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この世界はゲームじゃない

 視界いっぱいに、鱗に覆われた尾が迫っていた。


 ――ああ、これは、まずいなぁ。


 そんな他人事のような感想すら、最後まで結べなかった。


 横合いから、何かが割り込んできたのは、その直後だった。


「うおおおおおおっ――!」


 地を割るような咆哮と共に、盾を構えたトマスの体が、俺と亜竜の尾の間に、割り込んでくる。


 全身全霊を込めた体当たり。盾の縁が、迫り来る尾の側面を、下から掬い上げるように弾いた。


 鈍い衝撃音。火花にも似た金属の擦過音が、耳をつんざく。


 軌道を逸らされた尾が、俺の頭上、ほんの数十センチの位置を通過していった。


「――っ!?」


 息を呑む間もなく、俺はその場に尻餅をついた。


 目の前では、体当たりの反動で吹き飛ばされたトマスが、盾を抱えたまま地面を転がっている。


「父さん――!」


 叫びながら駆け寄ろうとした、その時だった。


「――退避しろおおおおっ! ここから先は我々が引き受ける!」


 凛とした、聞き覚えのない声が、広場に響き渡った。


 振り返った先――村の入り口から、数人の一団が、猛烈な勢いで駆け込んでくるのが見えた。


 統一された意匠の防具を纏い、それぞれが只者ではない気配を纏わせている。先頭を走る、大ぶりな片手剣を携えた女性剣士。長槍を担いだ大柄な男。杖を手にした、フードを目深に被った魔導士。そして、後方から矢継ぎ早に指示を飛ばす、初老の斥候らしき男。四人一組の、洗練された連携が一目で分かる編成だった。


---


 女性剣士は、一切の減速をすることなく、亜竜の懐へと踏み込んでいった。


 地を蹴る足音が、これまで見てきたどの冒険者とも違う重さを伴っている。剣を大きく振りかぶり、体全体を捻りながら、袈裟懸けに叩きつけるようにして、亜竜の側頭部へと打ち込んだ。


「――どぉりゃあああっ――!」


 斬る、いや、鈍器で殴りつけるような、重い一撃。刃こそ立たなかったものの、亜竜の巨体が、まともにその衝撃を受け止める形となった。


「グァアアアアッ――!?」


 脳を揺さぶられたのか、亜竜の巨体が、大きくよろめく。目に見えて焦点の合わなくなった双眸が、右へ左へと泳いだ。


 体勢を立て直そうとするように、亜竜は翼を大きく広げ、地を蹴って空へと逃れようとする。羽ばたきが巻き起こす突風が、周囲の土埃を巻き上げた。


「上に逃がすな、落とせ――!」


 斥候の声に応じたのは、これまで沈黙を保っていた魔導士だった。


「――風刃《ヴァイヤ・ゼカ》」


 短い詠唱と共に放たれたのは、派手さのない、ただの風の刃だった。だが、その狙いは正確だった。羽ばたこうとした亜竜の翼の付け根、薄い皮膜の部分を、風の刃が浅く切り裂く。


「グァッ――!?」


 片翼のバランスを崩された亜竜は、宙に浮き上がりかけたところで、体勢を大きく崩した。羽ばたきが空回りし、そのまま制御を失った巨体が、無様に地面へと落下する。


 ズシン、という重い衝撃と共に、亜竜が広場に叩きつけられた。土埃が高く舞い上がり、割れた石畳の破片が飛び散る。


「今よ、畳みかけて――!」


 地上に縫い留められたその隙を、剣士と槍使いが見逃すはずもなかった。


「はぁっ――!」


 女性剣士が地を蹴り、亜竜の側面へと回り込む。その動きに合わせて、槍使いが真正面から突撃を仕掛けた。


「シイィィィィっ――!」


 長槍の穂先が、鱗の継ぎ目を正確に射抜く。これまで幾人もの武器を弾き返してきたはずの防御が、ここに来て、初めて明確な傷を刻まれた。生々しい紫の血が、傷口から噴き出す。


 だが、亜竜も黙ってやられてはいなかった。苦痛に暴れる巨体が、大きく尾を振り回す。


「危な――っ!」


 槍使いが咄嗟に得物で受け流すが、勢いを殺しきれず、後方へと弾き飛ばされる。だが、その隙を、女性剣士が見逃さなかった。


「今っ――!」


 弾かれた勢いすら利用するように、槍使いは空中で体勢を立て直し、着地と同時に、再び前へと踏み込んでいく。二人の連携は、まるで最初から決められていたかのように、途切れることがなかった。


 亜竜が、業を煮やしたように顎を大きく開く。喉の奥に、あの赤い輝きが灯り始めた。


「ブレスが来るぞ、全員散開――!」


 斥候の男の警告と同時に、四人が瞬時に散った。


「グォオオオオオオッ――!」


 放たれた熱線が、彼らのいた場所を、無人の焦土へと変える。だが、誰一人として、そこに留まってはいなかった。


「亜竜のブレスね……本当に、噂通りの威力だわ」


 女性剣士が、離れた場所から呟く。


 ブレスの直後、大きな隙が生まれる。それを見計らったように、魔導士が再び杖を構えた。


「――地束《ルエラト・チ》」


 地面から、幾重もの光る鎖が這い出し、着地した亜竜の四肢に絡みついていく。派手な魔法ではない。だが、確実に的を捉える、実用一辺倒の拘束術だった。動きを封じられた巨体が、苛立たしげにもがくが、鎖はびくともしない。


「今のうちに、畳みかけるぞ――!」


 完全に自由を奪われたわけではないが、機動力を大きく削がれた亜竜に対し、剣士と槍使いが、間断なく攻撃を叩き込んでいく。翼の傷、脇腹の裂傷、あちこちに刻まれていく傷が、次第に亜竜の抵抗を弱らせていった。


 幾度目かの猛攻の末、亜竜の膝が、ついにがくりと折れる。


「――これで!」


 女性剣士の一閃が、亜竜の喉元、柔らかい部位めがけて、迷いなく突き込まれた。


 深々と突き立った剣先。断末魔の咆哮が、広場全体を揺るがす。


 そして――巨体が、地響きと共に、その場に崩れ落ちた。


 辺りに、束の間の静寂が訪れる。


 誰かが、へたり込むように地面に座り込んだ。誰かが、安堵の息を漏らした。それらが、次第に大きなどよめきへと変わっていく。


「た、助かったのか……?」


「討伐された……! やったぞ……!」


 歓声とも、嗚咽ともつかない声が、村中に広がっていった。


---


 その歓声の輪から少し離れた場所で、俺はトマスの元へと駆け寄っていた。


「父さん――!」


「トマス……! しっかりして……!」


 エレーナも、双子を抱えたまま、避難所から飛び出してきていた。回復魔法を使える者が、すぐさまトマスの元へと駆けつける。


「ああ……大丈夫だ。少し、足首をひねったかもな」


 軽い調子で強がってみせるトマスだったが、その体は、とても「少し」で済む状態ではなかった。腕や肩には、殴られたような青黒い痣がいくつも浮かび、頬には切り傷、脛からは血が滲んでいる。命に関わるほどの致命傷こそないが、決して軽くはない、いわゆる中傷と呼ぶべき有様だった。


「……全然、大丈夫そうに見えないよ、父さん」


「そんなことはない、これくらい……」


 言いかけたトマスの顔が、ふいに苦痛で歪む。無理に立とうとした拍子に、足首から力が抜けたようだった。


「無茶しすぎだよ、父さん……」


「ふん。お前にだけは、言われたくないな」


 軽く睨まれ、俺は思わず苦笑した。だが、その笑みは、長くは続かなかった。


 回復魔法の淡い光に包まれながら、トマスの傷が、少しずつ癒えていく。だが、広場全体を見渡せば、同じように治療を受けている者は、決して少なくなかった。


 むしろ――動かなくなったまま、布をかけられている者の姿も、いくつか見えた。


「……あそこの人たち」


 俺の呟きに、傍にいた回復役の一人が、沈痛な面持ちで答えた。


「君は亜竜に立ち向かってた子か……村を守ろうとして、亜竜の初撃を受けた冒険者たちだ。三人が、その場で……。あと、五人ほどが、重傷を負っている」


 その言葉に、俺は言葉を失った。


 高ランク冒険者の到着によって、確かに村は救われた。だが、それは、何の犠牲もなしに得られた結果ではなかった。


(……誰も死ななかった、なんてこと、なかったんだな)


 浮かれた気持ちが、すっと冷えていくのを感じた。


 広場には、亜竜の巨体が、なお横たわっている。あちこちに残る爪痕、焼け焦げた地面、崩れた屋台の残骸。村が受けた傷跡は、決して小さくはなかった。


 夕暮れに差し掛かった空の下、村人たちが、少しずつ後片付けを始めている。怪我人を運ぶ者、崩れた建物を確認する者、そして、家族の無事を確かめ合う者。だが、その輪の中には、大切な誰かを失った者たちの姿も、確かに混ざっていた。


 その喧騒の中で、俺はしばらくの間、ただ座り込んだまま、空を見上げていた。


---


 数日後。


 重傷を負っていた冒険者のうちの一人が、回復魔法をもってしても持ち直すことなく、静かに息を引き取ったという知らせが、村に届いた。


 その日の亜竜討伐は、確かに「成功」と呼べるものだった。だが、その裏にあった代償の重さを、俺は改めて思い知らされることになった。


 今日という日のことを、俺はきっと、忘れないだろう。


 俺は心のどこかまだ自分がゲームの中にいるように感じていたのかもしれない。前回の盗賊の襲撃や、ダンジョンでも確かに死にそうな目にはあったけど、どちらも身内に死人は出なかった。

 今回、こちら側の人間が死んだことによって、俺はこの異世界、いや世界がリアルなのだと自認したと思う。


 自分の限界と、力の意味と、そして――誰かの犠牲の上に成り立つ勝利というものの重さを、噛み締めながら。

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