は立派だな。……見た目は」
ロイドが、腕を組みながら小声で呟いた。
男の後ろには、揃いの装備をまとった数名の冒険者が続いている。誰もが胸を張り、群衆の歓声に手を振って応えていた。
(……その列のどこにも、アーロンの姿はない……まぁ、俺たちの横にいるしなぁ)
隣のアーロンは、広場の熱狂をどこか遠い目で眺めていた。
「アーロンの仕事は、あのパーティーについていくことだったんだよね?」
「は、はい……。でも、凱旋の時は、荷物持ちは広場には入れないんです。式典の格式がどうとか、ガイウスさんが仰っていて」
「へぇ……」
つまり、遠征の間は荷物を運び、現場で働いて、街に戻ってきた途端に閉め出されるというわけか。
……なるほど、なるほど。
壇上に上がったガイウスが、片手を高く掲げた。それだけで、広場のざわめきが波の引くように静まっていく。
「リベルタの民よ!」
朗々とした声が、広場に響き渡った。
「我が剣は、この街を脅かす魔物を許さぬ。先日、街道を荒らしていたロックドレイクを、この手で討ち果たした。ここに、その首をお見せしよう!」
背後の布が、勢いよく引き剥がされた。
現れたのは、巨大な魔物の首だった。
人の背丈ほどもある頭部。硬質な鱗に覆われた顎。閉じられた瞼の下で、既に光を失った瞳が、どろりと濁って見える。広場から、どよめきとも悲鳴ともつかない声が上がった。
「うおおお……! あのデカいのを一撃って、マジかよ!」
「さすが勇者様だ!」
割れんばかりの喝采の中、俺はふと、隣のロイドと五明丸の様子がおかしいことに気づいた。
二人とも、笑っていない。
ロイドは眉間に皺を寄せ、魔物の首の断面をじっと睨んでいる。五明丸も目を細め、同じ一点を見据えていた。
「……なあ、五明丸の兄貴」
「ああ。見れば分かる」
二人が、声を潜めて言葉を交わす。
「あの傷、長剣のもんじゃねぇな。片手剣、それも標準的な長さの剣で斬ったような断面だ。だが、振りの速さが尋常じゃねぇ。一振りで骨ごと断ってやがる」
「某も同じ見立てだ。それに……」
五明丸の視線が、壇上のガイウスの腰へと移る。
「あの宝石飾りの長剣。刃こぼれ一つなく、血の跡一つ見当たらぬ。少なくとも、あの魔物を斬った剣ではあるまい」
「だよなぁ。おまけに、あの男の立ち姿だ。足の運び、肩の力の入り方。あれでロックドレイクを一太刀で仕留めたなんて、笑い話にしかなんねぇぜ、まったく」
(……さすが、『王国の双剣』かな。ずっと遠くから眺めているだけなのに、見るべき場所をしっかり見ているねぇ)
俺は、思わずアーロンの方を窺った。
アーロンは唇をきゅっと結び、膝の上で拳を握りしめていた。壇上に目を向けたまま、視線を動かそうとしない。
「それと、もう一つ」
五明丸が、低く続けた。
「あの魔物の眼、濁り方が尋常ではない。某の知るロックドレイクは、本来、人里近くまで下りてくるほど荒ぶる性質ではなく、巣穴にこもる大人しい魔物のはずだ」
「……ああ。昨日の今日で、嫌な話を思い出したぜ」
ロイドの声が、わずかに低くなった。
「眼が血走って、闘争本能が異常に昂ってる。スタンピードの時と、同じ匂いがしやがる」
その一言に、俺とケイトの視線が、思わず合った。
黒蓮。魔物の闘争本能を強制的に昂らせる薬。
まさか、こんなところで、その名前に繋がりそうな話が出てくるとは思わなかった。
(……いやいや、決めつけるのは早いんじゃないかな。ただの偶然かもしれないしさぁ。そもそも、俺の目的は兄弟探しと、のんびり旅を続けることなんだから)
そう自分に言い聞かせながらも、ほんの少しだけ、嫌な予感が胸の隅に居座っていた。
◇
式典が終わり、人波が引き始めた頃。
俺たちは、アーロンの案内で、海沿いの通りにある小さな宿に部屋を取った。『海鳴り亭』という名前の、年季の入った宿だ。看板は潮風で色褪せているが、掃除は隅々まで行き届いていて、窓を開ければ波の音がすぐ近くで聞こえる。
アーロンの知り合いが営んでいるらしく、女将さんは「アーロンちゃんのお兄さんたちなら、一番いい部屋を安くしとくよ」と、大きな声で笑っていた。
荷物を置いた後、俺は宿の裏手にある小さな桟橋へ、アーロンを連れ出した。
夕暮れの海は、橙と紫が溶け合ったような色に染まっている。打ち寄せる波の音が、昼間の喧騒を洗い流すように響いていた。桟橋の杭に腰を下ろすと、湿った木板から、ほんのり潮の匂いが立ち上った。
「アーロン」
「は、はい」
「勘違いだったら、悪い。今日の勇者が持ってきたロックドレイクの首……あれを斬ったの、アーロンだよな?」
アーロンの肩が、びくりと跳ねた。
しばらく、沈黙が落ちた。波の音だけが、規則正しく二人の間を行き来する。
やがて、アーロンは観念したように、ふっと息を吐いた。
「……やっぱり、兄さんには分かってしまうんですね」
力なく笑うと、アーロンは膝の上で指を組んだ。
「ロックドレイクは、パーティーが野営しているところに、突然、襲ってきたんです。ガイウスさんたちはパニックになって……。僕は荷物を守るために、一番前にいて。剣を抜いちゃいました」
「その場で、倒しちゃったんだな」
「はい。……でも、ガイウスさんが言ったんです。『これは、俺様の手柄にするぞ』って。それが、評議員のベルモンドさんにとっても、街にとっても都合がいいからって」
アーロンは、桟橋の木板をじっと見つめていた。
「僕は、見習いの冒険者で、ポーターです。名前も知られていません。そんな僕が『倒しました』と言っても、誰も信じてくれないでしょう。それに……」
顔を上げたアーロンの瞳には、迷いと、それを振り切ろうとする強さが同時に宿っていた。
「街の人たちが、『勇者様がいる』と思って、安心して笑ってくれるなら、それでいいんです。誰が倒したかなんて、本当は大した問題じゃありません」
「……アーロン」
「あ、でも、ちょっとだけ悔しいんです。正直に言うと」
アーロンは、困ったように頬を掻いた。
「それから、もう一つ。僕、あと少しで成人の日を迎えるんです。そうしたら、正式に冒険者として登録できます。見習いのままじゃできないことも多いので……それまでは、じっと我慢しようって」
聞けば聞くほど、アーロンらしい理由だった。誰かの手柄を羨むでも、自分の名を売りたいわけでもない。ただ、目の前の人たちが安心して暮らせることを、いちばんに考えている。
……まっすぐすぎて、見ているこっちが心配になるほどだ。
(これはまた……ずいぶん、お人好しに育ったねぇ)
ふと、背後から足音が近づいてきた。
「兄上。お話は、お聞かせいただきました」
五明丸が、ロイドとケイトを伴って桟橋の入口に立っていた。
「アーロンよぉ~」
ロイドが、腕を組んだまま静かに言った。
「お前の気持ちは分かった。でもよ、一つだけ言わせてくれ。……偽物の勇者のパーティーに、もう一度ついてくのは危ねぇんじゃねぇか?」
「危ない、ですか?」
「あの魔物の眼、ありゃ普通じゃなかった。それに、あの男は剣もろくに振れねぇだろうな。次に、もっとでけぇのが出たら、守られる側にいなきゃいけねぇのは、あいつの方だぜ」
アーロンは、一瞬、言葉に詰まった。
「でも……約束した依頼ですから」
「分かってるって。だから、止めはしねぇよ」
ロイドはにやりと笑って、俺の方を振り向いた。
「なあ、兄貴。そういうわけで――その遠征、俺たちもついてっていいか?」
「ロイドと五明丸は調査もあるし~。ついでに様子を見に行くってことでいいかな」
「御意。黒蓮の件も、捨て置くわけにはまいりませぬ」
五明丸が、静かに頷いた。
……まあ、そうなるよね。
俺は小さく苦笑して、ケイトの方を見た。
「ケイトは、どうする?」
「お兄さまが行かれるのでしたら、私はどこへでも」
ケイトは、澄ました顔で微笑んだ。
(アーロンの手柄を横取りするような輩……まとめて、お兄さまの視界から消して差し上げたいところですが。ふふ、今は我慢です)
……やっぱり、ケイトの内心は聞かないでおこう。
「あ、あの、兄さんたち……!」
アーロンが慌てて立ち上がった。
「兄さんたちを、お待たせするだけでも申し訳ないのに、そんな……!」
「いいんだって。ついでだよ、ついで」
俺は、ひらひらと手を振った。
「俺たちは、旅の途中でたまたま同じ方角の依頼を受けるだけ。アーロンの仕事の邪魔はしない。見物客みたいなもんだと思って、気にしないでよ」
「……っ、はい。ありがとうございます、兄さん」
アーロンは、深々と頭を下げた。その肩が、小さく震えているのが分かった。
俺は、桟橋の向こうに広がる海へ視線を移した。
日が沈みかけた水平線の彼方で、最後の光がゆっくりと波間に溶けていく。
(……さてさて。のんびり旅の予定だったんだけどなぁ)




