VS騎士団 五明丸
草原を渡る風が、一瞬だけ止んだ気がした。
五明丸が、正眼に構える。切っ先はぴたりと静止し、呼吸の乱れすら見当たらない。ロイドの時とは、纏う気配がまるで違った。あちらが荒々しい奔流だとすれば、こちらは、研ぎ澄まされた一本の針だ。構えただけで、周囲の空気がぴんと張り詰めていくのが分かる。
「いざ、参る」
短い一言。
同時に、その姿が、視界から消えた。
(――速っ)
いや、違う。消えたわけではない。無駄のない最短軌道で、俺の間合いへ踏み込んできただけだ。足音すら立てない、滑るような踏み込み。それでも、見えてから反応するのでは、一瞬遅れる。
俺は、半ば反射で上体を反らした。
頬のすぐ横を、涼しい風が通り過ぎる。音すらしなかった。抜刀から斬撃まで、すべてが一つの動作に圧縮されている。刃筋が見えた時には、もう通り過ぎた後だった。
(――速度は、こっちが上のはずなんだけどなぁ)
体感では、まだ十分に対応できる速さだった。だが、妙な薄ら寒さが背筋を走る。避けた場所が、まるで最初から見えていたかのように、寸分の狂いもない軌道だったからだ。
「ほう」
五明丸が、刀を納めながら、小さく呟く。
「今の一閃、躱されたのは久方ぶりにございます……ロイドは気合いで真っ向から打ち合ってきますからな」
「……もしかしてさ、五明丸。俺の動き、読んでないか?」
「読んでいるというより――」
五明丸の目が、わずかに細まる。切れ長の瞳の奥に、静かな光が宿っていた。
「先が、視えており申す」
その言葉に、俺はぞくりとした。
俺は、動きの速さでは誰にも負けない自信がある。だが、目の前の男は、速さではなく、その先――こちらがどう動くかを見切ることで、対等以上に渡り合おうとしている。
(まずい。これって前世で読んだ達人ものの漫画でみた『後の先』ってやつかな。)
次の瞬間、再び刀が閃いた。
今度は、明確に見えた。白い軌跡が、空気を薄く裂きながら弧を描く。だが――俺が避けようとした場所に、まるで最初からそこにいたかのように、刀の軌道が追いついてくる。
(――マジかよぉ)
咄嗟に体を捻り、紙一重で躱す。髪の毛が数本、宙に舞った。頬の産毛が、刃の起こす風圧にぞわりと逆立つ。
速度なら、負けていない。むしろ、圧倒的にこちらが速い。それなのに、当たりそうになる。避けた先を、正確に読まれているせいだ。
内心で、冷や汗が噴き出す。
(これ、本気でやばいやつじゃないか……?)
表面上は涼しい顔を保ちながら、俺は内心で盛大に焦っていた。
反撃に転じる。踏み込み、掌底を繰り出す。拳打ではなく、瞬間的に力を集中させる一撃だ。
だが、その拳は、空を切った。
「――禍断ち」
静かな声と共に、刀の腹が、俺の拳の軌道を正確に弾く。パン、と乾いた音が草原に響いた。力の方向を僅かに逸らされ、体勢が崩れる。
追撃が来る。
俺は、崩れた体勢のまま、無理やり体を捻って躱した。刃が、頬のすぐ横を掠める。熱い線が、薄く刻まれた。遅れて、じんわりと滲む血の感触。
(当たった……いや、当てられた、が正しいか)
皮一枚、切られている。この男は、ただ読むだけでなく、崩した隙を、的確に突いてくる。
距離を取り、呼吸を整える。頬を伝う血の筋が、妙に熱かった。
「……お前、容赦ないな」
「兄上相手に、手を抜くなど――」
五明丸が、刀を正眼に戻しながら、静かに続けた。
「侮辱に他なりませぬ」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「はは、そうかよ」
なら、こっちも遠慮はいらない。
俺は、地を蹴った。
これまでとは、踏み込みの質が違う。最短距離ではなく、わざと軌道を複雑に揺らしながら接近する。読まれるなら、読みにくい動きをすればいい。
五明丸の目が、一瞬だけ見開かれた。
だが、それでも――刀が、正確にこちらを捉える。
「――一閃」
光が、空間を裂いた。
俺は、ぎりぎりで上体を反らす。鼻先を、刃が通り過ぎていく。切っ先の軌跡が、視界の端に白い残像を残した。
(読まれてる。揺らぎごと、先回りされてる……!)
ならばと、攻防を切り替える。拳を放ちながら、同時に次の二手、三手を同時に成立させる軌道を選ぶ。どれか一つが決まればいい、という捨て技の連打だ。
掌底、肘、回し蹴り――三連続の連携。
「波動刃」
刀から放たれた斬撃が、連携の隙間を正確に縫って飛んでくる。空気を裂く、鋭い音。俺は、体を横に逃がしながら、最後の蹴りだけを無理やり通した。
足の甲に、鈍い衝撃。踏み込んだ五明丸の体が、わずかに傾ぐ。
「――ぐっ」
初めて、五明丸の体勢が崩れる。だが、崩れながらも、刀を手放すことはなかった。片膝が軽く地面に触れただけで、すぐに立て直してしまう。
「見事」
体勢を立て直しながら、口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「されど――」
刀を鞘に納め、腰を落とす。
居合の構え。空気が、しん、と静まった。
「――無影斬」
瞬間、何も見えなかった。
抜刀の瞬間すら、捉えられない。音も、光も、何一つ感知できなかった。
ただ、気づけば、俺の服の袖が、一直線に裂かれていた。布の切り口から、一拍遅れて、ひやりとした空気が肌に触れる。
(――見えなかった)
初めて、はっきりとした戦慄が走る。速度なら負けていないはずなのに、起こりすら見せない一撃には、反応のしようがなかった。紙一重どころか、完全に不意を突かれていた。
幸い、皮膚までは届いていない。だが、もし今のが本気の間合いだったら――その先は、考えたくもなかった。背筋を、冷たい汗が一筋流れ落ちる。
「……今の、見えてなかったぞ」
「抜刀の起こりを、断っておりますれば」
五明丸は、淡々とそう答えた。息一つ乱していない。
これは、かなりまずい。速さだけで押し切れる相手ではない。
俺は、腹の底に力を込める。
(――集気功、疾風怒濤)
青いオーラが、全身から立ち上る。肌がぴりぴりと帯電したように痺れ、心臓の鼓動が、これまで以上の速さを刻み始めた。
世界が、わずかに緩やかになる。木々の揺れも、風の流れも、全てが一拍遅れて見えた。
速度を一段引き上げた俺に対し、五明丸の対応も、わずかに遅れ始めた。完全に先読みしきれていない、その僅かな隙間に、俺は飛び込んだ。
拳が、肩を掠める。布が裂け、確かな手応えが拳に返ってくる。
「ほう……まだ、上がりますか」
五明丸が、口の端を上げながら、刀の柄を両手で握り直した。指の関節が、白くなるほどに力が込められる。
「ならば、某も」
纏う気配が、一段、変わる。
「――怪力乱神」
その体の輪郭から、ゆらりと陽炎のようなものが立ち上り始めた。纏う刀身に、仄かな熱が灯る。肌を炙るような熱気が、離れた位置にいる俺にまで伝わってきた。
(あれ、自分に負担かかるスキルじゃ――)
直感が、警鐘を鳴らす。だが、五明丸は意に介した様子もなく、静かに刀を構え直した。眉一つ動かさない。
そこから先は、互いに一撃も外すまいとする、純粋な読み合いの応酬になった。
俺の拳が迫れば、刀の腹がそれを弾く。刀が閃けば、俺はその軌道の外側へ、ぎりぎりで逃れる。打ち合う音、空気を裂く音、互いの呼吸音だけが、草原に響き続けた。
右の拳。刀で弾かれる。
左の掌底。紙一重で躱される。
膝での踏み込み。刀の腹で受け流される。
返す刃の一閃。紙一重で躱す。
幾度となく、肌すれすれを刃が通り過ぎていく。幾度となく、拳が空を切る。汗が、顎先から滴り落ちた。
(おお……こいつ、本当に化け物級に強いな……)
内心で舌を巻きながらも、俺はどこかで、この均衡を楽しんでいる自分に気づいていた。
スピードだけで押し切れる相手とは、また違う面白さがある。読み合い、崩し合い、互いの手札を引き出し合う。こういう戦いは、前世でも、今世でも、そう何度も味わえるものではなかった。
どれだけ斬り結んだだろうか。互いの息が上がり、草原のあちこちに、刃が掠めた跡と、踏み込みで抉れた土が点々と残っていた。
幾度目かの拳が、刀の腹に弾かれた、その直後。
遠くから、馬の蹄の音が近づいてきた。
「――五明丸騎士団様!」
騎士の一人が、血相を変えて駆けてくる。
「王城より、至急の呼び出しにございます! 陛下が、直々にお呼びとのことで……!」
その声に、五明丸の動きが、ぴたりと止まった。
纏っていた気配が、すっと鎮まっていく。張り詰めていた空気が、音もなく緩んだ。
「……陛下が、某を」
呟きながら、刀を鞘に納める。名残惜しそうな視線が、一瞬だけ、俺に向けられた。
「申し訳ございません、兄上。このような、中途半端な形で」
「いや、いいよ。陛下のお呼び出しなら、仕方ないだろ」
俺は、息を整えながら苦笑した。正直、少し助かった気持ちもある。このまま続けていたら、どちらかが本当に怪我をしていたかもしれない。
「……ですが」
五明丸は、鞘を手に、深く一礼した。
「某は、満足にございます。前世にて、憧れ続けた兄上と――たとえ一度でも、刃を交えることが叶いましたこと」
その声には、偽りのない、静かな充足があった。
「次にお会いする折は、必ずや、決着を」
「ああ、楽しみにしとくよ」
そう返すと、五明丸は、わずかに口元を緩めた。普段の厳格な表情からは想像もつかない、少年のような笑みだった。
駆けつけた騎士と共に、五明丸が足早に去っていく。その背中を見送りながら、俺は、大きく息を吐いた。
「……めっちゃ強いじゃん五明丸。」
全身にじんわりと滲んだ汗を拭いながら、俺は草の上に、どさりと腰を下ろした。
決着はつかなかった。だが、不思議と、悪い気分ではなかった。




