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襲撃された村

 ケイトと出会ってから、幾つかの季節が巡った。


 気づけば俺の身長は伸び、地球でいう小学一年生程度にまで成長していた。相変わらず封印されたステータスには手が届かないままだが、剥き出しの基礎能力の方は、着実に育っている実感があった。


 そして、少し前のことだ。ある日、ふと体の奥で、何かがかちりと噛み合うような感覚があった。


「……あー。集気功、かぁ」


 封印リストの中で、その文字だけが、うっすらと光を帯びていた。体の内側に、目に見えない気を練り、それを一時的に力へと変換する技術。使いこなせば、攻撃力を底上げできる、地味だが堅実なスキルだ。


(うんうん。これがあれば、いざという時、大人相手でも渡り合えるかもしれないなぁ)


 派手さはない。だが、確かな手応えだった。


 変わったのは、俺だけではない。


「お兄さま。わたし合成術、解放されたんです。おかげで、作れる薬の種類がぐっと増えました!」


 ケイトも、着実に力をつけていた。薬品作りの腕はもとより、最近では合成術という新しいスキルまで扱えるようになっている。


 その報告に、俺は素直に感心した。ケイトの向上心は、こちらが見習いたくなるほどだった。


 もっとも、それ以外の近況の大半は、本人の口からというより、エレーナたちの井戸端会議から仕入れたものだったりする。


「ケイトちゃん、鍛冶屋のおじさんにすっかり気に入られてるみたいよ。筋がいいって、褒めてたわ」


 母親同士のネットワークは、俺の想像以上に情報網として優秀だった。子供たちの近況から、村の噂話まで、大抵のことはここで把握できる。


(ママさんネットワークの情報網は侮れないよなぁ……こわやこわや)


 そんな、緩やかで穏やかな日常が続いていた。


 あの日までは。


---


 異変は、夜半に始まった。


 突如として響き渡った、鐘の音。それは、村の危機を知らせる、けたたましい警鐘だった。


「盗賊だ――! 門が破られたぞ!」


 外から響く怒号に、俺は飛び起きた。


「アレン、絶対に外へ出ないで――!」


 エレーナの悲鳴に近い声を背に、トマスは剣を掴んで飛び出していった。門番として、村の男たちを率いる立場として、迷う暇などなかったのだろう。


 窓の外では、松明の炎と怒声が入り乱れていた。トマスをはじめとする村の男たちが、正面から押し寄せる盗賊の集団に応戦している。数の上では拮抗していないように見えたが、村を守るという意志の強さが、彼らを支えているようだった。


 だが――全員を、門で食い止めきれたわけではなかった。


 物陰から、複数の人影が、村の奥へと忍び込んでくる気配があった。


(数人、抜けてきてるよなぁこれ……。まずいかも)


 エレーナを守るべきか、それとも動くべきか。逡巡は一瞬だった。


(……いや、迷ってる場合じゃねぇや!)


 封印下とはいえ、育て上げてきた基礎能力と、目覚めたばかりの集気功。今のこの体でも、通りすがりの野盗程度になら、決して引けを取らない自信があった。


 それに――思い出す技術は、ゲームの記憶だけではなかった。


(前世で齧った拳法、こんな形で役に立つとはな)


 学生時代、健康のためといって習い事で汗を流した拳法。あの頃に叩き込まれ、いやいや覚えた体捌きや間合いの取り方は、今世の幼い体にもうっすらと馴染んでいた。もちろん前世、当時の筋力や体格そのものは残っていない。だが、力任せではない「捌き」の感覚だけは、不思議と体に染み付いたままだった。


 気配を殺し、家の外へと忍び出る。


 最初の一人は、あっけないほど簡単だった。


 振り下ろされる腕に対し、俺は半歩だけ斜めに踏み込みながら、前腕を相手の腕の内側に添わせるように差し込んだ。突きの軌道を真正面から止めるのではなく、内側から絡めるようにして、力の方向をわずかに逸らす。それだけで、渾身の一撃だったはずの拳が、俺の体の脇を虚しく通り過ぎていった。


 攻撃を受け流したその同じ流れの中で、半歩踏み込みながら軽く膝を沈める。そこから溜めた力を解き放つように、腰の回転と共に膝を伸ばし、その勢いをそのまま拳へと乗せた。がら空きになった鳩尾に、下から突き上げるように拳を突き入れる。受けと攻めを、ほとんど一つの動作として繋げる。あの頃、口を酸っぱくして叩き込まれた基本の型そのものだった。


「ぐぼっ――」


 声にならない呻きと共に、男が崩れ落ちる。手加減はしたつもりだが、集気功を乗せた拳の重さは、素の拳とは比較にならなかった。


 二人目は、棍棒を振り回しながら突っ込んできた。俺は半身になってその軌道を躱しつつ、伸びきった腕の手首を片手で掴み、もう一方の手を肘の関節にあてがう。


 力任せに投げるのではない。手首を軽く押し上げながら、肘には逆方向へ、体重を乗せてじわりと圧をかける。まるで天秤の両端に別々の力を加えるように、二点のバランスを崩す。関節が本来曲がらない方向へ抵抗を受け、男の体は自分の意思とは無関係に、勝手にバランスを失って傾いでいった。


 その傾きに、最後は体ごと引き込むように回転を加える。抗えない角度で叩きつけられた男は、白目を剥いて動かなくなった。


 三人目、四人目も、似たような要領で沈めていく。踏み込みの間合い、受けと突きを繋げる呼吸、関節を極める角度。どれもこれも、あの頃、道場で嫌々ながら繰り返させられた基本の型そのままだった。


(……いける。思ったより、体が動く)


 小さな成功体験が、確かな手応えとして積み重なっていく。拳法の型と、集気功による底上げ。この組み合わせは、想像以上に噛み合っていた。


 だが、その油断が甘かったことに、すぐに気づかされることになる。


「――随分と、威勢のいいガキだな」


 低く、地を這うような声。振り向いた先に立っていたのは、これまで倒してきた連中とは明らかに違う、纏う空気そのものが異質な男だった。


 傷だらけの鎧。歴戦の証を刻んだ、荒々しい剣。目の奥に宿る、人を殺すことに躊躇のない、澱んだ光。


(うわっ――これが、騎士崩れってやつか!)


 父から聞いた言葉が、脳裏をよぎった。ただの食い詰め者ではない、戦場で人を斬ることに慣れた本物。


 男の剣が、無造作に振り下ろされる。


 拳法の間合い感覚を頼りに、俺は横へ跳んで軌道から逃れようとした。だが、剣速そのものが、これまでの相手とは桁違いだった。


 完全には躱しきれず、切っ先が肩口をかすめる。焼けるような痛みと共に、布地が裂ける感触があった。


(――っ、桁が違う……!)


 体勢を立て直しざま、隙を見て集気功を乗せた掌打を叩き込む。だが、男の体は、まるで岩を殴ったかのようにびくともしなかった。


「その動き、多少は仕込まれてるらしいな。だが――」


 男の剣が、今度は横薙ぎに振られる。反射的に後ろへ跳んで距離を取ったが、着地の瞬間、足元の小石に体勢を崩された。


 その一瞬の隙を、男は見逃さなかった。


「お兄さまっ――!」


 ケイトの声が、近くで響いた。騒ぎを聞きつけて、様子を見に来てしまったらしい。


「来るんじゃない、ケイト……!」


 叫んだ瞬間、男の視線がケイトへと移った。その隙を、逃すつもりはなかったのだろう。


 次の一撃は、避けきれなかった。


 柄尻で殴り飛ばされ、地面を転がる。口の中に、鉄の味が広がった。立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。


(まずい……まずいぞ、これは……)


 三十二歳の理性が、冷静に状況の絶望を告げてくる。ケイトを庇う位置に体をねじ込むのが、今の自分にできる精一杯だった。


 男の剣が、再び振り上げられる。


 その切っ先が、確実に自分たちへと向けられているのを、ただ見ていることしかできなかった。


 ――間に合わない。


 そう覚悟した、まさにその瞬間。


「――そこまでだ!」


 怒号と共に、横合いから飛び込んできた影があった。


 トマスだった。剣を構え、男の一撃を真正面から受け止めている。


「アレン、ケイトちゃんを連れて下がれ――!」


 その声を合図に、俺はケイトの手を引いて距離を取った。だが、その場を離れきる前に、目の前で繰り広げられる剣戟から、目を逸らすことができなかった。


 トマスと男の剣が、幾度となく打ち合う。金属同士がぶつかる甲高い音が、夜の闇に響き渡った。


 男の剣は、荒々しくも的確だった。戦場で幾人もの命を刈り取ってきた者特有の、無駄のない殺気を纏っている。対するトマスの剣筋には、そこまでの鋭さはない。だが、代わりに、ここ数年、この村で培ってきたであろう、粘り強い防御の技術があった。


 受け、いなし、時に反撃を織り交ぜる。押されているようで、決して崩れない。


(……父さん、思ったより強い……)


 若い頃、王都で騎士候補として訓練を受けていたという話は聞いていた。だが、実際にその剣を目の当たりにするのは、これが初めてだった。


 しばらくの鍔迫り合いの末、男の剣が大きく振りかぶられる。渾身の一撃だった。


 トマスは、それを真正面から受けなかった。半歩踏み込み、剣の腹で軌道を逸らしながら、男の懐へと潜り込む。


 そして――放たれた刺突が、男の脇腹を貫いた。


「ぐ、ぁ……」


 男の膝が、その場に崩れ落ちる。


 だが、脇腹を貫かれてなお、男の目に宿る敵意は消えていなかった。ふらつきながらも、まだ剣の柄を握り締めている。


 トマスは剣を引き抜き、油断なく間合いを保ったまま、その様子を見据えていた。息が上がり、肩が大きく上下している。互角に近い斬り合いの果てに、辛うじて先手を取れただけだ。もう一合、二合と続けば、どちらが倒れていたか分からない。そう思わせるだけの、際どい攻防だった。


(……ここで隙を見せれば、次はこっちがやられる)


 縛り上げて突き出す、などという選択肢を選べるだけの余力は、もう自分の側にも残っていない。トマスは、そう判断したのだろう。


 男が最後の力を振り絞り、剣を握り直そうとした、その瞬間。


 トマスの剣が、迷いなく一閃した。


 鈍い音。そして、静寂。


 男の首が、地面に転がった。


 視界いっぱいに広がる、生々しい光景。


 込み上げてくるものを、堪えきれなかった。俺はその場に膝をつき、胃の中のものを全て吐き出した。


(……っ、うぇ……)


「お兄さま――! 大丈夫ですか、お兄さま……!」


 ケイトが慌てて駆け寄り、震える手で俺の背中をさすってくれる。その声には、隠しきれない心配が滲んでいた。


「うっ……げほっ……、け、ケイト……ごめん、大丈夫……」


 言葉とは裏腹に、涙目になりながら、何度も嘔吐を繰り返す。前世を含めても、これほど直接的な「死」を目の当たりにしたことはなかった。


「アレン――!」


 剣を収めたトマスが、血の付いた手のまま駆け寄ってくる。片膝をつき、俺の顔を覗き込む表情には、安堵と、それ以上の心配が浮かんでいた。


「怪我は……いや、それより、大丈夫か。無理に喋らなくていい」


 その大きな手が、俺の背中を優しく支える。


 だが――嘔吐が収まった後、自分の中に湧き上がってきた感情に、俺は密かに戸惑っていた。


(……あれ? 思ったより、……平気だ、な)


 凄惨な光景を目にした直後にしては、精神的な衝撃が、想定していたよりもずっと軽い。恐怖や嫌悪感はある。だが、立ち直れないほどの傷にはなっていない。


(これは……前世の俺の感覚とは、明らかに違う気がするぅ)


 平和な日本で三十二年生きてきた菅田健介なら、もっと深く、長く、この光景に囚われていたはずだ。だが今の自分は、驚くほど早く、この現実を「受け入れ」始めている。


(今世のこの体、というか、俺の魂は……前世とは、何かが違うの……か?)


 その事実に、微かな薄ら寒さを覚えた。自分の内側にある何かが、少しずつ、前世の自分とは違うものに作り替えられているような、そんな感覚。


 だが、その恐怖よりも先に、圧倒的な安堵の方が押し寄せてきた。


(……生きてる。ケイトも、無事だ)


 トマスに抱き上げられ、ケイトが心配そうにその隣を歩く。張り詰めていた糸が切れたように、瞼が重くなる。


 抗う間もなく、俺は泥のような眠りに落ちていった。


---


 翌朝。


 目を覚ました俺は、いつも通りの調子で、寝ぼけ眼を擦っていた。


「……よく寝た」


 昨夜のことは、もちろん覚えている。だが、いつまでも引きずっているのは、性に合わなかった。


(終わったことは終わったことだ。生きてるんだから、それでよしとしよう)


 軽く伸びをして、俺はいつも通りの調子で、朝食の匂いが漂う台所へと向かった。


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