5.魔法パン
「ルインガルド帝国の入国申請書だ、名前は『エル』で大丈夫だ。職業は魔法パン職人見習いと書いておくんだぞ」
ルインガルド帝国の城壁が見えてきたところで、エリーゼは入国申請書の巻物を渡され、羽ペンで言われた通りに記入をした。
「身元保証人……どうしよう、わたし、お父さんも死んじゃって――」
「分かってる、いいか、エルお嬢ちゃん、あんたは名も無い村にいた娘エルだ。冒険者であるアブス・マキシムこと俺が身請け人になった。身元は俺が保証する。昨日渡した短剣を大切に持っていろよ?」
へへっと笑ってアブスは得意げに片目を閉じた。
(アブスさん、ありがとうございます……)
短剣をきゅっと握りエリーゼは感謝した。
そうしているうちに、城壁前の検問所に到着した。
「アブスか、よお兄弟。積み荷は何だ? また香辛料か?」
「よお、ドゴル! こんにちは、兄弟。積み荷は香辛料と魔獣グリフォンの爪と羽だ。それと村を失った子を保護した。エルって言うんだ、魔力もちだから魔法パン職人になれる」
「兵士さん、こんにちは。エルって言います。アブスさんにお世話になっています。少しだけ魔力があります」
エリーゼは人差し指を立てて、ポッと氷魔法を出した。
「ふむ、移民か。入国税は二人で金貨八枚だ。ようこそルインガルド帝国へ」
「ああ、ただいま、我が故郷。ほら、金貨八枚だ。釣りはいらねぞ?」
金貨八枚という金額に驚くエリーゼを気に留める様子もなくアブスは、ドゴルという衛兵へ金貨を平然と支払って馬車を進めはじめる。
「アブスさん! どうしよう、わたし入国税があるなんて知りませんでした!」
「ん? ああ、身元保証人が払うものだからエル嬢ちゃんが払うもんじゃねえよ、大丈夫だ。利子なんてつけねえよ、金貨が貯まったら払ってくれ」
「アブスさん、ありがとう……ござい……っ――」
エリーゼはきちんとお礼を述べようと思ったら、その前に涙がぽろぽろとこぼれてしまい、途中で泣いてしまって何も言えなくなってしまった。
「ば、馬鹿! ここで泣いたら、俺が人さらいか何かしたと思われるだろう?」
冗談っぽく慌てたふりをして、アブスがガハハと笑う。
めそめそとエリーゼはこぼれた涙を拭きながら嗚咽をおさえようと必死になる。
「ごめん……なさ……アブスさん……ひっく」
「可哀想になあ、エル嬢ちゃん。ずっと必死に頑張ってきたんだなあ。魔法パンは魔力さえあれば、何とかなる。もう泣くのをこらえて必死に生きていく必要はないんだ。笑って生きていけばいいんだよ」
「はい。わたし、頑張ります。魔法パン職人、頑張ります!」
ようやく涙が止まったエリーゼは力強く宣言した。
アブスは、慈しむような優しい顔で微笑んで馬車を進める。
馬車は、「魔法パン・フリージアの店」という看板が出ている店の前で止まった。
「アブス! まあまあ、どうしたんだい、可愛いお嬢ちゃん連れて!?」
中からは白髪交じりの壮年の女性が出て来た。
にっと笑ってアブスはエリーゼに彼女を紹介した。
「いとこの、マルタだ。マルタ、この子はエルってんだ。ほれ、お前が捜していた魔力持ちの子だ。いろいろあってな住む家も捜してる」
「こんにちは、マルタさん。エルって言います。少しだけ魔力があります。これまでパン屋しか経験がありませんが、よろしくお願いします」
「おやまあ、可愛いお嬢ちゃんだねえ、エルちゃん。せっかく魔力パンはじめたけど、肝心の旦那が魔力もってなくてねえ、わたし一人で大忙しだったんだ、手伝ってくれるのかい?」
「マルタおばさんが良ければ、是非、そうさせてください。でも魔力パンって作った経験もなくて……」
「いいんだよ、来たらわかるから、こっちへおいで……」
マルタに連れられてアブスとエリーゼは店内に入り、そこからパン工房へと案内された。小麦粉を練った、まんまるのパン生地が厨房には置かれていた。
「エルちゃん、このパン生地にこの魔法書を読み上げて魔力を込めるんだよ、さあ、やってごらん」
マルタはエリーゼに一冊の魔導書を渡した。しおりがついている。
エリーゼはしおりのついたページを開き、呪文を唱えながらパン生地に魔力をこめていくと、パン生地がぷくーっと膨れていく。
「わあ、すごい! パン生地が膨らんでいく!」
「ほう、呪文を改良したんだな、マルタ」
「違うよ、この子の魔力が凄いんだよ、あたしも見た事ないよ! なんだいこりゃ、すごい子を連れて来たね!」
三人が思い思いに叫ぶ。
パン生地はそのまま膨れたあと小麦色にジューとその場で焼けていく。
「ええっ!? オーブンに入れてないのに焼けちゃうんですか?」
「呪文はそうなってたんだけど、あたしの魔力じゃそこまで、できなかったよ。まあまあ、エルちゃん、あんたすごい才能だね!」
「こいつは見事だ、エル嬢ちゃん、ここに来て正解だったな!」
たちまちパンが一つ焼き上がった。
ふわふわの丸くて美味しそうな魔法パンだ。
「マルタ、これ試食できないのか? 俺もどんな出来か興味があるぜ」
「そうだねえ、エルちゃん、みんなで食べてごらんよ。今切るからね……」
マルタがパン切り包丁で丁寧にパンを小分けに切って、エリーゼとアブスと自分用に取り分けた。
三人で試食を始める。
「えっ、すごい! ふわふわもちもちしてて甘い! 魔法パンってふわふわなんですね!」
「いや、マルタの作ってる魔法パンはもっと小さくて硬いんだ。こいつはすごいのができているぞ、エル嬢ちゃん」
「あたしも食べたことないよ、なんだいこれは! すごい上等のパンだよ! エルちゃん、うちの店に来てくれるなら毎月金貨十枚、家賃はタダでいいよ、だから来ておくれよ!」
「そんなに!? いいんですか、マルタさん! わたし、まだ全然なにも分からないですよ」
「いいんだよ、エルちゃんがいてくれたら、この店は間違いなく、もっと大繁盛だよ。あとで部屋を案内するからね」
「良かったな、エル嬢ちゃん、な? ここに来て良かっただろ?」
「アブスさん、マルタさん、ありがとうございます! ぜひここで魔法パン、頑張らせてください」
エリーゼが頭を下げると、マルタはエリーゼを我が娘のように抱きしめて笑った。
それを見てアブスも嬉しそうに微笑む。
パン工房の厨房は三人の心からの笑い声で満ち溢れた。
***
――その頃、ミレイユ国の王都。
開店に向けて慌ただしく動くアイザックのパン屋の窓を、突如として激しい雹が叩きつけ始めていた。
空を覆う異常な黒雲を見上げながら、アイザックはなぜか、言いようのない寒気に背中を震わせるのだった。
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