8 団員は赤点回避が絶対
六月頭の馬術大会も、無事終えた。
前回よりはまだ良かったが、やはり今回も頬筋はげっそり、酸欠で頭はややぼんやり、という状態で終わった。
「とにかく息を強く大量に吹き込めばいいと思ってるんだろ。元々、マーカス・クラインにはどう習った。いい響き方してるんだから、それで良いのに」
ピストンの動きを調整しているらしい。かちゃかちゃと、ピストンを押してみたり、オイルを差したり、トランペットから目は離さずに、テオがそう話してくれた。
やがて、納得の行く動作になったらしい。マウスピースもつけずに構えて、素早く指を動かし、最後の確認をしている。
そして、「よし」と満足げに、その楽器を私に差し出し、
「ん。これで吹いてみて。ちゃんとチューニングしろよ」
と言った。えっ? 何故??
「楽器によって癖もあるから。色々吹いてみたら良い。ついでに、俺にもその楽器吹かせて」
ほーう。そんなものか……。
テオのトランペットに、私のマウスピースをつける。当然だが、叔父のお下がりを使う私のよりも、ピカピカして新しい。テオには叔父のトランペットを渡す。
テオは、「ふーん……」と一通り眺めて、構えてピストンに指をかけると、すぐさま舌打ちをした。「何で、もっと手入れしないんだよ」と、また先程と同じ作業を開始した。
取り敢えずチューニング。うん……うん、こんなもんか。
「……相変わらずすごいな、その耳」
ちなみに、ちゃんと音叉も持っている。だが、とにかくすぐに吹いてみたいので、今は簡単に済ませた。
スケール練習のように、音階を上がって下がって。それから、剣術大会のファンファーレを吹いて。
「何だか、綺麗に吹ける気がする。でも、音が出にくい」
「あー、なるほどね。そうかもな」
テオは、私のトランペットのピストンの動きを見て、「まあいいか」と呟くと、マウスピースをつけて吹き始めた。
おおー。私と全然違う音。私よりもっと深いというか広がるというか……。タラララララララ……みたいな指がどう動いているのか分からないくらい速いパッセージも、きっちりどの音も聴こえてくる。
「どうかした?」
「私と全然違う」
「そりゃそうだろ。同じでたまるか」
これまで積み重ねた練習量が違う。テオはそう言いたいのだ。私も、適当に指を素早く動かして吹いてみる。駄目だ。
「音階でやってみたら?」
と言われ挑戦してみるが、四つ目の音で止まってしまった。
「指はよく動くんだけどなー。口が全然ついて行ってない」
まあ、基礎練だね、と私には言い、自分は今度は、有名なトランペットの独奏曲を吹き始める。
この楽器、こんな低い音もこんな高い音も出るんだ、とか思いながら、聞き入ってしまう。ていうか音域すごいな。いつか、こんな風に自在に吹けたらいいのにな。
そのために今何が、って考えたら、やっぱり基礎練習か。
「味があってこれはこれで好きなんだけど、音が枯れ始めて、式典向きではないな。いつか可能なら、自分の新しい楽器買うと良いよ」
「…………」
「何?」
「いえ……、分かりました」
私に新しい楽器を勧めるという事。それは、これからもここで私が吹く事を、テオがちゃんと受け入れてくれているという証だった。
ちょっと前までは、本当に入団したのか、とか言われていたのに。
「何なんだよ。さっきからじろじろ見て」
「テオがやっと認めてくれた……?」
「は? 別に、最初から認めてるだろ」
ちょっと次の演奏まで間が空くからかな。テオも最近は穏やかだ。ずっとこうならいいのに。切実に。
「あっ、アメリ。外に落ちていたから拾って来たよ。これで全部ある?」
ユージンがやって来た。手には数枚の紙。あ、それは……
「何だそれは? 十八点って、小テストか?」
テオにも点数が見えたらしい。いや、それは、小テストじゃなくて……
「『コルド語会話、中間考査』って書いてあるね」
「何だこの点数。正気か!?」
「こっちが数学で、国史、現代教養、文学……」
「全部二十点台だな。いや、数学は七点か」
あああああー。恥ずかしいー。馬鹿がばれたー。
「これ、単位取れるの?」
「え!? 授業受けていたら取れるんじゃないの!?」
「取れる訳ないだろ。何のための試験だ」
「毎回出席とってるのに?」
「出席してなかったら、その試験が受けられないんだよ」
「はあ。こいつに勉強する資格ないな……」
ひどい。そこまで言わなくても。お金を出してくれた実家の両親が泣いちゃう。だって、勉強は苦手なんだもん。仕方ないじゃない。
「でも、これだけ練習に時間を割いていたら、楽団の皆さんだって、勉強どころじゃないのでは……?」
「お前と一緒にするな。ユージンは学年五位から落ちた事がないんだぞ」
「そんな、政策とか難しい科目がないからだよ」
ユージンが照れている。学年五位なのに謙虚だわ。
「テオは?」
「まあ二十位から三十位台か」
一学年、六十人前後だから……。
「え。結構微妙」
「お前ほどじゃないだろ、数学七点」
うーん。中間では順位は出ないから、いまいち実感がないな。
「期末と合計で決まるからな。そこでできるだけ点取るしかないだろ。それで、赤点になった科目はもう、取得を諦めるしかない。取得辞退は記録に残らないからな」
「え!? 何で? 再試験とかないの?」
「あるけど、再試験になった生徒は、楽団から除籍だから」
えええ。聞いてなーい。そんな規則あった!? ただの慣習?? それか、テオの脅し……
「それで、去年も一人辞めたよね」
じゃない。
「じゃあ……っ、馬鹿は楽器吹く資格もない、ってこと……?」
何という事なの。そんな事になっているなんて知らなかった。どうしよう。涙が出そう……。
「馬鹿とは思ってたが、想像以上だ馬鹿。勝手に悲劇ぶってないで、泣く暇があったらさっさと勉強しろ」
うわ。もう初夏なのに、氷点下の魔王復活。
* * *
「アメリって、家に帰ったら何をしてるの?」
何よー。ユージンったら。私の私生活が気になっちゃう感じ?
ではないのだ。分かっている。彼は今、わざわざ昼休みにこうして、食堂で私のところまで来て、私の勉強を見てくれている。シャーロットも一緒だ。あ、どうも。こちら私の部の神様のような癒やしの先輩で、こちらは私の可愛い可愛い親友です。
「帰ったら、ご飯作って、食べて、洗い物して、シャワー浴びて、腹筋と背筋をして、譜読みして、寝る前腹式呼吸の練習をして……」
「そう言えば、腹筋も背筋も、百回ずつ出来るようになったって言っていたね」
そうなのだ。
ついに私は、腹筋と背筋百回ずつという、魔王最初の課題を達成した。腹式呼吸も息をもたせるだけではなく、いろんな息の速さでコントロールすることを意識して、譜読み中には瓶を構えて、楽器の上げ下げの動作も合わせてしている。腕も筋力も鍛えられるしね。折り良く、丁度良い形と重さの瓶が手に入ったのだ。
「そして、寝ます」
「勉強は……?」
「だって、早く寝ないと早く起きれないし」
「そこは真面目なんだね……」
「うん。早起きして一時間前には寮を出て、体力作りのために、お隣のお屋敷をぐるっと回って登校しているの」
「早く歩けるようになって、最初ほど遅刻する事もなくなったわよね」
「本当、何してるの……」
はあーっ、とユージンが珍しく深い溜息をつく。
この癒やしの神様に、こんな大きな溜息をつかせる程酷いのか、私の成績。
「あら? 貴女、今日は違う殿方とご一緒されてるのね」
人聞きの悪い事を仰りますな、フレア様。
嫌なところで会うなぁ、フレア・キャンベル嬢。今日の彼女は、ご友人三人でたった今ランチを終えたところらしく、食堂の出口に向かって歩いてる途中だったようだ。
三人か。あの台車で聞いた声と同じ三人かな。
どうぞどうぞ。出口はあちらですので、私などにはお構いなく……。って思うのに、フレアはそこで立ち止まって、こちらに向き直ってしまった。あーあ。
今日も腕組みをして、座る私を見下ろして、強そうだ。
「ようやくハリーの事は諦めたのかしら。丁度良い頃合いの男性を、お見つけになったのではなくて? あら……? 貴女よく見れば……、青百合の君と同じ髪の長さですのね」
目を見開くフレアに、どきっと、心臓が止まりそうになる。あまりフレアの方に顔を向けないようにしていたが。正直なところ、誰に気付かれても構わないが、彼女だけは嫌だ。
ていうか、「青百合の君」って何!?
「まさか貴女! 彼に憧れて髪を切ったのではないでしょうね!? 貴女とあのお方では、お顔立ちから気品まで何もかも違うのよ! 身の程を知りなさい」
何故だ。よく見て。お顔立ちは一緒でしょうよ……。
いや、よく見られると困るわ。早く立ち去ってくれないかなぁ。
しかし青百合の君って。あれかな。青は衣装が青だし、百合はまさかトランペットの事を指しているのかしら。
いつの間にそんな渾名が……。
「しかも、一緒にいらっしゃるのは同じトランペットの、ユージン・アルマール様ではないの。彼を利用して近付こうっていう魂胆ね!」
「いえ、全てただの偶然でございますので、どうぞ、捨て置いて下さいませ」
と、立位と座位という高低差を活かして、極力フレアの顔は見ずに答える。
「フレア様。お時間が……」
「あらそうね。とにかく! ハリーはもちろん、青百合の君にも、お近付きになることは、この私が許さなくってよ」
と捲し立てると、ふん、と顔を背けて、そのまま立ち去って行った。やれやれ……。
「フレア様。今日もお元気でいらっしゃるわね」
「もう……。私の名前を忘れたなら、ついでに顔も忘れてくれないかしら……。ユージンにまで、失礼すぎるわ」
「いや、僕は別に。実際家の爵位も低いし、気にならないよ」
ユージンは、本当に人が好いな。
彼の持つ空気は、常に平和そのものだ。そんな彼の領域に、あの爆弾みたいなお嬢様を召喚してしまって、本当に悪いことをした。私のせいではないけども。
ちなみに、ユージンはアルマール子爵家の次男だ。
フレア達が去って行った方向を、ちらっと見てみる。
「フレア様。アルマール様に、青百合の君についてお聞きなされば良かったのでは……」
「きゃあ、そうよ! 何故気付かなかったのかしら。ああでも、今日は……」
「フレア様、ハリー様とのお約束に遅れてしまいますわ」
「そうね。またの機会にしましょう」
少し離れた場所から、フレア達の高い喋り声が響いてくる。くわばらくわばら……。
「僕、しばらく学園休もうかな……」
早まらないで、ユージン。
「そうだわ。もういっそ、男子生徒になっちゃいましょうよ、アメリ」
いや、こっちも早まっては駄目よシャーロット! 何故、そんなにきらきらした笑顔でこっちを見るの。
嫌よ。そんなことしたら、今度こそフレアの餌食だわ。第一、あの身長と長い脚に、青い衣装とトランペットがなければ、青百合の君とやらではないでしょ。うう、自分で言葉にすると、恥ずかしい名だな。
「とにかくさ、一時間も早く寮を出るなら、遠回りはやめて、学園で勉強しよう。僕も付き合うから」
「うん……。ありがとう」
本当に良い人だわー。何故ユージンは、私のためにここまで……。もしかして、私が彼を神様みたいに扱うように、ちょっとくらい親密に……
「トランペットが一本減るのは痛いしね」
ですよね。
でも、ユージンも私のトランペットを、ちゃんと一本分だと数えてくれている。嬉しい。
勉強は嫌いだけど、頑張る!




