第三十二話 モルトレンの宿 炎天楼へ
──ギルドの裏手。
夕暮れの陽が差し込む荷馬車のそばで、ガダン大臣が馬に人参を与えていた。
「ほほほっ、よく食べる良い子でちゅね、お馬ちゃん!」
その優しい、というより妙に甘い声色に、馬が嬉しそうに鼻を鳴らす。
そこへ、歩み寄る人物がひとり。
「……ガダン。何だその気味の悪い言葉遣いは」
「どはっ!」
ガダンは肩を跳ね上げ、慌てて振り向いた。
「あ、アッシュ王子! も、もう申請は下りたのですか?」
アッシュは険しい表情のまま、荷台にどかりと腰を下ろした。
「ダメだ……。作戦の練り直しだ」
「は、はぁ……そうですか……」
ガダンは馬のたてがみをなでながら苦笑い。
すぐ後ろからレイナが現れる。
扇子で頬をあおぎながら、肩をすくめた。
「そんな簡単に通るとは思ってなかったけどね。まぁ……こうなる気はしてたわ」
「お手をどうぞ、レイナ殿」
アッシュはさりげなく手を差し出し、紳士的に荷台へと引き上げる。
「ありがと。……こういうところは王子っぽいのよね」
その後ろから、ヒルデがちょこちょこと駆け寄ってくる。
「わたしも乗るーっ!」
と、助走をつけて勢いよく荷台にぴょんと飛び乗った。
慌ててアッシュが両脇を持って支えてやる。
続いて、ミカが無言でよじ登る。
ガダンは目を丸くして首を傾げた。
「あら? なんか増えてません? 一人……」
「あっ、そうそう!」
ヒルデが指を立ててニコニコ笑う。
「この子はね、勇者のミカだよ! 協力してくれるんだって!」
「ほ、ほえ? ゆ、勇者……? この子どもが?」
ガダンはまじまじとミカを見つめた。
「おいおい! その顔、絶対信じてねぇだろ!」
ミカがピクッと眉を跳ね上げ、ガダンを睨みつける。
「くっそー、みんなしてそんな目でみやがって」
「い、いえいえ! そんなことは……ただ、その……」
視線が泳ぐガダン。
「えへへ、見えないよねぇ! ちっこいし!」
ヒルデが無邪気に笑って言った。
「おまえの方が小さいだろーが!」
「あたしは勇者じゃないからいいんだもん!」
「なんだ、その屁みたいな理屈は!」
「屁なんてしてないけど!」
「違う! あー、もう……知らん!」
二人のムスッとした空気が立ちこめる。
アッシュはそれを横目に見て、すかさず声を上げた。
「ガダン。ひとまず宿へ向かおう。手配はしてあるな?」
「は、はぁっ! もちろんでございます。
本日は、モルトレン最高級の宿──炎天楼を予約しております」
「炎天楼!? すっげぇ! 高級過ぎて地元の俺でも泊まったことねぇぞ!」
ミカの目が一瞬にして輝いた。
「はははっ! そうかそうか!」
アッシュは誇らしげに笑い、マントを翻す。
「資金の心配はいらん。どうせ泊まるなら豪勢に参ろうではないか!」
「さっすが王子だな!」
ミカが親指を立てて満面の笑み。
「うむ! 父のおかげで、金は腐るほどあるからな!」
「……自慢することじゃないわよ。まるで成金の坊ちゃんじゃない」
レイナは呆れたように眉をひそめ、腕を組む。
「うむ! 僕は産まれた瞬間から成金である!」
アッシュは全く悪びれず、むしろ誇らしげに頷いた。
【こいつ、恥じらいというものがないのか……】
魔剣ヴェルサレスが鞘の中でぼそりと呟いた。




