6.行き倒れシロン
アブスと別れを告げたあと、エリーゼはマルタに店の三階に連れて行かれた。
正確には屋根裏部屋であるが、彼女にとってそんなことは気にならなかった。
「エルちゃん、お部屋はここだよ。娘が使ってた部屋だけど、今は新居に引っ越して空の家具しか残ってないから自由に使いな」
「娘さんの家具、お借りしていいんですか!? 何か何まで、本当に、ありがとうございます」
エリーゼは前世の癖で思わず深々と頭を下げる。
マルタは少し驚いて、律儀で丁寧な娘さんだねえと笑った。
「旦那のミハエルは、今、果実園で林檎を採りに行っているから夕方になれば返ってくるよ、はいシーツ」
マルタから手渡されたのは、洗い立ての、驚くほどふかふかとした真っ白なシーツだった。
「果実園も持っているんですか!?」
これまで王都の物置小屋で使っていた、薄汚れてごわついた端切れのような布とはまるで違う。
「フリージア家は元々は農家だったのを、あたしが趣味でパン屋も始めたのさ。魔法パンは、果実入りのパンで有名なんだよ。明日から、りんご入りのフルーツ魔法パンをエルちゃんにも作ってもらうよ。」
「そんな豪華なパン、食べたこともないですよ。すごく楽しみです!」
ふかふかの新しいシーツをベッドに敷いて指先を沈めると、天日でしっかりと干された麻の心地よい弾力と、清潔な石鹸の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
真っ白に整えられたベッドを見つめながら、エリーゼは幸せな気持ちになった。
「ところで、そこにいる猫はなんて名前ですか?」
先程からエリーゼがシーツを敷く様子を尻尾をぱたぱたと揺らしながら出窓から眺める灰色の猫がいた。
『ワシは猫じゃない、風の精霊アーミヤじゃ』
「えっ、猫が喋った!?」
「ああ、アーミヤだね、その子は魔力パンを作るようになったら、いつの間にかここに住み着いたんだよ。魔力パンが目当てさ。」
『ふん、さっきの、ふかふかパンが気になるのじゃ、ワシにも食べさせろ』
「マルタさん、さっきのパン、この子にあげてもいいですか?」
「ああ、あのパンなら、試作品だから、あげてもいいよ」
エリーゼは1階のパン工房から先ほどのパンを持ってきて、アーミヤの元に置いた。アーミヤは、クンクンと匂いをかいだあと、はむっと食べ始める。
『おお、なんじゃこの魔法パンは。今までの魔法パンとは違うではないか。香ばしくて味も絶品じゃ! 娘、お前が作ったのにゃ?』
「ふふ、わたしはエルって言うのよ」
『エル……お主、普通の魔力持ちの人間と匂いが違うな……まあ良い、明日からもワシに魔力パンを持ってくるのじゃ」
魔力パンを食べ終わると終満足そうにアーミヤはお腹を出してごろごろと横になる。
「魔力パンを食べると、いつも、こうして気持ちよさそうに寝るんだよ」
「わあ、そうなんですね、可愛い……ふふっ」
二人でアーミヤの寝姿を見て笑っていると、むくっとアーミヤが起き上がった。
『むっ、助けを求める声がするにゃ! エル……ついて来い!」
「え? わ!? マルタさん、よく分からないけど、わたし行って来ます!」
アーミヤのあとを慌ててエリーゼは追って一階まで駆け下りて、外に出る。
そこからアーミヤは店の前の裏路地を通り抜けて、花だらけの空き地に飛び込んでいく。
「まって、アーミヤ! もう、なんて足が速いの!」
息を切らしながら空き地に向かうと、そこには白いローブを着た一人の褐色の肌をした十代後半らしき青年が倒れ込んでいた。
「お腹……すいて動けない……」
「えっ? どうしたの? 大丈夫!? 待ってて、さっきの魔法パンを持ってきてあげる!」
エリーゼは魔法パンの切れ端を持ってきて少年に渡した。
少年はパンに驚いていたが、ガツガツと食べ始めた。
急いでパンを食べるので喉に詰まらせる。
エリーゼは今度はコップに水を入れて持っていて彼に渡した。
彼はごくごくと水を飲み、ようやく一息落ち着いた。
「おいしかった……ありがとうございます。ボクは騎士見習いのシロン……。道に迷ってしまい、朝から何も食べてなくて……ここで倒れてしまいました」
「わたしも今日、ルインガルド帝国に来たばかりで、周りのこと何も分からないのだけど……。ちょっと待って、あなたの名前はシロン?」
「そうです。シロンです。これが騎士見習いの証です」
シロンが腰から短剣を取り出して見せた。
それは、アブスがエリーゼにくれた短剣、狼と鷲が組み合わさった紋章と同じものだった。
「アブスさんって方が、あなたに会ったら宜しくって言ってたのだけど……」
「えっ、師匠が!? なるほど、それは失礼しました。アブス殿はわたしに剣術を教えてくださった恩師なのです。なかなかお会いできず、魔力パンを作っているフリージア家の店に行けば会えるかもと思い、店を探していて道に迷ってしまいまして……」
「あら、お店なら、そこの裏路地を抜けてすぐよ。案内するわ」
「なんと! すみません、あなたのお名前は?」
「ああ、私はエルって言うの。明日から、魔力パン職人として住み込みで働くのよ、宜しくね、シロンさん」
「ええ!? 魔力パン職人……それはすごい、さすがアブス師匠のお知り合いな訳ですね。お店まで案内、宜しくお願いします」
シロンは片膝をついて騎士らしい挨拶をした。
彼の縦に細長い耳飾りが太陽で綺麗に反射している。
(本当に、アブスさん、顔が広い人なんだなあ……)
シロンが立ち上がるのを見届けながら、エリーゼは、アブスに助けられた自分の境遇を心の底から誇らしいような、とても嬉しい気持ちになっていた。
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