人の少ない教室
集中して調べても、新たな情報が見つかるとは限らない。栄お兄ちゃんも一年間調べているのだ。研究所跡にばかり執着すべきではないのかもしれない。禁域が最も気になるが、無事で済むとも思えない。また、手当たり次第の探索か。世界を越える鏡の所在地に関連しそうな書物でも見つかれば良かったのだが、鏡界内の地理に関する書物が今のところ見つけられていない。
ぼんやりと帰りのショートホームルームの時間を過ごす。やはり人数が非常に少ない。狼寮の三人はまだ戻らず、最も揃っている豹寮でさえ二人、杜鵑寮は私しかおらず、朱鷺寮に至っては全滅だ。
「今日は大事な連絡がある。代議員の二人は会議室に行くように。緊急代議員会議が開催される。」
代議員は誰だっただろう。二人とも教室にいる人だろうか。大半が既に帰っているが、先生が何も言及しないということは問題ないのかもしれない。そう自分を納得させていると、水島くんがこちらに小声で話しかけた。
「やはりこの先生は駄目だな。代議員は二人とも不在だ。もっとも、瀬名さんはともかく天羽君はこの状況で素直に会議に出席するとも思えないが。」
その二人が代議員なのか。瀬名さんは授業も掃除も積極的に参加しているため、この時間だけいないことのほうが不思議だ。大谷先生が連絡を伝えてくれていた時はこの時間を含めても、欠席も遅刻もしていなかった。
連絡事項はこれだけのはずだ。しかし、先生の話はまだ続いた。それも、個人の好き嫌いだけで物事を判断し、遅刻や無断欠席を行うなど言語道断といった話だ。ここにいる人は出席している人のため、それを言うべき相手は今いない人だ。生徒同士でそのあたりを伝え、確かめ合い、行動を改善するようにとの言葉も続けられるが、聞き入れる必要はないだろう。他の生徒が授業に出ていないことによる不利益が私にはない。授業中に当てられることも苦にならないため、人数の減少によって当てられる頻度が上がっていても、私にとっては問題ではない。
ようやく帰りのショートホームルームが終了した。ここからは各教室二人ずつでの掃除だ。私と水島くんが隣の空き教室に移動する。すると瀬名さんはいた。
「あら、やっと終わりましたの?無駄話を聞かされて大変だったでしょう。廊下と黒板はもう終わりましたわ。後は教室の机と窓を拭いて、床を掃くだけですの。花房様、黒板は如何です?やり方を真似してみましたのよ。」
美しい消し跡が微かに残っている。私が掃除した時よりもチョークの粉も残っていないかもしれない。先に一人で掃除をしてくれていたのか。おかげでこちらの教室は早く終わりそうだ。
「うん、綺麗だよ。ありがとう、瀬名さん。じゃあ、私は窓を拭くね。」
「それは僕に任せてくれ。背の高い人のほうが上のほうを拭きやすいだろう。机拭きを頼んでも良いだろうか。」
「分かった、窓は任せるね。」
それぞれ雑巾を、瀬名さんは箒を持って、掃除の続きを行う。人は少ないが瀬名さんが先にしていてくれたおかげで、こちらの教室は順調だ。
「あ、そうだ。瀬名さん、緊急代議員会議があるんだって。」
「まあ、そうですのね。助かりましたわ。やはり欠席すると不都合がありますわね。」
言葉少なに掃除を終わらせて自教室に戻っても、掃除は全く終わっていない。先生を含めても三人だけでは時間もかかるだろう。私たちも手伝い、終わらせる。大谷先生の時は掃除日誌を有瀬さんも瀬名さんも提出するが、今日はどちらも持ったまま教室を出て行った。副担任の先生も悩んではいるようで、大きな溜め息を吐いて、教室を後にする。
「羽衣、今日の探索はどこ行く?」
以前に狼寮の西を探索しようとした時は、転んでしまい、結局探索できないまま終了した。今日はその続きにしようか。研究所跡ばかりでも気が滅入ってしまう。
「狼寮のほう行こうよ。」
「了解。寮の前で待ってるよ。」
鏡操の授業のない日は放課後が一日の始まりのようなものだ。古賀さんも既におらず、代議員でない私はもう自由時間だ。
杜鵑寮で探索の支度を整え、狼寮に向かう。折角教室に来られるようになったのにショートホームルームには出られなくなってしまった葉月くんのことも気にかかるが、これは大谷先生が戻って来れば解決するだろう。現状でも数学1と体育以外の授業には出られているため、これは放置しよう。
それより放っておけないのは今、目の前で屈んでいる高松さんだ。どうしたのだろう。狼寮はすぐそこだ。自力で戻れないほど体調が悪いのだろうか。
「高松さん、大丈夫?」
「うん、ちょっと罠仕込んでるだけだから。」
弱々しく微笑んでくれるが、内容は物騒だ。危険そうなことなら止めようとその手元を覗き込むと、石畳の隙間に小さな風船を仕込んでいた。小石などが挟まった靴で踏めば割れて驚くだろうが、何も起こらないことのほうが多そうだ。これは放っておこう。
大人しいだけと思っていた高松さんの意外な面を見てしまったが、自分は本来の目的を果たす。赤坂くんの生徒番号を入力しようとしたところで、狼寮の扉が開いた。
「ナイスタイミング、だな。」
「中から見てたの?」
「そろそろだと思って下りて来たとこだよ。」
不思議と心が通じた気分になり、ふわふわした心地のまま数段の階段を下りる。今日は何か見つかるかもしれない。
「羽衣、足元気を付け」
「あっ。」
「羽衣!」
もう段差がないと思って足を踏み出した。しかし最後の一段を下り切れておらず、体が傾く。今日は転ばないぞ、と足を地面に押し付けようとするが、その前に支えてもらってしまった。
「ほら言ってんのに。疲れてんのか?」
「ううん、大丈夫。楽しみで焦っちゃった。」
気を引き締めよう。その決意を、手を強く握ることで伝えた。私は探索できる。良いお天気の中、怪我一つなく、何かを見つけられるはずだ。
狼寮から十分離れるまで、試験の手応えなどを話していく。私はどれも悪くなかった。有瀬さんや水島くんのように学年何位という感覚はないが、追試や補習はないだろう。
「羽衣はきちんと勉強してたもんな。俺も追試と補習の心配はしてねえよ。」
提出物を解いている時しか勉強している所は見ていないが、自信はあるようだ。憂いのない表情で、赤坂くんもまだ探索していないらしい狼寮の奥へ連れて行ってくれる。寮から遠ざかるにつれ、楽しそうにもなっていく。二人で新しい場所を探索すること自体を、赤坂くんも好んでくれているのかもしれない。
試験結果など返ってくるまで実際のところは分からないのだ。今はそのことを忘れ、探索に集中しよう。
「禁域に入らないようにしないとね。」
「ああ。今は近づくのも止めておこう。零が荒れてるしな。」
「会ってるの?」
葉月くんでさえ、試験最終日以降、零ちゃんには会えていないという。今までは会いに行くこともあったそうだが、恐ろしくて秘密基地にも行けていないそうだ。それなのに赤坂くんは会えているのかと目を見れば、今日も逸らされてしまった。返事の代わりか、手は軽く握り締めてくれる。
一呼吸おいて、なぜか抱き締められた。続いて落ちてきたのは謝罪の言葉。
「ごめん。一つ確認させてほしい。羽衣は栄先輩しか身寄りがないんだよな。他に逃げる場所は?」
突然、何なのだろう。桃園さんから逃げることを考えた時の候補は他にもあった。しかし、身寄りという意味では栄お兄ちゃんのみだ。ここでは遠縁という設定になっている栄お兄ちゃんのことしか覚えていないことになっている。赤坂くんにも、家族のことは話してはならない。
「そう、だね。」
「そっか、そうだよな。今週の金曜日、一緒に研究所跡を探索しよう。栄先輩も一緒に。危ないかもしれないけど、来てくれるよな。」
今までも研究所跡の探索を行っている。一緒に行ったわけではないが、研究所跡の内部で栄お兄ちゃんと遭遇することもあった。改めて真剣に誘うようなことではない。梯子を下りる時など、少々注意が必要な箇所があることなど私も知っており、そのことを赤坂くんも知っているはずだ。内部が暗いことも、何に使うのか分からず触らないことになっている装置があることも、共に認識していることだ。
なぜそんなにも辛そうな表情で誘っているのだろう。なぜ私を抱き締める腕が震えているのだろう。なぜ毎朝毎晩会っている栄お兄ちゃんではなく赤坂くんから伝えられたのだろう。
「羽衣、頼む。断ってくれ。」
支離滅裂な言葉。誘っているのか、行きたくないのか。断ってほしいのに、なぜ誘っているのか。
「どうしたの?なんか変だよ。栄お兄ちゃんに相談する?」
「駄目だ。栄先輩は、駄目なんだよ。」
何かあったのだろう。研究所跡で何か見つけてしまったのだろうか。怖いかもしれないではなく、危ないかもしれないという言葉も気にかかる。何かを知ったのなら、恐ろしい情報には出会うかもしれない。しかし、知っただけで危ないというのは理解できない。たとえ知ったとしても、その方法を実行しなければ私たちの身に危険は差し迫らない。
考えても私には分かりそうにない。危ないかもしれなくとも、栄お兄ちゃんも一緒ならきっと大丈夫。赤坂くんの様子がおかしい原因を行って確かめよう。
「入り口で待ち合わせてさ、三人で一緒に行こ。それならちょっとくらい危ないことがあっても安心でしょ?三人なら怖くないよ。」
励ますつもりで、私より高い位置にある頭を撫でた。しかし反応は思わしくない。諦めたように、目を瞑っただけだ。
「ああ、来ちゃうんだな。分かった。伝えておくよ。」
「私から言うよ。今晩も会うし。今は栄お兄ちゃんの部屋に泊まってるの。」
「なんつー危ないことを、してんだよ。」
危ないだろうか。大浴場に行っても何も危ないことは起きていない。瀬名さんや有瀬さんと会うことはあるが、教室ではしないような会話をしているだけだ。有瀬さんとはむしろ教室で会った時より穏やかな会話ができている。
そういえば、栄お兄ちゃんも赤坂くんの部屋には泊まらないよう言っていた。しかし、赤坂くんから言われることには納得いかない。兄妹のような関係なのだから、一緒に寝ていても、友達から心配されるようなことだろうか。
「いや、まあ、部屋では何もないだろうけど。羽衣が気にしてないならいい。」
もうその瞳は真剣な色から心配に変化していた。それでも私に聞き入れるつもりがないことをどうやってか感じ取り、私が主張する前に話は変えられる。
「見てみろよ、あれ。人の顔に見えねえ?」
結んだ線が逆三角形に見える三点があれば、人の顔に見えやすい。その木は一部が剥がれ落ち、そのようになっていた。見ようと思えば人の顔に見えるが、二人で行動している今は恐ろしくない。
「もっと夜だったらびっくりしちゃいそうだね。」
「他には何もなさそうだな。」
足場は悪いが、朱鷺寮の北ほどではない。継続した傾斜はなく、一度体勢を崩しても大きな怪我はない。何かないかと期待して進んでいくが、時間が経つにつれて何も変わった物がないことに焦れ、再び意識は会話に向かった。
「授業中はある程度人がいんのに、帰りのショートになった途端、全然いなくなってんの不思議だよな。」
「授業の時も大谷先生が来てた時より少なかったよね。」
遅刻もショートホームルームの無断欠席もしていないのは有瀬さんと水島くんの二人のみ。私と赤坂くんも一部の授業で遅刻してしまうことはあった。瀬名さんはショートホームルームのみではあるが、無断欠席。その他の人は大谷先生が担当している古典だけではなく、その他の授業でも遅刻や無断欠席している。
大谷先生との付き合いは他の生徒たちも私と同じ短さのはずだ。それでも既に他の生徒たちも強く慕う状態になっていたのだろうか。
「みんな元から好き勝手してはいたけどなあ。」
「でもそれまではちゃんと出てた人もいなくなっちゃってるね。」
以前から遅刻や欠席の常習犯だったのは天羽くんと染谷さんくらいだ。古賀さんと桃園さんも遅刻をすることはあったが、無断欠席はしていなかった。遅刻も無断欠席もしていなかった人たちまで、特にショートホームルームには出席しなくなったのだ。
「大谷先生、いつ戻って来れるんだろうな。」
「早く良くなるといいね。」
「生徒を禁域に連れてった処罰も決めるって話だったよな。どうなってんだろ。」
本当に戻って来られるのだろうか。私たちの鏡操の授業も滞っている。特別な八限目はなくなるだけだが、木曜日の七限目はどうなるのだろう。同じクラスの人たちと同じ授業は受けられない。代わりの先生がその時間だけ受け持ってくれるのだろうか。できればその日までに戻って来てほしい。
何も見つけられないまま、帰る時間になる。明日以降も頑張ろう。




