ダンジョン
「今日は、ケイトと村の周りを散歩してくるよ~」
朝食の席でそう切り出すと、エレーナとトマスは、顔を見合わせた。
「……最近、稽古を頑張ってるものね。まあ、いいでしょう。しっかりしてるケイトちゃんもいるしね。」
「日が暮れる前には、必ず戻ってこい。それだけは約束だ」
トマスの言葉に、迷いはなかった。稽古を通して、俺の実力をある程度は把握してくれている。過保護になりすぎず、かといって無関心でもない、ちょうどいい距離感だった。
(俺もこの数年、伊達に鍛えてきたわけじゃないからな)
集気功に、拳法の型。基礎ステータスも、着実に積み上がっている。多少の魔物が出たところで、後れを取る気はしなかった。
「お兄さま、準備できました」
薬草採取用の小さな籠を提げたケイトが、玄関先で待っていた。二つ返事で誘いに乗ってくれたのは、彼女なりに、外の世界への興味があったからだろう。
---
村を出て、しばらく歩いた頃だった。
茂みの向こうから、ぬるりとした緑色の肌をした小柄な人型の魔物が姿を現した。
「……ゴブリン、か」
初めて目にする、前世での漫画やアニメ、ゲームなどでもお馴染みの魔物。だが、感慨に浸る間もなく、相手は粗末な棍棒を振りかざして襲いかかってきた。
半歩踏み込みながら、攻撃線を外す。がら空きになった脇腹に、集気功を乗せた拳を叩き込んだ。
それだけで、決着はついた。
「……あっけないな」
拍子抜けするほどの弱さだった。稽古で培った動きの前では、児戯にも等しい相手だったらしい。
だが――問題は、その後だった。
一体、また一体と、ゴブリンが次々に現れる。片っ端から沈めていくが、いつまで経っても、その数が減る気配がない。
「お兄さま……。これ、ちょっと変じゃないですか?」
ケイトが、不安げに声を漏らした。
(確かに、おかしいな。まるで、湧いて出てくるみたいだ)
不審に思いながら茂みをかき分けて進むと、やがて岩肌にぽっかりと口を開けた、洞窟の入り口が見えてきた。中からは、ゴブリンの声らしき喧騒が、絶え間なく響いてくる。
「洞窟……。ここが、発生源か」
脳裏に浮かんだのは、以前、村の大人たちの立ち話で聞きかじった単語だった。
(確か……ダンジョン、だったか)
この世界における、魔物が自然発生する特殊な空間。狩っても狩っても数が減らない場合、近くにこうしたダンジョンが存在し、そこから魔物が「漏れ出している」可能性が高いのだと、以前、村の男衆がそんな話をしていたのを思い出す。
そして、漏れ出しという現象そのものが、ある種の前触れだとも。
(……ダンジョンブレイク、だったよな)
ダンジョンの容量を超えた魔物が、一気に外部へと放出される現象。数万という群れが解き放たれ、周辺の村や町を呑み込む厄災になることもあるという。
だからこそ、発見されたダンジョンは、大抵の場合、冒険者ギルドの管理下に置かれるか、あるいは徹底的に攻略されて崩壊させられる。だが、この世界は広い。まだ誰にも見つかっていないダンジョンが、あちこちに眠っていてもおかしくはなかった。
「お兄さま、これ……村の人に報告した方が」
ケイトの言う通りだった。本来なら、それが正しい対応なのだろう。
だが――
(村のすぐ近くに、ダンジョンブレイクの前触れがある。それを放置して帰るのは、さすがに気が引くな)
報告して、大人たちが対処するまでの間にも、状況が悪化しないとは限らない。それに、正直なところ――
(俺の実力、ここらで一度試してみたい気持ちもあるしな)
スナフキン気質の奥底に、ゲーマーとしての探究心が、むくりと頭をもたげていた。
「ケイト。ちょっとだけ、様子を見てみないか。危なそうなら、すぐ引き返す」
ケイトは少しの逡巡の後、こくりと頷いた。
「お兄さまが行くなら、わたしも」
その言葉に背中を押されるようにして、俺たちは洞窟の中へと足を踏み入れた。
---
中は、思ったより広かった。
道すがら襲いかかってくるゴブリンを、次々と片付けながら奥へと進む。ケイトも、時折り薬品を使った援護を挟みながら、危なげなくついてきた。
そして――最奥に辿り着いた瞬間、空気が変わった。
開けた空間の中央に、それはいた。
通常のオーガよりも一回り大きな体躯。その肌は、見慣れた緑ではなく、どす黒い赤色に染まっている。
「……色違い、か」
嫌な予感が、背筋を這い上がった。ゲームでよく見た、通常種よりも数段格上に設定された、変異個体特有の禍々しさ。
オーガが咆哮を上げ、丸太のような棍棒を振りかぶって突進してきた。
地響きにも似た足音が近づいてくる。俺は半身になって初撃を見切り、棍棒の軌道の外側へと体を滑り込ませた。すれ違いざま、集気功を乗せた拳を脇腹に叩き込む。
手応えは、確かにあった。だが――
(――重い……!)
これまで倒してきたどの相手とも違う、岩を殴ったような重さと硬さが、拳を通して腕全体に突き抜けた。ゴブリンや野盗の肉とは、まるで質そのものが違う。
振り返りざま、オーガの丸太のような腕が、横薙ぎに振るわれる。俺は咄嗟に後方へ跳んで距離を取ったが、それでも風圧だけで頬が切れた。
(躱しきれても、掠っただけでこれか……)
仕切り直す間もなく、オーガは怯む素振りも見せず、間髪入れずに次の一撃を放ってくる。棍棒の先端が地面を叩き、砕けた岩の破片が飛び散った。
拳法の型を頼りに、俺は攻撃線を読みながら、最小限の動きで凌ぎ続けた。だが、一撃を躱すたびに、確実に体力と集中力が削られていく。攻める隙が、まるで見つからない。
「お兄さま――!」
背後から飛んできた薬瓶が、オーガの顔面で弾けた。刺激臭を伴う煙が視界を覆い、巨体がわずかに怯む。
その隙を突いて距離を取ったものの、根本的な状況は変わらない。むしろ、体力の消耗という一点においては、こちらが不利になる一方だった。
(このままじゃ、削り合いにすらならない。何か、決め手が――)
息を切らしながら、追い詰められた思考が、頭の中の封印リストへと辿り着く。
(……そうだ。あれを、試してみるか)
封印されたまま、一度も使ったことのないスキル。だが、今この瞬間、体の奥で何かが疼くような感覚があった。
「獅子奮迅――ッ!」
叫ぶと同時に、体の奥に蓄えていた気が、堰を切ったように解き放たれるのを感じた。
全身から、獅子を象った紅いオーラが噴き上がる。皮膚の表面が熱を帯び、視界の輪郭が、これまでにないほど鮮明になった。心臓の鼓動が、一段階上のリズムを刻み始める。
(これが……!)
地を蹴った瞬間、自分でも驚くほどの加速がかかった。これまでの踏み込みとは、明らかに速度の桁が違う。オーガの視界から、一瞬だけ姿が消えたようにすら見えたはずだ。
振り下ろされる棍棒を、紙一重で潜り抜ける。空を切った風圧が、背中の産毛を逆立てた。
がら空きになった胴へ、腰の回転を乗せた拳を叩き込む。
ズン、という鈍い衝撃と共に、オーガの巨体が大きく仰け反った。先ほどまでとは比較にならない手応え。オーラを纏った拳は、まるで別物の武器のように、確かな破壊力を伝えてくる。
そこから先は、一方的だった。
右、左、また右。連続して繰り出される拳が、次々とオーガの体を捉えていく。防御に転じる暇すら与えない、畳みかけるような連撃。均衡は、完全に逆転していた。
オーガが苦し紛れに振るった最後の一撃を、半歩の見切りで躱す。空いた懐へ、渾身の力を込めた一撃を打ち込んだ。
骨の軋む音と共に、巨体が大きくよろめく。
「――ッ、これで、終わりだ……!」
最後の踏み込み。全身のオーラを拳の一点に凝縮させるように、渾身の正拳を叩き込んだ。
轟音と共に、オーガの巨体が地面に崩れ落ちる。土煙が舞い上がり、洞窟内に静寂が戻った。
(……勝った、のか)
安堵の息を吐いた、次の瞬間。
全身から、急速に力が抜けていくのが分かった。獅子奮迅の反動なのか、あるいは単純な限界なのか。四肢の感覚が、潮が引くように遠のいていく。視界が急速に暗転していく。
「お兄さ――」
ケイトの声を最後に、俺の意識は、そこで途切れた。
---
気がついた時には、見慣れた自室の天井があった。
体を起こそうとした瞬間、猛烈な倦怠感が全身を襲う。
「お兄さま、目が覚めたんですね……! よかった……」
傍らで、目を赤くしたケイトが、安堵の表情を浮かべていた。聞けば、意識を失った俺を、村まで引きずるようにして連れ帰ってくれたのだという。
(ケイト……ありがとうな。それにしても、引きずってって……大変だっただろ)
感謝の言葉を口にしようとした、その時だった。
部屋の扉が、勢いよく開いた。
「アレン――! 目が覚めたのね……!」
安堵の表情を浮かべたのも束の間、エレーナの顔つきが、みるみる険しいものへと変わっていく。
「危険なダンジョンに、二人だけで足を踏み入れるなんて……! しかも、そんな怪我をするまで戦うなんて……!」
その後、俺は丸一日、みっちりと母の説教を受けることになった。
どれだけ弁明を重ねても、ダンジョンブレイクの危険性を語っても、「だから危ないと分かっていたなら、なおさら大人に任せるべきだった」の一点張りである。
(……ぐうの音も出ない、な)
正論には、逆らいようがなかった。
結局その日は、夕食も抜きで、延々と説教を受け続けることになったのだった。




