第18話 水魔法
四方を囲むネズミが一斉に燃える体でとびかかってくる。その光景は死を予感するには十分すぎるほどの迫力があった。瞬間、体が恐怖に硬直する。
「逃げるぞ!突破するしかない!」
ケンジーが叫ぶ。だけどそれを聞いて私が体を動かす前に、ファイヤーラットの一団が私に突撃してくる。さっき打たれた右腕がずきりと傷んで、槍を持ち上げるのが遅れる。私目の前が炎に満たされて、その直後に衝撃が来る。がしかし、次に来るはずの熱がやってこない。
「あ、え。」
私の肩を支えて、迫りくるファイヤーラットの攻撃からかばってくれたのはケンジーだった。そのまま、短く息を吐いて、彼はまとわりついたネズミを振り払う。
赤くただれた皮膚がボロボロになった服の隙間から覗いている。あれは、よくない怪我だ。
「走るぞ!」
痛みを忘れるための興奮をにじませた声。ケンジーが叫ぶのに合わせて、私はがむしゃらに走り出した。幸い包囲は突破できた。ケンジーもフリーダも、私も逃げ遅れていない。だけど、いまだ倒したネズミは最初に単独で出現した一体だけ。燃え盛る波を後ろに、私たちはただ全力で走って逃げている。
筋力ポーションのおかげで少しずつ引き離してはいるものの、このままではらちが明かない。それどころかゴーレムに見つかる危険や、他のファイヤーラットの群れに遭遇する危険まで考えれば状況は最悪と言っていい。公園向かってきた道を引き返せばその危険は最小限にできるが、それはこのネズミたちを引き連れてバリケードに行くことを意味する。モンスタートレインは洒落にならない。公園のメンバーに犠牲が出たらそれこそ最悪だ。
どうしよう。何かこの状況を打開する方法は……。
「迎撃するよ!」
少し先を走っていたフリーダが地面に足をこすりつけて停止する。
「何する気!?」
「あいつらも動物なんだし、一気に体温が落ちたら鈍くなるでしょ!水かけて冷やしてやる!」
水、確かにそれは有効かもしれない。ゲーム的にもあいつらは水属性の攻撃に弱かった。だけど水なんてどこにもない。
「やる気か。」
ケンジーがそう言って、私も理解する。フリーダはぶっつけ本番でやる気なのか。
「うん。水魔法、使うしかないでしょ。」
ネズミが迫る。足を止めた私たちに、急速に距離を縮めて襲い来る。
フリーダはいたって冷静だった。その手をまっすぐに前に向け、ファイヤーラットを見据えて笑顔を浮かべた。
「いけ!水魔法ッ!!」
その手からほとばしるのは、その場の誰もが黙り込むほどの気まずい空気だった。
「……あれ。」
「フリーダぁ!?」
アホみたいに突っ立ってるフリーダを引っ張って再び走り出す。なんで!なんでできないのにやった!?
「だってなんか使えそうな気がしたから……。」
逃げ出せば、また少しずつネズミとの差は引き離せる。捕まりこそしないが――そう思った瞬間に、ケンジーが減速した。先ほどの攻撃で彼は全身に怪我を負っていて、それは足腰も例外ではない。どうやら段差に躓いて、そのあとうまく態勢を立て直せないでいる。私はそれを見て迷わずに引き返した。かばうように前に立ってみるものの、何か策があるわけではない。魔法、魔法、私なら使える?いや、同じ結末しか見えない。必要なのは魔石のアクセサリーだ。
――本当にそうか?
魔石のアクセサリーは魔石以外に特に重要な素材は使われていない。アクセサリーがただ手を空けるために耳に着けられるようにしただけだったら?
「フリーダ!魔石!アクセサリーにしなくても耳とか顔の近くにかざして使えば効果があるかも!」
遅れて引き返してくるフリーダに向けて叫ぶ。
「たしかに!魔石はどこ!?」
「フリーダが持ってるよ!!」
慌ててポケットから取り出されたのは、先ほど倒したファイヤーラットの魔石。フリーダはそれを右手に握り、額に近づけた。それはまるで祈りのように。目の前に迫りくる敵を知っていてなお、彼女は確信をもって目を閉じた。エリクシアシリーズの魔法に詠唱はない。魔法とはイメージの産物だ、というのがチュートリアルの先輩大工のセリフだった。
「一人前の魔法使いになるためには魔導書を読んでいろんな魔法陣を頭に叩き込む必要がある。だけど最初のうちは耳飾りをつかえ。簡単な魔法なら、実際に起こしたい現象をイメージするだけでいい。」
ジジ、と小さな音がした。迫りくるネズミの騒音の中、それはやけに鮮明に聞こえた。フリーダの目の前、ちょうど顔の10センチ程度前の空中に、その水滴は浮かんでいる。それはやがて水球となり、ごぽごぽと空気をかき混ぜながらまだ質量を増していく。
「物理学者が気の毒だな。」
皮肉気にケンジーが笑う。ネズミがすぐそこまで迫る。そして、フリーダが目を開く。次の瞬間、人が五人は入れそうなくらいに膨れ上がった水が、洪水となってネズミに襲い掛かった。
後に残ったのは、波の引いていくようなざあ、という音だけ。
「え、これ私がやったの?」
気の抜けたことを言う。うまくいってよかった。
「まあ、なんか成功したしいいか!」
見れば、ネズミたちはそろってその動きを止め、ぴくぴくと痙攣している奴までいる。これにとどめを刺すのは難しくないだろう。また動き出しても困るので、ケンジーと私で順番にとどめを刺していった。フリーダは頑張ったのでお休み、と言いたいところだが解体役である。頑張ってほしい。一通りネズミを刺して、私はケンジーを見る。
「ごめんなさい。私が不注意だった。」
やけどの跡は生々しい。戦いが終わったせいで興奮が切れたのか、ケンジーは痛そうに自分の怪我を見ていた。
「痕も残る、よね。」
私の顔をみて、ケンジーはふっと笑う。
「ならなおさら私かばうべきだったな。気にするな。ちょうど新しいタトゥーを入れようと思っていた。」
「……うん。」
沈黙が降りて、フリーダがいつもの調子でそれを破る。
「ねえ!これいったん解体は後にして持ち帰ろうよ。ケンジーの怪我の手当てが優先でしょ。」
「そうしてくれると助かるな。」
「うん。行こう。」
私たちはネズミを回収して――あまりの数に大半を放置することになったが――帰路についた。
「二人ともありがとう。」
私の肩に手をのせて、ケンジーはそのまま歩いていく。新生筆頭パーティーの初回遠征は、何とか全員無事に乗り切ることができたのだった。




