第三十一話 伝説のギルドマスター
──冒険者ギルド前にヒルデとミカが到着した。
ギルドの門を押し開けると、いきなり中から怒号と衝撃音が飛び出した。
ホールの中央では、アッシュが数人の冒険者たち相手に、優雅な笑みを浮かべながら乱闘の真っ最中。
「ええええええっ!? 何が起きてるの!?」
ヒルデは目をぱちくり。
「はっはっはっ! その程度かな?」
軽やかに身をひねり、飛び込んできた拳を紙一重でかわして足払い。
冒険者がふわりと宙を舞ってテーブルに突っ込んだ。
「うわぁっ!?」
「こ、こいつ何者だ!?」
木の床が鳴り、椅子も倒れ、ジョッキが床を転がる。
受付嬢が半泣きで右往左往。
──その光景は、まさに混沌であった。
「あわわわ……! アッシュ王子がめっちゃ揉めてる! ど、どうしよう!?」
ヒルデもパニック状態。
ミカは深いため息をつく。
「……あれが、仲間ってやつなのか。随分やっかいな仲間だな」
そして、きょろりと辺りを見渡す。
「で、もう一人は?」
「あっ……そうだ。レイナさん! レイナさんどこ!?」
ヒルデは人混みの中に必死にレイナを探す。
すると、隅の方で──。
「もう一度言ってみなさいよ。誰が“色惚け女”だ? ああん!?」
レイナが屈強な戦士の首を腕で極め、完璧なチョークスリーパーを決めていた。
男は必死にもがくが、すでに限界が近い。
「す、すびばせんでしたぁ……!」
白目を剥いた男がそのまま崩れ落ちる。
「まったく、どいつもこいつも──まるでなまくら刀ね。研ぎ直しておいで」
レイナは髪を払い、呆れ顔で吐き捨てた。
「……レイナさん、こっわ……」
ヒルデはポカーンと口を開けたまま呟く。
【ふはは! なかなか面白い催しではないか! 】
魔剣が上機嫌で高笑い。
「なぁ、ヒルデ。お前の周りにまともな奴は居ないのか?」
ミカが呆れ返ったその時──
「──全く……騒々しいのぅ」
二階席から、低くも透き通る声が響いた。
「やかましくて、おちおち昼寝も出来んわぃ」
その声は特別大きい訳でもないが、妙に芯を持っていた。
まるで空気そのものが震えたように、ざわめきがすっと引いていく。
声の主は、奥の階段をゆっくりと降りてくる。それは深緑色のローブに身を包んだ老人。
フードの下から覗くのは、立派な白い口ひげ。
その重圧と呼応する様に、階段がギシギシと音を鳴らす。
「あれは……ギ、ギルドマスターだ!」
冒険者の誰かが声を漏らすと、それを皮切りにギルド内がざわつき始めた。
「ねぇミカ。あのおじいちゃん、だあれ?」
ヒルデの問いかけに、驚愕の表情を浮かべながらミカが声を発する。
「ギルドマスターだ。つまり、冒険者の中で唯一のS級ランカーだよ。噂には聞いてたけど実物を見るのは初めてだぜ……」
「へぇぇ……凄いんだね! あのお爺さん!」
ヒルデは目を丸くした。
◇◇◇
老人は杖を軽く鳴らしながら、静かに中央まで歩み出た。
そして倒れた椅子をひとつ直し、腰を下ろす。
「さて──寝惚け半分で聞いておったが、どいつじゃ? “サンダーホロウ渓谷”へ行きたいという無謀者は」
その言葉に、アッシュがピシッと背を伸ばした。
「僕だ! 無謀者ではないがな!」
威勢だけで老人の圧力を跳ね除けるかの様に、堂々と答える。
ギルドマスターはじろりと王子を見つめると、無言のまま立ち上がった。
深く垂れたフードの下から、静かな光を宿す瞳がのぞく。
そして――
アッシュの前に、ゆっくりと右手のひらを向けた。
「……?」
アッシュは一瞬、きょとんとした顔で固まる。
だが、その意味を理解する間もなく――
ズドォォォォンッ!!!
一瞬の無音のあと、空気が弾けた。
見えない壁が爆ぜるような衝撃だった
アッシュの体は軽々と宙を舞い、背後のカウンターに叩きつけられる。
「ぐわあああああっ!!」
カウンターの木板がミシミシと悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
レイナが慌てて駆け寄る。
アッシュは膝を震わせながらも、無理矢理立ち上がった。
「……案ずるな! 今のは滑っただけだ!!」
「いやいやいや、完全に吹っ飛んでたけど!?」
レイナが思わず突っ込む。
ギルドマスターは再びゆっくりと椅子に腰掛けて語り始める。
「……サンダーホロウにおるのは、“彷徨う幽騎兵”じゃ」
その声は穏やかだったが、誰の耳にも鋭く突き刺さる。
「そして、その幽騎兵軍を束ねるのが──幽騎兵長の”ゲートキーパー“じゃ」
「ゲ、ゲートキーパー……?」
レイナが思わず息をのむ。
背筋を、冷たいものが這い上がった。
マスターは頷き、長い口ひげを指先で撫でた。
「今のような、単なる衝撃波で吹き飛ぶようでは手も足も出んじゃろう。そのまま、谷底の瓦礫の一部となるぞ」
ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。
アッシュとレイナは返す言葉もなく、ただ沈黙のまま立ち尽くした。




