幼なじみ
その子と対面したのは、それから間もなくのことだった。
エレーナに手を引かれて訪れた隣家の居間。そこに、ちょこんと座っていた小さな女の子を見た瞬間、俺は思考が一瞬、完全に停止した。
金色の髪を、頭の高い位置で結んだポニーテール。意志の強さを感じさせる、紅色の瞳。あどけない顔立ちの中に、どこか几帳面そうな空気を纏っている。
(――は?)
見覚えがある、なんてものではなかった。
確信があった。この顔立ち、この髪色。前世で、俺自身が何度も調整を重ねて作り上げた、あのキャラクターメイキング画面の記憶と、寸分違わず重なる。
「アレン、こちらケイトちゃんよ。今日から、仲良くしてあげてね」
エレーナの紹介する声が、やけに遠くから聞こえた。
(ケイト……。マジかよ。名前まで、そのまんまじゃねえか)
工作と薬品を担当する、あの生産特化のキャラクター。武器を作り、装備を鍛え、道具を生み出す。戦うためではなく、支えるために育て上げた一体。十年間、MMORPGで縁の下の力持ちとして冒険を支え続けてくれた、大事なサブパラメーターの一人。その名前を、今まさに、目の前の幼女に対して呼ばれている。
(どう話しかけたもんかな……。「久しぶり」ってのも変だし、そもそも向こうは俺のことなんて――)
どう切り出すべきか、頭の中で言葉を選びあぐねていた、その時だった。
「……おにいたま」
小さな声が、俺の思考を遮った。
ケイトが、まっすぐにこちらを見つめている。その瞳には、驚きも戸惑いもなかった。まるで、当然のことを確認するような、静かな確信だけがあった。
(お、おにいたま……?)
予想していなかった呼びかけに、俺は完全に出鼻をくじかれた。
「あ、あぅ……えっと」
情けないことに、気の利いた返しの一つも出てこない。三十二歳の頭脳は、こういう時に限って役に立たなかった。
エレーナと、ケイトの母親らしき女性は、微笑ましそうにその様子を見守っている。子供同士の可愛らしいやり取り、としか映っていないのだろう。
その後、なんとか二人きりで話す機会を得た俺は、努めて平静を装いながら、慎重に言葉を選んで問いかけた。
「ケイト……は、まえに、どこかにいた……?」
舌足らずな問いかけだったが、意図は伝わったらしい。ケイトは、こくりと頷いた。
「ティムラルトの、ギルドに……。おにいたまたちと、一緒にいました」
その一言で、俺の中で、点と点が一気に繋がった。
ティムラルト。それは紛れもなく、俺が十年遊んだあのMMORPGの、世界の名称だった。
「みんなでギルドの拠点にいたら……急に、目の前が真っ白になって……。気がついたら、この体になっていました」
たどたどしい語り口で、ケイトはぽつりぽつりと当時の記憶を語った。
「わたしも、最初は何が何だか……。だから、しばらく、家から出られなくて」
なるほど、と俺は密かに納得する。
(そうか……。だから、村の子供たちと遊んでる姿を見なかったのか)
得体の知れない状況に放り込まれ、幼い体一つで状況を判断する。それがどれほど心細いことか、俺自身、痛いほど分かっていた。無理もない反応だった。
だが、ここで一つ、大きな疑問が浮かんでくる。
(待てよ。ケイトは……前世の記憶があるってことか? それとも……)
「ケイトは……前は、なんて名前だったんだ?」
核心に迫る質問を、俺は思い切ってぶつけてみた。
だが、返ってきた答えは、俺の予想とは違うものだった。
「前の名前……? いいえ。わたしは、ずっとケイトです。ティムラルトにいた頃から、ずっと」
その答えに、俺は密かに衝撃を受けた。
(……つまり、ケイトの中身は、前世で誰か別の人間だった、ってわけじゃないのか)
彼女には、地球で生きていた誰かの記憶はない。あるのはただ、ゲームのキャラクター「ケイト」として、ティムラルトで過ごした記憶だけ。
(俺が作り上げた設定――『兄弟姉妹』っていう、あの裏設定。あれが、そのまま反映されてる、ってことか……)
十五体分のキャラクターに、それぞれ個別の背景を考えていた。メインパラメーターキャラクター及びサブパラメーターキャラクターが全員兄弟姉妹で、誰がどんな性格で、どんな過去を持っているか。趣味として、時間をかけて練り上げたあの設定たちが、この世界では「事実」として機能しているらしい。
(だから、ケイトは俺のことを「おにいたま」って呼ぶのか。ゲーム時代の裏設定を、そのまま引きずってるんだな)
だが、そこでふと、小さな違和感に気づく。
ゲームの設定はそのまま「兄妹」だったが、今世でのケイトのポジションは、隣家に生まれた幼馴染だ。
設定の一部は反映され、一部は変わっている……転生だからなのか?
(やれやれ。俺と同じように、地球の誰かが転生してきたパターンかと思ったが……どうやら、そう単純な話でもなさそうだなぁ)
答えの出ない疑問がいくつも浮かんでは消えていったが、目の前の小さな幼馴染との時間は、それとは無関係に、静かに、着実にこれから積み重なっていくのだろう。
だが、一つだけ、ふと気になり始めたことがあった。
(ケイトがこの世界にいるってことは……)
十五体分、丹精込めて作り上げてきたキャラクターたち。ケイトと同じように、この世界のどこかに、あの浪漫の塊たちが、それぞれの生を歩んでいる可能性はある。
もっとも、確証があるわけではない。ケイトが一人、たまたまこの近くにいただけなのかもしれないし、そもそも他の連中がどうなっているのかなんて、今の俺には知りようがない。
(今頃、どうしてるんだろうな、あいつら)
効率を度外視して、浪漫だけを追い求めて作り上げた仲間たち。技術に極振りした侍サブパラメーターも、射撃メインに作ったサブパラメーターも、魔王ロールプレイングのために作ったサブパラメーターも。
元気にしているのか。それとも、この世界のどこにも存在していないのか。想像したところで、答えの出ようもない話だった。
(大きくなったら、この世界をふらっと旅してみるのも悪くないかもなあ。会いに行くってほど大層な話じゃなく……まあ、ちょっと様子を覗きに行くくらいの、気軽なノリで……うん、そうしよう)
使命感や、大それた目的があるわけではない。ただ、単純な好奇心と、懐かしさに似た感情だった。
王になるつもりも、世界を救うつもりもない。ただ、もしどこかで会えたら――その時は、その時で楽しめばいい。そんな、ふわりとした思いつきが、この日、静かに胸の内に芽生えていた。
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それからというもの、俺とケイトは、驚くほど自然に一緒にいる時間が増えていった。
両親同士も、元々馬が合ったらしい。すぐに家族ぐるみの付き合いへと発展し、夕食を一緒に囲むことも珍しくなくなった。
ケイトの家は、村で薬屋を営んでいるという。
「わたしのステータスも、封印されているみたいです。でも……薬作りの才能だけは、生まれつき残ってるみたいで」
ある日、薬草の匂いが染み付いた作業部屋で、ケイトはそう教えてくれた。
幼い手つきながら、乾燥させた薬草を的確に選り分け、水加減を調整する仕草には、迷いがなかった。とても、この年頃の子供の動きとは思えない。
「この世界の薬草、ティムラルトとは、また違うんです。似てるようで、効能が全然違うのもあって……。面白いですよ」
淡々とした口調の中に、微かな探究心が滲んでいた。彼女なりに、この新しい世界を、着実に楽しみ始めているらしい。
(ケイトも、ケイトなりに、この世界と向き合ってるんだな)
自分だけが特殊な状況にいるわけではないのだと、改めて実感させられる瞬間だった。
――もっとも、俺の知らないところで、ケイトが少々こじらせた感情を抱えていることまでは、この時の俺は、まだ知る由もなかった。
その日の夜、家に帰ったケイトは、自室の隅で膝を抱え、一人静かに悶えていた。
(お兄さまぁぁぁ……。今日も、お小さいのに凛々しくて、ほんとうに、ほんとうに愛おしすぎましたぁぁぁ……!)
昼間、アレンにさりげなく寄り添った時に感じた匂いを思い出し、そっと自分の袖に鼻を寄せる。表向きは、いつもの落ち着いた無表情のままだったが、その内心では、抑えきれない歓喜が渦を巻いていた。
(お兄さまがまだお小さいうちに、目一杯お世話をして、お守りして……。他の女の子には、絶対に近づけません……)
実のところ、村の広場で遊ぶ女の子たちの何人かは、最近、それとなくケイトに距離を置かれるようになっていた。理由は誰にも分からない。ただ、ケイトがさりげなく間に割って入ったり、話の輪からやんわりと遠ざけたりする場面が、少しずつ増えていた。
もちろん、当のアレンは、そんな水面下の攻防に気づく由もなく。
その日も、いつも通り、庭でのんびりと日向ぼっこをしていたのだった。




