広がる噂と串焼き
――閑話休題、とでも言うべきか。
街道の一件から、時を少しだけ巻き戻す。
大陸に七体存在する竜の頂点、通称『七竜長』。その一角であり、大地を統べる竜、アースドラゴンの長。数百年もの間、誰にも討たれることなく君臨し続けてきたその存在が、この日、跡形もなくこの世から消え去った。
むろん、その光景を目撃したのは、街道に居合わせたごく僅かな者たちだけだ。正体を知る者は、この世界のどこにもいない。
けれど――大陸を統べる者、感じ取る者たちには、確かにその『異変』が伝わっていた。
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東方、宗教国家セラフィス教国。
大聖堂の最奥。祈りの間で跪いていた聖女は、ふと祈りの言葉を止め、静かに顔を上げた。
「……あら」
誰に言うでもなく、小さく呟く。閉じられていた瞳が開かれ、その奥に、どこか懐かしむような色が浮かんだ。
「今の……何かしらぁ。とても、懐かしい気配がしましたわ」
傍らに控えていた神官が、怪訝そうに問う。
「聖女様? いかがなさいましたか」
「いいえ、何でもありませんのぉ。ただ――遠い場所で、誰かがとても頑張ったのだと思いますわ」
聖女は、祈りの間に差し込む光の筋を見上げながら、口元にそっと笑みを浮かべた。それ以上、彼女が何かを語ることはなかった。
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北西、軍事国家ガルド帝国。
対魔法戦術部隊の訓練場に、けたたましい警報が鳴り響いていた。
「なんだ、この反応は!? 魔力探知の水晶が、軒並み振り切れています!」
「震源方向、南南東……いや、これは震源というより――」
報告に耳を傾けていた公爵令嬢が、眉根を寄せて窓の外を見やる。彼女の脳裏に、根拠のない、けれどどこか確信めいた予感がよぎった。
(この感覚……気のせいだと、いいのだけれど)
小さく息を吐き、彼女はそれ以上追及することなく、報告書に目を戻した。今はまだ、確かめる術がない。
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北東、魔法王国アルカディア。
大魔法学院の地下に据えられた、大陸の魔力の流れを常時観測する巨大な魔導装置。その針が、一瞬だけ、これまで誰も見たことのない領域まで跳ね上がった。
「魔力計測、とんでもない数値が……!? こんな数値の変動、久しくありませんでしたよ!」
「落ち着け、まずは記録を取れ! これは――もしかすると、我々が何年も追い求めていた『答え』に繋がるかもしれん」
研究者たちが色めき立つ一方、当の異変を引き起こした本人は、この時、隣街の露店で串焼き肉の値段交渉をしていた。世界の理を揺るがした張本人にしては、あまりにも呑気な時間の使い方である。
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南東、砂漠帝国ザハール。
地下遺構都市の奥、玉座で微睡んでいた青年の姿をした魔族が、微かに眉を動かした。
「……んぅ」
気怠げに片目を開け、天井を見上げる。
「今の、揺れ……いや、揺れというよりは、波か。懐かしいな、この感じ」
誰に聞かせるでもなく呟くと、魔族は再び目を閉じた。
「まあ、いいか面倒だし。どうせそのうち会えるだろうしぃ……zzZ」
興味はあれど、動くほどではない――そう言わんばかりに、彼は再び眠りの中へと沈んでいった。
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西、山岳国家ドゥルガン。
地下都市に張り巡らされた地質観測網が、突如として異常な震動を検知した。
「姉貴ぃ! 東方で謎の震動を検知しやしたぁ! 震源不明、規模も測定不能です!」
工房で鎚を振るっていたドワーフの少女が、ふと手を止める。
「んだと……震動、ね」
彼女は無骨な指で顎をさすりながら、東の方角へと目を細めた。
「地面が揺れたんじゃねぇな。何か、とんでもねぇ『力』が弾けた感触。……ふぅん、面白ぇ」
好戦的な笑みを浮かべると、少女は何事もなかったかのように、再び鎚を振り上げた。
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中央、交易都市連合リベルタ。
情報こそが金になるこの街では、異変の噂が誰よりも早く駆け巡っていた。
「おい聞いたか、東の街道でドラゴンが消えたって話」
「聞いた聞いた、しかも七竜長クラスだって噂だぜ。眉唾だけどよ」
路地裏の情報屋に耳を澄ませていた一人の黒狐の獣人娘が、目立たぬよう静かに聞き耳を立て、小さく舌打ちをした。
「……ああもう、もっと詳細に情報が集められないかなぁ……焦れったい。でも、なんだろ、この胸騒ぎ」
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平原、王国エリュシオン。王都近郊の騎士団演習場。
「……ふむ、今の感じたか」
刀を納めたばかりの騎士団長が、ぴたりと動きを止めて呟いた。
「兄貴……団長も気づいたか。妙な圧を感じたよな……まるで、途方もなく大きな存在が、掻き消えたような」
大剣を担いだ副団長が、白い歯を見せて笑う。
「……あちらの方角、であったか」
「気のせいじゃね? まあでも、どこかで大暴れしてる奴がいそうな気配だよな。楽しみだ」
騎士団長はしばし黙り込んだあと、小さく首を振った。
「……いや、些さか考えすぎたな」
だが、その表情には拭いきれない予感が浮かんでいた。
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南、密林地帯ヴァルガ大森林。
樹上都市の奥、精霊と対話していたエルフの少女が、突然全身を強張らせた。
「――え?」
周囲の精霊たちが、一斉にざわめき始める。普段は穏やかな森の空気が、ぴりりと張り詰めた。
「な、何じゃ今の……!? これほど大きな力の波動、感じたことなどないぞ……。まさか……」
エルフ王女は目を見開いたまま、東の方角をじっと見つめる。脳裏に浮かんだのは、根拠のない、けれど確信に近い予感だった。
「…………まさか、の。そんなわけ、あるまい。」
自分に言い聞かせるように呟く。
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東方、小国。
「姉ぎ――姫様、いかがなさいましたか」
召喚した猫の獣を抱きかかえていた幼い姫君が、ふと動きを止めて首を傾げていた。
「んー……なんか、遠くですっごい音がした気がしたの」
傍らに控える護衛の男が、片眉を上げる。表情はほとんど動かないが、その意識は既に周辺の警戒へと切り替わっていた。
「音、ですか。周囲に異常は見受けられませんが」
「うーん……気のせいかなぁ。でも、なんか、懐かしい感じだった気もするの」
姫君は首を傾げたまま、再び猫の獣に頬ずりを始める。護衛の男だけが、しばらくの間、東の空を静かに見つめ続けていた。
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――このように、大陸の各地で、正体不明の『何か』が確かに感じ取られていた。
黄金の光を目撃した者、途方もない力の波動を感じ取った者、根拠のない胸騒ぎに襲われた者。それぞれの反応は些細なものであり、誰かがそれを一つの事件として結びつけることは、今のところない。
けれど――かつて同じ場所で生まれ、同じ時を過ごした『兄弟姉妹』たちの何人かは、確かに何かを感じ取っていた。
その正体が、自分たちの『長男』であると気づく日は、まだ遠い。
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さて。
世界のあちこちで、そんな静かな異変が囁かれていた頃。
当の本人はというと。
「お兄さま、次はあちらのお店に寄りますわよ」
「あ、ああ。了解」
隣街のメインストリート。俺は、両腕いっぱいに紙袋やら木箱やらを抱え、ケイトの後ろをとぼとぼと付いて歩いていた。
世界の均衡を揺るがすほどの怪物を消し飛ばした直後だというのに、今の俺の役割はといえば、ただの荷物持ちである。世の中とは、なんともままならないものだ。
「なあケイト、これもう五軒目なんだが。そんなに買うものあったか?」
「当然です。旅の準備は万全にするに越したことはありませんもの。乾燥薬草、保存食、それから――」
ケイトは指折り数えながら、実に楽しげに次の店へと視線を向ける。その足取りは軽く、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気すら漂っていた。数十分前、商人を鮮やかに気絶させていた同一人物とは、とても思えない。
(やれやれ……しょうがないな)
と、俺は素直に荷物持ちの任務を全うすることにした。突っ込んだところで、ケイトの買い物欲が止まる気配はない。
「あ、お兄さま。あちらの露店、串焼き肉が美味しそうですわ」
「お、それは俺も気になってた」
俺たちは吸い寄せられるように露店に近づき、値段交渉――もとい、ケイトが実に手慣れた様子で値切り交渉を始める光景を、俺はただ眺めていた。
串焼き肉を頬張りながら、俺はふと空を見上げた。
雲一つない、穏やかな昼下がり。
「お兄さま、口の端にタレがついていますわよ。……ふふ、仕方のない方ですこと」
ケイトが取り出したハンカチで、実に甲斐甲斐しく俺の口元を拭う。その顔には、いつもの澄ました微笑みが浮かんでいた。
(――お兄さまのお顔、今日も無防備で可愛らしいですわ……デュフ)
こうして、俺たちの隣街での、実にのどかな一日が過ぎていった。
――世界の動きなど、まるで知らぬままに。




