中間試験最終日
今日もまた、罵詈雑言の飛び交う教室に行かなければならない。非常に気が重いが、一人ではないと思うだけで少しなら頑張れそうだ。教室に着くまでではあるが、栄お兄ちゃんが来てくれる。そこから先は私が葉月くんを守ってあげなければ。
気を引き締めて、試験開始間際まで隣の空き教室で待つ。わざわざ暴言や暴力のためにこちらまで来ることはないため、こうして避けていられることだけが救いだ。
「ありがとう、花房さん。」
「ううん。別室で受験できたほうがいいかなとも思ったんだけど、」
「それはいいよ。あんまり特別扱いになっても余計に睨まれるだけだから。こっちに非がないって明らかなほうが、先生には訴えやすいだろ?」
別室受験を望むようになった理由を言えば、葉月くんに非がないことは明らかになる。教室で黙って耐える必要などない。しかし、葉月くん自身がそれを望まないなら、私が勝手に物事を進めるわけにはいかない。私自身は教室で何もされていないのだから、ただこの状況に耐えるしかないのだ。
ただ静かに、今日の放課後の作戦を遂行するのだ。そうすれば、この理不尽だってなくなるはずだから。
「そろそろ行こうか。」
私より葉月くんのほうが教室に入りたくないはずなのに、率先して向かった。既に一限目の試験監督の先生が来ており、他の生徒たちが葉月くんに構う隙もなく、試験に関する注意事項が始まった。
葉月くんの席は最後列。背後からの視線はない。同じ列から睨もうとすれば、他人の解答を盗み見ていると疑われることになる。試験中は乗り切れるだろう。
そう意識を逸らしていたというのに、背後から肩を叩かれ続け、その力は徐々に強くなってくる。昨日のように掴まれては堪らないと諦めて振り向いてあげた。
「何?」
「今日も晩ご飯の後にお話しようね。部活はあってもその時間なら大丈夫でしょ?まだまだ話し足りないんだから!ねえ、今日はお兄さんに送ってもらったの?昨日も寝るところって言ってたのにお兄さんいたし。甘えんぼさんなんだね。この梨々花ちゃんにも目いっぱい甘えたらいいんだよ?」
「嫌。」
これで会話は終わりだという主張を、黒板に向くことで伝える。先生が名前や生徒番号の記入忘れがないようにだとか、使用して良い筆記用具の種類などを今日も伝えてくれていた。この先生は特に親切なようで、分からなくても何か書いておくと当たるかもしれないという助言までしてくれている。
私と赤坂くんにだけ他の生徒とは異なる問題用紙と解答用紙が配布された。そう、今日の一限目は鏡操の試験。いったいどのような問題なのだろう。
始業の鐘が鳴り、試験監督の先生が始めの合図を出す。全員が裏返しの問題用紙を表に向け、それぞれ回答を始めた。
世界史の試験のように、初めのほうの問題は選択式のものだ。鏡操適性は先天的な才能か後天的な技術かを問うものや、どのようなものと定義されているかなどを問う問題が並ぶ。その次は何段階の等級に分類されているか、人間にとって役に立つ副作用を何と呼ぶかなど、一問一答の問題が続いた。最後の数問は記述式だ。副作用に見舞われた人がいた場合にどう行動すべきか、鏡操を使用する前後にはどのような行動が必要かなどについて問われていた。
続く現代社会、情報の試験も無事に終え、生徒たちは帰り支度を始める。これから部活に向かおうという人も多いだろう。しかし、それを赤坂くんが引き留めた。試験監督の先生が出て行くと同時に大谷先生がやって来たことで、何かが起きると察知している人もいる。
「約二か月間、俺は、俺と羽衣は、このクラスを見てきた。そして、この試験の間中、疑問に思っていたことがある。なんで葉月に対してだけ、あんな行動が許されてるんだ。」
前の扉の前には古賀さんが立ち、後ろの扉の前には大谷先生が立っている。私は葉月くんの席の隣に立ち、自分の意思を表明した。
「このクラスはこんなに怖いクラスなの?十人以上がたった一人に対して暴言や暴力を続けるような。」
「そいつにはそうされるだけの理由があるんだよ。編入生の二人には分からないだろうけどな!」
憎しみを込めた声を上げるのは熱田くん。また、分からないと言って私たちが関わることを拒んでいる。どんな理由があっても到底許容できる仕打ちではないが、そういってしまえば話は平行線だ。今したいことは彼らを糾弾することではない。葉月くんは教室に通いたいと言っているのだから、彼らの理由を知り、その理由が正当なものではないと納得してもらうことだ。
「その理由って何なんだよ。」
「そんなの葉月が人を殺したからに決まっている!それは人として許されざる行いだ!」
声を荒げた黒江さん。自分たちの今の行動は許されるものだと思っているのだろうか。しかし、ここで同じように感情的に反論してはいけない。努めて冷静に、事実を告げなければ。
「証拠はあるの?警察が調べても何もなかったんでしょ?それなのにどうして葉月くんが殺したって言い張るの?」
「法で罰せるだけの証拠が見つからなかっただけだ。それならば、真実を知る私たちが罰するべきだ。」
証拠がなかったのに、なぜ自分たちの決めつけが真実だと言い張っているのだろう。仮にそれが事実だとしても、個人が勝手に攻撃を加えることもまた犯罪だ。だからこそ、今こうして追及することを大谷先生も認めてくれた。
しかし、今そのことを言ったとして、葉月くんが教室に来やすい状態にはならないだろう。クラスの人たちからの認識が変わらなければ、厳しい目も扱いも変わらないのだから。それならば、私は何を言うべきだろう。そう言葉に詰まると、また古賀さんが沈黙を埋めてくれる。
「人の人生を変える力を持つから、法による罰は慎重になるべき。つまり、法で罰するだけの証拠が見つからなかったことは、月見が犯人ではない可能性が残っているということ。」
「机上の空論ね。そんな理想を語るより先に、現実を見るべきだわ。高い鏡操適性を持つ私たちには、非道を赦さない強い意思が必要なのよ。無適性者や低い適性しか持たない者たちが手を出しにくいからこそ、自浄が必要なの。」
それらしいことを言っている雰囲気を出している有瀬さんだが、自浄できていないから今のような状態になっているのではないだろうか。一級適性者に指摘がし辛い環境があるなら、それも現状が黙認されてきた一因の可能性もある。高松さんの話しぶりでは、他クラスの生徒も葉月くんが殺したという認識を持っていそうではあるが。
現実を見た結果が葉月くんへの仕打ちというのも納得いかない。彼らは自分にとって都合の良いものだけを見ているのではないだろうか。
「有瀬さんの言う現実って何なの。」
「まだ分からないのかしら。いいわ、私が説明してあげる。」
教卓に有瀬さんは立ち、それを補佐するように水島くんがチョークを持った。すらすらと書き出されたのは、私も何度も聞いたSA生徒連続行方不明事件の文字。
「事の発端は一昨年のこの事件よ。溌溂や快活といった言葉の似合った望月茜さん、誰とでも気軽に話してくれた淡田満さん、そして私たち豹寮の生徒にとっては親身になってくれた頼れる今井悟さんが相次いで行方不明になったわ。」
その話は私も知っている。新しい情報と言えば、有瀬さんなどこのクラスかつ豹寮の生徒が三人ともと親しそうであることくらいか。行方不明を知った当時はとても辛かっただろうが、それと葉月くんへの仕打ちは関係ない。
「この三人に共通していたのが、行方不明の直前、葉月実と接触していたこと。動機だってあるわ。望月さんは何度も禁域について尋ねていたし、淡田さんもしつこく悪戯を仕掛けていたの。今井さんに関しては他二人の行方不明について聞き出す協力をしてくれていたわ。」
「バブル、淡田満の悪戯は成功していなかった。それを疎ましく思っていたかどうかも、本人に確認すべき。月見、バブルが悪戯を仕掛けようとしていたことに関して、思っていたことを教えて。」
やはり納得できない有瀬さんの説明に対し、古賀さんも補足した。続けた発せられた問いに、葉月くんは席を立つ。非常に緊張した様子で手を握り締めているが、教室全体に響く声を発した。
「嫌じゃなかったよ。悪戯って言っても、鞄いっぱいに花束を入れてきたり、お菓子を入れてきたり、プレゼントを兼ねてるようなものばかりだったから。」
「後からなら何とでも言えるよねー。」
口を挟んだのは姫野さん。その悪意を含んだ言葉に怯んだのか、葉月くんは着席した。姫野さんには葉月くんの言葉が言い逃れるためのものに聞こえたのだろうか。この姫野さんを援護するように、チョークを持ったままの水島くんも加勢した。
「たいだい、そんな自己申告だけで、彼がやっていない証明になるとでも思っているのかい?状況は彼がやったと言っているのだ。それを覆せるだけの証拠とは思えないな。」
「塩湖は基本が間違ってる。証明すべきはやっていないこと、ではなく、やったこと。やっていない証明ができないは、やった証拠にならない。塩湖は私たちに悪魔の証明を求めてる。」
有瀬さんも含めた三人が舌戦を始めたが、私には少々理解が難しい内容だ。葉月くんの話のはずだが、当の本人も理解できていないような表情を浮かべている。この状況でもなお、染谷さんは何やらノートを取り出して眺めており、音無くんも本を読んでいた。天羽くんに至っては立ち上がり、扉付近に立っている大谷先生に抱き着いている。
染谷さんがノートから視線を上げ、教卓付近で舌戦を繰り広げる三人を眺めた。
「もー、いつまでやってんの?葉月くんが殺したかどうかなんてどうでもいいよ。今だって特に問題は起きてないでしょ?」
起きていないように見えているのか。始業前や放課後はその場面に遭遇していなくとも、業間は染谷さんだって近くにいたはずだ。こんなことに時間を費やしたくないと言わんばかりに机に肘をつき、うんざりといった声色も隠していない。
「あっ、でも鏡界の番人かどうかは気になるなぁ。そこんとこどうなの?」
「禁域に何かがいることは俺も分かってるんだ。足跡とかがあるから。だけどそれがあるから禁域の奥には入れてなくて、詳しくは分からないんだ。」
席が近いから個人的に答えやすいのか、疑惑を気にしていないから気負わずに話せるのか、染谷さんの質問には返事をしてあげている。それよりも、禁域に存在する何者かが気になる。本当に鏡界の番人と呼ばれるようなものが存在しているのか。
この話には天羽くんも興味を持ったようで、会話に参加した。
「へえ、どんな姿してるの?」
「見たことはないから分からないんだ。足跡は俺たちよりも小さいくらいなんだけど。」
「足跡があるならやっていないことの証明も簡単ですわね。それを連れて来れば良いだけですもの。せいぜい頑張ることですわ。」
先ほど古賀さんが証明すべきはやったことと言っていた。しかし瀬名さんにはその言葉が届いていなかったようで、無実を証明するよう求めている。その足跡の正体が犯人という思考なのだろう。
私としてもその足跡の正体は気になる。禁域の外にまで続いているのなら、足跡の場所で待ち伏せし、その足跡の持ち主に禁域や世界を越える鏡について聞けないだろうか。それが鏡界の番人ならそんなことはできないが、会う前からそんな心配をしていても帰り道には近づけない。
「本当にそんな者が存在するのならな。」
「信じられないなら見に行けばいい。全員で手を繋いで入れば、どんな相手でも手出しできないはず。何より、騎士がいるのに恐れる理由はない。」
黒江さんは葉月くんが言い逃れるために嘘を吐いたと思ったのだろうか。それに対する古賀さんの提案は驚くべき内容だ。禁域への侵入を勧めている。そこで何人も、警察などでさえ行方知れずになっているというのに、何人で行こうが、誰が行こうが関係ないだろう。
しかし、その言葉におだてられ、黒江さんは乗り気だ。
「と、当然だ!私がいればどんな悪も倒してみせる。熱田君も、姿さえ見せない臆病者に負けるつもりなどないだろう?」
「ああ!そいつが葉月を操ってるって言うなら、追い出してやるよ!」
何か分からないがやる気になってくれたようだ。その上、さあ行くぞと教室を出て行く。今すぐ試すつもりのようだ。くるりと振り向き、葉月くんを指差した。
「何をしている?早くそこに案内しろ!それともなんだ?そんなもの存在しないから見に行かれると困るのか?」
「ううん、案内するよ。」
高圧的な黒江さんにも怯まず、葉月くんは先頭に立った。まさか急に禁域を探索する機会に恵まれるなんて。私も世界を越える鏡などに繋がる物はないか、注意深く観察しよう。




