第1話 古色蒼然
早朝、人一人いない寂しい駅のホームで、5時過ぎの電車に乗り込んだ。しばらく揺れているとだんだんいろんな人が乗ってきて、少しづつ車内がにぎやかになる。またしばらくすれば電車は関西国際空港を告げて、ゆっくりと停車する。空港の表示で関空がKIXなんて省略されてることを、私は最近初めて知った。
広場みたいに広い歩道橋を渡って歩いていけば、空港の中に入っていける。掲示板の案内を見て歩けば、荷物を預けるための受付を見つけることができた。まだ時間はあるけど初めての国際便。早いに越したことはないはずだ。天井からつるされた骨組みだけの飛行機みたいな謎のオブジェを見上げて、なんとなく写真を撮ってから私は列に並んだ。
待ち時間が手持無沙汰で、ふと今回の経緯について回想する。始まりは私宛に届いた「公式」からのメールだった。
エリクシアシリーズ。十数年前に発売されて一世を風靡したRPGで、今なお続編が続く熱狂的なファンを多く持つゲーム。その特徴は生産にある。
このゲームのプレイヤーはキャラクター作成時に職業を選択するのだが、普通のRPGなら魔法使いや剣士やらと選ばされるところ、このゲームには生産職しかないのだ。
鍛冶師、錬金術師、開拓者、大工。
この4つに分けられた職業には、それぞれ違った役割がある。鍛冶師は防具や武器などの生産、錬金術師はポーションや魔道具の生産、開拓者は地図や簡易拠点の生産、大工は建物や大規模な兵器の生産。
それぞれの役割があって、職業が違うだけで別のゲームをプレイしているようだと評判。全ての職業を体験するためにゲームを4周してはじめてゲームクリアだ、なんて言われることもあった。
現在の最新作である『エリクシアⅢ』は比較的簡単なゲーム設計とオート調合システムなんかも相まって初心者に優しく間口の広いゲームになっているが、初代はそうではなかった。
手に入れ難いレシピにめんどくさすぎる素材採取、ギリギリのボス戦に数時間ゲームに拘束される無駄にリアルな生産工程まで、昔のゲームならではの容赦ない難易度設定。
何を隠そう、私はその初代『エリクシア』の熱狂的なファンだったりする。親の勘違いから間違えてエリクシアシリーズの初代を贈られ、最初はいやいやプレイし始めたそのゲームにドはまりしてすでに数年が経過している。
『錬金術師』としてこのゲームを始めた私は当時のプレイヤーもドン引きするレベルでゲームをやりこんだ。4周ですべての職業を使うのは序の口。5週目でもう一度錬金術師に戻ってきてゲームクリア後の世界でポーションと魔道具を作り続け、いつの間にかレシピを見る必要すらなくなった。
自分がこのゲームのレシピをすべて暗記していることに気づいた私は6週目で一切レシピを見ない縛りプレイを開始。その状態でやりこみ要素まで全クリアした。
ここまではよかったのだけれど、調子に乗った私はそれを動画配信サイトに乗せてしまい、良くも悪くも話題になった。要するにバズったのだ。......こうやって公式イベントの招待状まで届くようになってしまうくらい。......私はどこで間違えたんだろう。
公式イベントは新作の発表を兼ねているようで、初代以外も一通り遊んだ私としては新しいエリクシアが遊べる期待感にワクワクしている。ワクワクはしているのだが、しかし日本から一歩も出たことがない私に対して贈られてきた招待状は海外でのイベントを知らせるもので。
親に伺いを立てたところ「いいんじゃない?いってきたら。」とのこと。がちがちに状況を固められた私は否応なしに初めての海外旅行を始めることになった。
それにしても誰かついてきてくれてもいいと思うんだけど。親にそれとなくついてきてほしいと言ってみてもどこ吹く風。めんどくさいのか忙しいのか、放任というかなんというか。友達も誘ってみたがさすがに高校生で海外旅行はハードルが高いと思っている人が多いらしく。親友のハナも付いていきたいとは言ってくれたものの、彼女の親の許可が下りなかった。
そんなわけで初の海外旅を、ひとりで。......いや、怖すぎる。トラブルに遭った時の対処法なんかは一通り目を通して覚えてきたけど、実際に体験するとなると話は別だと思うし、不安が尽きない。
そんな私の様子を知ってか知らずか、並んでいた人の列はいつの間にか私の後ろの方が長くなっていて、目の前にはカウンターがあった。
「チケットとパスポートを確認しますね。」
私が渡したそれらには、AMIKA YONOMIと表記されている。余海あみか。私の名前だ。
・ ・ ・
関空発ロンドンはヒースロー空港行の国際便に乗り込んで、私は窓際の席を指定しなかったことをまず後悔した。飛行機の窓は必要最小限と言ったサイズで、隣に人が座っているとその顔にさえぎられてろくに外なんか見えない。
せっかくの初めての国際便だったけど、空からの景色を眺めるのはお預け。見えるのは少し窮屈な機内とぎちぎちに詰め込まれた乗客たち。私は空の旅を楽しむのは早々に諦めて、読書で時間を潰すことにする。
やがて飛行機は動き出す。徐々に速度を上げて離陸。
サインが消灯して、機体の安定を告げる。
機内灯が消え、夜を迎えた機内にひそめたような寝息が満ちる。
そんな時、ごそごそと隣で音がした。なんのことはない。隣の席に座った老人が何かを手落として座席の下に潜り込んでしまったらしく、身をかがめては探し物をしているのだ。私は彼が隣に座っている私に気を遣って機内灯を消したままにしているのだと思って、そっと明かりをつける。
「ああ、ありがとう。寝ていたところを起こしてしまったかな。」
流暢な日本語だ、と思った。堀の深い顔立ちから、外国の人だと思っていたのだけれど。
「いえ、小説を読んでいただけなので。手伝いますよ。」
私の言葉に、老人は驚いたような声を――務めて静かに――あげる。
「おや、こんな暗いままで本を?」
そうだった。私は明かりもつけていなければ手に本を持ってもいない。さらに目をつむってさえいた。なんて説明しようかと悩んでいると、老人はにこりと笑って「とにかく、ありがとう。」
とだけ言う。特に追及しないでくれるみたいだ。曖昧に笑って返してから、何を落としたのか訊いてみる。
「ちいさな、……石ですよ。」
「石?」
「ええ。ガラクタではありますが、とても古いものでしてね。故郷を思い出させてくれるのです。私にとっては大切なもの......なのですが、つい取り出して眺めているうちに落としてしまって。」
そっとシートベルトを外して、座席の下を確かめてみる。するとそれは案外すぐに見つかった。
――黒い、石。いや、辺りが暗いからそう見えるだけか、どこかグラデーションのかかった薄べったいかけら。
手渡せば、老人はにっこりと笑って礼を言う。そこで改めて顔を見たのだけど、その髪の色も、青い瞳も、やっぱり日本人らしくはない。
ただ、彼とはそれきりだった。それ以上特に会話を交わすこともなく、機内は夜に沈む。私は読書の続きを再開して、彼も手元の石を眺めるのに夢中になっているようだった。
目をつむって、頭の中に白紙を描く。ちょうど出発する前に数冊買った文庫本の内容を思い出して、白紙に文字情報を羅列していく。記号としてしか覚えていないから、その内容にはまだ触れていない。こうやって反芻するように頭の中で本を読むのが私のスタイルである。
紙はかさばるから全部覚えて日本に置いてきたのだ。
古色蒼然 こしょく-そうぜん
とても古びている様子。
または、古びていて趣のあること。
四字熟語辞典ONLINE, https://yoji.jitenon.jp/yojic/1464, (閲覧日:2026年7月21日)




