二人の夜
柊木先輩と栄お兄ちゃんを待っている間、京極先輩が積極的に話題を振ってくれた。
「羽衣ちゃんは栄と仲ええんやな。」
「はい。美味しいご飯を作ってくれるんですよ。学校での話もたくさん聞いてくれるんです。」
記憶喪失という設定に忠実にいくなら唯一の家族とも表現できるが、鏡の向こうの家族のことを思えば、そう口に出したくはない。栄お兄ちゃんのことは、あくまで家族の中に増やしただけだ。
「恭弥くんとも、すっごい仲ええよな。」
「そうですね。助けてくれますし、一緒にいると安心するので。」
桃園さんやクラスの人たちというような緊張を感じずに済む。葉月くんや零ちゃんといる時のような後ろめたさもない。もちろん、私は二人を利用しようとしているだけではないが、禁域について知りたいから親しくなりたいという思いがないとは言えないのだ。
「女子同士で集まってする話と言えば、恋バナやんな?」
「そうなんですか?」
私にはあまり経験がない。高校生になるとそうなるのだろうか。いや、中学生の時点でそういった話題を好む子はいたが、あくまでその話題が好きな人同士や、興味がある人同士でする会話の一つだった。そしてその話題に私はあまり関わらないようにしていた。親しい男子の友達がいる場合には厄介な話題にもなるからだ。
今の京極先輩からは危険な雰囲気が漂っていない。他に話題が思いつかないから取り上げただけだろうか。
「羽衣ちゃんは栄と恭弥くん、どっちが好きなん?」
似たようなことは私のお兄ちゃんに聞かれたことがある。お兄ちゃんと尚人くんとどちらが好きなのかといった問いかけだった。その時は当然お兄ちゃんと答えたが、この問いかけには少々迷う。私のお兄ちゃんと比べていれば迷うことはないが、栄お兄ちゃんは私のお兄ちゃんではないため、赤坂くんと比べられると優劣つけ難い。同じくらい好き、という答えが今の私の感情に最も近い。
より正確な答えが望まれているだろうか。栄お兄ちゃんは家族の枠に入っており、赤坂くんは友達の枠だ。鏡のこちら側で話して良い人間に限るなら、それぞれの枠における一番だという答え方が適切だろうか。
「めっちゃ悩むやん。ごめんなあ、意地悪な質問して。もう一つ意地悪なこと聞いてええか?一番好きなんは誰?」
「栄お兄ちゃんと赤坂くんです。」
今考えたことのため、さらりと答えられる。しかしこの即答は予想外だったのか、少々驚いた様子だ。私に聞いてばかりいるが、京極先輩は何と答えるのだろう。どちらの私室でもない場所で聞くことではないような気もするが、会話しかすることもないのだ。柊木先輩に聞かれて困るようなら京極先輩も答えないだろう。
「そういう京極先輩は私とも親しくしてくださってますよね。」
「ん?そうやな。一生懸命頑張っとるし、ゆっくりしとるようではっきりしとるし、ちゃっかりしとるところも可愛いと思っとるよ。」
どんな場面や発言からそう思ったのか分からないが、肯定的に捉えてもらえているのならここは聞き流そう。今聞きたいのは京極先輩にどう思われているかではない。
「柊木先輩ともとても親しそうですね。」
先ほどの京極先輩の聞き方と同じだ。この答えを聞いてから、どちらが好きなのか尋ねてみよう。そう構えていたのに、京極先輩は突然吹き出した。
「っぷ、あっはは。何?うちの真似してみたん?可愛いなあ。やけどごめんなあ、羽衣ちゃんのこと、そういう目で見たことあらへんわぁ。他の人やったらええ勝負かもしれんけど、千尋と比べられたらなぁ。」
まだ笑っている。そんなにおかしかっただろうか。よく分からないが、私と柊木先輩なら、迷いなく柊木先輩と答えられるということで良いだろうか。
京極先輩の笑いが収まるまで待っている間に、二人が戻ってきてくれた。想定よりも早く戻ってきてくれた二人は、軽く息を切らせている。この大雨の中を走ってくれたのだろう。
「ああ、お帰り。ちょっと聞いてや。さっき羽衣ちゃん、千尋と自分どっちが好き?って聞いてきよってんで。可愛えやろ?」
柊木先輩は微笑んで私の頭に手を置き、栄お兄ちゃんは呆れたように私を見る。いったい何なのだろう。正確にはまだ聞いていなかった。聞こうと思って、親しそうですよね、と言うところまでしか話は進んでいなかったが、京極先輩が話の先を読んでしまったのだ。
「可愛い妹を一人にするわけにはいかないよな?きちんと傍にいてやれ。」
「元気そうだけど、さっきの話は何だったの。怪我もしてなければ泣いてもいないけど。」
「細かいことは気にするな。」
栄お兄ちゃんが私の手を引き、柊木先輩の部屋を出ようとする。しかし、反対の手を京極先輩に握られ、引き留められた。まだ何か話したいことがあるのだろうか。目が合わず、見ている方向も私ではなく栄お兄ちゃんのいるほうだ。その栄お兄ちゃんは京極先輩の様子に不快そうな表情を浮かべている。
「栄と恭弥くんやったら、どっちが好きか選べへんねって。心配やなあ、お兄ちゃん?」
「今度お前も恭弥も絞める。」
「あっはは、面白いこと言うやん。出来ひん癖に。」
栄お兄ちゃんの物騒な言葉に、京極先輩のわざとらしい笑い声と何も楽しくなさそうな面白いという言葉。それぞれは私に優しくしてくれるのに、どうして二人は会うとこのような口論を始めるのだろう。
いつものことなのだろうか、柊木先輩が大きな溜め息を吐いて、私から京極先輩の手を離させた。その隙に栄お兄ちゃんは今度こそその部屋を後にする。これでもう桃園さんと遭遇しても怖くないとこそこそせずに私の部屋を目指す。
「ありがとう、来てくれて。」
「ああ、うん。一応確認するけど、怪我はどこにもしてないね?」
「してないよ。」
桃園さんに手首を掴まれはしたが、痣ができるほど強くはなかった。いったい柊木先輩はどのような説明をしたのだろう。怪我をしているとでも伝えたから、走って来てくれたのだろうか。
「何て聞いたの?」
「やんちゃして大怪我したって。京極に泣き付いて離れないから早く来た方がいいとも言ってたね。」
それを信じられるのか。急がせるための嘘だろうが、早く会いたかったわけではないため、ゆっくり歩いて来てくれても構わなかった。しかし、何か荷物は用意してきたようだ。私の意図した内容なら着替え類だろうが、その状況で走って来ているのにそれらを用意するだろうか。
「それで、何かはあったんだよね?」
戻りつつ簡潔に今日のことを伝える。桃園さんが来ると怖いから、部屋で一人になりたくないということも併せてお願いした。
「ああ、だから、泊まれる用意を、って話があったんだ。やっぱりSクラスは色々問題が起きるね。」
Sクラスだからではなく、私の主張を聞いてくれない桃園さんだから起きた問題だ。少なくとも私と他の生徒の間では問題が起きていない。葉月くんとの関係では問題が多いが、それもこの試験が終われば解決に向かっていくはずだ。
自室に戻れば順番にお風呂も済ませ、寝台に腰かける。栄お兄ちゃんは使っていない私の布団を一枚だけ取って、床に座った。一人用の部屋のため、寝台が一つしかないのだ。しかし、わざわざ私の部屋に来てくれたのに、床で寝かせて良いものだろうか。頼んだのは私なのだ。
「栄お兄ちゃんがベッドで寝て。私は布団に包まって寝れるから。」
「俺は大丈夫だから、羽衣が使いな。羽衣の部屋なんだから。」
明日も試験がある。どちらもゆっくり休みたいことは変わらないだろう。硬い床で寝るより柔らかな布団で寝たほうが体は休まる。それを考えるなら、体の小さな私のほうが床でも使った布団の柔らかさを感じやすいだろう。しかし、栄お兄ちゃんが断る理由はそこではない。部屋の主の使用権が優先されているという話であり、私が勧めても断ったのなら、私が良いと言っているのだからと説得しても効果はないだろう。
二人ともが納得できる答えはどこにあるだろう。自分だけが寝台で休むことに抵抗があるのなら、一緒に休めば問題ないだろうか。
「じゃあ、一緒に寝よ?」
「本気で言ってる?狭くなっちゃうでしょ。今週色々あって疲れてるだろうから、一人でゆっくり休むといいよ。」
狭いと嫌なのだろうか。しかし、隣にぴったりと寄り添って座っても拒まれない。それどころか、優しく頭を撫でてくれた。このまま寝てしまいそうだ。
「ほら、寝るんだったら」
ピンポンと呼び鈴が鳴った。続く周囲の部屋にもしっかりと聞こえそうなほど大きな声。桃園さんだ。
「羽衣ちゃ~ん、勇気を振り絞って会いに来たよ!ここからは二人の時間だね!夜に女友達同士で秘密の会話を繰り広げようぜ!同じクラスじゃないと分からないことも、同性じゃないと分かり合えないことも、同学年じゃないと話しにくいことも、同じ寮でないと理解できないことも、全部話せちゃうね!」
二人で会いたくないと伝えたのに、どうして訪ねてくるのだろう。外側から開けることはできないと分かっていても、ぎゅうと栄お兄ちゃんの服を握ってしまった。桃園さんに聞こえないようにだろうか、大丈夫と囁いてくれる。しかし、桃園さんは呼び鈴を鳴らすだけではなく、ドンドンと扉を叩き出した。一人でこんなものを聞けば、怖くて仕方なかっただろう。
「俺が対応して来ようか?」
こくりと頷くと、薄い布団を頭から被せて離れていく。私も存在感を消すように寝転び、じっと待機だ。
「あれっ?一人じゃなかったんだ?羽衣ちゃん借りてもいいですか?いっぱい話そうねって言ってたんです。明日で試験も終わりだから、最後のエネルギー補給ですよ!女の子は話すことで元気になるんです!」
桃園さんは話すと元気になるのだろう。私はむしろ疲れてしまうため、早急にお帰り願いたい。それは栄お兄ちゃんも分かってくれているのだろう。桃園さんの言葉には反応せず、こちらの状態を伝えてくれる。
「羽衣はもう寝るところだから帰って。それに、そんなに大きな声出したら周りの部屋の人にも迷惑だから。」
ぶつぶつ文句を言う声が遠ざかり、ついには聞こえなくなる。撃退に成功したようだ。布団から頭を出すと、またぽんぽんと撫でてくれた。
「じゃ、羽衣は布団に入って、もう寝ようか。」
「入ってる。」
視線から察するに寝台に戻って、という意味だろうが、既に薄い布団には包まっている。ここで大人しく寝台に上がれば、私だけが寝台で眠ることになるだろう。
屁理屈だと感じたのか、宥めるように背中を擦られた。
「うん、そうだね。ちゃんとベッドで、寝ようか。」
「栄お兄ちゃんも一緒なら寝るよ。」
手が止まった。服の裾も握れば、抱き締められた。頭も撫でられるが、同時に溜め息も落ちてきた。
「もう暑いでしょ、二人で寝るには。」
「私は寒いもん。」
これは嘘だ。冷房をかけるほどではない暑さというだけのため、寒くなる要素はない。しかし、寒いという言葉を証明するように、より体を押し付けた。すると諦めてくれたのか、寝台に連れて行ってくれる。
「今日だけだからね、羽衣。明日からは、誰がいいかな。」
明日も桃園さんは先ほどのように訪ねてくるかもしれない。それならやはり他寮のほうが良いだろう。
「赤坂くんは?」
「いいわけないから。せめて同性にして。」
「じゃあ京極先輩。」
これには沈黙が返ってくる。折り合いが良くないのだろう。しかし、私に対しては何も問題のある行動を取っていないと栄お兄ちゃんにも分かるはずだ。私は会った時のことを伝えているのだから。同性という条件も満たしている。
「桃園さんもわざわざ朱鷺寮には行かないでしょ?京極先輩だって私には優しいよ。」
「分かった。明日からは俺の部屋に来るといいよ。」
今日だけではなくなったようだ。豹寮でも桃園さんは来ないだろう。扉を叩かれることもない。まず寮に入ることができず、Sクラスの友達に協力してもらって入ったとしても、Aクラス男子に協力を仰ぐことは難しいだろう。これで本当に一安心だ。毎日少しずつ物を持って行けば、こちらの部屋に戻って来る必要もなくなるかもしれない。
「うん!教室には赤坂くんもいるし、きっと大丈夫だよ。」
「不安なら教室まで送るよ。ほら、明日も試験なんだから早く寝ないと。」
「あっ、待って。今日の日記つけてない。」
今日得た情報を書き記しておきたい。いつ、何が起きたのか。何が起きたのかは忘れずとも、詳しい内容は記憶が薄れてしまうかもしれない。今のことだってきっと、そのうち笑って話せるようになる。
栄お兄ちゃんに見守られながら日記をつけ、忙しい一日がようやく終わった。明日がいよいよ、行動を起こす日だ。




