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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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対桃園作戦

 夕食の前に、水曜日の今日は古賀さんの秘密基地に集合だ。そう出かけようと柊木先輩の部屋を出たが、未だ雨は止まない。これは雨天中止だろうか。しかし、先程葉月くんから聞いた話を古賀さんにも伝えたい。あの暴力を古賀さんは知っているのだろうか。赤坂くんは知らないだろう。

 雨の中を一人歩く。鏡界の番人など出ないだろう。まだ夜というには早い時間だ。懐中電灯も方位磁針も持っている。万が一、道に迷っても自分のおおよその位置さえ分かれば戻れるはずだ。先に目指すのは狼寮だ。明日がとても重要だということを赤坂くんとも共有したい。自室にいると良いが、いなければ明日の早朝だ。

 すれ違う人もいない。こんな天気の中、用もないのにうろうろする人などいないのだろう。背後から近づかれても、手が届くような距離にならなければ気付かなさそうだ。寮に戻った時より強まった雨足が全てを掻き消してしまっている。


「羽衣!」


 大きな声に振り向けば、走り寄ってくる赤坂くんがいた。こんな大雨なのにどこに出かけていたのだろう。

 一人ではなくなったことに知れず胸を撫で下ろす。しかし傘が邪魔をして晴天時のようには並べない。


「どこか行ってたの?」

「まあ、ちょっと。羽衣はどうかしたのか?」

「話したいことがあって。」


 先ほど聞いた葉月くんの話を伝えていく。私が見た時は既に柊木先輩による手当てが始まっていた。怪我をたくさんしていたが、新しいものばかりではないように見えた。

 私が残して行った時は黒江さんと二人になってしまった。その直後、熱田くんや姫野さんもやって来て、蹴られたと。具体的にどこを蹴られたかとか、何を言われたかは教えてもらえなかったが、平気だと言い張った葉月くんが話すことを拒んだのだ。余程の内容だと推測できる。


「そっか。葉月、大丈夫かな。明日来れんのか?」


 部屋を出た時には多少元気になっていた。柊木先輩も一緒にいるため、今は心配しなくて良いが、明日試験を受けられるほど気力が回復しているかどうかは分からない。放課後の苦痛は減るが、それを頼りに来られるだろうか。朝や業間は変わらない緊張感があるだろう。


「分かんないけど。古賀さんにも言おうと思ってるんだ。本当に明日まで待たなきゃいけないの?って。」


 あんな状態になると分かっていれば、試験が終わるまでなんて悠長なことを言わなかった。今からでも動けるなら動きたい。そうすれば明日の朝は安心して、と伝えられる。それでも教室に来られないかもしれないが、教室に通いたいと言っていたのだ。なるべく力になりたい。


「そう、だな。俺も一緒に行っていいか?」


 以前、秘密基地で集まることを決定した時は、三人で定期的に集まり、何かを企んでいると他の人に勘付かれないようにといった内容を言っていた。朱鷺寮に訪ねれば、三人で集まったと誰に知られてもおかしくない。しかし、私は古賀さんと教室で勉強会を開催した。その時は水島くんも一緒だったが、私が古賀さんに会いに行っても何かを企んでいるようには見えないだろう。赤坂くんとも私は特別に親しいと思われている。一回だけなら三人で集まっても、定期的に集まっているよりは怪しまれないだろう。

 赤坂くんはどこかから狼寮に帰るところだった。私は杜鵑寮から狼寮に向かうところだった。行き先が朱鷺寮に変わったとて、朱鷺寮で集まったことになったと知るのは朱鷺寮の人ばかり。音無くんはいまいち何を考えているのか分からないが、天羽くんは私たちの行動には関心が薄そうだ。注意すべきは鏡界の番人などの件で葉月くんを疑っている染谷さんくらいだろうか。それでも三人で集まっていることと葉月くんを繋げて考えるには情報が足りないだろう。


「うん、たぶん大丈夫。」


 万が一、赤坂くんも一緒に来たことの理由を問われた場合は、暗い中を一人で歩きたくなかったからと言い訳しよう。私たちはよく二人で会っており、恋愛関係にあると誤解されているなら受け入れられやすい理由のはずだ。

 行き先を朱鷺寮に変更して、踵を返す。私はポシェットを下げているが、傘しか持っていない赤坂くんがなぜか傘を閉じた。


「赤坂くん?濡れちゃうよ?」

「こうすれば濡れないだろ。」


 栄お兄ちゃんの前の時ように、腰を抱き寄せられる。その時と違うのは私が傘を持っている点だ。自分一人で差す時より腕を上げ、小さな傘に二人で入る。やはり人とくっついていると温かい。気温はもう随分高くなってきたため寒くはないが、天気の悪い日に一人で歩きたくはない。閉じた空が、お前はこの世で一人だと言ってくるような気がしてしまうのだ。

 そんな妄想を振り払い、すぐ傍の体温に集中する。私は今、一人ではない。鏡の向こうの家族と再会できる日がいつになるか分からないが、少なくとも今はすぐ隣に赤坂くんがいてくれる。鏡のこちら側の家族には栄お兄ちゃんがいてくれる。今日のように怖いことがあっても柊木先輩や京極先輩が力になってくれる。

 大丈夫、私は帰るためにまだ頑張れる。明日はさらに一歩、禁域の情報に近づけるのだから。鏡の向こうの家族に少しずつでも近づけているのだ。


「羽衣?」

「ううん、何でもない。大丈夫だよ。」


 心配するように覗き込んできた赤坂くんに笑顔を向ける。上手く作れただろうか。口角を上げることを意識して、少し歯を見せるようにして、目も少しだけ細めて、軽く首を傾げて。満面の笑みではないが、安心させるための笑顔なら微笑み程度だろう。

 しかし反応は思わしくない。心配の色がより濃くなり、腰に添えられた手に力が込められた。


「古賀さんに話してからでいいから、ゆっくり休もう。俺の部屋にする?羽衣の部屋にする?それとも柊木先輩のとこ行く?」

「柊木先輩の所に行く約束があるの。」


 正確には談話室で待ち合わせだ。桃園さんを自室には上げたくないそうで、私も桃園さんを警戒しているなら他の人の目にも付きやすい場所が良いだろうと、Aクラスの談話室にしようと提案してくれた。夕食時にも桃園さんに遭遇したくないため、朱鷺寮か狼寮で食事を取らせてもらおう。


「それ、俺も一緒にいていいやつ?」


 桃園さんが私と話したいと言ったことが発端だ。そこに柊木先輩と京極先輩が同席することを了承してもらった。全員面識はあるが、予定外の人を連れていっても良いだろうか。私としては赤坂くんも一緒にいてくれると安心するものの、桃園さんと話す条件には出していない。


「うーん、今回はちょっと。」

「柊木先輩と二人がいいとか言う話じゃないよな?」

「え、あ、うん。それはそう。桃園さんと京極先輩も一緒なの。」


 試験後の話も伝えていく。腕を掴まれた話も、そこからなぜ夕食後に話すことになったのかも。話を進めるうち、表情は険しくなっていく。何か問題があっただろうか。


「桃園さんと二人きりになりたくないんだよな。」

「うん、ちょっと危ないかなって。」


 自分の都合を押し通すために、力に訴えることもあると分かってしまった。一時の感情に支配されたが故の行動かもしれないが、感情的になった時に腕力に頼ると知った以上、そこから身を守る術は確保しておきたい。試験後で疲れていたとか、そんなものも言い訳にならない。どんな理由があれ、危害を加えられる可能性があるなら避けるための努力をするだけだ。

 手首を掴んだ手の強さを思い出す。あれは怪我をさせることなど厭わず、相手を蹴り飛ばすような行動に出なければ逃れられなかっただろう。


「ねえ、赤坂くん。私の手首掴んでみて?」

「は?まあ、いいけど。」


 疑問を顔いっぱいに浮かべつつも掴んでくれる。桃園さんより余裕を持って私の手首を一周しており、軽く動かすだけで簡単に外れてしまいそうなほど軽い力だ。手と手首の間に隙間もある。拘束するようなものではなく、包み込まれている気さえする。

 自分の手を外側に組み直し、今度は私が手を掴む。事実簡単に手首から赤坂くんの手は離れた。


「羽衣と桃園さんは同じフロアだろ。羽衣が部屋に戻った後、こっそり桃園さんが襲撃してくることは考えられる。だから、しばらくは誰かの部屋に泊まるってのも一つの方法だと思う。」


 外からは部屋主の学生証がなければ開けられない。部屋の前までこっそり来ることはできても、私が内側から開けなければ桃園さんは私の部屋に入れないのだ。しかし、あの強引さを思えば、何度も呼び鈴を鳴らすことは考えられる。それを無視して私は眠れるだろうか。

 桃園さんが侵入できない人、あるいは簡単に訪ねられない人の部屋と考えるなら何人か候補が挙げられる。

まずは提案してくれた赤坂くん。私にとっては栄お兄ちゃんと並ぶほど信頼して良い人物だ。桃園さんにとっても同じクラスの人であるため、生徒番号も知っており、訪ねて来ること自体は可能だ。また、狼寮の姫野さんとも親しいため、狼寮を訪ねること自体にも抵抗はないだろう。しかし、この雨の中、その上夜に狼寮まで来ることはないのではないか。

次に栄お兄ちゃん。当然信頼できる人であり、毎週相談事や報告もするほど親密でもある。私と親しいことは桃園さんも知っており、編入生であるため生徒番号も知られているだろう。しかし、私がいるかと気軽に尋ねるような関係性ではないはずだ。仮に来たとしても、いないと答えてもらえれば桃園さんにはそれを信じるしかないだろう。こちらも豹寮のため、雨の夜という事実が訪問を抑制してくれるとも期待できる。

三人目は京極先輩。栄お兄ちゃんや赤坂くんには止められそうだが、私自身はさほど警戒すべきという経験をしていない。むしろ今日は桃園さんから守ってくれた。対桃園さんという意味では頼って良い人物だろう。やはり朱鷺寮のため、訪問を控えてくれると期待できる。しかし、そこまで頼ってしまっても良いものだろうか。夕食後に話す予定であるため、その時に桃園さんには聞こえないよう相談してみよう。

四人目は古賀さん。葉月くんに関連する作戦では主導してくれており、頼りになる人物に見えている。よく分からない部分があるため、頼った結果、迷惑だと思われないかが心配だ。また、朱鷺寮に行くなら京極先輩のほうが頼りたいという気持ちになる。

最後は、本当に頼って良いか疑問が残る部分もあるが、瀬名さん。試験開始前なら掃除にも手を抜かずに取り組み、他の人に注意もするしっかり者に見えていた。今日も桃園さんとの揉め事の仲裁をしてくれた。一方で、葉月くんに対する暴言はあった。私が頼る相手として危険はないのかもしれないが、今は進んで頼りたいとは思えない。また、豹寮に向かうなら栄お兄ちゃんを頼るため、候補から外しても良い。


「赤坂くんの部屋は?泊まってもいい?」

「え、いや、それは駄目だろ。つか、そんなの完全にできてるって言われる、いや、言われてもいいけど、そうじゃなくて。俺が栄先輩とか柊木先輩に殺される。」


 大袈裟だ。赤坂くんは柊木先輩を恐れているようだが、殺すどころか怪我さえさせることはないだろう。栄お兄ちゃんにも毎週美味しい料理をご馳走してもらっているのに、この言い分は理解できない。私の知らない過去に何かあったのだろうか。


「じゃあ栄お兄ちゃんは?」

「栄先輩だって隠し事は多いからな。羽衣を守るかどうかは、いや、桃園さんからなら守るだろうけど、羽衣が疲れてんのはそれだけが理由じゃないだろ。」


 お勧めではないようだ。確かに私と栄お兄ちゃんは互いに知らないことも多い。私が記憶喪失という設定になっている以上、過去について詳細まで共有している必要がないからだ。しかし、画集などを一緒に見ながら思い出話をすることはある。

 私は試験や探索で疲れることもある。しかし、それと栄お兄ちゃんを頼らないという選択には関連がないように思える。


「だから、その、もうちょっと羽衣も気を休めたらいいだろって。栄先輩はその辺り配慮してくれる人じゃねえ。」


 そうだろうか。美味しい食事を用意して、成果のないただの報告や学校での出来事について聞き、一緒に画集を見た。それらは私が気を休めるためにしてくれたことではないか。

 ここは鏡を越えて来た私と、それ以前の栄お兄ちゃんを知っている赤坂くんの認識の差だろう。他の候補について尋ねてみよう。


「京極先輩ならどう?」

「あの人も信用できない。何考えてんのか分かんねえし、何をしようとしてんのかも分かんねえ。二人になった時に何もされないとまでは断言できない。」


 赤坂くんもなぜか京極先輩を強く警戒している。栄お兄ちゃんなら教室で何かあったのかとも思えるが、赤坂くんは京極先輩と何かあったのだろうか。


「古賀さんとか瀬名さんなら?」

「桃園さん撃退できんの?だいたい、羽衣が一緒にいて、安心して寛げるかって問題があるだろ。」


 何かが気に食わないようだ。赤坂くんの許可は必要ないため、私は栄お兄ちゃんの部屋に行くとしよう。夜遅くなってしまうかもしれないが、その時は柊木先輩か京極先輩に豹寮まで送ってもらおう。

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