第弐拾話 Karma
小杖は衣服についた土埃を気にする様子も無く、大人しくなったボスに対峙する。
「もう時間がないので、手短に説明します。翔太さん、理恵さん。あなたたち2人を『もう一つの世界』に送ります。それによって、『こちらの世界』のあなたたちが生きた痕跡は消滅し、『もう一つの世界』にあなた達の存在が『過去』も含めて構築されます。そして、あなたたちがいなくなれば、おサルさんもこの事件に『巻き込まれなかった』事になるはずです。」
にわかには信じがたい話をボスはおとなしく聞いている。
「つまり、こちらの世界にあなたたち2人は『元々いなかった』ことになり、『はじめからあちらの世界に生まれた存在』になります。」
ただ単に世界を移動するのならなんとなくわからないでもないが、これは想像の範囲をはるかに超える話だ。もしかすると、俺が抱えている「福子問題」を解く鍵になるかもしれない。
「『もう一つの世界』に到着した時のあなたたちがどういう状態なのかを、今の段階で知ることはできません。平穏に暮らしているかもしれないし、すでに亡くなっている事もありえます。あなた達が『向こうの世界ならどういう人生を送っていたのか』は、行ってみないとわからないのです。」
一か八かみたいな話だが、希望があるだけマシだと思う。
「私にはあなた達全員を助ける方法がこれしか思いつきませんでした。それでも私を信じて貰えますか?」
問いかける小杖の目を、ボスはじっと見ている。決意のこもった目だ。
「ありがとう。では、最も時間の無い翔太さんを先に送ります。翔太さんの存在は、今、2つに分かれているので、元の体に戻す必要があります。でも、今は仮死状態ですが意識戻れば、あなたの体が生きていられる時間はごく僅かです。可能な限り動かないでください。」
指示されるでもなく、ボスが翔太の体に向かって歩き出す。俺達も着いて行く。
ボスが倒れた翔太のすぐ傍まで来たところで、小杖が声をかける。
「そこで結構です。では、行きます。」
ボスの背後に回りつつ俺の傍に来たところで、
「手を離さないで。」
と、左手を差し出す。俺はその手をしっかりと握り締め、小杖の顔を見つめる。
小杖は俺の方を見ないが、左手に力が篭っているのが伝わる。さっきのようなことが起こるのだろう。絶対にこの手を離しはしない。
「戻します!」
と、声を張り、ボスの背中を右手で押す。すると、今まで小杖が力を使っても何も見えなかったのに、今はうっすらと翔太がボスの体から抜け出して元の体に入っていくのが見えた。
「うっ、ぐっっっ!!」
翔太が目を見開き、苦しげな声を上げるが体は動かさない。恐らく、数分も持たない命だろう。
小杖は足早に翔太に駆け寄る。俺の手を握ったまま。俺も手を引かれるがままに従う。
「ぁのみぁあぅ。」
翔太が最後の力を振り絞って話し出す。
「しゃべらないで!!」
と言いつつ、小杖は耳をぎりぎりまで翔太の口に近付けて聞き届けようとする。
翔太は震える左手を自分の胸にあてると、
「こぇを、ぅかさに!!!」
と、さらに強く声を振り絞った。
「つかさだな!!つかさになにをすればいいんだ!?」
陣の声だ。それを聞いた翔太が薄っすらと微笑む。そして、左手の力がすっと抜け落ちた。
「間に合え!!」
小杖が俺の手を振りほどき、両手で翔太の体を突き飛ばす。その瞬間、浩二の時に見たような光景が再び出現する。ただ、今度は全く見たことのない、のどかな景色だ。
しかし、景色に見とれているわけには行かない。すぐさま小杖の両手をしっかりと捕まえた。
普通なら小杖が渾身の力で突き飛ばしたところで、倒れた翔太の体が少し揺れ動くくらいのものだろう。しかし、翔太は俺の見覚えの無い世界に吸い込まれるように、加速しながら飛ばされていった。
景色が元に戻ると、翔太が倒れていた場所には血の跡一つ残っておらず、草一本潰されてはいなかった。しかし、見覚えのある形の石が一つ落ちていた。
それは守護石だった。
「これって・・。」
小杖が声を出す。
「翔太は『遍路』だったんだ。」
俺は守護石を拾い上げた。
「これを『つかさ』さんに渡せばいいんだな。」
と、陣に確認しようとして驚く。そこには、見た事の無い美しい女性が立っていたからだ。
俺以上に驚いたのが陣だ。
「り、り、り、りえじゃないか!お前、なんで生きてるんだ?」
理恵は落ち着き、陣に頭を下げる。
「翔太さんの存在がこの世界からいなくなったので、そもそも、今回の事件自体が無かった世界に再構築されたのでしょう。」
冷静な小杖が答える。もしかすると、この事態を予想していたのかも知れない。
「今は私の結界内にいるので、翔太さんや事件の記憶が残っていますが、結界から一度出てしまえば、全て忘れ、何事も無かった人生を歩むことが可能です。もう、あなたは安全です。」
理恵が問う。
「翔太はどうなるんですか?」
「もう一つの世界で生きているはずです。」
「翔太をこちらに戻すことはできないのですか?」
「私の力ではできません。あちらの世界で私と同様の力を持つ人の協力が得られれば不可能ではありませんが、そもそも、翔太さんはこちらの世界にいた事を覚えていませんから、戻ろうとも思わないはずです。」
少し沈思した後、理恵が問う。
「もし、私が向こうへ行けば翔太にまた会えるのですか?」
「不可能とは言いませんが、2人ともこちらの世界での記憶はありませんから、また出会って惹かれあう確率は極めて低いと思われます。」
小杖は極めて冷静に、こう続けた。
「従って、無理にあなたまで別世界に移動するリスクを犯す必要は無いと思います。」
理恵は少し考えるが、
「少しでも可能性があるのなら、私も翔太のいる世界に行きたい!お願いします。私も送って下さい!!」
小杖はかぶりを振りつつ、
「翔太さんにはすでに別の人がいるかも知れないんですよ。それに、会ったところでお互いに気付かないんです。同じ世界に居ることにこだわる意味はありません。」
止める小杖に理恵は微笑む。
「初めて翔太を見た時に『放っとけない』って思ったの。世界が変わっても、きっと変わらないわ。」
一辺の曇りも無い理恵に、小杖は黙ってしまう。
「理恵。翔太によろしくな!!」
陣が声をかける。
「社長。お世話になりました。町のみなさんにもよろしくお伝え下さい。つかさちゃんにも『大丈夫だよ』と。」
急な引越しの挨拶みたいだ。
「そんな簡単なものじゃないんです!
世界を移動するのは、世界のバランスを崩すかも知れないほど、リスクの高い行為。移動者も無事とは言いきれないの!!
なのに、どうしてそんなに嬉しそうなの!?」
ここまで冷静だった小杖が、声を張り上げる。それだけ、無謀な事なのだろう。
「希望を無くして、無くした事まで忘れてしまうのは悲しいもの。希望があるなら、それを捨てたりしないわ。」
理恵から微笑みが消え、真剣な目で小杖を見ている。
「あなたが背負う事はないの。ここまで、頑張ってくれてありがとう。そして、無理をさせてごめんなさい。でも、全て私が望んだことなの。」
そして小杖をそっと抱きしめる。
「ここからは私が背負うから。」
小杖のまっ直ぐで大きな瞳から涙がこぼれる。しかし、口元をキュッと結ぶと、
「あなたはもう充分戦ってきました。それに、私は私の能力の『業』から逃げたくない!」
小杖の目にも決意が宿る。
「こちらの世界であなたたちの事を覚えていられるのは、この場にいる『クロノスの眼』を持つ者だけです。わたしと、こっちの彼。」
俺を指差す。
「私達はあなたたちがこの世界にいた事を、決して忘れません。あなたたちの『イグジスト』が消えてしまっても。」
理恵は小杖を離し、優しく微笑んでいる。
「ありがとう。またね!」
理恵が笑って手を振る。
小杖は少し俯いて、顔を見られたくない様子。歯を食いしばる口元が俺からは見える。
そして、
「さよなら。」
両手で理恵を突き飛ばす。翔太の時と同じような景色が広がり、理恵が落ちて行った。
小杖はまたブラックホールに飲み込まれそうになる。俺は小杖の手を掴もうとするが、小杖が手を伸ばさない。慌てて俺は胴体にしがみつき、こちらの世界に引き戻す。俺が小杖に抱きついたような格好だ。
景色が元に戻る。
「おい!どうしたんだ!!」
小杖の意識が無い。
「ヤバい!!解毒だ!!」
あまりの展開にすっかり失念していたが、小杖は致死量の毒を飲み込んでいたのだった。イチイの毒は回りが早い。中毒に気付いた時には、すでに手遅れになる猛毒なのだ。
いまから胃洗浄をしても間に合わないだろう。そんな設備もない。無理に吐かせるのは逆効果だ。
もうこれしかない。
意識のない小杖の口を開かせると、そこに俺の口を合わせた。俺の能力で、小杖の体内にあるイチイの成分の全てを集めて、俺が受け入れるのだ。
まず、吸収されて血液に入った成分から吸い上げる。そして、胃の中で発芽したタネを回収する。数分あれば終わるだろう。体への毒のダメージが限界を超えていなければ助かるだろう。しかし、なんて無茶なことをする娘なんだ。たしかに、この娘の能力が無ければ、俺達は生き残れたとしても、彼らは救えなかった。人智を超えた能力だ。そして、もう一つの世界の存在も気になる。いろいろと教えて貰わなければならない事がありそうだ。明日からは一緒に行動し・・・・・・・・・・
「あああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!
なにやってんのぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!」
たくさんの小猿に懐かれ、しがみつかれた福子が広場に姿を現し、すっとんきょうな声を上げた。
「あ、いや。これは、解毒をだな・」
なんか、言葉がスラスラ出ないのはなんでだ?
「私に留守番をさせたのは、このためかーーーーーーーーーーーーっ!!」
福子は肩を震わせている。小猿たちは怯えてボスの方へ散っていった。
小杖が意識を取り戻すと、寝ぼけた様子で
「私、はじめてだから。」
と言うなり、寝息を立て始めてしまった。よほど疲れているのだろう。
「あんたねえ!」
福子があのおっそろしい錫杖を振り上げて向かってくる。完全に殺気立っている。
しかし、小杖を放っておくわけにもいかない。俺は慌てて小杖をお姫様抱っこして福子から逃げる。
「待て、ケダモノーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
「殴られるのはいい。その錫杖だけは勘弁してくれーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
陣とボスは顔を見合わせている。
「やれやれ。」
と、苦笑し合っているようだ。まるで昔からの友人のように。




