制服
「おはよう、葉月くん。」
「え、あ、おはよう。」
少し早めの教室。まだ予鈴もなっていないような時間に、葉月くんは一人で本を読んでいた。話すことはできていないようだが、教室に入る前に少し様子を窺った時も暴言などを吐かれてはいなかった。すぐに仲良くなることは難しくとも、教室に留まることが苦痛でないなら、多少の余裕はできるだろう。
私が尋ねたいことは禁域のこと。しかし、零ちゃんの異常な様子のことも気にかかる。中間試験が終わればすぐにでも尋ねようと思っていたのに、なかなか思い通りには行かないものだ。
「花房さん?どうしたの?」
「ううん。禁域のこと、聞いてもいいかなって。」
俯いてしまった。やはり今は聞くべきではなかったか。強引に侵入して調査する危険はこの目で確かめた。今は葉月くんからの情報だけが頼りだ。
「ごめん、今はちょっと……。零があんなに怒ると思ってなかったんだ。」
「そうだよね。聞いてごめんね。」
鏡操の授業もいつ進むか分からない。あとは研究所跡に手掛かりがないか、探索で新たに何か見つけられないか、という二つに頼るしかない。
暗い表情を切り替え、笑顔を作ってみせてくれる。私も表情を引き締めよう。
「花房さんも今日は校章をちゃんと着けてるんだね。」
「うん、持ってます、って見せに行かないといけないから。」
葉月くんは全て規定通りの着こなしだ。服の裾を出すことも、ボタンを幾つも開けていることもない。校章まで完璧だ。
予鈴にもまだ余裕がある。朝休みの間に生徒指導室に行ってしまおう。
「今から行ってくるね。」
「俺もついてっていい?」
「いいけど、何も面白いことなんてないよ。」
二人で二階へ向かう。一年の廊下を通ることには抵抗があるのか、葉月くんの希望で先に二階へと上がり、二年の教室の前を通っていく。栄お兄ちゃんももう教室にはいるはずだが、今朝一緒に来たため、あえて寄って行く必要もない。
そうAクラスの前を通り過ぎようとした時、声をかけられた。
「実くんに羽衣ちゃんやん。どうしたん?また千尋か栄にでも会いに来たん?千尋!栄!可愛い後輩と妹が会いに来よったで!」
「え!?ちょっと、違います!生徒指導室に行こうとしただけなんです。」
しかし京極先輩の呼びかけで二人とも廊下まで出て来てくれる。用事があったわけではないと伝えると、なぜか栄お兄ちゃんに頭を撫でられた。葉月くんは会いに来たと言われても動じることなく、現状を柊木先輩に伝えている。あまりここで時間を使っては、生徒指導室で校章を確かめてもらえないではないか。
「ただ会いに来ただけでも構わないよ。」
「違うんだって!」
恥ずかしくなってそれしか言えなくなった私に代わり、葉月くんが説明してくれる。その間も栄お兄ちゃんは私の頭を微笑みながら撫で続けている。
「花房さんは服装点検を受けに行くところで、通りかかっただけなんです。」
「わざわざ点検を受けるのか。偉いな、羽衣は。」
「最初から守ってるほうが偉いでしょう?」
「そうだな、葉月はもっと偉いよ。」
柊木先輩に偉いと頭を撫でられて、葉月くんはご満悦だ。先輩後輩でもこういったことをするなら、私も受け入れやすい。しかし、やはり見られているような気がして、手を振りはらう。
冷静になると、柊木先輩の言葉に疑問が生じる。月曜日以降、再点検を受けるよう指示されたが、本当に受ける人は少ないのだろうか。
「再点検、他の人は受けないんですか?」
「直したことを確認するためだからな。改造してる連中は改善する気がないから、再点検なんか受けない。」
「羽衣のクラスは大半がそうでしょ?」
「校則なんか気にせえへん連中やからなぁ。今年はだいぶ大人しなった聞いとるけど。担任の力やろうか。まだ若い先生やった気ぃするけどな。」
去年まではもっと自由奔放だったようだ。教卓や校内放送の流れるスピーカーに乗っている子はいるが、その話は伝わっていないのだろうか。それとも、それが大人しくなった結果なのだろうか。後者であった場合が怖いため、去年までの話は聞かずにいよう。
予鈴が鳴った。急がなくては放課後に再点検になってしまう。走ってもまた注意されてしまうため、競歩のつもりで歩いていった。
七限と掃除が終わり、各々部活に向かって行く。私も探索のため、その流れに乗ろうとするが、古賀さんに引き留められる。
「生徒会室に行こう。制服廃止の話の続きがある。演劇部の先輩たちも賛同してくれた。おそらく、制服に不満がある生徒は多い。」
「ああ、ごめん、忘れてた。でもそれ、私が行く必要あるかなあ。」
積極的に廃止したい人たちが中心になって動いたほうが、盛り上がるような気がする。制服が廃止になってくれると便利ではあるが、大きな不満のない私が混ざっても水を差す言葉しか出せなさそうだ。Sクラスにも制服を改造している人はいるため、その人のほうが適任だろう。しかし、古賀さんは桃園さんを見かけても、瀬名さんとすれ違っても、声をかけることなく通り過ぎる。私に協力してほしいならそれで良いが、あまり力にはなれないだろう。
古賀さんの部活の先輩と思しき人たちに応援されつつ部室棟の中を進み、生徒会室まで向かう。華道部の部室前も通るが、今日は部活を行う日ではないため、部室は開いていない。
「来た。制服廃止の話をしたい。」
「待っていたわ。では早速本題に入らせてもらうわね。」
黒板に「制服廃止について」と大きく書かれている。その下にある「自由選択」の文字は関係する言葉なのだろうか。
「あなたたちの話を聞いた後、生徒会役員と顧問でも話し合ってみたのよ。校則を変えるには署名が必要だわ。だから分かりやすいように案をまとめたのよ。それがこれね。通常の服装は常識の範囲内で自由で、制服を着るか着ないかも自由。ただし、卒業式など式典の際は正装すること。この正装に制服は含むこととする。どうかしら。」
黒板を見つめたまま動かない古賀さん。卒業式でさえ制服を着たくないのだろうか。中学の時は、普段はジャージ類の先生方もその日ばかりはスーツを着ていた記憶がある。それを考えると、私たちも制服を着用しなければならないことに私は納得できるが、古賀さんは不服なのだろうか。正装に制服を含む、ということは制服でない正装も認められると推測できる。大幅に自由な服装が認められた内容だ。多くの生徒はこれに反対しないだろう。
署名はどう集めるのだろう。廊下で呼びかけるのだろうか。その手伝いは要求されても拒否させてもらおう。そこまで時間を使いたくない。
「常識の範囲内が抽象的。正装の定義も曖昧。」
「そうね。では、生徒会顧問に確認してみましょうか。」
生徒会長に引き連れられ、昇降口を挟んだ隣にある生徒相談室に向かう。今日はいないが、大谷先生の机のある部屋だ。この部屋にいたもう一人の先生は生徒会顧問だったのか。生徒相談室にいるのだから、きっとその先生も生徒の話を聞いてくれる先生なのだろう。
背筋を伸ばし、その部屋に入る。要件を手短に伝えてくれた生徒会長に続き、古賀さんが自分の意見を主張した。
「私は制服を理不尽なものと考えている。不必要に私たちを束縛し、その不要な締め付けに従順であれば褒められる状態はおかしい。」
「規則を守ることは社会に出た時に必要になる力の一つだ。そして、規則が間違っていると感じた時にどう行動するかを学ぶことも校則がある意義だ。しっかり守りつつ、変えるために君たちがこうして動いてくれたことを、私は嬉しく思うよ。」
一見校則を守った服装のため、生徒会顧問の先生は規定通りに着こなしていると誤解したのだろう。私から古賀さんは改造していますとわざわざ教える必要はない。私も制服廃止に積極的だと誤解されているような気もするが、不都合もないため放置だ。
署名を開始するために協力してくれるのだろうか。そう動向を見守っていると、幾つかのやり取りの後、生徒指導の先生にも話を聞くことを提案された。反対の意見も聞け、ということだろうか。八限目がなくとも探索の時間は長くならなさそうだ。
生徒指導室でも古賀さんは積極的に生徒指導の先生と話している。生徒会長も熱心に話を聞いており、この場でやる気がないのは私だけのようだ。本当になぜ古賀さんは私に同行してもらいたがっているのだろう。
「服装を指定する意味が分からない。学校生活に必要不可欠なものとは到底思えない。」
「学校側としては、服装が乱れ、勉学に集中できなくなることを懸念しているのよ。派手な服装が他の生徒の集中力を削ぐことのないように、とか、服装にばかり気を配って勉学が疎かにならないように、とか。」
「束縛されているほうが差し支える。他生徒が集中できないのはその生徒の問題であって、全ての生徒の服装を規定する根拠にはならない。それに現状、装飾品に関する規定がないことと整合性が取れていない。」
栄お兄ちゃんの話では、後方生徒の邪魔になる髪形などはできないとなっていた。あれは校則による規定ではなく、他の生徒からの苦情があるからだろうか。迷惑だからやめなさいと先生にも注意されるのかもしれない。
居心地の悪い真剣な空気の中、生徒指導の先生と古賀さんの問答はまだ続く。
「おしゃれのセンスの差やお金がある子とない子の差が現れにくくなる、という利点もあるわ。」
「その違いを人としての優劣と捉えることが問題。制服によって問題を隠しただけで――」
激論が交わされていく。大変そうであり、時間もかかりそうだ。多少手間でも制服から探索用の服装に着替えるほうが早いだろう。古賀さんも生徒指導の先生も至って真剣であるため、欠伸だけしないよう気を付ける。
生徒指導室は生徒相談室より多くの机が置かれている。その中には可愛いぬいぐるみが置かれている机や風景の写真が置かれている机もあり、それぞれの趣味が伺えた。カウンターの内側には傘が何本も立てられている。今日は雨が降っていないため、忘れ物だろうか。机の数より傘の本数のほうが多いため、置き傘ではなさそうだ。生徒なら一人一人に傘立てがあり、学生証で取り出せるはずなのに、なぜここに集められているのだろう。
見にくいが、遠い側の机の上には人物の写真が乗っている。男性と女性の二人が映っているようだ。二人とも穏やかな笑みを浮かべている。男性のほうは、大谷先生に似ている。本人だろうか。しかし、ここは大谷先生の机ではない。女性のほうも確認するが、今対応してくれている女性と似ているような気もする。しかし、今は真剣な表情をしており、同一人物かどうか自信が持てない。
「お待たせ、天女。あの先生のおかげで戦えそう。情報は大事。」
頑張って、という声に見送られ、三人で生徒指導室を出る。今日はもう探索に行っても良いだろうか。私にとってはすぐ去りたいこの学校での服装より、家族に近づくための時間のほうが大事だ。
「花房ちゃんはどう?代議員を招集したのち、各クラスで署名活動を行おうと思うのだけれど。」
まずい、話を途中から聞いていなかった。私としては何時間も費やして制服を無くしたいほど不都合を感じているわけではないが、署名程度の時間で無くなってくれるなら嬉しい。朝、服装を考えることが面倒な日には制服を着ることもあるかもしれない。しかし、それも許されるなら署名を拒む理由はない。私が私服を着たくないなら着ないという選択もできるのだ。制服を着たくない人に着ろと言う必要はない。
「私もそうなったら署名しますよ。着たかったら着てもいいなら全員が着なきゃいけない必要はありませんもんね。」
「そういった意識レベルの人もいるわよね。分かったわ、ここからは私たちに任せて頂戴。来週には署名が始められるよう準備をするわ。」
生徒会長に任せ、古賀さんともここでお別れだ。私もようやく探索に行ける。これから部活に行くと言う古賀さんは部活の時間の一部を費やすほど、制服に不満を持っていたのか。
杜鵑寮に走って戻る。赤坂くんには先に探索に行くよう伝えているため、私も急いで研究所跡に向かおう。まだ世界を越える鏡に関係しそうな本は見つかっていない。鏡操の授業がない以上、研究所跡の情報が頼りになるため、今日こそ何かを見つけたい。栄お兄ちゃんからも帰る方法は聞けていない。
焦りながら探索用装備を整え、研究所跡に駆ける。何度か躓いてしまうが、転ばなければ問題ない。朱鷺寮北の斜面もなるべく早く進み、ハッチまで辿り着く。今日は制服廃止の件で時間が取られてしまったが、鏡操の授業がなかったため、これまでと同程度の時間は確保できるはずだ。
息を整え、ここからは集中した調査の時間だ。




