21 演奏会まであと一週間
今回の演奏会は、身分も地域も超えて、色んな人が聴きに来る。だから、民謡調だったり親しみやすくかつ、お祝いに相応しい華やかな曲が良いだろう、とか何とか言って、テンポが速い舞曲が選ばれた。ちゃっかり、トランペットやトロンボーンといった楽器が前面に出る選曲になっていた。
まあ、私は大歓迎ですけど!
俺もやってやらなきゃな、とか言いながら、ちゃっかりソロパートを奪取していたのはテオだ。奪取と言っても、ユージンは端から立候補しないし、私もテオを押し退けて前に出る勇気はないので、順当に決まった。
「アメリ達が今度演奏する曲って、元々はアラカス王国の民謡が北部に伝わって来て、それがニースランド北部で祭事で広く使われるようになったのを、歌劇用の舞曲にアレンジしたものなのね。ええと、初演が百五十三年前で、その時の主演が……」
いやいやいや、どうしたのフレア様。見た事ない本を広げて、詳しすぎない? まあ私も元が北部の民謡とは知っていたけど、それ以上は……。
「この不協和音は、アラカスの古典音楽にも多く見られるらしいわ。アラカスの伝統楽器である、えーっと何だったかしら、あの笛みたいな……、その楽器で出せる音の組み合わせで作られるからだって、アラカスの立国史に書いてあったわ」
見た事ないと思ったら、隣国の歴史書だったとは。そりゃ私の守備範囲外ですわ。え、しかも原文? 翻訳版じゃなくて? いつの間にそんな急成長を遂げているの? ハリーと会話を弾ませるどころか、音楽の研究者にでもなられるのかしら。
「フレア様、すごいわね。多分、部員でもそこまで知らない人がほとんどよ」
まあ、部内きっての生粋の音楽馬鹿であるテオあたりはどうだか知らないけれど。
音楽の勉強会とか言って交流を重ねるうちに、私からフレアへの敬語も取り払われた。辛うじて、様付けだけ残っている。
「面白いわね。今度から同じ和音が使われた曲が気になってしまいそうだわ」
「フレア様、音が分かるの?」
「いいえ、分からないわ」
どうやってその曲の選別をするの。
音感がないから楽器演奏を諦めたと聞いたから、気になって聞いてみたけれど。
「弦楽部の曲を調べた方が、ハリー様との話題作りには良いのでは?」
「とっくに調べたわよ。詳しいねって言われたけれど、会話が弾むまではいかなかったわね」
「それは……」
詳しすぎて圧倒されたのでは……。
ハリーの世界に歩み寄るどころでは済まず、ぐいぐいと詰め寄っていては、あののんびり王子様は気圧されてしまいそうだ。あれ? これまでとさほど、関係性が変わっていない?
それでも、ハリーのためにと一生懸命頑張るフレアは、可愛いと思うのに。侯爵令嬢の本気か、優等生の本気か、いかんせん何事も熱量が高すぎて、相手にはさぞ圧が強く感じられるに違いない。
* * *
「ああ、アメリ。最近、フレアと仲良くなったんだってね」
音楽の知識で武装したフレアの猛攻を受けているハリーは、一体どんな様子なんだろうと気にした途端に、放課後の音楽棟の前でばったり出会った。
いつものように、穏やかな陽だまりのような笑顔。どこか詰めが甘いことを知っているからか、遠巻きに見れば完璧な王子様のような彼に、親しみを覚える笑顔だと思う。
「そうですね。一緒に音楽の話をしてみたら、随分と夢中になられたようで」
「はは、フレアは勉強家だから。あっという間に詳しくなって、僕も敵わないよ」
あー、やっぱり、若干引いてるかも。
「ハリー様と、弦楽部の曲目についてお話出来たってお聞きしました」
「そう言えば、フレアと音楽の話をしたのは初めてだね。今までは、彼女が分からない話だと思って避けていたし」
政略的な旨味がないからと、検討すらされないハリーとフレアの婚約だけど、ああも一生懸命なフレアを近くで見ていると、何とか報われてほしい気がしてきた。
メイリントン侯爵家から我が家に申し入れがあると言われていた縁談については、未だに何の動きもない。やっぱり、フレアが心配するあまり聞き間違えたか、ごく些細な情報を針小棒大に話してしまっただけなんじゃないかなぁ。
「アメリも一生懸命だよね。僕は、アメリの頑張りも可愛いなって思ってるよ」
え? 急に私の話?
ああ、練習帰りとかよくばったり会ってたし、弦楽部でも一緒に練習したものね。思い返せば、ハリーには、入団の後押しをしてもらったお陰か、何かとよく気にかけてもらっていた気がする。
ハリーがいたから、入団もスムーズに出来たし、この学園ではないだろうと思われた、ヴァイオリンを弾く機会にも恵まれた。彼には感謝しなければ。
ハリーが「ちょっとだけ話そうか」と、音楽棟裏の庭に私を誘い、ついて行く。
「勢いよく楽団に突っ込んできたけれど、無事頑張っているかなって気になって、ついつい兄のような気持ちで見てしまったな」
ああ、兄の気持ちね。なるほど……。
「ありがとうございま……」
「でも、僕は君の兄ではないから。兄のような気持ちだけでは、説明がつかないかも知れない」
「えっ?」
何故だろう。ハリーの陽だまりのような柔らかな笑顔が、柔らかいだけではない、不思議な緊張感を帯びたように感じるのは。今までハリーと対峙した時には感じたことがない、得体の知れない焦燥感に駆られて、無性に逃げ出したくなる。ハリーの顔を直視できなくて、目線を下に落とす。
この先は、聞いてはならない気がする。
「アメリといると楽しいんだ。いつだって誰よりも気になるし、傍に置いておきたくなる」
うん、私も楽しいし、ハリーの近くはほっとする。だけど、そうなんだけど。でも。
「僕とアメリが婚約すれば良いって、最初は母が言い出した事だけど、僕も良いと思ってるよ」
フレアの勘違いではなかったのか。本当に、メイリントン家でそんな話題があったんだわ。でも。
「僕は学園を卒業したら、次期侯爵として、音楽の世界に進む事は出来ない。でもそんな時に、君が音楽を続けていてくれれば、僕も音楽と繋がりを持つ事が出来る。侯爵家として君の生活は保証するし、君が音楽を続けていくための舞台も用意出来る。僕とも時々は一緒に演奏してくれると良いな。……悪くない話だと思わない?」
本当に? そんな上手い話ある? でも何か。何かが引っ掛かる。
いやもちろん、そもそも私は、ってのも当然分かっているんだけど、それだけではなくて、この話自体にも何か奥歯に挟まったようなもどかしい引っ掛かりを覚える。
ただそれでも。
「でも何よりも、僕がアメリと一緒にいる事が出来る。それが一番の望みかな」
「…………」
僅かに震える声で、こんな切なそうな声で、真っ直ぐそう伝えられたら、私も彼を即座に拒否する事が躊躇われる。
「だから、テオには悪いけど、僕は両親にこの話を勧めてくれって言うよ」
ハリーの声が、私ではない誰かの方向に向けられて放たれた気配を感じて、私も頭を上げる。
「……悪趣味だな。わざわざ俺がいるのを知ってて、今言ったんだろ」
「テオこそ、わざわざついて来て聞き耳立てているなんて、随分な趣味だね。どの立場で言ってるの?」
「どの立場って……」
そこはかとなく不機嫌なテオの顔を見つけ、体の芯が冷えていく感覚を感じる。
ハリーに問われて言い淀むテオは、更に不機嫌そうに顔を顰める。
「テオには生まれてからずっとこの先も、音楽家になるための道が用意されているんだ。だから、アメリの事は僕に譲ってよ」
* * *
……まあ、いないよな。
管楽部の練習を終え、ロンドベル家での練習も終えた後、もう一度、音楽棟に引き返して来た。いつもこの部屋でピアノを弾いているアメリを寮まで送るために。
でも、さすがに今日は帰ったみたいだ。
暗いピアノ室の鍵が閉まっている事を一応確認し、自分も寮に帰るために歩き出す。
あー、疲れた。最近過密スケジュールで、寝ても寝ても疲れが取り切れない。授業と部の練習と、アイリスとの練習と、実家から入れられたいくつかの演奏の依頼に向けて譜読み、父親から課された課題も急ぐ。時間が足りない。
だからかな。咄嗟に頭が回らず、反応出来なかった。
目の前でハリーに挑むようにアメリを連れて行かれて、まんまと気になってついて行ってみれば、目の前で婚約を申し込まれてて。
ふざけるなよ! ……と、言う資格も俺にあるのかないのか。
アメリの実家、クライン家は男爵家だ。メイリントン侯爵家と釣り合う家格ではない。しかもハリーは嫡男だ。
けれど、前例がない訳でもない。ハリーの母親が言い出したなら、メイリントン家はアメリを歓迎するという事だ。継ぐ家もない伯爵家の三男では、太刀打ち出来ない。
ハリーはああ言っていたけれど、そう上手い話ばかりでもないだろ。そうは言っても侯爵夫人だ。女主人としての仕事もあれば、社交もある。学園の親睦会すら窮屈だとドレスを着たがらないアメリに、そんなの務まるのか?
アメリにとって良い話ばかり、なんて訳がない。
……いや、違うか。
アメリにとって良いか悪いかは、俺の希望だな。良い話であって欲しくない。
本当に、何故今なんだ。
いつもは隣にアメリがいて、彼女を送らなければならないからと理由をつけて一緒に歩く道が、こんなにも寒く長く感じるとは。まあ、寒いのは日に日に秋が深まるせいだけど。
ハリーの奴、やっぱりヴァイオリンを続けたかったんだろうな。
趣味として続ける事は出来る。けれど、今のように楽団の一員として演奏することは難しい。職業として続けていく事とは違う。
あいつは俺が音楽の道に進む事を既定路線だと思っている。今でこそ、そんな未来を望み受け入れる事も出来るし、有り難い事も分かる。幼い日は周囲の重圧に気持ちも腕も追いつかなかった。俺の方々への生意気な態度も、忌々しく思っていたかも知れない。
けれど、それとこれとは別問題だ。
* * *
あーあ。初めて学園を休んでしまった。さぼったとも言う。
学園に行けば、フレアに会うでしょう? どんな顔をすれば良いか分からないし、フレアがどんな反応をするのかも怖い。泣かせたくなんかないなぁ。
一、二年生は同じ棟だから、テオとうっかり顔を合わせてしまうのも怖い。そういう事なら、ってあっさり背を向けられても悲しいし、何故すぐに断らないのかって責められるのも怖い。
誰かに聞いてほしい気もするけれど、シャーロットもこんな話聞かされても、きっと困るだろうな。
輝く金髪にきらきらの空気を纏ったお受け譲りの美貌の王子様みたいなハリーと、愛想のない仏頂面だけど整った顔で天才とか冠されて一目置かれているテオと。
こんな二人の間で悩んでいますとか、どこの物語の主人公だ、みたいな贅沢な状況で、誰に何を話すというの。
でも。
ハリーは王子様なんかじゃなくて、すぐ顔に思っている事が出ちゃったり、刺繍という意外な趣味も持つ、愛嬌のある先輩で。
テオはクールな天才音楽家でもなくて、負けず嫌いで意外と子供っぽい、冷たそうに見えて面倒見が良い私達の頼れるパートリーダーで。容赦ない冷たい視線で周りを震えさせたかと思うと、音楽以外では赤くなったり縮こまったり、歳下の私も戸惑うくらいに奥手な男の子で。
そんな中身も知っちゃったから、悩ましいんだなんて。やっぱり言えないな。
それでも。
本番は迫っているので。
「え!? 授業をさぼったのに、練習には来たの!?」
うん。だって、本番まで一週間だし。
ユージンの今まで聞いた中で一番大きな声に私も驚いたけど、その向こうに座るテオも、柄にもなく口を半開きにしたままひどく驚いていた。
「口、開いてますけど」
「あ、ああ、まあ驚いたからな」
「私も。ユージンってこんな大きな声出るとは」
「そっちじゃない。お前の行動にだ」
「え? そう?」
変な物でも見るような目で見ないで欲しい。
でも、寮の部屋でぐるぐると案じていた気まずさよりはまだ楽かも。いたたた。それより背中が痛い……。
「……。学校さぼって何してたんだ?」
「ええと、部屋の掃除して、お隣のお屋敷の周りを三周歩いて、腹筋と背筋を」
「アメリそれって、お屋敷の周りを三周って、不審者じゃないの?」
「実際不審者だろ」
おーい。二人とも。表現に貴族令嬢への配慮が欠けてますよー。
「まあ、隣はロンドベル家だし大丈夫だろ」
「え。あのお屋敷がアイリス様の……。うん。夏前まで朝歩いてたときから、使用人らしい人とは挨拶もして、体力づくりですって話してたし」
「……そうか」
「あー、そう言えばアメリ、朝早く出て歩いてるって話してたね」
最近はすっかり朝の散歩は辞めちゃってたな。なぜ辞めたんだっけ? また歩こうかな。そうだ。成績が悪いから勉強会で辞めたんだったわ。
「で、背筋で痛めたのか?」
あ。気付かれてた。
「うん、多分。百五十回辺りでぐきってなった気がする」
「だから毎回言ってるだろ。加減を知れって。本番直前に背中を痛めて、演奏に支障が出たら意味がない」
うわ。気まずいどころじゃないわ。魔王様、久々に目が怖いわ。
結局、いつものように練習をして、いや、いつもより厳し目の練習をして、解散した。
でも、このくらい集中して、思い切り楽器を鳴らせるのは気分がすっきりする。ついでに頭もすっきりした。
やっぱり。私は思い切り音楽に打ち込める人生が良い。
演奏会が終わったら、両親と話そう。そう決めた。




