稽古と、書類の山
盗賊が村を襲った一件から、数日が過ぎた。
あれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、村の空気は、拍子抜けするほど早く落ち着きを取り戻していた。
「アレンが盗賊を四人も追い払ったって? いやぁ、さすが門番の倅だなぁ」
「昔っから、やたら足腰がしっかりした子だったもんねぇ。そういう星の下に生まれたんだろうさ」
井戸端で交わされる会話は、驚きよりも、どこか納得の色が濃かった。
(……あれ、思ったより普通に受け止められてるな)
俺自身、多少は身構えていた部分があった。幼子が盗賊を打ち倒したとなれば、もっと大騒ぎになってもおかしくない。だが、生まれた時から俺を見てきた村人たちにとっては、「あの子ならまあ、そういうこともあるか」程度の話らしい。
考えてみれば、この村の人間関係は、都会のそれとは違う。赤ん坊の頃から、庭を駆け回る様子も、崖を登る様子も、みんなどこかで見てきている。今更、多少の武勇伝が加わったところで、驚天動地の大事件にはならないのだろう。
(田舎の人間関係、ある意味では都合がいいな)
変に祭り上げられるよりは、よほど気が楽だった。
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その日の夕方、庭先で素振りの真似事をしていると、トマスが静かに近づいてきた。
「アレン。少し、時間はあるか」
その声には、いつもとは違う、真剣な響きがあった。
「村の男衆が、後で数えたそうだ。お前が出くわした賊、気を失って転がってたのが四人もいたってな」
図星を突かれ、俺は内心で息を呑んだ。
「俺が駆けつけた時には、もう決着がついていた。まだこんなに小さいのに……お前がどうやったのか、正直、俺にもよく分からん」
言葉を選びながら、トマスは俺の目をまっすぐに見据えた。
「だが、大の大人を四人だ。子供の力業でどうにかなる数じゃない。お前には、何か……才能があるんだろうな。剣か、拳か、その両方か――磨けば、もっと伸びるだろう」
そして、少し照れくさそうに、続けた。
「どうだ。俺が、稽古の相手になってやろうか」
思いがけない申し出に、俺は一瞬、言葉に詰まった。
「……いいの?」
「ああ。仕事の合間になるが、それでよければな」
断る理由は、どこにもなかった。
「うん……お願いします」
トマスは満足そうに頷くと、俺の頭をくしゃりと撫でた。
こうして、その日から、俺とトマスの二人だけの稽古が始まることになった。基礎体力作りから、簡単な型のおさらいまで。前世で染み付いた拳法の記憶を頼りに動く俺と、実戦で鍛えられたトマスの剣。互いに教え合うような、不思議な師弟関係だった。
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もう一つ、後になって知った話がある。
あの夜、村の危機を救う結果となった騎士崩れの首には、実はかなりの額の賞金がかけられていたらしい。国境沿いの村々を荒らし回っていた男は、行く先々で相応の悪名を轟かせていたようだった。
「あの賞金のおかげで、村の備蓄がだいぶ潤ったらしいわよ」
夕食の席、エレーナがそんな話を、どこか嬉しそうに漏らしていた。
壊れた倉庫の修繕費、次の収穫までの当座の食料。村長を中心に、その使い道が話し合われているという。
(誰の手柄かなんて話は、あんまり表には出てこないんだな)
その辺りの機微は、大人たちの領分なのだろう。俺はただ、村が少しでも潤うなら、それでいいと思うことにした。
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――王都、エリュシオン城。
その日、王の執務室には、いつにも増して分厚い書類の山が積み上がっていた。
「陛下。国境沿いの村々から、盗賊被害の報告が相次いでおります」
宰相の声に、王は眉間を揉みながら唸った。
「……またか。ここのところ、この手の報告ばかりだな」
「はい。特に、リベルタ方面から流れ込んだ、戦の残党と思しき一団による被害が目立っております」
数年前、大陸北西の軍事国家が起こした国境紛争。その敗残兵や、行き場を失った傭兵たちの一部が、食い扶持を求めて各地へと散っていた。その余波が、今になって、こうした形で表面化しているのだった。
「食い詰めた民が盗賊に転じるのは、まだ手の打ちようがある。だが、腕の立つ崩れ者が混ざるとなると……」
王は、書類の一枚を手に取った。そこには、国境近くの小さな村で、村人自身の手によって盗賊の一団が撃退されたという報告が記されていた。
「ふむ……。この村は、被害が最小限で済んでいるようだな」
「はい。報告によれば、村の門番が、賊の頭目――戦帰りの崩れ者を、自ら一騎打ちで討ち取ったとのことです」
「門番が、か。それは大したものだな」
現場から遠く離れた王都まで届く報告は、当然ながら簡潔なものだ。子細な経緯までは記されておらず、村を実質的に救ったのが門番自身の武勇である、という体裁で処理されていた。幼い息子の働きなど、そもそも報告書のどこにも記載がない。
「その門番には、褒美を取らせよ。国境の守りを支える者への、当然の報いだ」
「畏まりました」
「……とにかく、辺境の防衛体制を見直す必要があるな。近隣諸国とも、連携を強めねば」
人の良さと真面目さゆえに、王の執務室の明かりは、その夜も遅くまで灯り続けることになった。
――遠く離れた辺境の村で、小さな少年が大人の盗賊をのしたことなど、この時の王が知る由もなかった。




