お兄ちゃんだぞ
リオンとリオナが生まれてから、俺の日常には、新しい役割が一つ増えていた。
「お兄ちゃん」という役割だ。
最初のうちは、正直、実感が薄かった。だが、小さな寝床で眠る二人の顔を見るたびに、じわじわと、その自覚が根付いていった。
(……うわ、ちっちぇなぁ~)
自分も転生したての頃は同じくらい小さかったはずなのに、改めて目の当たりにすると、その頼りなさに驚かされる。指先で軽く触れるだけでも壊れてしまいそうな、そんな儚さがあった。
(いやいや、天使か……? 二人とも、可愛いすぎるだろ……)
自分で言うのも何だが、俺は普段物事に執着せず、飄々と構えているつもりだったんだが、まさかこんな軽薄な感想を漏らす日が来るとは思っていなかった。だが、実際に目の当たりにしてしまうと、仕方がない。小さな指、むにむにとした頬、寝息を立てるたびに動く小さな鼻。何もかもが、尊すぎた。
「ふへへ……リオン、リオナ、兄ちゃんだぞー」
でれでれと相好を崩しながら、俺は二人の顔を交互に覗き込む。三十二年の前世を含めた人生経験のすべてが、この愛らしさの前では、何の役にも立たなかった。
だからこそ、俺は張り切っていた。
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「お母さん、少しは休んでていいよ。俺が見てるからね」
産後、体力の回復がまだ十分でないエレーナに代わって、俺は率先して二人の世話を買って出るようになっていた。ちなみに父トマスは仕事に出ていて家にいないから、俺が子育てをやるのだ!
「おむつ、俺が替えるよ」
「ミルク、あげる時間だよね。任せて」
最初は危なっかしい手つきだったが、繰り返すうちに、それなりに様になってきた。前世の記憶が多少なりとも役に立ったのか、あるいは単に慣れの問題か。いずれにせよ、俺なりに、兄としての務めを果たしているつもりだった。
だが――ある日、その意気込みが、思わぬ形で裏目に出た。
「よーし、リオン。そろそろ寝んね時間だぞー」
夜泣きを始めたリオンを抱き上げ、俺は自信満々に、あやし方を試みた。前世で、たぶんどこかの育児番組で見た覚えのある、体を上下に揺らすやり方だ。
(確か、こうやって優し~く――)
だが、前世での独り身だったゆえに加減が分からなかった。しかも今世の稽古で鍛えた体は「優しく」のつもりが、想定よりも大きく体が揺れてしまい、リオンは驚いたように、火がついたように泣き出した。
「うわっ、ご、ごめん……!」
慌てて揺れを止めるが、時すでに遅し。リオンの泣き声はさらに大きくなり、その声に驚いたリオナまで、つられて泣き始めてしまった。
二人分の泣き声が、家中に響き渡る。
「アレン、何をやってるの……!」
物音を聞きつけたエレーナが、慌てて部屋に飛び込んできた。
「いや……あ、あの、あやそうとしたんだけど……」
しどろもどろに弁明する俺から、エレーナは手早くリオンを引き取ると、慣れた手つきで、あっという間に泣き止ませてしまった。
(……さすが、母さんだな)
自分のぎこちなさとの落差に、密かに肩を落とす。考えてみれば当然だった。エレーナにとって、これが二度目の子育てだ。しかも一度目――俺の赤ん坊時代は、中身こそ大人だったものの、この肉体の本能までは制御できず、結局は人並みに手のかかる乳児だったらしい。あの頃の修羅場を、母は一通りくぐり抜けてきているのだ。付け焼き刃の俺が、敵うはずもなかった。
エレーナは、もう一方の腕でリオナもあやしながら、俺の方に向き直った。
「アレン。気持ちは嬉しいけど……あなた、加減ってものを、もう少し覚えるといいわね」
その声は、決して怒っているわけではなかった。だが、はっきりとした叱責の響きがあった。
「赤ちゃんは、あなたが思ってるより、ずっとずっと繊細なの。稽古と同じ感覚でやったら、駄目よ」
「……うん、ごめん」
素直に謝りながら、俺は密かに反省していた。
(そうだよな……。集気功と一緒のノリでやっちゃ、そりゃ駄目だ)
力を込めることには慣れていても、力を「抜く」ことには、まだまだ不慣れだったらしい。頼もしい兄になりたいという気持ちが、結果的に空回りしてしまった。
それからというもの、俺は改めて、二人との接し方を学び直すことになった。
エレーナやトマスの手つきを、注意深く観察する。抱き上げる時の腕の角度。あやす時の揺れの幅。声のかけ方一つにも、繊細な調整があるのだと、実際にやってみて初めて実感した。
「アレン、上手になったじゃない」
数日後、リオナを危なげなく抱き上げてあやす俺を見て、エレーナがそう褒めてくれた。
「まあ、それなりに……」
照れくさそうに答えながらも、内心では、確かな達成感があった。
腕の中で、すやすやと眠るリオナの寝顔を見下ろす。柔らかな寝息と、小さな重み。
(……こういうの、悪くないなぁ)
力任せではどうにもならない、繊細な優しさというものを、俺はこの数日で、少しずつ学びつつあった。
兄として張り切りすぎた失敗も、今となっては、悪くない思い出の一つだった。
そんなある日、薬草採取の帰りに立ち寄ったケイトが、リオナを抱っこしてあやす俺の姿を、少し離れたところから眺めていた。
「リオナー、お兄ちゃんでちゅよー。ふへへ」
でれでれと崩れた顔で、赤ん坊に頬ずりせんばかりの俺。その光景を目にしたケイトの表情が、わずかに複雑なものへと変わっていく。
(お兄さま……あんな顔、するんですね……)
これまで見たことのない、蕩けきった溺愛の表情。それが、自分にではなく、生まれたばかりの弟妹に向けられているという事実に、ケイトの中で、言葉にしにくい感情がむくむくと湧き上がっていた。
(ちょっと、羨ましいような……いえ、これは嫉妬とかでは決してなくてですね……)
表向きは、いつも通りの澄ました微笑みを浮かべたまま、ケイトはその光景をじっと見つめ続けていた。
(もし……もし将来、お兄さまとわたしの間に子供ができたら……)
埒もない妄想が、あっという間にケイトの脳内を占拠していく。
(絶対に、あんな風に……いえ、あれ以上に、蕩けるくらい溺愛してくれるに決まってます……。あの手でお風呂に入れてもらって、あの声で子守唄を歌ってもらって……ふ、ふふ……)
外面はあくまで、穏やかで落ち着いた幼馴染の顔。だが、その内心では――
(デュフフフフフ……! 考えただけで、幸せすぎます……!)
抑えきれない笑いが、内側でこっそりと爆発していた。表情筋だけは、辛うじて平静を保っている。
「ケイト? どうかした? 顔、赤いけど」
「な、なんでもありません! ちょっと、暑いだけです!」
慌てて誤魔化すケイトに、アレンは特に気にする様子もなく、また赤ん坊たちの方へと視線を戻した。
そんな幼馴染の胸の内で、静かに、しかし確実に、こじらせた妄想がまた一つ、積み重なっていったことを、当のアレンが知る由もなかった。
そして、こうした日々の積み重ねの先に、いつか自分がどんな選択をするのか――その答えは、まだ見えないままだった。
だが少なくとも、今この瞬間だけは、腕の中の小さな重みを、ただ大切に感じていたかった。




