第5話 堅い土塊
その公園は広大な面積と色とりどりの植物、そして野外劇場を兼ね備えた憩いの場だった。ロンドンの主要な観光地からもほど近いこの公園は、平時であってもそれなりの人数が訪れ、芝に体を預けたり、ベンチに座ったりして楽しんでいるらしい。中心に円形の道で囲われた広場があり、野外劇場はその円のふちに位置している。
私がそこから離れて公園を抜けようとして、まず見えたのはめくれ上がったアスファルトだった。公園内にある整備された歩道はアスファルトで固められているのだが、そのことごとくが割れて、崩れ、まるで私が通ることを拒否するようにボロボロになっていた。私はそれに足を取られないように気を付けて、それでも急ぎ足で外を目指す。その途中、まだ公園の中であるのに立ち止まっている人たちに合流して、例のそびえたつ鉄柱、崩壊したビルを見上げることになったのだった。
誰かが声をあげて、思い出したように皆がまた外を目指す。外の様子を確認しようとしているのだろうその人波に私もついていく。悪路になんどか転びそうになりながら急ぐが、少し先で私たちはまたも立往生をする羽目になった。その理由は先ほどのように遠くに見える破壊におびえたからではない。物理的に通行ができなくなったから。――つまり崩壊して渡れなくなった橋が、目の前にあったからだった。公園の中にあるのだからこれは池か。確証はないが歩いて渡れないほどではない。だけれどそれをするよりもほかの道を探したほうが効率的だろう、とその場の誰もがそう思い、踵を返そうとする。私たちは皆、外の様子が気になって仕方がなかった。
だけどその時、ばしゃ、と水音が鳴った。それは鳥や小動物がたてるにはあまりにも大きな音で、しかしこの場の誰一人として水に入ってはいない。だったら――?ぱっと目を向けるのは向こう岸。まだ水に沈んで体が見えなくなる前の、それの群れ。人間と同じくらいの体躯、人間と同じ長さの四肢、そして人間とは全く異なる土色の肌――いや、肌だけではない。ただの土色、でもない。土そのものでできた体。ゴーレム、という単語が頭をよぎって、一瞬思考が止まるのと、私の横をかすめて吹き飛ばされた人が転がっていくのが、ほぼ同時だった。
慌てて視線を対岸からこちら側に戻せば、そこには水に少しふやけながらも小川を渡り切ったゴーレムが一体、手を振りぬいた格好で立っていた。
だれかの叫びが響く。なんてしゃべっているかなんて考えるまでもない。「にげろ」だ。
その声に逆らって、私はとっさに吹っ飛ばされた人のもとに駆け寄る。かろうじて意識はあるようで、痛みにうめいているのが分かった。だけど、自力で歩ける状態とは思えない。どう考えても補助が必要だ。
「だ、大丈夫ですか!」
その問いに答えは返らない。すると一人、大柄な男性がこちらに気づいて近づいてきてくれた。彼は一言二言何かをしゃべった後、私に先に行くように促してけが人を抱えた。正直助かる。私はゴーレムに追いつかれないように走り出す。方向は公園の中へ。こいつらがどこから来たか知らないが、隠れるとしたら周囲を生垣等に囲まれた劇場の中がいい。同じ思考に至ったか、それともただ距離を話すためかはわからないが、ほかの人たちも同じ方向に走り出していた。
走る。手を振って、足元の凸凹に躓かない範囲の最高速度を意識する。逃げるべきだ。私は足手まといなんだから。誰かを抱えることもできないし、たいして足が速いわけでもない。私は自分が逃げるのだけで精いっぱいだ。だから、振り向いちゃだめだ。そう。振り向いたらきっと一人分重い体重を引きずる彼が、追いつかれるのが見える。見えてしまう。そうしたら私の足は止まってしまうから。
――ふざけるな。
その感情がどこから来たのか、私は知らない。きっとそれはただの自己嫌悪だった。英雄願望でも、正義感でも何でもない。自分だけが助かろうと、そう考えてしまったことに対する罪悪感。私はどこまでも一般人で、小心者で。だからこそ、そこで立ち止まった。自分が背負うことになる罪にこらえきれなくて、そして、逆向きに歩き出したのだ。
目の前に、ゴーレム。その少し手前、ゴーレムの腕の長さぎりぎりに、けが人とそれを背負った彼。その彼の、驚きに見開かれた瞳。何かを振り切るみたいに私は走り出して、そして武器になりそうなものを探す。――あった。鉄柵の一部、地面の隆起に巻き込まれたか、地面から抜けてばらばらになっている。その一本が、槍として使そうに見えた。折れた柵の一部、長さは1メートルもないくらい。勢いを殺さないまま無理やりしゃがんでそれを手に取ると、そのままゴーレムめがけて突き出した。
一つ、イメージがある。とてもじゃないが誰にも聞かせられない、ばかばかしいイメージだ。――それは、魔石を貫くイメージ。公式の設定資料集でみた、ゴーレムの体内図。胸の中心、心臓の位置。厚さ約50センチのあの胸部の、ちょうど真ん中。そこに存在する赤く輝く魔石のイメージ。私はそこに、渾身の力で槍を叩き込んだ。
焦りを帯びた男の声。
私の突撃に獲物が増えて混乱したゴーレムの一瞬の停滞。
そして直観。――浅いッ!!
私の突き立てた槍は、その先がとがっていないためか、私の筋力不足か、それともゴーレムが思ったよりも堅かったからか。穂先と呼ぶべき部分が埋まったところで、それ以上進めずに止まっていた。一拍遅れて、ゴーレムが標的を私に定める。その腕が大きく振りかぶるのを、スローモーションになった視界で私は眺めていた。
「あ、死ぬ。」
その、感情ですらないただの感想が、確からしい未来予測だけがあって。その呆然、としか呼べない私を、しかし横合いから飛んできた声が揺り起こす。
「ああああッ!!」
ど、と鈍い音がして、視界の端に滑り込んできたのは、けが人を運んでいたはずの彼だった。彼は横から抱き着くようにしてゴーレムにタックルをすると、その衝撃でゴーレムと一緒にバランスを崩す。振りかぶったゴーレムの腕は私から逸れて、もつれあうように倒れた。鉄柵の槍がアスファルトをたたく音がして、そのままめり込んだ槍がゴーレムを貫通する。とたん、土が制御を失ったように崩れ、そのまま沈黙した。
……た、倒した。
二番目に迫ってくるゴーレムはまだ遠い。これなら劇場のある場所まで逃げ切れるかもしれない。そう思って土にまみれた彼を起こそうと近づいた私が見たのは、ゴーレムだった土くれに覆いかぶさるようにしてゴーレムを貫いた鉄柵に同じように貫かれた男だった。




