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第2話 世界創傷1/3

小説はそこそこ面白かった。初めての空の旅に一抹の不安――ないとはわかっていても墜落を想像して不安になっていた気を紛らわそうと選んだその小説。冒頭、主人公の乗っている旅客機が墜落して無人島の地面に穴をあけたときは作者を呪ったが、それ以外はおおむね満足した。


 そんな私の杞憂もむなしく、私の乗っていた旅客機は無事にヒースロー空港に降り立った。ドン、と衝撃を伴って滑走路に降り、だんだんとその勢いを弱めていく。すると、どこからともなく拍手が沸き起こる。着陸の成功を祝っているのだろうが、初めての文化だ。なんとなく日本人はしない気がする。でも周りの空気に合わせるのもまた日本文化。そういうものなのかな、と思ったので一緒に手をたたいておいた。


 シートベルトのサインが消えて、しばらくすると外に出られるようになる。飛行機をでて空港内に。なんか貴族っぽい服装のおじさんが手を広げて歓迎している写真と、Welcomeの文字を横目に歩いていくと、ほどなくして案内板が目に入る。日本のパスポートはこっちっぽい。



 私はちょっと記憶力がいいだけのただの女子高生である。特段気が強いわけでも頭がいいわけでもない。学業だって暗記科目なら高得点が取れるけど、計算とかさせられると途端にぼろが出る。見たことある問題に対して回答を丸写しすることはできるけど、なんか悪いことをしている気分になるからやらない。そうやって意地を張っているうちに理系科目の成績が悲しいほど落ちていくため、今度の文理選択では文系かな、なんて考えている。まあ、ごく普通の学生である。


 そんなごく一般的な学生であるから、英語なんかまともにしゃべれない。単語一つ一つは綴りまですべて正確に暗記しているのだが、ネイティブの人が話しているのを聞き取ろうとすると発音と単語が即座に結びつかないのだ。だから機内のアナウンスなんかほとんど理解できなかったし、これからの入国審査が不安でならない。さいとしーいんぐ、さいとしーいんぐ(「観光」の意)、と頭の中で繰り返して歩いていくと、駅の改札をより豪華にしたみたいなゲートがある。それにパスポートをかざして、通り抜ける。今か今かと入国審査におびえて歩けば、空港の出口にたどり着いた。......え、審査は?さっきのパスポート通したやつがそれ?......あ、そうですか。


 さて、肝心のイベントは二日後なので、今日はホテルにチェックインして休むだけ。明日一日は観光に回して、その翌日の夜までにイベント会場に向かえばいい。空港の近くのホテルまで私は街並みを眺めながら歩くことにした。異国情緒という言葉はよく聞くけれど、実際に歩いてみると確かに感じるものがある。道の造り、横断歩道とか信号機、看板も建物の建築様式も、どこをとっても見慣れない。少しの疎外感とそれに勝る感動が、確かにそこにあった。


 ・ ・ ・


 私のスマホの写真フォルダは着実に膨れて、あっという間に時間は過ぎた。でかい時計台やら中途半端な数字のプラットホーム、あといい感じのカフェでのクリームティーなどが主なラインナップ。


 怒涛の観光に疲れ果てて眠り、夢も見ないで目を覚ませば、イギリス3日目がやってきた。いよいよエリクシアシリーズのイベントが開催される当日だ。


 エリクシアの制作会社は日本にあり、またユーザーも大半が日本人のはずである。それなのにわざわざ外国でイベントを開催するのはなぜか。私は最初、新規顧客の獲得を目指しているのかと思っていたがネット上の反応は違うものだった。というのも、エリクシアの舞台に関係しているのではないかという説があるのだ。エリクシアシリーズはシリーズを通してとある国を舞台にストーリーが進行していく。この舞台はイギリスがモチーフになっているという説が有力で、公式見解こそ出ていないもののファンたちの間では一つの暗黙の了解となっている。そのため今回の大規模イベントのことを「公式による強制的聖地巡礼」などと揶揄からかうコメントが掲示板にあふれかえっていた。何が真実かはわからないが納得できる説ではある。


 ともかくここまで来たからにはめいっぱい楽しんで帰ろう。公式からの招待をもらってはいるが、イベントで何かをしてほしいみたいな依頼は受けていないし、一観客として楽しんでいいはず。


 そのイベントだが、開催地はロンドンのど真ん中だ。大都市のど真ん中にそんな大規模イベントがやれるような広大なスペースがあるのかと疑問に思うかもしれないが、あるのだ。ロンドンという大都会にはしかし、その喧騒に穴をあけるような広大な公園がいくつもあり、今回の会場もその一つである。


 私は昨日のうちにヒースロー空港の近くからロンドンのホテルに移っているので、会場には少し遠いものの徒歩で行ける。緩やかなカーブを描くヨーロッパらしい造形の建物を横目に歩いていけば、黒いフェンスが見えてきた。GPSを確認すれば、目的地はすぐそこだ。鉄柵の門をぬけて、私は公園に入った。その公園は国の首都ど真ん中にあるとは信じられないくらいに広々として、入ってすぐに背の高い木々と芝の広場が目に入ってきた。そしてその木の根元にリスがいる。日本ではめったに見ないそのモフモフのしっぽに軽い驚きと癒しをもらいながら、私は公園の奥へ向かった。そういえばエリクシアにもリスっぽいモンスターが出てきたな、なんて考えながら。


 募らせた緊張は、会場に近づくにつれてだんだんと楽しみに置き換わってきていた。イベント会場にはほかの新作ゲームの発表も見かけられたが、あくまで主役はエリクシアシリーズ。会場に入ってからも人の流れは奥にある野外劇場に向かってほとんど散らない。私も特によそ見はせず、その野外劇場――今回のメインイベントの会場に向けて歩いた。


 ほどなくして野外劇場のゲートに到着。チケットを見せて中に入った。開始時間よりもずいぶんと早く着いたつもりだったが、すでに席は大人数で埋め尽くされていて、ざわめきが満ちている。この騒音のすべてに、国籍もばらばらなたくさんの観客の期待と熱気が込められていると思うと、なぜか自分のことのようにうれしい。それはさておき、自分の席を見つけたい。私には公式様からのお呼び出しがあったので、それ相応の席をもらっている。その特権を生かして人の波をかき分け、ほぼ最前列といっていい自分の座席へと歩いていった。


「あの、すみません。」


 その声に私は、少し辟易としながら顔を後ろに向けた。何事もなく自分の席にたどり着き、じっと開演を待っていた私。そこに声を掛けてきたのは、日本人の女の子。髪をうしろでお団子にした活発そうな彼女に対して私が辟易とした、なんていうのには理由があって、実はこれが2回目なのだ。席に着いた直後も隣の席の人に片言の日本語で話しかけられ、日本人だよね、エリクシア好きなの!?みたいな感じで興奮気味にまくしたてられたばかり。今度は何だろうと思いながら振り返った私の表情がちょっと面倒くさそうだったとしても許してほしい。彼女はなにか申し訳なさそうに、しかし興奮を隠しきれないといった様子でこちらを覗いていた。


「あの、シアン様、ですよね。」


 ……え、なんて?


「ふぇ、ちがいましたか?」


 ちがうくない。私は確かにそのシアンという名前でエリクシアをプレイしているし、血迷って動画投稿したアカウントの名前もそれである。だけれどこれだけは決して間違いではないのだが、私はただ淡々とゲームをプレイしただけであり、人気バーチャルライバーみたいなトークもなければ某サイト生主みたいな売り方(偏見)もしていない。あの取れ高も感情の起伏もない攻略動画のどこをどう見たら私が魅力的に見えるのかまったくもってわからないが、ともかく目の前の少女は今にも飛びついてきそうなほどはしゃいでいる。しぶしぶと「そうだけど」と返事をしてみれば、彼女はぱっと表情を明るくして


「わたしシアン様のファンなんです!」


と。まぶしい。なんだこの子。やめてくれ、さっきまで話していた隣の席の外国人が「え、この人そんな有名人だったの?」みたいな表情でこっち見てるから。そんなわけないから。というかこの子はいったいどうやって私の正体――正体と呼ぶほどのものでもないが――を見抜いたというのだろう。すると彼女は私が何を考えているのか悟ったように、


「やっぱり、話し声がそんな感じしたから、もしかしてって思ったんです。うれしい!ガチうれしい!あ、もうすぐ始まりそうなんで邪魔にならないようにそろそろ行きますね、よかったら後で握手してください!」


 はあ、という私の生返事に彼女はきらきらとした表情で感謝を告げて、去っていく。さっきの会話の声だけで?私を判別?なにあれ怖い。


「わたしもあくしゅ、いいですか。」


 ついでとばかりに隣の席から差し出されたその手に、私は死んだ顔で応じたのだった。

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