豹の夜
昼食に少しだけ遅れたことを栄お兄ちゃんには怒られてしまったが、夜には寮の前で待ってくれていた。夕食も豹寮で一緒に取るが、杜鵑寮とは少々雰囲気が異なる。数人ずつで固まって会話している点は同じなのだが、妙な緊張感があるのだ。豹寮での生活ももう四日目だが、未だこの謎は解けていない。
そんな緊張を一回栄お兄ちゃんの部屋で解し、再び緊張を強いられる大浴場に向かう。当たり前だが男女別のため、周りにいるのは見知らぬ女生徒ばかりだ。それぞれ親しい者同士で会話していたり、黙って頭や体を洗ったりしている。私も彼女たちに混ざり、体を清めた。
湯船でも隅に入れさせてもらう。壁に凭れるように一息吐けば、すいーと隣に並ぶ女生徒がいた。
「このような所で会うとは思いませんでしたわ、花房様。」
「瀬名さん?なんで大浴場にいるの?」
Sクラスの部屋にはお風呂も付いている。大浴場に来ずとも足を伸ばして入浴ができるのだ。それなのに瀬名さんはここにいる。周囲に親しそうな生徒がいるわけでもないため、友達と話しながら入浴しようとしていたわけではなさそうだ。
「それはこちらの台詞ですわ。ここは豹寮の大浴場でしてよ。わたくしは他クラスの人たちがどのように生活しているのかを知る一環として、大浴場で入浴するようにしておりますの。」
「桃園さんに腕を掴まれたのが怖くて。ちょっと栄先輩の所に寄せさせてもらってるの。」
大浴場に興味があったのだろうか。瀬名さんは教えてくれたのだから、私も教えよう。隠すことでもない。桃園さんの件は瀬名さんが間に立ってくれたため、知っているはずだ。
「あの件ですわね。反省の姿勢も見えておりませんし、そのほうが安全かもしれませんわね。入浴後はどうされるのかしら。折角汗を流した後に杜鵑寮までお帰りに?」
「ううん、栄先輩の所に泊めてもらうの。」
お湯を肩にかけたり、腕を伸ばしたり、寛いでいた瀬名さんが動きを止めて、こちらを凝視した。何か興味を引くようなことを言っただろうか。
「栄先輩、というのは花房様のお兄様でしたわね。」
「うん、そうだよ。遠縁のお兄さんだね。」
念のため、設定通りに訂正しておく。兄妹だと思われているような気がしてならないのだ。そう主張するには少々距離感があるような気がしているのだが、周囲にはそう見えていないのだろうか。中間試験中にようやく一緒に寝るようになった程度で、それまでは会わない日もあったというのに、不思議なものだ。
瀬名さんがなぜか溜め息を吐いた。お風呂が好きなのか、何か気になることでもあったのか。
「ここでは素直に兄と呼んだほうが誤解されにくいですわよ。お風呂場で話題に出し、しかもこの後一緒に寝るなんて、そういった関係、要は恋仲ですわね、なのかと邪推されてしまいますわ。」
話題になら誰でも出せるが、一緒に眠るのは安心できる人でなければ難しい。おおよそ家族に限られる。友達同士でも修学旅行の時に、同じ部屋で寝たことがあるくらいだ。恋人なら一緒に眠れるのだろうか。
既に一部の人には赤坂くんと恋仲だと思われている。そこで栄お兄ちゃんとの関係も誤解されることは良い印象を与えないだろう。既に学校でも呼んでしまっているため、先輩呼びに拘る必要もない。
「うん、そうするね。誤解は嬉しくないもんね。」
「誤解でなければよろしいのですわね。仲睦まじいようで何よりですわ。ところで昨日、古賀様から制服廃止に関して聞きましたの。わたくしも協力させていただきたいですわ。丈で合わせると窮屈で、幅で合わせると丈が余ってしまいますのよ。不便なものですわ。」
瀬名さんも制服で困っていたことがあるようだ。私が意識していなかっただけで、不満を感じている人は多いのかもしれない。
「大変なんだね。」
「ええ。余った丈をそのままにしていたほうがみっともない見た目になってしまいますわ。それなのに調整すれば怒られてしまいますの。理不尽ではありませんこと?きちんと、と言っているのに、きちんとした見た目に近づけることも禁止ですのよ?」
「きちんとした見た目」にするため、瀬名さんは制服を改造しているようだ。一頻り愚痴を言って満足したのか、今度は私の体を眺めている。あまりじっくり見つめられると恥ずかしい。
「花房様は丈で合わせると身幅が余ってしまいますわよね。いつも制服がずれてしまいそうですもの。逆に身幅で合わせるとつんつるてんになってしまいますわ。やはり一人一人が自分に合った大きさの物を身に着けていたいですわね。」
ずれてしまいそう、だろうか。中学の時よりとても動きやすいため、あまり意識していなかった。私服より動きにくいこともそういうものだと思っていたこともあって、気にしたことなどなかった。しかし掃除の都合などを考えると、私服のほうが良いのだろうか。朝、服を選ぶ手間が増えるため、私は同じ物を順繰りに着続けそうだ。
しばし湯船で温まり、脱衣所に戻る。ささっと拭いて衣類を身に着けていると、そっと小声で瀬名さんに声をかけられた。
「花房様、下着を落としておいでですわ。」
「えっ?あ、ほんとだ。ありがとう。」
袋に入れようとした時によく見ていなかったのだろう。
「シンプルで可愛らしい下着ですわね。見えない部分だからこそ本人の趣味がよく現れるとわたくしは思いますの。花房様は髪飾りや筆箱の趣味と同じようなものですのね。シンプルで可愛らしい物がお好きですの?」
柄が多い物を選ぶことは少ない。目が疲れてしまう気がするのだ。ぬいぐるみなども好きなため、可愛い物が好きという自覚はある。
部屋に戻りつつ、二人で歩いて行く。
「そうだよ。瀬名さんはどういうのが好きなの?」
「上品な物が好きですわ。装飾品が多すぎると成金みたいになってしまいますもの。特にわたくしは気を付けないと高圧的な印象や威圧的な印象を与えてしまいますの。人は内面が大事だと言いつつ、見た目に左右されるものですから、その見た目も気を付けていたいと思っておりますわ。」
人からどう見られるかという点も含めての好みのようだ。この話し方も高圧的な印象や威圧的な印象を与えないためのものなのかもしれない。丁寧かつ柔らかな語尾の相手を高圧的や威圧的とは感じにくいだろう。それ以外の要素が強ければ感じるかもしれないが、多少は緩和される。
私とは大きく異なる観点だ。私は自分が着たいか、使いたいかのみで選ぶ。その選んだ物を褒められると嬉しいが、選ぶ時の基準にはしない。親しい相手からの提案なら参考にすることがある程度だ。
「色々考えてるんだね。」
「Sクラスというだけで委縮する相手もおりますもの。特級適性ともなれば、そういうことも多いでしょう?」
他クラスの生徒の反応はどうだっただろう。柊木先輩はSクラスの知り合いも多いようであるため、気にしていないのだろう。京極先輩も特にそういった面は見られなかった。高松さんはいつも小さな声だが、それは私がSクラスだからだろうか。しかし私から声を掛ければ話してくれる。他の先輩にも自分から話しかけているところはあまり見ない。やはりSクラスだからではないだろう。華道部の部長も委縮しているようには見えなかった。
私に心当たりはない。高等部になると気にしなくなるのか、私の周りにはいないかだろう。
「なさそう。編入生だからかな。」
「花房様がそういったことを意識させる振る舞いをしておられないのかもしれませんわね。では、わたくしはこの辺りで失礼いたしますわ。また明日、お会いしましょう。」
階段をさらに上がっていく瀬名さんを見送り、私はAクラスの談話室に入る。そこでは既に栄お兄ちゃんが本を片手に座っていた。
「お待たせ。」
手を軽く繋いで、隣を歩く。兄妹だということにするなら、こういった行動が自然だろう。歩く時に手も繋がないのに一緒に寝るなんて、と不信感も抱かせたくない。兄妹であることを疑われても、記憶喪失という設定を説明すれば問題はないが、あまり広めたくない設定だ。
「ご機嫌だね。」
「そうかな?あ、でも、さっきお風呂で瀬名さんと話したの。なんかもっと仲良くなれた気がする。」
姫野さんの誕生日会の時もそうだが、少人数で話すことを繰り返すと、近しくなれた気分になれる。だから良い気分なのかもしれない。しかし、なぜそれが分かったのだろう。
「良かったね、友達ができて。」
「うん。なんでご機嫌って分かったの?」
「こんなに手を振ってれば、何かいいことあったんだなってことくらいは分かるよ。」
はっとして自分の手を意識すると、確かに繋いだままご機嫌に揺れている。何だか気恥ずかしくなり、揺れを止めた上で表情も引き締める。周囲から見るとお兄ちゃんと一緒で嬉しい妹に見えてしまっていたのではないだろうか。誰ともすれ違っていないことが救いだ。
「いや、今更取り繕っても。ほら、手離して。」
笑われてしまった不満を表情で伝えつつ、手を離す。部屋に入れば早速、楽な格好に着替え、床に寝転んだ。
「羽衣、兄妹ってことになってるだけだから、一応下着は身に着けておこうか。」
「ちゃんと履いてますぅ。」
「いや、そっちじゃなくて。」
胸の辺りは締め付けられてしまうため、自宅にいる時も身に着けないことが多かった。寝る時は基本外す。今もそのつもりで外したが、特に不都合はない。
「信用してくれるのは有難いんだけど。念のため言っておくと、俺以外にはしちゃ駄目だよ。千尋とかでも。」
「当たり前ですぅ!柊木先輩の部屋だったらちゃんとブラジャーして寝るもん。」
「寝るなって話だから。」
完全防備でも駄目らしい。しかし、杜鵑寮にSクラス以外かつ同性の知り合いはいない。杜鵑寮で同性の知り合いは、私が逃げたい相手の桃園さん、Sクラスの小牧先輩だけ。しかし、同じ区画の小牧先輩では直接扉を叩くことも可能であるため、除外した。異性なら同じクラスの葉月くんと木葉くん、同じ華道部でSクラスの森川先輩、そして柊木先輩と四択だ。葉月くんや木葉くんでは万が一のことがあっても桃園さんを撃退できそうになく、森川先輩は頼るべきではないと柊木先輩から聞いている。消去法で同じ寮なら柊木先輩を頼ることになるだろう。
しっかり考えた結果だ。栄お兄ちゃんが部屋に入れてくれるなら、柊木先輩を頼ることもない。
「ネグリジェも危ないから、気を付けようね。自覚があるから部屋に入ってからしか着ないんだと思ってたけど、そういうわけじゃないみたいだし。」
部屋の外は家の外のようなものだ。家の外にしては軽装ではあるが、やはり部屋着で出歩くことには抵抗がある。つまり、部屋の中は家の中と同じであるため、眠る時の服装も自宅にいる時と同じになる。
「外用と家用は分けてるの。ネグリジェは家専用。」
「ああ、そう。」
諦めたような返事がされた。私への注意の代わりに始めたのは、調査のまとめノートの確認。これは私が覗き見ても怒られない。本の題と思しき物がいくつも記され、概要も短く書かれている。
ついでに兄妹らしいことをしてみよう。このまま通っている間は栄お兄ちゃんの部屋で過ごすなら、そういった距離感のほうが他の人からの注意などもされにくいだろう。
肩に顎を置くようにして後ろから抱き着く。そのままノートを見れば、私のお兄ちゃんとの距離感に近づけるだろう。
「羽衣、暑くない?」
「暑くない。」
入浴後のため温まっているが、気にしてほしい部分はそこではない。今度は前に回って座ってみる。
「どうしたの。寂しくなっちゃった?」
「ううん、兄妹っぽいことしてみようと思って。」
なぜか沈黙が返ってきた。完全に体重を預け、ノートを手に取って読ませてもらおう。私のお兄ちゃんとはよくしたことだ。しかし、ノートは取り上げられてしまった。そして小声で確かめられる。
「羽衣のお兄さんとはよくこういうことしたの?」
鏡の向こうでの話は禁止。だから私は黙って頷く。一人暮らしを始めてしまって以降はこういった機会も減っていたが、帰ってきてくれた時はそれまで以上にくっついて過ごしていた。
「無理に兄妹っぽくしようとする必要はないし、少なくとも俺の周りの高校生の兄妹はこういうことをしてなかったよ。だから、兄妹に見られたくても今ぐらいで十分仲良すぎるくらいに仲良しな兄妹に見えてるよ。」
鏡のこちら側では兄妹でもあまり触れ合わないのだろうか。いや、友達に私の家は仲が良すぎると言われたことはある。兄妹に見せるための行動としては参考にならないのかもしれない。しかし、私は親しい相手ならこういった触れ合いも好きだ。
くっついて安心したのか、欠伸が出てしまう。まだ寝るには早い時間だというのに、眠気からさらに凭れ掛かってしまった。
「ほら、寝るならベッド行って。今日も一緒に寝るの?」
「一人じゃ寝らんない。」
「嘘吐かないの。一人で寝てたでしょ。」
そう言いつつ寝台に連れて行ってくれる。隣に誰かがいてくれるという安心感を覚えながら、私は眠りに就いた。




