目覚めた韋駄天
目が覚めた瞬間、なんとも言えない爽快感があった。
布団の中で、大きく伸びをする。関節の一つ一つが、いつもよりずっと滑らかに動く気がした。指先まで、これまでにないくらい、はっきりとした感覚がある。
(……いい朝だな)
差し込む朝日を浴びながら、俺はゆっくりと体を起こす。カーテンの隙間から漏れる光が、埃の粒を淡く照らしていた。
長年の習慣で、枕元に何か大事なものを置き忘れていないか、無意識に手を這わせる。前世の社会人としてよの習慣か、寝坊しないようスマホを確認していた癖が、転生して16年も経つ今も体のどこかに染み付いているのかもしれない。もっとも、この世界にスマホなどないので、手が空を切るだけなのだが。
(……そういや、あっちの世界じゃ毎朝これで消耗してたんだよな。通知の山を見るだけで、げんなりしてた)
懐かしいような、そうでもないような、微妙な感傷を覚えながら、俺は寝癖のついた頭をがしがしと掻いた。大きく欠伸を一つ。
十六年間、この体で繰り返してきた朝のラジオ体操――伸びをして、首をこきりと鳴らして、両腕を軽く回す。若さゆえの、軽い身のこなしだった。前世では、歳ゆえか朝のこの一連の動作だけで、あちこちの関節が軋んでいたものだが、今のこの体には、そんな重さは欠片もない。
それでいて、急いで飛び起きるようなことはしない。二度寝こそしないものの、しばらくはベッドの上で、窓の外の鳥の声にぼんやりと耳を傾ける。誰に急かされるでもない、自分だけの時間の使い方。この緩やかな朝の過ごし方だけは、前世から変わらない、俺の性分だった。
三十二年分の几帳面さと、十六年分の若々しさと、そして誰にも縛られたくないという性分。三つが入り混じった、いつも通りの朝の儀式だった。
窓の外では、冬の澄んだ空気の中、鳥のさえずりが響いている。今日も、いつも通りの一日が始まる――そんな、根拠のない予感があった。
もちろん、その予感は、数分後には見事に裏切られることになるのだが。
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「よっと」
軽い掛け声と共に、ベッドから立ち上がる。床板を踏みしめる感触すら、心なしか、いつもより軽やかだった。
その足取りのまま、寝室の扉へと向かう。
いつもの調子で取っ手に手をかけ、軽く捻る。何百回、何千回と繰り返してきた、なんの変哲もない動作のはずだった。
――バキッグチャ。
乾いた、それでいて妙に重みのある音が響いた。
「……は?」
俺は、手の中に残った取っ手の欠片と、扉に空いた不自然な穴を、交互に見比べた。木片が、ぱらぱらと足元に零れ落ちる。
(いや、待て。今の、俺がやったのか?)
力を込めたつもりは、まるでなかった。むしろ、いつも通りの、何気ない仕草だったはずだ。手のひらに残る感触からしても、渾身の力を込めた覚えはない。
混乱しながらも、俺は次に、寝間着を脱ごうと近くにあった椅子の背もたれに手をかけた。今度は、慎重に。
だが、慎重に、のつもりが、それでも力加減が読めなかった。
ミシリ、ミキミキ……という嫌な音。
「――っ!?」
慌てて手を離すと、椅子の背もたれには、指の形に沿った、くっきりとした亀裂が入っていた。まるで、粘土細工にでも指を突き立てたかのような、生々しい跡だった。
冷や汗が、背筋を伝う。
(……おかしい。明らかに、おかしいだろ、これ)
いつも通りの力加減のはずなのに、いつも通りの結果にならない。まるで、体そのものが、これまでとは別物になってしまったかのような、そんな違和感があった。
試しに、と近くにあった水差しに、そっと指先で触れてみる。持ち上げるつもりすらなかったのに、陶器の表面に、うっすらとひびが入った。
(――いや、嘘だろ)
背筋が、さらに冷えていく。
(ちょっ――まさか)
脳裏に、ある可能性が過る。
俺は、深呼吸を一つしてから、部屋の中央で意識を集中させた。頭の中に、見慣れたウィンドウが、静かに展開する。
そして――そこに表示された数値を見た瞬間、俺は言葉を失った。
```
【 ステータス 】
【Name】アレン 16歳
Lv.320
HP: 5175 / MP: 1388
STR: 300 AGI: 520
INT: 3 DEX: 4
VIT: 6 CRT: 5
ATK: 1056 MATK: 310
DEF: 523 MDEF: 520
HIT: 344 FLEE: 1351
ASPD: 9339 CSPD: 926
【 備考 】
なし
【 スキル 】
・無手の極意 アクティブ
・集気功 アクティブ
・獅子奮迅 アクティブ
・疾風怒濤 アクティブ
・回復気功 アクティブ
・驚天動地 アクティブ
・闘志の衝突 アクティブ
・起死回生 アクティブ
・気功波動 アクティブ
【 称号 】
・転生者
・自由人
・見た目は赤子頭脳は大人(笑)
・ティムラルトの加護【New】
・韋駄天【New】
```
何度も、目を擦った。見間違いではないかと、何度も確認した。
だが、数値は変わらなかった。
封印が、完全に解けている。
真っ先に目についたのは、数値の並びそのものだった。かつてのように、現在値の横に括弧書きで潜在値が添えられている――あの表記が、どこにもない。今表示されているのは、ただ一つの数値だけだった。
(……うん、そうか。もう、二つに分ける必要がないってことだよなぁ)
封印されていたティムラルトオンラインのステータスと、転生してから地道に育ててきたステータスを。二つの数値が、今は完全に一つへと溶け合っている。
生まれたての時、初めてこの画面を見たあの日。現在値のSTRやDEFといった項目は、軒並み「1」という悲しい数字だった。だが今、目の前に並ぶ数値は、明らかにそれよりも底上げされている。ここ十六年、地道に積み上げてきた基礎ステータスの分だけ、元々の潜在値に、さらに何かが加算されているようだった。
(さて……どれくらい、昨日までのステータスを思い出してみるか)
気になった俺は、記憶を頼りに、封印が解ける直前――昨日までの自分のステータスを、頭の中で思い起こしてみた。
```
【 昨日のステータス】
Lv.5
HP: 55 / MP: 28
STR: 8 AGI: 10
INT: 2 DEX: 3
VIT: 5 CRT: 4
ATK: 10 MATK: 2
DEF: 7 MDEF: 4
HIT: 8 FLEE: 9
ASPD: 15 CSPD: 12
```
改めて数字にしてみると、桁の差は歴然としていた。潜在値の前では、誤差のようなものでしかない。
だが、この世界の物差しで見れば、話はまったく違ってくる。
普通の一般人はステータスは1桁で大人でもレベルも2~3ぐらい。自警団とかで鍛えたりするとレベルも4~5、ステータスはまだ1桁かたまに10。
兵士になるとレベルは6~9、たまに10。
ステータスは10前後。15まではいかない。
騎士になるとレベルは2桁確定。30レベは騎士団団長クラス。ステータスも15~20に、団長クラスは25までとか。
レベル30~40は化け物呼び。
レベル50は神話だとかどうとか、というのが相場だと、以前ギルドで小耳に挟んだことがあった。まぁ、レベル25に到達する者となれば、大陸でも指折りの実力者に数えられる領域だ。
(うんうん、他の人のステータスとか見たことないからわからないけど……たぶん、中堅どころの冒険者くらいには~なれてたってことかな。)
亜竜戦で、拳がまるで軽く、決定打にならなかった記憶がまだ新しい。それでも、並の兵士や駆け出し冒険者を、そこそこ上回る程度の力は、確かに十六年かけて積み上げていたらしい。ゲティムラルトオンラインの遺産に、まるまる寄りかかっていたわけではない――そのことが、今更ながら、少しだけ誇らしかった。
そして、改めて出したステータスに表示されている統合後の数値は、その現在値に、封印されていた潜在値を、そのまま足し合わせたもののようだった。
(……なるほど、やっぱり単純に足し算されただけ、か)
称号の欄に目をやると、見慣れた三つの文字に加えて、新しく二つの項目が増えていた。
「ティムラルトの加護」。恐らく、今回の封印解除そのものを指しているのだろう。だが、それ以上の説明は、やはりどこにもない。
そしてもう一つ――「韋駄天」。
(……足の速さ、褒めてくれてるのは分かるけど、ネーミングセンスもうちょっとなんとかならなかったのかねぇ)
半ば呆れながらも、悪い気はしなかった。ASPDの異常な数値を思えば、確かにこれ以上ないくらい的確な二つ名ではある。
「見た目は赤子頭脳は大人(笑)」の一文には、相変わらず思わず苦笑いが漏れた。
(……いや、さすがにもう「赤子」じゃないんだけどなぁ。誰だよ、これ更新しといてくれよ)
誰に言うでもない愚痴を、内心でこぼした。
(……マジかぁ)
呆然と、俺はその場に立ち尽くした。
喜びよりも先に、冷静な危機感が、じわじわと湧き上がってくる。
(これ……完全にコントロール不能な状態じゃね)
試しに、と軽く握った拳を見つめる。今の力加減の感覚が、これまでとまったく違う。ドアノブ一つ、椅子の背もたれ一つ、水差し一つ、意識せずに壊してしまうほどの力が、この身に宿っているということだ。たぶん、誰かと握手したら複雑骨折させてしまうだろう。
これまで積み重ねてきた稽古の感覚を頼りに、そっと足元の木の床を踏んでみる。それだけで、板がぎしりと軋んだ。まるで、加減の分からない子供が、初めて重機を触らされたような、自分の体じゃない転生したての頃を思い出す久々な感覚だった。
こんな状態で、うっかり誰かと触れ合ったら。うっかり物を持ち上げたら。うっかり、力んでしまったら。
(ふぅ――洒落にならねぇなぁ、これは)
考えるだけで、背筋が冷えた。壊れた扉と椅子と水差しが、無言でその危険性を物語っている。
成人の儀式は、もう間近に迫っている。大勢の人間が集まる、あの場に、この制御できない力を持ったまま出るわけにはいかない。握手一つ、肩を叩かれる仕草一つで、誰かを傷つけてしまうかもしれないのだ。
(……よ~し。それまでに、慣らすしかないね)
幸い、時間はまだ少しだけあるだろう。
俺は静かに決意した。儀式の日までは、極力、人や物との接触を避けよう。自室にでも引きこもって、この新しい力の感覚を、一つずつ確かめていく。そうでもしなければ、大惨事になりかねない。
部屋の外から、いつも通りの朝の物音が聞こえてくる。エレーナが朝食の支度をしている音、双子のはしゃぐ声。
いつもと同じはずのその音が、今の俺には、どこか遠く感じられた。
まずは、この壊れた扉と椅子と水差しを、どう誤魔化すか。
(と、とりあえず……インフルエンザになったとかで寝たきりにって言い訳を……あれ、この世界にインフルエンザとかあるのかな?16年過ごしたけど聞いたことないなぁ)
【アレンのメモ・ステータスの見方について】
村に来ていたお爺さん冒険者(魔法使い)に聞いた話
・一般人がステータスを確認するには、大きな街にある冒険者ギルドの支部・本部、もしくは教会に足を運ぶ必要がある。
・冒険者ギルド:どこの国家にも属さない、中立の組織。どこかのダンジョンで発掘された、古のアーティファクト(魔道具)を用いてステータスを可視化している。
街にある大きな冒険者ギルド各支部と本部に置いてあり。冒険者登録者は、窓口が空いていればおおむね確認可能だが、常に混み合っており、順番待ちが発生することも多い。
・教会:セラフィス教国が秘匿する、秘伝の魔法によってステータスを映し出す。
「神の奇跡」として扱われており、確認には相応の金額が必要となる。
らしい。
・俺の村には礼拝堂はあるが、教会(ステータス閲覧機能を持つ格上の施設)はない。
村の簡易冒険者ギルドも、あくまで出張所レベルであり、閲覧サービスは提供していない。
んで、
・一方の俺はというと、ティムラルトオンライン由来の……特殊な力?により、場所を問わず、いつでも自分の意思でステータスを確認できるんだよなぁ。
たぶんこれは、この世界の一般的な仕組みからは完全に外れた、俺だけの特権かも。




