7.皇帝ウルス
――シロンがエリーゼやマルタと楽しく魔法パンを食べて談笑している頃。
ここは、ルインガルド帝国の王宮の執務室。
皇帝ウルスは婚約を希望する令嬢達の推薦状の束にうんざりしていた。
一通一通に断りの手紙を書く時間も惜しいぐらい政務が溜まっている。
「シロン! シロンはどこに行った!」
武官候補でありながら人懐こく双剣の剣士アブスの弟子でもあるシロンは、文才にも長けており、皇帝ウルスにとって代筆を頼みやすい家臣だった。
しかし、いくら呼びかけてもシロンの姿が見えない。
執務室にいる文官達は顔を見合わせ、互いに肩をすくめる。
「ウルス陛下、シロン殿は、朝に魔法パンを買いにいくと飛び出したきりでございます」
「なんだと!? 魔法パン、何だそれは!?」
「市井で話題になっている魔法で焼き上がった魔力入りのパンです。何でも、疲労回復したり腰痛がなおったりする健康食品だそうで、毎日食べていると元気になれるとか……」
「さすがシロンだな、魔法パン、私も是非食べてみたいぞ! どこで手に入るのだ?」
「はい、でも売っているのは帝都で一店舗だけなのです。午前中に売り切れるとかで、シロン殿、無事に見つけられたかどうか……」
「何だと、この広大なルインガルド帝国でたった一店舗……その店に行きたい! シロンが戻ってきたら私の元へ来させろ!」
「はい、そのように致します」
文官達は一斉にウルスに敬礼した。
***
「いやー、魔法パン、食べてると元気になれますね! ボク、騎士見習いなのに連日、王宮で文官に交じって陛下の事務仕事を手伝うことになって、クタクタだったんですよ。魔法パンを食べていると力がみなぎってきます!」
「騎士見習いさんも大変だねえ、このパンはポーションと違って魔力で回復をかけるパンだから、ずっと治癒魔法をお腹の中からかけてもらってるのと同じような効果があるのさ」
マルタが満足そうに微笑む。
シロンはそれを聞いてますます目を輝かせた。
「これはすごいです! ずっと王宮でも噂になってるんですけど、どこにも売ってなくて帝都中のパン屋を駆け回っているうちに、道に迷ってしまって……本当に、助かりました!」
「魔法パンはうちで売ってるだけさ。朝百個しか売っていないけど開店と同時にすぐに売り切れちゃうからねえ。でも明日から二百個は出せるよ、エルちゃんがいるからね」
「マルタさん、エルさん、明日も来ていいですか!? その折り入ってご相談があるんです!」
シロンが姿勢を正して、マルタとエリーゼに向き直った。
「皇帝陛下に魔法パンを作って欲しいんです!」
「「ええ!?」」
それを見ていたアーミヤが欠伸をする。
『この坊や……何を言い出すと思えば、ウルス皇帝に献上せよだなんて、無茶苦茶だにゃあ』
「シロンちゃん、ここは平民街だから貴族や王族の方が買いに来るお店じゃないの、知ってるでしょう?」
マルタは腰に手を当てた。シロンは追いすがるようにマルタに頼み込んだ。
「それは知ってます。だからお忍びということで、こっそり来るんです。陛下は連日、釣書の山に追われて大変なんです」
「釣書ってなんだい?」
「婚約を求める令嬢の書類のことです。無視するわけにもいかず、陛下は一日の半分は断りの返事を書くのに追われる日もあるぐらいなんです」
「だったら、側室でも迎えればいいじゃないか、皇帝陛下なんだから!」
「いえ、陛下は側室はとらない、愛のない結婚など興味が無いの一点張りで――とにかく、元気になる魔法パンを陛下に食べて頂きたいのです。このままじゃ陛下は倒れてしまいます。お願いします」
「そうは言われてもねえ……魔法パンは1年先まで予約でいっぱいなんだよ」
「ええっ、そんなあ」
シロンはがくりとうなだれる。
マルタも困り果てている。
『エル……お前が王宮に行けばいいにゃあ。そこで魔法パンを作るのにゃー』
「ちょっと、アーミヤ! 何を言ってるの! 私はまだ魔法パン見習い中なのよ!」
エリーゼは慌てて手を振った。
アーミヤは気にも留めず前足をペロペロ舐めている。
『今日の味なら、マルタより出来がいい魔法パンができるにゃー。魔力と魔力制御がエルはマルタより上手だにゃー』
「そうだねえ、あたしもそう思うよ。エル、魔導書はもう一冊あるから、シロンに王宮まで連れて行ってもらって、魔法パンを作ったらいいんだよ」
「そんな、マルタさんまで、私、まだ一回しか作ったことないんですよ!」
「いえ、見た目こそ質素ですが、味も何よりも体が元気になるという特殊な効果は、王宮で振る舞われる宮廷料理にも劣りませんよ、エルさん、ボクが手配しますから王宮に来てくださいよ!」
「シロンさんまで……自信がないわ、そんな突然……」
エリーゼがうつむきかけた、そのとき、カランをドアベルが鳴った。
「なんだマルタ……今日はにぎやかだな、沢山リンゴが採れたよ」
「あんた、帰ってきたのかい! エル、シロン、この人があたしの旦那、ミハエルだよ!」
ミハエルは籠一杯のリンゴを抱えて帰ってきた。
エリーゼは立ち上がって挨拶をした。
「こんにちは! 魔法パンのお手伝いをさせていただくエルです!」
「おお、マルタに手伝いができたのか。良かったな、アップルティーを飲むかね? そこの若いのは誰だ?」
「ボクは騎士見習いのシロンと言います! こんにちは、ミハエルさん。魔法パンを陛下に献上したく、ここに来ました」
「魔法パンは一年先まで予約でいっぱいだよ……エルといったな、お嬢ちゃん、マルタの代わりに魔法パンを陛下に作ってあげなさい。大丈夫、少し練習して慣れてからやればいいんだよ。ワシはお風呂に入ってくる……」
ミハエルは優しく微笑みながら飄々と立ち去って行く。
エリーゼはミハエルの言葉で観念した。
「じゃあ、シロンさん。三日……いえ一週間、練習してからにさせてください。ここに来たばかりで、わたし、服もトランク一個分しか持ってないんです」
「ありがとうございます。大丈夫です、陛下に行く日に備えて、洋服などは帝国のほうで全て何とかしますよ、いやー良かった! 今日は来た甲斐がありました!」
シロンは笑顔でエリーゼの両手を持ちぶんぶんと振る。
それを見て、エリーゼも、仕方が無いと諦めた笑いをした。
「さあさ、晩ご飯の時間だ。シロン、あんたも食べて行くかい?」
「いえ、マルタさん、ありがたいのですが、至急、王宮に戻り、今日のことを報告しなければならないので、今日はもう帰ります。魔法パン、ありがとうございました。それでは」
シロンはマルタとエリーゼに別れを告げて出ていった。
『きっと皇帝も魔法パンが気に入るはずだにゃー。ごろごろ』
アーミヤはお腹を出して気持ちよさそうに寝っ転がりながら人ごとのように言った。
「ほんとうにもう、人ごとだと思って……精霊は気ままでいいわね」
エリーゼはアーミヤのお腹をもふもふ触りながら呟いた。
マルタはそれを見て楽しそうに笑いながら夕食の準備を始めた。
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