第弐弐話 Navel
この森は『餓鬼ヶ腹』と言うらしい。さしずめ、目的地の広場は『餓鬼ヶへそ』とでも呼ぶべきだろうか。
ややこしいのだが、四十万の西側では、山なのに『森』と呼ばれるものが多く、実際この森の東側に『餓鬼ヶ森』という岩山があるらしい。だから森の名前として『森』が使える場所は少ないのだとか。
道々、浩二がそんなことを語っている。あの偽浩二もそんな感じだったから、かなり正確に真似していたのだろう。
『へそ』の広場に着く前に、倒れた杉の大木前を通りがかる。折れた木はすでに運び出されており、株だけが残っている。なぜ、突然折れたのかは分からないが、巨大な硬いものがぶつかったらしい痕跡があったそうだ。
「突然折れたのも不思議な事だが、実は樹齢が30年しかなかったんだ。」
陣が言う。
「まるで南洋材のように年輪がないのがわかってな。でも、外側に29年分だけ刻まれていた。それで樹齢30年と推定されたんだが、つまり、ほとんど1年で成長していたことになる。そんな話、聞いたこともない。」
つんつんと福子が俺の背中をつつく。木属性の俺ならできるんじゃないかとでも言いたげだが、さすがに無理だ。
胸の高さで直径2mを優に超えるので、普通に成長していたら500年はかかるであろう大きさだ。そのほとんどを1年で成長させるとなると、とんでもない量の気を注ぎ込む必要がある。
ふと思う。あの結界の暴走時に発生した気を全て注げば、それぐらいの量になるのではないか。
だが、これも難しい。あんな巨大な爆発のようなエネルギーをコントロールできる人間がいるとは考えにくい。
それと、もう一つ気になるのが、翔太が居た世界でこの木が倒れた時、爆風のように大量の陰の気が吹き出したこと。この世界は陽の気が圧倒的に多いので、陰の気が発生しても直ぐに陽の気と打ち消しあって消えてしまい、保持できないのだ。
では、あの陰の気はどこから出てきたのだろう?そして、それと杉の大木がどう関わっているのだろうか?さらに、30年前と言えば『大災害』の頃だ。何か関係があるのだろうか?
だが、陰の気の噴出を知っているのは俺と小杖だけだ。そして、その小杖と話し合うチャンスはいまだに来ないのである。
前を行く陣のさらにその先に光が見えてくる。『へそ』が見えてきたのだ。
浩二が説明する。
「あの場所は、今から900年ほど前に出現した巨大な幼獣を倒すために、源氏の武人が強力な法力を使って出来たものだと伝承されています。それ以来、木が生えることはなくなったそうです。」
「随分と古い話だねえ。そんな時代から法力が使える人が居たって事でしょう?」
福子の暢気な声。
「そうですね。遍路の歴史は1200年以上と言われてますから、当時の武士の中に法力を使える人がいても不思議はありませんね。」
「しかし、これだけの範囲に900年以上影響を与え続ける法力って、人間技とは思えないね。」
さらっと核心を突くのも福子らしい。
「世界に満ちている陽の気は、少しずつ減少しているのだそうです。なので、昔の能力者は今よりもずっと強い能力を発揮することができたらしいのです。
1000年前の記録では、誰でも何らかの特殊な能力を持っていたそうです。それが、訓練を受けた者だけのものになり、現在は生まれ持った才能が無いと使えないものになっています。これは、陽の気の減少と相関があるのではないでしょうか。」
熱力学第2法則に従っての減少なのだろうか。それとも、実はどこかで陰の気が発生し続けており、中和によって急速に減少しているのだろうか。
いずれにせよ、この世界が内包する重大な問題が、さらっと語られた事に驚いている。
「陽の気が全くなくなっちゃったらどうなるの?」
当然の疑問を福子が口にする。
「そこまでは、私ではわかりません。ただ、『学派』は陽の気の消滅が、陰の気を持つ幼獣や『魔の者』への対抗手段を失う事だと主張して、どんな手を使ってでも阻止するべきだと主張していますね。」
「学派ねえ・・・」
と言いながら、福子が視線を俺に送る。俺は『学派』とは関係ないぞ。
『学派』とはこの世界に『超常の力』など存在せず、あらゆる事象は全て合理的に説明がつくと主張し、世界の真理を『定理』として解き明かそうとする者達のグループである。
遍路の守護数から結界強度を求める公式を提唱し、証明したのも『学派』のメンバーらしい。
しかし、超常の現象はともかくとして、人間の行動に果たして『定理』など存在するのだろうか。まして、証明することなど出来るのだろうか。
この疑問を持つ以上、俺は学派と主張を異にしている。まあ、連中の高圧的なやり方が気に入らないっていうのが、本当の動機かもしれないけどな。
考え事をしていたら、歩調が遅くなってしまった。他のメンバーはすでに『へそ』に入っている。少し、早足で追いかける。
『へそ』には祭壇が設けられており、その前にはテーブルと椅子が並べられ、酒や食べ物が用意されていた。
今日は大災害で命を落とした人々の魂を祀る慰霊祭の日だ。例年は町の神社で行われるのだが、『へそ』の存在を知った陣が今年からここで行うと急に決めたのだ。さらに本来は祭祀を行うだけだったのだが、今年は宴席を設け、故人を偲ぶのだと言う。費用は全て陣家の負担だ。
町の人たちは自由参加だが、50名ほどが着席している。平日の昼間なので、なかなかの出席率らしい。
「辛気臭い神事は巻きで頼むぞ!その前に乾杯だ!!」
陣が無茶苦茶な挨拶をするが、参加者たちの表情は一様に明るい。
挨拶を終えた陣が勝手に飲み食いを始め、周囲にも勧める。それが会場中に伝播し、談笑の声に包まれた。祭祀をほったらかしにして、宮司まで宴席の輪に加わっている。
「若社長も板についてきたねえ。」
などと、高齢の参加者達が話し合う声が聞こえる。思いの外、陣の評判は良いようだ。
翔太が居た世界では、いきなり卑怯な事をやっている現場に出くわした事もあって、印象は悪かったのだが、悪い人間ではないのだろう。偽浩二の影響も大きかったのかもしれない。
「でも、急にどういう風の吹き回しですか?」
司が陣に尋ねている。
「『どういう』とは?」
「この宴席のことですよ。もちろん、とても良い事だと思うんですが、急だったし、場所も場所だし。」
「慰霊祭も形式的なものになっているなとは思ってたんだが、そろそろ、過去を振り返ることよりも、未来に進むことを大事にするべきなんじゃないかって、思い立ってな。」
「未来ですか。」
「一言で言ってしまえば、子供達こそ未来だ。しかし、大災害直後こそ他島からの移民で町の人口が増えたが、その後は減少し続けている。子供のいない夫婦がとても増えているんだ。」
「たしかにそうですね。」
「いつ再び大災害が起きるとも知れない不安が原因なのではないかと俺は思っている。だからこそ、皆が
顔を合わせ、励ましあえる場を設けるべきなんじゃないかとな。」
「社長。急に変わりましたね。」
「そうか?」
「ええ、とっても!」
と、司が嬉しそうに微笑む。
陣が神妙な顔になる。
「そういえば、この祭りにぴったりな2人がいたと思ったんだが、全く思い出せないんだ。心当たりないか?」
「社長もですか?私もそんな気がしていたんです。でも、思い出せなくて。それと、法力の使い方を教えて貰ったときに感じたんですが、私の中にいる誰かが手ほどきをしてくれているような気がするんです。とても大切な存在がいて、それを忘れてしまっているような、寂しいけれど暖かい不思議な感覚。」
「親父に言わせれば、この町は『シンギュラリティ』なんだと。よく意味は分からないが、特別な事が起こる場所らしい。だから、陣一族は山奥の『トロメキ』を離れここに居を構えた。親父はよく『なんとなくを甘く見るな』と言っていた。その時は分からずとも、いずれそれが大事な事に気付くと。」
司の隣で聞いていた小杖が言う。
「一度繋がりを持った魂は、世界が変わっても交わり続けるという仮説があります。両者の関係が変わっても、好意は好意で、悪意は悪意で受け継がれると。もし、司さんが大切な存在を感じるというのなら、別の世界からあなたを見守っている人がいるのかも知れません。」
「別の世界?前世とか、そういう話?」
「そうかもしれませんね。」
と答え、小杖が微笑んだ。
福子は森の中にサル達の気配を感じて、小猿たちに会いに行ってしまった。もちろん、
「小杖ちゃんに変な事しないでね。」
と、釘を刺してから。
俺は陣たちの会話の内容を考えている。『2人』というのは、やはり翔太と理恵さんだろう。完全にこの世界から消えてしまったのに、『なんとなく』その存在の残滓を残しているようだ。
もし、福子の能力が小杖と同種のものなら、福子が時間を遡っても、人間関係は完全にはリセットされないことになる。福子以外の人間にとっては、会った事も見た事もない人物が、突如、なんとなく敵とか味方として現れることになるはずである。
過去まで遡って世界が再構築されるという小杖の能力ではそういった不連続は発生しないので、2人の能力の間には矛盾が生じてしまう。
2人がなんらかの能力を持っている事は間違いないので、どちらか、または両方の解釈が間違っているのだ。
新たな問題『福子-小杖問題』がここに提起されたわけである。しかし、これこそ俺が求めていた大きな前進なのだった。




