一件落着とはいかないけれど
教室に戻っても、葉月くんの動揺は収まらない。クラスの人たちからの視線や対応が大きく変わったことにも気付いていないかもしれない。今も傍にいるのは私だけでなく、熱田くんも心配そうにその表情を窺っている。
「こういうところは、変わらないんだな。」
先ほどから葉月くんは、零までいなくなったらどうしたらいいか分からない、と繰り返している。私にとっても先程の出来事は衝撃的だった。なぜ零ちゃんが私たちを攻撃してきたのか、なぜあんな風に攻撃できたのか。実だけは信じてたのに、という言葉も耳に残る。
「こういうところって?」
「いなくなることをすっごく怖がるとこ。鏡界に入ってすぐの頃、兄弟同然に育ったペットを亡くしたんだよ。その時にもすごく落ち込んで、似たようなこと言ってたから。」
死が身近なのだろうか。誰も大きな怪我をしていないとはいえ、それを意識してもおかしくない状況だった。怪我は走って逃げる途中に転んだ傷や、赤坂くんが避けさせてくれた時にできた擦り傷程度だ。今までの探索でもしていたような小さな傷のため、気にするほどのことではない。
葉月くんが静かになったが、その手は震えている。特に零ちゃんと親しかったのだ。それだけ衝撃も大きかったのだろう。はっと何かに気付いたように立ち上がり、ふらりと倒れ込んできた。何とか熱田くんの手を借りて支えるが、意識がないようだ。
「保健室に連れて行ってあげようよ。」
「ああ。」
熱田くんが葉月くんを背負い、保健室に連れて行く。古賀さんに一言伝えて行けば、大谷先生と赤坂くんが戻ってきても心配させることはないだろう。道中はどちらも何も言わず、熱田くんも葉月くんを揺らさないように気を付けつつ、急いでいた。
保健室では先生が眠っているだけだと安心させてくれたため、寝台を借りる。葉月くんは顰め面をしており、嫌な夢でも見ているような表情だ。
「別に、羽衣まで来る必要はなかった。」
「それはそうなんだけど。心配だから。」
別の理由もある。目覚めた時に傍にいれば、意識のない間も気にかけてくれていたのかと、信頼を得られるような気がするのだ。目が覚めて一番に見る相手が私ではなくとも、その次に気付いてくれたなら、私も心配していたと、葉月くんの味方だと思ってもらえるのではないかと期待している。そうなれば、今はまだ教えてもらえていない禁域や零ちゃんに関することも聞きやすくなる。
「何企んでんだよ。」
「え?」
「今、真実みたいなすっごい冷たい顔してた。」
打算に勘付かれてしまったのだろうか。染谷さんにとっても葉月くんが重要な情報源だろう。鏡界の番人との疑いも向けていた。しかし、葉月くんに対して冷たい表情を向けたことを良く思っていないらしい今の熱田くんに、これを伝えることはできない。葉月くんに警戒心を抱かせる情報は一つでも減らしたい。
そのため私は一部の事実を省いて説明する。それだって説明を省略しているだけで、決して嘘ではない。
「その、起きた時にすぐ傍にいてあげたら、仲良くなれるかな、って思ったの。なんて言ったら一番仲良くなれるかなって。」
「っぷ。その程度で、んな顔すんの?ってか恭弥のことはどうしたんだよ。」
どうした、とは何だろう。友達は何人でも良い。仲良くなるためにはどの言葉が一番効果的か、という私の発言と噛み合っていないように感じられる。葉月くんと仲良くなったからといって、赤坂くんと仲良くできないわけではない。今も三人で勉強したり探索したりしている。
「仲良くしてるよ?赤坂くん、大丈夫かな。」
他の生徒たちが大谷先生の指示に従って教室まで走る中、赤坂くんは先生と共にその場に留まった。今まで見たことのない様子の零ちゃんと対峙することになっているが、怪我をしていないだろうか。心配しても何もできないと分かっていても、考えることを止められない。
沈黙の中、う、と葉月くんが声を上げた。
「大丈夫か、実。」
「うん。えっ、今、実って呼んでくれた?」
意識を失う前までの錯乱が嘘のように、落ち着いた様子だ。期待するように熱田くんを見ているが、熱田くんは目を逸らしてしまう。
「おかしくなったわけじゃないって分かったから。ごめん。」
「そっか。花房さん、聞きたいことがあるんだけど。」
「うん、何?」
緊張した様子で、布団を握り締める。口を開閉させ、深呼吸を繰り返し、ようやく続けた。
「あれって、零だったよね。」
「うん。私にはそう見えた。」
武器を使い、機敏な動きを見せたことには困惑したが、禁域にいること自体は不自然ではない。葉月くんと零ちゃんだけは禁域に出入りできるという話なのだから、一人で散歩していたって良いだろう。葉月くんが見たという足跡も、私たちより小さいというなら零ちゃんのものと考えることもできる。もちろん、中等部生の足跡という可能性は残っている。
「俺だけは裏切らないって、言ってた。禁域には誰も連れて行かないって約束してたんだ。だけど、俺の無実を証明するためなら、いつも心配してくれる零なら分かってくれるって信じてたんだ。」
実際には理由も聞かずに危害を加えようとした。それも赤坂くんの行動から察するに、零ちゃんは葉月くんに向けて攻撃した。私にも何が起きたのか頭が付いて行かないことばかりだ。零ちゃんはなぜあんな物を持っていたのだろう。禁域に入られることがそんなにも嫌だったのだろうか。なぜ葉月くんだけは許していたのだろうか。
疑問ばかりが頭を巡る中、保健室にドタバタと足音が駆け込んできた。保健室の先生には怒られているが、堪えた様子はない。
「葉月!気失ったって聞いたけど。」
顔を覗き込み、バタバタと体を触って確認している赤坂くん。零ちゃんの攻撃を受けていたであろう赤坂くんのほうが心配になるが、それを聞かせてくれる雰囲気ではない。
「零の行動が信じられなくて。大丈夫、熱田くんもクラスのみんなももう、俺をSA生徒連続行方不明事件の犯人だと思ってないよ。だって、零は禁域から出て来たから。でも、今度は零が疑われるんじゃないかな。」
また沈んでいく声。あの状況では零ちゃんが疑われるのも無理はない。あの見た目で恐ろしい攻撃を仕掛けてきたのだから。しかし、葉月くんは零ちゃんがそんなことをするはずはないと信じているのだろう。証拠がないことは、葉月くんに関しても零ちゃんに関しても同じだ。
SA生徒連続行方不明事件のことは置いておくとしても、次に零ちゃんに会う時のことが不安になる。禁域の外であれば今までのような対応を取ってくれるのだろうか。あの零ちゃんの姿を柊木先輩は知っているのだろうか。
「赤坂くんは大丈夫だったの?あの零ちゃんの相手してたけど。」
「大谷先生が庇ってくれたから。ちょっと打ち身しただけだ。で、その少女のことだけど、葉月は、というか全員禁域に入らないほうがいいし、零にも会わないほうがいい。一回入ったってことがばれてるから、最悪の事態も考えられるって。」
零ちゃんに直接確かめることは勧めない、ということか。今後の零ちゃんの行動も気になる。何事もなかったかのように動くのか、姿を見せなくなるのか。今までは葉月くんと喧嘩すれば柊木先輩の所に行っていたようだが、今回はどうなのだろう。一度聞いてみよう。
私たちが逃げた後の様子を大雑把に教えてくれるが、要領を得ない。大谷先生が何か装置を使うと零ちゃんが逃げ出した、ということだけが分かった。
「零は俺の友達なんだ。誰も信じてくれなかった時に、唯一俺を信じてくれた。」
「自分が殺したから実が殺してないって知ってただけじゃねえの。」
「そんなことない!あんな小さい零に人なんて殺せるはずないだろ!」
今まで葉月くんの主張を聞かずに決めつけてきたことが後ろめたいのか、熱田くんは黙り込む。赤坂くんも何か言いたげな表情をしているのに、何も言わない。ただ私の手を握ってくるだけだ。今不安なのは私ではなくて葉月くんだ。握るなら葉月くんの手にしてあげてほしい。
握っていた私の手に力を込め、赤坂くんはようやく口を開いた。
「葉月は、零と仲がいいんだよな。」
「そうだよ。この中の誰よりも。」
「いつからなんだ?」
「入学した時に偶然会ってから、ずっと。」
一つ一つ零ちゃんに関する情報を集めていく。赤坂くんが何だかお兄さんのように見えるほど、簡潔で答えやすい質問が続いた。
「零が他に親しい人は?」
「柊木先輩と花房さん。あと、京極先輩とも一緒にいる時はあるよ。」
「それはいつから?」
「俺が入学した時にはそうだったと思う。花房さんは当然だけど編入してきてからだね。」
私が零ちゃんと会った時は暴力を振るうことのない子だった。悪い言葉を使うことはあったが、それも葉月くんが聞かせた言葉のようだった。私から補足できるような情報はないだろう。
「ありがとう。もう俺たちにできることはないから、大谷先生に任せておこう。羽衣も疲れただろ?葉月も大丈夫そうなら一緒に戻ろう。」
「いや、俺はもう少し熱田くんと話したいから。」
戻るまでの様子や保健室に来てからの話を赤坂くんにも伝え、もう心配ないことを理解してもらう。私も気にならないわけではないが、葉月くんが納得しているなら私たちが口を挟むことではないだろう。友達関係が改善して口が軽くなってくれるなら幸運だ。
誰もいない教室に戻り、荷物をまとめる。気が抜けると、空腹に気付いた。
「お腹空いたね。」
「そうだな。羽衣、昼飯済ませたら、研究所跡に行こう。見せたい物があるんだ。」
「何か見つけたの!?」
楽しみだ。しかし、赤坂くんの表情は暗い。良い物ではないのだろうか。少々の不安と大きな期待を胸に、狼寮へと向かった。
昼食を済ませて、研究所跡の梯子を下りる。相変わらず暗く不気味だ。今日は懐中電灯も赤坂くんの持つ一本しかないため、慎重に動かなければ。そんな私の緊張が伝わったのか、手を握っていてくれる。
「栄先輩は羽衣に教えたくないって言ってたんだけど、俺は羽衣も知ってたほうがいいと思って。」
書庫に連れて行かれる。手を離し、代わりに懐中電灯を私に持たせると、その中から迷いなく一冊を取り出した。私が読んでいない本だ。ぺらぺらとページを捲り、目的の文章を見つけたのか、音読を始めた。
「人体再構成の結果、人が消える謎の領域と呼ばれる場所への侵入が可能となった。これは領域の主により鏡界内部の生命と判断されるに至ったからであろう。」
図も見せてくれる。二つの円筒形の装置があり、片方だけに人が入っている図だ。よく分からないが、禁域に入る方法が見つかったということか。その分解と再構成の仕方が分かれば、私たちも自由に出入りできるようになるのだろうか。零ちゃんが禁域に入ることを防いでいるのなら、姿を見られている私たちはこの方法を用いても見つかった時点で失敗しそうだ。
該当箇所を指で差しながら、読み進めていく。
「なお、再構成の際、記憶を書き換えることで、上手く使うことが可能だ。これは実験に際して非常に役に立つ。ただし、時折被験体に被験体自身の死の記憶が残ることがあった。」
「何、それ。」
まだ続きがあると、私の疑問は保留にされた。記憶など、そう簡単に書き換えられるものなのだろうか。
「分解の過程が疑似的な死を体験させているのだろう。あるいは、分解を死そのものと感じ取っているのか。再構成しなければ消滅するだけの運命のため、それはまさしく死とも言える。つまり、人の手による死と再生が可能となったのだ。」
何だか危なそうな本だ。これは私が頼っても良いものだろうか。疑似的な死、まさしく死、と呼ばれる方法に頼るのは非常に不安だ。失敗すれば死ぬのだろうか。一か八かに賭ける気などない。帰りたいが、命を懸ける気まではない。私は鏡の向こうの家族に会いたいのだ。死んでしまっては意味がない。
「それ、大丈夫なやつ?」
「さあな。けど、禁域の調査記録とかがあるかもしれない。本全部調べる気にはなるだろ?」
そういうことか。自分たちを装置によって分解し再構成して、探索しようというわけではなかった。少しずつ読んではいるが、帰る手掛かりは得られていない。どこにあるか分からない世界を越える鏡を探すよりは近道になるだろうか。
より気合が入る。今日も本を調べて、帰り道を探すとしよう。
「うん。頑張ろうね。」
一本だけの懐中電灯を使って、ゆっくりと本を探して行った。きっとここに手掛かりがあるのだ。暗くて怖いなどと言っていられない。一人でも頑張って来てみよう。私ならきっと寮まで帰れるから。




